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降り積もる灰の理想郷  作者: 螺鈿
第三章 燃える世界に十字架を
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第五十二話 放たれし逸脱者

「英雄サマのご機嫌は……どうだ……」 


「頗る良いですよ。少し眠るそうです」


 陸堂とサンクチュアリが繰り広げた前哨戦に、四帝の面々はもちろん創増殖皇も……【太陽暦】でさえついて行くことが出来なかった。全てが理解の範囲外の超常現象。


 あんなもの、英雄がするべきことではない。怪物ないし化け物のすることだ。あの距離での交戦だと?


 呆れにも近い期待と、確信にも近い絶望が同時に胸へと押し寄せている。不思議な気分だ。必ず勝つだろうという期待と……必ず人間を鏖殺するだろうという絶望がある。


「なんだってそんな、世界が憎いかねぇ……英雄サマは」


「人には人の事情がある、その究極形でしょうね」


 いや、厳密にはそうではないのかもしれない。世界を憎みたくなるような理不尽は、全てを壊したくなる地獄は、この世界には当たり前のようにバラ撒かれている。


 彼女には、それを実行に移せる実力があった。誰もが夢想で終わらせるソレを現実に出来た。それだけのことだ。


「あなたも、実際世界を滅ぼせるなら……変わるでしょう」


 創増殖皇は、【太陽暦】の辿った地獄を知っている。その上で更なる地獄を味あわせている。力が……陸堂のような絶対的な力があれば変貌するだろうことは想像にかたくない。


 彼にとって命よりも大切な【処女】を人質にとって無理やり従わせている。いつこの首を落とされてもおかしくはないのだ。彼が絶対に【処女】を救える方法を見つけ出した時、それは創増殖皇の命が潰える時。そう認識している。


 疲れ果てて椅子に座ったまま動かない【太陽暦】は、やはり何も言わない。……予測出来ていたことだ。


「私は、“彼ら”の所へ向かいます。そろそろ出番でしょう」


「……“彼ら”?あんな奴ら、何に使うってんだ」


「あの英雄の力を真なる部分まで観測しなくてはならないと理解しました……勿体ないですが、捨て駒ですね」


 それだけ言葉を交わして、【太陽暦】を部屋の中に置いたまま外に出た。隣室である陸堂の部屋の前を通り、もっと奥へ、奥へ……かつて千崎を苦しめた拷問室より地下へと向かう。彼女と【太陽暦】しか知らぬ秘されし最奥へ。


 五つの扉があった。正五角形の空間に備え付けられた扉はどれも豪奢な装飾が為されていて、色彩を放っている。


 逸脱者、と呼ばれる者たちがいる。誕生、又は訪れの起源には個体差があるが、主に常人からは逸脱しているが英雄には至らなかった者の総称が逸脱者であるとされている。一部特殊な例として他の並行世界に存在する人物を性格から強さ、記憶まで全てをある神秘で複製された存在もいる。


 創増殖皇のヒールが鳴らす音。地下空間を共鳴して拡散されたそれは扉の向こう側にも届き、その奥にいる“彼ら”の耳にも届いた。“彼ら”は、四皇の管理する逸脱者である。


「……ふむ。あと数百年はこのままだと思っていた」


 右側面の扉から、落ち着いた老爺の声が聞こえる。深く深く体の芯まで響くような声で、どこか無機質だ。同時に聞こえるのは金属のぶつかるガシャリという音だった。


 共鳴するように、次々と声が聞こえる。刺激に飢えている逸脱者たちは誰かが訪れただけで気分が沸き立つ。


「落ち着いてください、皆様。今日は良い報せですよ」


 創増殖皇は定期的にこの空間に訪れているが、あくまで逸脱者たちを暴れさせないための来訪だった。ここに閉じ込められるのは同意の上とはいえ、万が一がある。


 英雄同様、逸脱者たちの思考は創増殖皇たちには理解出来ない。いつ気が変わって暴れ出すか、分かったものではないのだ。常に機嫌を良く保ってもらう必要がある。


「あなた方には、いくつかの仕事を与えます」


「戦、か?戦でなければ、我らは役に立てんぞ」


「ええ、理解しております。当然戦場での仕事です」


 どうやら、創増殖皇との会話はこの老爺……の声をした逸脱者が担うようにしているらしい。意見は口にするものの、彼女本人と言葉を交わすのは彼しかいない。


 老爺の扉を起点として時計回りに扉の鍵を開けていく。まだ出ないように、と念を押しながら。


「私が名前を呼んだら出てきてください。私の記憶違いがあってはいけませんからね。確認作業も兼ねています」


「ふむ、道理だの。人の身は記憶の劣化が早いからのう」


 愛想笑いを返し、一人目の名を呼んだ。


 老爺の声をしながら、その様相は人にあらず。首から上は鱗を纏い、瞳孔は縦に開いている。チロチロと覗く赤い舌の先端は二つに割れていて、異常な密度の筋肉が分厚い。


 そして、胴には甲冑と五色五本の剣を背負う。その名を知る者ならば、竜と呼称したであろう頭部を持つ人型の異形。人間の数十倍の身体能力を生まれながらに保有し、千年を越える寿命を誇る長命種。振るう剣は悦楽の剣。


 白色のマントを翻しながら、その者は現れた。堂々たる立ち振る舞いに、一瞬だけ圧倒された。


「【伍竜剣】ガルファム・ジークフリート様」


「竜殺しの竜人……そちらの方が好きなのだがな」


 かつて世界に、竜が存在した事実はない。だが、竜の頭部を持つ生物に限るのならばある時期にいたとされる。


 突然変異。遺伝子を組み替える神秘を保有する者が動物と人間を交配させる実験に自身の神秘を組み込むことで生まれた生物学会の禁忌。彼はその唯一の生き残りだ。


 久々に好きなだけ体を動かすことが出来て興奮しているのか、ガルファムがブンブン腕を振り回す。随分と気持ちよさそうだ……痛めつける側の創増殖皇には分からぬ。


「【異形の王】九頭薙然之太刀くずなぎぜんのたち様」


「絶対人間用に用意された名前じゃないですわよねえ」


 二人目。その者は四肢が人ではなかった。


 吊り目がちで高圧的な雰囲気が、創増殖皇を圧倒する。口元に押し当てた扇子がふわふわと揺れる様は非常に可愛らしいのだが、それを持つ手が異様に厳しかった。


 蛇だ。先端が四本の指に分かたれた蛇。臀部からは先端が鋭利に尖った尻尾が生え、脚部は猛禽類を思わせる。蝙蝠のような翼が全身を覆い隠し、夜を錯覚させた。


 ガルファム同様、地下空間を飛び回る。亜音速にも突入している速度での飛行がどんより湿った地下の空気を裂いた。


「【最速執事】蒼山漆あおやまうるし様」


「何度でも言いますが私はメイドでございます」


 三人目は、他二名と比べると個性のない容姿をしている。


 純白のカチューシャに典型的なメイド服、敢えて個性を出すとすれば美しい碧色をした首飾りだろうか。それ以外は本当に何もない、理不尽なほどに特徴のない容姿だ。


 しかし、彼女はそうでなくてはならない。逸脱者と呼ばれるほどの力を持ちながらメイドである彼女は、主人より目立ってはいけないのだ。存在を消し、気配を消し、就寝時でさえ滅私奉公を胸に夢すら見ない浅い世界を揺蕩う。


 元々はある金持ち魔族のメイドだったのだが、その戦闘能力を創増殖皇に買われてここに来た。当然ながら当時の主人には了承を得ている。少し血の臭いがする契約書だったが、蒼山には気付かれなかった。不思議なこともあるものだ。


「【魔法使い】グリ二チッチ・グリモア様」


「……ああ、ようやく、解放、の、時」


 四人目は全身を黒いローブで包み込み杖を持った青年。途切れ途切れでしか発声出来ないのは、彼が過酷極まる修練の中で喉を潰してしまったが故だ。元はお喋りな好青年だったのだが、人生どうなるか分からない。


 魔法使いと呼ばれるだけあり、彼は本来一人につき一つしか持ちえぬはずの異能を複数保有している。最後の一人も含めて人類であるが強さにしか興味のない彼は、種族の垣根を気にしない。喜んで創増殖皇にその身を差し出した。


 基本的に前衛がいないと成り立たない戦闘スタイルではあるためあまり期待はしていないが……さて、どんな魔法で活躍してくれるのか、今から楽しみだ。


「それでは、最後は」


「あー待って待っテ。調整がまダだ、先に仕事言って」


 最後の扉の奥から聞こえた軽快な声で思い出す。そういえば、まだ肝心の仕事の内容を言っていなかった。


 では、と前置きして仕事の内容を話し始めた。


「皆様にはお話済みですが、今この世界には二人の英雄が顕現しています。あなた方には彼らと戦ってもらいたい」


「ふむ……まあ、良かろ。無論報酬はあるのじゃろう?」


「勝利……とは言いません。生存し、情報を持ち帰る。そうすればあなた方には完全な自由と、魔族からの全面的な支援をお約束します。四皇並の生活が出来ますよ」


 ピクリ、と全員の眉が動く。


 ガルファムは戦闘生物だ。戦いの中でのみ生きることの出来る不完全な生命だ。地獄でしか生きられぬ。


 九頭は母だ。異形として生まれ落ちた時から何かを産むことにのみ意味を見出している。その為には素材がいる。


 蒼山には仕えるべき主君が必要だ。誰かに仕えることに存在意義を見出している彼女には、主人が欠かせない。


 グリニチッチは単純な強さを追求する。その為には時間も素材も実験体もいる……個人では到底手に入らぬ。


 魔族からの支援があれば、全て手に入る。半ば諦めかけていた夢に、目標に、手が届く。英雄と呼ばれるほどの存在との戦闘は危険だろうが……しかし戦わないという選択は無かった。この瞬間、五人全員が戦意を滾らせる。


「お気に召したようで何より……どうです?調整は……」


「ああ終わっタ終わった、ごめんネえ待たせちャって」


 その者は既に死者である。この世で唯一絶対の法則である生死の境界を踏み越えて冒涜する死の研究者である。


 本来この世界に存在しないはずだが、ある神秘使いが《最も残忍で愛情深い悪魔》を条件として並行世界まで範囲を拡大して複製した魂だ。常に軽薄で軽快で快楽主義。


 己の愛した者以外を一切省みることなく突き進む悪魔。目的のためなら世界すら食い散らかして見せる覚悟を持つ、歪な愛のためだけに生きる精神の異形。 


 燃えるような紅蓮の長髪を後ろで一纏めにし、所々焼け焦げた科学者の纏うような白衣を身に纏う。悪魔のように裂けたギザっ歯の並ぶ口は常に愉快な笑みを浮かべている……


「【融滅】エルミュイユ・レヴナント様」 


「ハハハハハ!見テてねクリス、ワタシ頑張るカら!」


 彼女の目的は誰も知らぬ。ただ、歪であると分かる。


 ここにそれぞれが違う志を胸に抱く五人の逸脱者が解き放たれた。彼らが世界に及ぼす影響は……まだ、分からぬ。

ご拝読いただきありがとうございました。

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