第四十四話 廃墟の戦火
ラズヴァーリという男は、その生涯を平和のために、人類のために捧げた。軽薄で女好き、作戦無視の多発などだらしない部分も多々あったが……誰もが、知っていた。
彼は正義の人であると。
現行逮捕部が設立されてから最も多くの罪人を捉えた優秀な男であり、最も少ない犠牲でそれを為した超人。当然ながら民や四帝からの信頼も厚く、街のヒーロー的存在だったことは言うまでもないだろう。だが、しかし。
その最後は、積み重ねた全てに裏切られての暗き死だったことを覚えている者は……もう、この世に居ない。
「英雄としてのお前を除いてな……アヴィス」
驚愕、或いは思考停止でもなく。焔と焼印に侵されたラズヴァーリを目にして最初に湧き出た感情は納得だった。泣きたくなるほど分かりやすい……真なる英雄の末路。
これが、【神殺しの堕天最奥】が判定したアヴィスのトラウマか。事象と括り付けられが故の……バグだろう。
「なあ、アヴィス。俺はお前のせいで死んだんだ」
そう、バグだ。バグなんだ。だってアヴィス・マナフスィリとしての己は、この光景を知らない。英雄としてのみ知り得ている何かをトラウマだなんて、有り得ない。
知らないモノをトラウマと判定して見せて来るなんて、随分とまあ無能な神秘だ。もっと……“声”に誘われて殺してしまった人々の幻影とか、マシなものがあったろうに。
「お前がいなけりゃ、皆もっと生きられたのにな」
バグの、はずなんだ。
「なあ、無視するなよ。答えてくれよアヴィス」
廃墟を意味するのだと、彼はいつか言った。まだ戦争を平定するための英雄がいなかった時代、四帝からの出動命令は死を意味していた。ラズヴァーリの親もそうだった。
夫を早くに亡くしたラズヴァーリの母親は、空洞の心で彼を産んだ。付けた名は……廃墟。ラズヴァーリ。
「生まれた時から廃墟だった俺が、ようやく掴んだ幸せだったんだぜ?ご苦労だなあ、全部壊してくれてよお!」
ラズヴァーリの長剣が迫る。
咄嗟に躱して反撃の拳を繰り出す。が、“何故か”精彩を欠いている彼の拳は容易くいなされてしまった。
違う。彼はそんなこと言わない、そんな顔をしない。だってそうだろう、あの夜に救ってくれた彼は……この世の何よりも暖かくて、慈愛に満ちていたはずなのに。
「おいおい、俺が教えた剣技はどこに行った?」
ラズヴァーリが得意とする刺突攻撃。トラウマとしての再現故か、アヴィスの記憶よりも激しいそれは少しづつ彼の肉体を削っていく。肉が、血が、炎の大地を濡らす。
反撃はどれも躱されるかいなされる。いつもより力が出ない、自然と身についていた徒手空拳が役に立たない……!
「そりゃそうだろ、お前が俺に勝てる訳がない」
トラウマであるかどうか以前に、ラズヴァーリは戦乱の中でこそ輝く真なる英雄……剣技の天才であった。
アヴィスは確かにラズヴァーリよりも強い。だが、刷り込まれた情報故か、その生涯において一度たりともラズヴァーリに勝てたことはなかった。心が屈服していたのだ。
それが、精神を苛むトラウマとして再現されているのだ。勝てる道理など……どこにも、存在していない。
「教えて……いただきたい、ラズヴァーリ!」
初めて、そのように。吐き捨てるように名を呼んだ。
顔面を狙って突き出された長剣を乱暴に弾く。英雄神話で強化された凄まじい剛力でそうされた故か、ラズヴァーリの体勢が大きく崩れた。よろめいて倒れかける。
「あなたは、あなたは真なる英雄だった!弱き民を救い悪しき強者を挫き、壊れ果てた罪人を捕らえてみせた!」
百人に問えば九十九人が迷いなく答えるだろう。ラズヴァーリとアヴィス、真なる英雄はどちらか……それは、ラズヴァーリであると。紛うことなき、英雄の剣であると。
ただ一人……ラズヴァーリを除いて。彼は生前、自身をクソッタレの極悪人だと嘆いていた。それも、深酒をしてしまった時だけの……誰にも見せるつもりのない弱音であったかもしれない。少なくとも、知っているのはアヴィスだけだ。
「なのにあなたは何故、自身を英雄と認めないのですか!」
ラズヴァーリの動きが止まる。
世界が英雄と認識する者とそうでない者の違いがなんなのか、それは分からない。だが、為したことを見ればラズヴァーリは確かに英雄だ。だというのに、何故……!
二人目の英雄として召喚されるべきは、こんな夜の獣ではなく世の平和の為に生涯を尽くした彼だったはずだ!
「何故?それは、お前が一番分かっているだろう」
心底不思議そうに首を捻るラズヴァーリに、一切の迷いも躊躇いもないように見える。これがトラウマかどうかも関係ないのだろう、これは……本当に、そう思って。
「俺がお前を救ってしまったからだよ」
寒い寒い雪の日だった。
夜の子として生を受けたことを自覚し、初めて人を殺すと同時に現行逮捕部として人類の平和のため戦うことになったことを覚えている。彼は、確かに優しかった。
少し警戒していたが、笑ってくれていた。度胸がある、正義の心を持つ少年だと頭を撫でてくれた。
ずっと近くにいてくれた……だからこそ、アヴィスが壊れ始めたことに最も早く気付いたのも彼だった。自身がアヴィスという存在を認めてしまったから、奪われるべきでない命まで奪われていることに……ずっと、罪悪感を持っていた。
救うべき人間ではなかったと思っていたのだろうか。ずっとずっと……一緒に、正義のために戦っていた時も。
「お前がいなけりゃ、俺が英雄になってたかもなあ」
息が止まるような感覚がした。
ラズヴァーリの長剣が肩を貫いた。抗うことも出来ずに吹き飛ばされ、ゴロゴロと炎の大地の上に転がる。
(ああ、あなたは……そんなことを、思って……)
わかっている。これは【神殺しの堕天最奥】が見せているトラウマであり、本物のラズヴァーリではない。しかし、こう思われていても何も不思議ではない。
それを理解しているが故に、信じてしまう。英雄である彼の最期を知ってしまっている。だからこそ。
「ここで本官は……死ぬべきでしょうか、ラズヴァーリ……」
その時。脳裏に浮かび上がるのは、現代で出会った人々の姿。フルル、カーニエ……ナラーシァ。彼らは皆、アヴィスという存在を知らなかったのだと思う。だって、知っていればあんなにも優しく接してくれることは……なかった。
ああ、楽しかった。部屋に戻って皆がカードゲームしていたのには驚いたが、かつてのように楽しい夜だった。
『おう。俺はお前の上官だからな!』
『そうしたくないなら、それでもいい。まだ五回残っているんだし、あなたが無理に戦う必要はない』
『待て。本官じゃない。妾はアヴィスと話している』
暖かい言葉。優しい言葉。まっすぐな言葉。
憧れではない、誰かのために勝ちたい。誰かのために働きたいという感情は初めて抱いた。過去の人々よりも懐くことはないだろうと思っていたが……そんなことはなかった。
今も昔も、人間には暖かい人とそうでない人もいる。何故こんな罪人の周りには……暖かい人しかいないのだろう。
『俺は、愛されるべきだと思うよ。お前が』
フルルたちの言葉のように、ラズヴァーリの言葉が脳裏に浮かび上がる。いつか、茶を飲みながらした話。
思えば……理由も何もなく衝動で動く人だった。思ったことをすぐ言う人だった……かと思えば、隠したい本音は何があっても言わない。とにかく、隙のない人だった。
酒だけが、扉を開いていた。
『一番苦しいのはお前だもんなあ。分かるよ、衝動ってのは抑えられねえもんなあ。分かる分かる』
『説得力がありますね。これ以上ないほどに』
『言ってくれるなあ……まあいいや、それでな』
何でこんな話になったんだったか。幸せについての話?好きでもないが、嫌いでもない類の話だったな。
そういう話をする時の彼は、明るかった。普段の責任感がない明るさではなく……誰かを思いやる明るさだった。
『俺さ、思うんだよ。自分が原因で苦しんでる奴はさ』
そうだった。ラズヴァーリはそんな人だった。
立ち上がる。眼前のトラウマをしっかりと見据える。どこか揺らいで見えるソレは……もう、怖くない。
『周りから愛されて幸せになるべきだとさ』
「そうだ……お前は、所詮偽物だ!」
右腕を振るう。長剣が弾き飛ばされ、無機質に転がった。
トラウマであり、実体を持たないが故かラズヴァーリが無数に長剣を手にした。言葉を発する様子が一切ない……もうトラウマを克服したと、判定されたのだろうか。
「僕の心が生み出した偽物で、有り得ないトラウマで!僕が見たことのない、死んだ後の存在で!」
事象に結び付けられているからだろう。死後のことも、英雄としてのアヴィスは認識している。ラズヴァーリがどんな末路を辿ったのかも、周囲がどう反応したのかも。
守られていた民が、四帝が、アヴィスに深く関与しているというだけでラズヴァーリの処刑を望んだ。擁護してくれる現行逮捕部の仲間はアヴィスが殺し尽くした。
アヴィス・マナフスィリという獣を救った時点で、現行逮捕部の……ラズヴァーリの運命は決まっていたのだろう。最初から決定されていた未来が……そんなものだなんて。
なんて罪人。なんて汚物。このトラウマのようなことを誰もが思って当然だ。だが、それを理解した上で。
「僕を愛してくれた、幸せにしてくれた!」
その腹を貫く。ぶちまけるように、肉体が弾けた。
終わりだ。アヴィスがそうされたように、腹を貫いて殺される。悪夢、トラウマ……そのようにして終わるべきだ。
「たった一人の親友で……家族の、ラズヴァーリじゃないんだ!ラズヴァーリを、貶すな!」
それを、理解した上で。
ラズヴァーリという無名の英雄は、夜の獣を誰よりも愛してくれていた。その獣が原因で死んでしまったとしても。
愛されている確信を得たことは、過去。その生涯においてただ一度もなかった。仲間として信頼されていると思うことはあっても、愛されているなどと……到底。
けれど、今なら分かる。死した幻影、もう二度と微笑みかけることのない骸。彼がそうなった今……ようやく。
獣は、愛されていたのだと。
「ラズヴァーリは僕の……たった一人の、家族なんだ!」
世界が割れる。トラウマを、克服した。
夜はもう明けていた。
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