第四十九話 鏖殺条件
基本的に現代の人間というのは、英雄の感情を無視した召喚を行う。それ故、戦うのに条件を提示された場合、最大限努力して叶えることが一つの義務となる。
「事情は把握しました。どうやら私は……あなた方のために戦う義務があるようですね。不快……んほん、頑張らせてもらいますが……代わりに条件を提示させてもらいます」
今回、先に召喚を行ったのは魔族だった。前回の反省を活かして創増殖皇が召喚の現場に立ち会い、顕現と同時に意思の疎通、交流を行うことにしたのだ。
今回召喚されたのは、病弱というイメージが真っ先に来るようなやつれた少女。車椅子もセットで召喚されている。
「条件……ですか。どうぞ、何でも要求してください」
「人類の英雄と戦う……そこに文句はありません。あなた方の望み通り、殺戮してみせましょう」
長く伸びた前髪の奥から覗く紅の瞳は、人間観察に長けている創増殖皇ですら計り知れないドス黒い感情を孕んでいるように思える。恐怖を覚えるほどに得体が知れぬ。
……どこからどう見ても、英雄ではない。車椅子がなくては移動がままならぬ弱い体、痩せこけて力のない体。生気のない表情に陰鬱な喋り方……不治の病が最終段階まで進んだ病人のような儚いイメージをつい抱いてしまう。
だが、同時に……凄まじい力を感じる。戦闘が本分ではない創増殖皇が完全に理解することは出来ないが……少なくとも後方で待機している【太陽暦】や付近に控えている四皇配下たちが全身の震えを抑えられない程度には。こうも怯える【太陽暦】は初めて見た。
「しかし。私は今、果てしなく絶望しています」
纏う空気が変わった。血の気が引くのを感じる。
絶望、同時に憤怒でもあるのだろうその感情。貧弱で、触れれば折れてしまいそうな細い体から発せられるものであってはならないほどの強烈な感情。紅い瞳が魂を射抜く。
ああ、これは最早殺意だ。創増殖皇ですら分かる。
殺戮の渦中に身を置く者たちは、今どれほどの恐怖を感じているのだろう。その殺気を明確に理解出来る者たちは。
「未来。そして過去。今この世界に有り得ざる存在を英雄と呼び力を乞い、無価値な命の存続に時間をかける」
逃げたい。この英雄……否、怪物から一刻も早く離れたいというのが、この場にいる全員の共通認識だった。
こんなもの、喚ぶべきではなかった。渦巻鐘音も千崎道國もどこか壊れている部分はあったが……甘かった。あんなもの序章にも等しい。これが、真に壊れた英雄。
「この世界に価値はない。すべからく滅ぶべし。故に人類の英雄を打ち倒した後に、この世界の全てを殺す。それを許可出来ないのなら……私は今ここでこの首を落としましょう」
問題児にも程があるだろう。これでは英雄戦争で共倒れを防ぐ前にこの英雄が世界を滅ぼしてしまう。まだ力を確認していないが故に可能かどうかは不明だが……
少なくとも、この殺気をぶつけられた後で虚勢か何かだとは到底思えない。本当にやれると思えてしまう。
「……ええと……人間を殺し尽くすというのは……ええ……」
「冗談です。許可がなくとも勝手にやります」
カラカラカラ、と音を立てて何もしていないのに車椅子が前進する。またも何もしていないのに扉が開いて、英雄は創増殖皇たちを一瞥もすることなくどこかへ去った。
ただ、去り際。
「許可を出したら、少し加減するつもりだったのですが」
そう……訳の分からないことを言い残して。
瞳を覗くだけで理解出来る。あの英雄は……人間という生物そのものを心の底から見下し、己の手で鏖殺するつもりでいるのだ。一切の容赦も、慈悲もなく。
そして……それを為せる。召喚から一時間も経過していないが、この場にいる誰もがそれを理解していた。
「おい、創増殖皇。やってくれたなお前」
荒い足音を立てながら【太陽暦】が創増殖皇に掴みかかった。自分でもそう思うが故に、抵抗も何もしない。
「英雄としては最高峰だ。アレに勝てる奴がいるなら見てみたいもんだな。だが、人として……なんなんだアレは!」
一応補足しておくと、創増殖皇の護衛として【太陽暦】は一般の魔族や今回のように四皇配下の前に連れ出されることが多々ある。その際は、仮の身分を名乗ることにしている。
即ち創増殖皇の血縁。凄腕の神秘使いで、子供の頃から創増殖皇を守るためだけに体を鍛え上げた超人と。
「私が知りたい……とんだ怪物を召喚してしまいました」
どうも想定外のことが多い。これは……魔族側の英雄が未来の英雄であるが故の弊害だろう。予測も対策も出来ない出たとこ勝負、相手は想像もつかぬ思考を展開する英雄。
三回目の召喚だが、ただ一度も上手く行っていない。渦巻と今回の英雄は反抗期だし千崎は手を出してくるし……
「召喚しちまった以上は仕方ない……せめて能力を知っておきたい。とんでもねえことだけは分かるが……」
「それには同感です。何とかして把握しておかないと……」
「ではお見せしましょうか。屋外に出ましょう」
創増殖皇たちが方針を決めていたその時、再び扉が開いて三人目の英雄が入室してきた。何故だか分からないが、彼女が口を開くだけで場の雰囲気が暗澹としてくる。
肯定も否定も示すことが出来ぬ、彼女だけが発言できる絶対空間。見届ける義務がある創増殖皇とその護衛である【太陽暦】だけが英雄の後をついていき、他の四皇配下は自身の職場に戻した。下手したら死ぬかもしれない。
(大丈夫なのか?守り切れる自信はないぞ)
(私が見届けず誰が見届けるのですか。それに私は死にませんよ。対大悪用粛清機構も解凍準備は完了しています。まあ……この英雄に、それが通じるかはわかりませんが)
ああ、と気付く。千崎の時は……渦巻の時も。使えば何とかなると無意識に思っていた。英雄として逸脱していたのは間違いないが、それでも理解の範囲内だと。
だが、コレは違う。通じるという確信がない。対大悪用粛清機構は英雄特化の兵器だが……止められる気が微塵もしない怪物。こんな存在、どうしたら生まれるというのか。
「あ、一応説明しておくとですね。私があなた方の元へ戻った理由は三つありまして。まず部屋がわかりません」
創増殖皇と【太陽暦】が顔を見合わせる。そういえば事情の説明だけで滞在期間の過ごし方については何も説明していなかった。あまりの恐怖と動揺で忘れていた魔族側も魔族側だが……気付かず出て行った英雄も英雄だ。
もしかして、天然なところがあったりするのか……?
「次に、ええ。今しようとしていますが、私の力を見せておこうかと……上下関係の構築は大事ですから」
ただのバーサーカーなのかもしれない。
この発言から考えるに、力のみで関係を構築してきたのだろう。戦いこそ全てだと……なるほど、恐ろしい。
「そして、最後に。自己紹介がまだでしたね」
ピタリ、と車椅子が止まった。到着したのは四皇の城からそれなりに離れた高台。灰の楽園も、最も魔族の生息圏に近い人類生息圏もギリギリ目視出来る場所だ。
そうだ、灰の楽園に残されたあの城も調査しなくては。性質や見た目からして英雄千崎のものだろう……死後も残る神秘とは珍しいものだ。消し忘れた訳ではないだろうし、きっと意味がある。【太陽暦】に頼んでおくとしよう。
「ふむ……あの人類生息圏、“消してもいいですね”?」
「え、ああ……はい?」
その言葉を肯定と捉えたのだろう、英雄が口を噤んで遙か遠方の人類生息圏を見つめ始めた。静寂が場を支配する。
(……消す?そんな馬鹿な。はは、どこまで規格外だよ)
ここに来て急激に【太陽暦】の頭が冷えた。脳が処理できる情報の限界量を越えたが故だろう。
目視できる限りでも、あの人類生息圏との距離は数百kmで面積は把握しきれない。【太陽暦】が一年かけても……消すなんて芸当は夢のまた夢。出来る方がおかしい。
その人類生息圏は、魔族と人類の戦争において最前線であり続けたこともあり、防衛に特化した要塞都市だった。数多の兵器と騎士が存在し、数え切れぬ量の魔族を殺した。それ以外の面でも発展し、面積も人類全体で一、二を争う。
「英雄創世、起動。神秘連結……天体干渉開始」
意味のわからない単語が聞こえたが敢えて無視する。
英雄の口からブツブツと言葉が漏れる。【太陽暦】はその道の専門家ではないので分からないが……距離の計算をしているように聞こえる。かなり大雑把ではあるが。
ふと、ゾクリと悪寒が背筋を駆け巡った。まさかと思い天を見上げてみれば……ああ、そこには終焉があった。
「こ、れは……どういう……」
「はは、は……終わりだ、なんつう規模だよ……」
英雄の上空に、雲が収束していた。他のどこを見渡しても晴天が広がるばかりで、場所によっては薄らと星々さえも目視できる……なんだ、何が起きている。
何一つ理解出来ないが……終わりだということは分かる。創増殖皇も、魔族側勢力がしたと分からないようにしてくれと言うつもりであったが、言う必要性は皆無だ。
こんな芸当、例え英雄であっても個人で成し得ると誰が思うだろうか。神の御業と言った方がまだ信憑性がある。
「光体収束開始。照準完了、巡れ、巡れ、巡れ……」
英雄が言葉を発するだけで、世界が変化していく。
雲が渦を巻いていた。そこに、空の向こう側から光が降り注ぎ一つの形となっていく。渦の中心が晴れて、そこで光が収束された。螺旋を描く巨大な槍が構築される。
風が吹き荒れる。世界が危機を察知しているのだ。これ以上進んではいけないと、哀願にも近い警告を。
しかして止まらぬ。その英雄は、全てを壊すためにある。
「我が願い孕みて堕ちろ。星の命。汝に託すは必滅の祈り」
雲が離散する。刹那、世界から……
重力が消えた。
一瞬にも満たぬ、認識すら困難な瞬間の浮遊感。光の槍が落下すると同時に視界が塞がれ、そうなったと遅れて理解した。警鐘を鳴らす本能を黙らせ、重い瞼を開くと……そこには。
「【流れ星】……加減し過ぎましたかね」
それは宇宙に遍く天体から光エネルギーを収束し依代とした槍に、この星の重力を込める破壊の権化。抵抗は不可能、放たれた時点で死が決定する“星の攻撃”。
視認可能な範囲に、人類生息圏はなかった。灰すら残ることはなく……元から何もなかったかのように消えていた。
この高台にまで届くほど熱く煮えたぎり、数百kmの深さで穿たれたクレーターを残して。
「おっと、自己紹介を。私の名前は陸堂儚華」
その英雄は、初めて笑った。彼らの絶望を目にしながら。
「未来において、最強と呼ばれた女です」
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