第四十一話 開戦
「戦う理由……整理は出来たか?アヴィス」
時は少し遡り、アヴィスたちが城を抜け出した直後。
カーニエたちに告げれば、「諸々の交渉がこれからあるから終わるまで待っていろ」と言われるのは目に見えている。それを避けるため、ナラーシァとアヴィスは黙って城から抜け出していたのだ。途中で馬を拾って、遠くへと駆ける。
目的地は灰の楽園。魔族の英雄が何を考えているかは知らないが、二人目の英雄戦争の戦場は恐らくあそこだ。
「本官は……本官は、人類の」
「待て。本官じゃない。妾はアヴィスと話している」
アヴィスの声を遮って、ナラーシァが喋る。
アヴィスが本官と言う時は大抵建前だ。外見に引っ張られているのか、精神は幼稚というか分かりやすく、本音を告げる時は必ず一人称が“僕”になる癖があるのだ。
少し躊躇った後に、決心したように口を開いた。
「……僕は、フルルの温かさのために戦います」
「そうか、良い理由だ。戦いなどそのようなものよな」
ははは、と笑う。ナラーシァも、カーニエがこの先も生きていく世界を守るために戦った身。特定の誰かのために戦いたいという気持ちを否定することは、決してない。
あの夜の調教が終わってから、開戦の七日が訪れるまでアヴィスは毎日ナラーシァを尋ねた。魔族の英雄と戦ったことのあるあなたの教えを請いたい……と。普段の元気と明るさだけのアヴィスではなく、英雄としてのアヴィスだった。
だからそれに応えて……彼は、数段強くなった。夜の暴走も克服した。後は、戦争の女神が勝者を決めるだろう。
「妾は、お前の勝利を願っておるぞ」
「ええ、必ずや勝利を収めてみせます。情報は渡さなくていいと言ってくれたカーニエたちのためにも」
そう答えるアヴィスの目には“覇気”があった。
随分とまあ逞しくなったものだと感心する。つい漏れ出ていた笑みは仕方ないというものだろう。
夜は暴れ、昼は愛嬌をばら撒き。どうしようもないほどに壊れ果てた己を見つめては涙を流して、助けを求めていた弱い彼はもうここにはいない。英雄として完成された。
たかが七日でも、人はこうまで変わる。
「のう、アヴィス。お主にずっと聞きたかった……」
馬を駆りながら、アヴィスと視線を合わせる。
一人目の英雄戦争が終わった後、生き残った英雄には一週間の猶予が与えられる。その中でもそれまででもいいが……英雄は、この世界に残るかどうかの選択が出来る。
残る道を選んだのがナラーシァだ。もう少しカーニエと共に生きたいと思った彼女は、現代の人として生誕した。
フルルとアヴィスの関係性は……カーニエとナラーシァのものとは違う。だが、救われたはずだ。守りたいと思ったはずだ。なら、同じ道を選ぶのも悪くはない。
「お主、この世界に残る気はないか?」
「英雄ナラーシァ。僕にその気はサラサラありません」
だが、獣の英雄は確かに首を横に振った。
「どれだけ救われようと、どれだけ愛されようと。僕は苦しみながら生きなければならない。僕自身の罪のために」
過去において、意味も理由もなく人々を殺した。それを許されざる罪であると自覚しているアヴィスは、自己弁護のために理由のある罪を許さぬ存在として召喚された。
今もそれは変わらないが、“おかしい”ということだけは理解している。故に取り返しのつかぬ……破綻者であると。
そんな存在が、幸福に生き続ける道を選んではいけない。訳も分からず死んで行った、殺してしまった人々への罪滅ぼしのために……勝利を収め、消えて果てねばならない。
「固いのう……まあ、それもお前の在り方か。止めはせん。ということは……これが、お前との最後の会話になるか」
アヴィスは何の言葉も返さない。必要なことだと理解していても、寂しいという気持ちは少なからず存在する。
召喚当初は自暴自棄で、破滅願望さえ有していたが……思ったよりも世話になったし、暖かった。彼らのために戦えることを幸福とさえ思っている。嬉しいことだ。
……皮肉なものだ。いつの間にか幸福になっていた。
「……英雄ナラーシァ。あなたに、感謝を」
アヴィスがそうしたように、ナラーシァも言葉を返すことはなかった。その感謝に言葉を返すことは、彼にとっての罪を増やすことに他ならない。後押しはしたくない。
漏れ出た言葉なのだろう。元は心優しい青年。“声”などという忌むべき呪いがなければ、きっと英雄として認識されることすらなかったであろう。多くの者は羨むであろうことだが、彼にとってはそれが何より疎ましいものだ。
ナラーシァほどの心身共に強き者であっても、“声”の呪いはおぞましいと感じる。夜になれば衝動に任せた殺人を唆す恐怖の呼び声。絶対に味わいたくはない。
「話を変えましょうか……あなたは何故、ついてきてくれるのです?目的地には僕一人でも辿り着けますが」
「なに?自惚れるなよアヴィス。妾には妾の用がある」
話を変えるとは言ったが、それ以降の会話はなかった。
ナラーシァはナラーシァで、魔族に用がある。彼女が正常に生きていた頃の知人はいないだろうが、召喚されてから出会った者の中に、もう一度会わねばならない者がいる。
直接の面識がある訳ではない。名前しか知らぬ。ただ、一人目の英雄戦争を引き起こした者として……必ず、会わねばならない。それは義務でさえあるだろう。
ひたすらに馬を駆り、白と死の大地目掛けて走る。歩いた方が速いが、今はまだ自由の七日。こうして懐かしい疾風の獣の背に乗る方が気持ちが落ち着くというものだろう。
やがて、数時間後……魔族生存圏の境目を力技で打ち破り入国。灰の楽園の中央で別れを告げた。
「勝てよ。先に二勝を取れれば状況はかなり有利になる」
「無論。自由に、荒々しく。獣の勝利を掴み取りましょう」
最後はにこやかに笑って、ナラーシァは灰の楽園を後にした。きっと勝つだろうということを信じている。
変装し、魔族の都市へと足を踏み入れる。目指すべきはどこか……病院ではないだろう。となると、どこか一般家庭に滞在しているか?探すのも骨が折れそうだ……
――――――
「なんだ、結局病院にいたのか」
「誰だよ。四皇の調査は朝のうちに済ませたろうが」
かつて、第八魔族街と呼ばれる都市があった。今は灰の楽園と呼称されるその場所は、純粋に八番目に作られたというだけで名付けられた人口十数万人の都市である。
魔族全体の存続という観点において重要なものは、その全てが第一〜第四魔族街に存在している。故に第八魔族街は、増えすぎた人口を収容しておくためだけの都市である。そのため失っても痛くも痒くもない……のだが。
七人の未来の英雄、その全てが生まれて死んだ場所であるとされる。数奇な運命に愛される都市である。
一人目の英雄戦争の被害を受け、第八魔族街は完全に消し飛んで灰の楽園と化した。生き残りはただ一人も存在しないだろうと予測されていたが……灰被りの青年。
柘榴雨雪だけが、生存者として確保されていた。
「すまんな、妾は四皇の使者ではない」
待合室で本を読んでいた柘榴の手を掴んで、一番近くにあった病室に無理やり押し入る。今は時間が惜しい。
驚いて慌てふためく医者と看護師を気絶させて寝かせ、自分たちが椅子に座る。必要はないかもしれないが、持ってきていた林檎の皮を剥いて柘榴の前に並べた。
「なんだお前、何一つ訳がわからねえぞ」
「そうか。妾は分かっている。ならば無問題だ」
はっはっは、と豪快に笑う。英雄戦争を生き残ったことで度胸がついたのか、こんな状況でも表情に変化はない。
それどころかナラーシァに視線を向けることすらなく、本の文字を追い続けている。もらうぞ、と一言告げて林檎を摘む余裕すらある……随分と肝の座った青年だ。
「で?何の用だ。オレはこう見えて忙しいんだが」
「なんだせっかちだな。妾は……謝罪と、これからの話をしに来たつもりだぞ?ザクロ・ウユキ」
ここに来て初めて柘榴の視線がナラーシァを捉えた。先程までの傲岸不遜な笑みは何処へやら、責任を果たそうとする大人の真面目な表情がそこにはあった。
本を閉じて、柘榴がそれに向き合う。
「ようやっとこちらを向いたな。妾はナラーシァ。一人目の人類の英雄……第八魔族街を破壊し魔族の英雄を殺した」
「そうかよ。とりあえずぶん殴らせろ」
ゴッ、と鈍い音が響く。本の角でナラーシァが殴られた音だった。一切の容赦がない、鈍い痛みのする殴打であった。
「で、謝罪だ?いらねえ、今ので十分だ」
「ふむ、感謝する。ではこれからの話を始めよう」
ナラーシァは、柘榴のことを高く買っている。英雄と聞いた上で手加減も躊躇もなく攻撃できる胆力も、あの灰を生き残った天運も。魔族の中でも高みに位置する者であろう。
そんな彼だからこそ、今後の選択が必要だ。アヴィスのものも含めて、これから六度の英雄戦争が執り行われる。運命というのは粘着質なもので、一度関わった者を逃がすことは決してないだろう。柘榴雨雪は巻き込まれ続ける。
魔族が勝利するにせよ、人類が勝利するにせよ、生き残るべき者とそうでない者がいる。彼は前者だ。
きっと、英雄として認識されることも可能な逸材だ。ナラーシァにとっては取るに足らない存在であっても、いずれ花咲く可能性がある……むざむざ見殺しには出来ない。
「妾が守ってやってもいい。お前は、七人目の英雄戦争が終わるまで生存するべき人材だ。このままでは、死ぬぞ」
「何を根拠に言いやがる。オレにお前は必要ねえよ」
確かに根拠はない。ナラーシァは英雄として培った経験から運命の悪質さを知っている。だからこそこうして柘榴の行く末も憂えることが出来るが……彼はその限りではない。
まだ、運命の残酷さを知り得ない。
「分からんか。一度英雄戦争に関与したお前は……」
「うるせえなあ……よく聞け、ナラーシァとやら」
本を机の上に置いて立ち上がった。
ナラーシァも同じようにして立ち上がり、その眼光を交錯させる。彼女を、拒絶する眼差しであった。
「オレは英雄戦争に関わり続ける。この命が終わるまで」
運命を否定する言葉……否、それは。
英雄戦争の中で死ぬことこそを目的とした彼の決意表明であった。異端にして奇異なる英雄が生まれようとしている。
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