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降り積もる灰の理想郷  作者: 螺鈿
第一章 血濡れて消えた恋心
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第五話 異能と美貌の英雄

 ライア教神罰執行室の名を知らない人間はこの世界に存在しない。そもそもライア教とは人類と魔族の唯一の共通文化である世界最大の宗教であり、一時期は両種族の和解の架け橋になる、とさえ言われていたほどだ。


 暴力を嫌い、差別を忌み、慈愛を是とするこの宗教において最も異質なのが神罰執行室。ライア教唯一の殲滅機構だ。


 ライア教の歴史は深い。古くは四千年前から信仰され、人類、魔族問わずその影響範囲を拡大していった。


 だが信者が多くなるにつれ、様々な派閥が生まれるようになる。その中の一つ、ライア教の教えに背く者は、皆神罰を下されるべきであるという超過激派閥。その名を神罰執行室という。そこに所属する者は全員、生粋の暗殺者である。


「……ということを知らぬ訳ではあるまい?【覇魂】よ」


「暗殺者が姿を現すものではない。執行室も退化したな」


 折角人類の進化に感動したばかりなのに……とぼやきながらナラーシァはため息を吐く。夜の闇に包まれた暗い寝室の中には、主人であるナラーシァ含め五人分の気配がある。


 四人は神罰執行室でも精鋭の暗殺者だ。部屋の四隅に陣取り、武器を構えて中心の椅子に腰掛けるナラーシァを取り囲んでいる。ワイングラスの中身が静かに揺れる。


「それで?何故妾を狙う。妾は人類の希望だぞ?」


「黙れ。骸が動き、喋り、あまつさえ人類を救う。有り得てはならない間違いだ。それは主の教えに背く」


 わからないでもない。現在というのは今生きている者が切り開いていくべきものだ。断じて、既に死んだ者やこれより生まれる者が干渉すべきものではない。しかし。


「教え……教えなあ……宗教とは、そうか。良いものだな」


 天上天下唯我独尊。それがナラーシァという女だ。


 正解とか、他がどうとか、知ったことではない。ナラーシァはナラーシァ。上から目線で、自分中心。


 心の底から人類を救いたいと思っている。それは真実。長い時を経て進化した人類は確かに愛すべきもので、滅ぶべきではない。彼らはきっと、これからも進化し続ける。その道を断つというのは信じられないほどの愚行だ。


「だがなあ、妾が救うと決定したのだよ。ならば」


 ナラーシァは少なからず変態性を有している。召喚時……つまり全盛期は戦闘に重きを置いていたため邪魔なものは押し付けていたが、今はそんな息苦しいことはしない。


 豊満な胸、くびれた腰。異性のみならず同性さえも誘惑する魅力的な臀部。それら全てを強調するような紅蓮のドレスを身に纏い、下着は身に付けていない。蠱惑的な肢体を見せつけながら足を組んでいた彼女は、予備動作なしに立ち上がる。暗殺者たちが気付くより先に包囲を抜けている。


 否。包囲を破壊した。暗殺者の一人を殺害することで穴を作ったのだ。首から上が弾け飛んでいる。


 手には、彼女の身長をも上回る長さの朱槍が。


「神。宗教。信念。“その程度のもの”が妾の前に立つな」


 神罰執行室の暗殺者は、その生涯を神に捧げる。彼らにとっての信仰は命であり、彼らにとっての命とは即ち信仰だ。


 それを愚弄され、黙っていられるほど彼らの信仰は、命は安くない。ここで退けば助かっていた命を、怒りなどという下らないもののために散らす。


 神速で駆け、窓際に立つナラーシァを攻撃。しかし。


「この上なく、不愉快だ」


 朱槍の刃の上に三つの首が並ぶ。絶望もなく、苦悶もなく、驚愕もなく。彼らの顔にはただ憤怒が残る。きっと、まだ殺されたことにすら気付いていないだろう。


 ナラーシァの逸話はその美貌が八割だ。ヴァルハラ戦役での活躍を記したモノは多いが、その中にあっても彼女の美貌は必ず描かれる。故に軽視しがちだ。確かに戦場にあって魔族軍を虐殺、蹂躙したのは彼女の異能力による死の軍勢。


 だがそれ以前に、強力な神秘を保有する数百の魔族を己の力のみで殺害した。ただ一本の朱槍と身体能力のみで、だ。

 彼女の槍術を知る者はあまりに少ない。


「ふむ、こうも惰弱。妾の睡眠時間を削るほどではなかったなぁ……ん?ああ、そうか。これは正当防衛か」


 英雄のルール、召喚から七日間の自由。その過程での戦闘は禁じられている。だがナラーシァは何の問題もなく神罰執行室を殺害出来た……恐らく正当防衛か虐殺であると判定されたのだ。世界はいつも、案外適当なのだ。


 ライア教は珍しいもので、多神教だ。誰もが対等であり誰もに役割があるという考えの下、主神であるライア神は特権を保有していない。司るのも耳と鼻という……考えた奴の頭の中を覗いて見たくなるものを司っている。


 それ故か、ナラーシァが生きていた頃からライア教は情報収集能力に長けていた。恐らく英雄のルールも知っている。


 だから、実験的に神罰執行室を寄越したのだろう。無論彼らの言っていた理由もあるのだろうが、それで暗殺を許可するほど上も馬鹿じゃない……と思いたい。いくつもある派閥を纏めあげるのは優秀な人間じゃないと出来ない。それを為している当代の大教祖もさぞ優秀だろうから。


「さて、安眠安眠……ぬう、客が多いな。せっかちか?」


「七日以内にお前を殺せ、とのことだからな。個人的な恨みはないが、主の教えのためお前を殺す」


 強い。ナラーシァは瞬時にそう判断した。


 窓枠に片足を乗せているナラーシァが、背後のその男に気付けなかった。扉から侵入したにせよ、どこから来たにせよ接近に気付けなかった。“いる”ことしかわからなかった。


 先程の暗殺者が百人束になっても勝てないだろう。


「神罰執行室、【双魚】。お前を殺す」


「……【双魚】?黄道聖典か、お前!道理で……【白羊】は?怪力だけの【金牛】は元気か?泣き虫の【双児】は……」


 ガッシャァァアン!と豪快な音を立ててナラーシァと【双魚】は夜の街並みに放り出された。恐らくは当代の【双魚】が会得したのであろう技術。不可視の風弾。


 タタッタット、と軽やかなタップダンスを踊りながらダメージを受け流す。家屋の天井がいくつか剥がれた。


「……攻撃したな?では妾もそうしよう。黄道聖典はいい、一人一人が手練。ライアの聖遺物。殺し甲斐がある!」


 関節の動きや手首のスナップを利用して朱槍を投擲する。追撃を仕掛けようとする【双魚】の顔面を掠めたソレはブーメランのように反転してナラーシァの手元に戻った。


 (……毒。槍に毒か。英雄らしからぬ……否、だからこそ)


 無数に立ち並ぶ家屋の天井、煙突の後ろに隠れてナラーシァを観察する。主武器の朱槍以外にも投擲用の投げナイフや煙幕弾、髪飾りさえ近接の武器となるか。その全てに遅効性の神経毒が塗られている……本当に英雄か?


 使えるものは全て使うという方針を否定はしない。実際神罰執行室は手段を選ばず対象を殲滅する。


 だが、ナラーシァは英雄とまで呼ばれるほどの戦士のはずだ。真っ向から正々堂々とした勝負を好むと伝承にもあったが……間違いか。凝り固まった偏見かもしれない。


 (短期決戦だな。撤退も視野にいれて……)


「数代前の【双魚】は手品師だった。風を操るという点においてお前と同じだったが、奴は防御に重きを置いていた」


 煙突の裏。ナラーシァの声はそこから聞こえる。


 有り得ざる関節の躍動により朱槍が届く寸前、【双魚】は回避を完了していた。風の鎧が槍の軌道を捻じ曲げる。


「こうして相対すると、お前の方が厄介だ。妾が反応出来ない速度、不可視性の風の銃弾。賞賛に値する」


 至近距離で一瞬だけ観察する。先刻風弾を叩き込んだ場所は腹部だったが、傷跡一つ付いていない。ドレスにもだ。何らかの防御が働いているのか、特殊技術か……


 今は逃げることにだけ専念する。近接の間合いに入られては勝ち目は皆無。遠距離から風弾主体に攻める。


「今代の黄道聖典は誰が最強だ?やはり【磨羯】か?アレはとにかく聖遺物が厄介だった。【天秤】も中々」


「ナラーシァ。まさかお前、過去の黄道聖典を」


「【宝瓶】と【処女】、【獅子】。それと……【人馬】だったか?奴らが四人がかりで殺しに来てな。軽く返り討ちにしてやったが……腹が立ってな。くく、鏖殺してしまった」


 全身の血液が沸騰する感覚がした。同時に、単独ではどう足掻いても勝てない存在であることも認識する。絶望だ。下っ端で実験、勝算はあると踏んだが……大間違いだった。


 黄道聖典は神罰執行室の切り札。【黒十字】が神罰執行室の招集に応じなかったが故に組織された十二人からなる精鋭部隊であり、それぞれが唯一無二の技術を所有していることが加入条件となる。例えば【双魚】は風の操作技術だ。


 そして条件を満たし教会の認可を得た者全員に与えられるライアの聖遺物……誇り高き十二の聖典。この二つが揃って初めて正式な黄道聖典として神に認められるのだ。


 それを、鏖殺。死を持ってしての侮辱。


「……亡者とはいえ、許せん。度を越した暴言だ」


「なんだ、死に嫌悪感を覚えるか。いや?聖書にそんな記述はなかったな。であれば……自死以外の死が屈辱か」


 ライア教はその歴史故に教えが複雑だ。それなりに博識なナラーシァでも全てを把握出来ている訳ではない。


 自死を高潔とする考えがある。反して他者が起因となる死が屈辱であるとする考えも。ライア教は後者なのかもしれない。であれば地雷を踏んだか……ああ、愉悦。


「良い、良いな。良く楽しませてくれた。そうして屈辱と憤怒の赤に染まった魂は見ているだけで面白い」


 ナラーシァは魔族ではない。魂の操作技術は生まれ持った異能と形容する他ない、異質が過ぎるものだ。


 異能の一つとして、彼女は魂を観測する。苛烈な赤色の魂が彼女は好きだった。【双魚】は理想の赤だった。


「褒美だ。妾は朱槍のみで戦う。抗って見せろ」

ご拝読いただきありがとうございました。

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