第三十九話 蠢く者は
世界の裏側というものがなんなのか。その議論は度々行われているが、実の所それは各人の定義で変わる。結局のところ到達など不可能なのだから、それでも問題はない。
だが、唯一例外がいるとするならば。ただ偶然に、なんの必然性もなくそこに到達した者がいるとするならば。
彼しかいない。人類歴、又は魔族歴が始まる原因となった全ての始祖。第二の世界、即ち生命によって構築される文明が産声を上げた根源に座する者……
世界の裏側に囚われ、永遠に原初を刻み続ける者。
「お、意外と早かったね。流石は僕の別人格」
最初は困惑し、慌てふためくだけだった。闇しか存在しない無垢な空間。何もない、何も出来ない宇宙の外側。
だが、慣れてみればどうということはない。幸いにして無から物質を生み出す能力を保有していたお陰で暇すぎて死んだりすることはなかった。寧ろやることだらけだ。
数えていないが、最初の百年は揺らぐ闇に流された。世界の裏側に到達した原因を、あまりに少なすぎる情報から必死の思いで予測した。まだ……正解には辿り着いていない。
次の百年は、世界の表側を一方的に観測出来るようになった。お陰で情報も入るし、暇することはなくなった。
世界の裏側で出来ることは大体百年周期で増えていって、千年目……現在においては世界の表側への干渉すら可能になっていた。それも、魔族のみではあるのだが。
「自覚は……ないよね、そりゃそうだ。僕の別人格ってだけでちゃーんと胎児の状態から育てさせたんだから」
よっこいせ、とジジくさい掛け声を出しながら立ち上がった。千年の間に能力でコツコツ生み出し続けた物質で作り上げた黒い城は、世界の表側のどんな城よりも豪華だ。
いつものように世界の表側を観測する。魔族の頂点、創増殖皇は機械に食らいついて矛盾の解明を進めている。
「富士峰胎矢。どんな名前してるんだかねえ……ま、性格とか境遇にはピッタリ合ってる」
胎に突き刺さった矢。いい名前じゃないか。
親の勘には勝てない、何か……勘づいていたのだろう。後に創増殖皇と呼ばれる少女は、ただの子供ではないと。
「どこで仕込まれていたか……その問いに答えてあげようか胎矢。至って簡単、最初からだ。君が蓋をしてただけ……」
自分と似ず、富士峰胎矢……創増殖皇は優秀だ。自分で情報を集めて、対特攻保有概念生命体に辿り着いた。矛盾に気付いて解明しようとする使命感があり、方法には目を瞑るとして多くの優秀な魔族を従えている。
ただ、臆病。だから記憶に蓋をしてしまった。世界の表側で唯一全てを知るというのに……まだ開ききっていない。
「そういえば、彼は特段鋭かったなあ……」
千崎國道、と言ったか。二人目の魔族の英雄。
彼は初対面で創増殖皇の正体に気付いていた。まあ、フェイクだが。これに関しては気付ける方がおかしい。本人ですら騙されている、秘されし正体を見抜けるはずがない。
創増殖皇はただの魔族ではない。“彼”が着させた偽物の正体では……とある神秘で魔族を守り続ける存在とされている。間違ってはいないのだが……間違っている正体。
「ま、君が君の正体に気付くのは最終局面でいい。元々は逆行的消滅を防ぐためだけに作ったんだしね」
逆行的消滅の発生が観測されたのは約千年前。早い話、彼が世界の裏側に囚われた瞬間から確定した。
首を横に振る。もう難しい話は終わりにしよう。創増殖皇の正体、逆行的消滅の犯人……それらはやがて、表側の人間が勝手に辿り着くだろう。これ以上出来ることはない。
「さ、試練の時だ。これを乗り越えることが出来たなら、君たちは確定された滅びさえ覆すことが出来るだろう」
闇の中に二つのシルエットが浮かび上がる。人型の、常に体の輪郭が蠢いている存在そのものが不安定なナニカ。
そして、不自然なまでに何もない四足の獣。
「……待ちなよ。まだ早いって。出番はもう少し先だよ」
ため息を吐いてしっしっ、と拒絶する。獣たちは少し停滞した後に、再び揺らめいて闇の中へ消えていった。
相も変わらずせっかちな獣たちだ。……無理もないか。生まれた瞬間から世界の裏側で、一度だって表側を見たことも聞いたこともない。更に、人類か魔族が種族全体で償うべき罪を犯さないと正常な顕現すら世界に否定される……
辛いだろう。“彼”も、能力がなければとうの昔に気が狂って死んでいた。世界の裏側は自死さえも許さない。永遠に生き続けるべき贄として……闇の監獄に囚われる。
「でも、もう苦しまなくていい!君たちは試練という形で一度だけ世界の表側へと顕現することが出来るのだから!」
比べ物にならない苦痛だろう。“彼”は魔族歴の誕生からの監禁であり……あくまで千年程度の苦痛。
だが、獣たちは人類が、魔族が誕生したその時から世界の裏側に囚われている。一度だけでも、光と苦痛に満ちた世界の表側に出ることが出来るのならば、至上の幸福であろう。
未来では執行委員会が顕現するらしいが、そもそもとして種族全体で償うべき罪などそう犯されない。
これが最後の機会となるかとしれない。否、そうなるだろう。彼らは正攻法では決して顕現出来ない。
「さあ、楽しんでくれ。……もうちょい後だけれど」
前借りというのは本当に便利なシステムで。
なんの理由もなく世界の裏側に落とされた“彼”は、世界からの謝罪なのかは知らないがあらゆる権限が許可されていく。今からそれを前借りして……獣たちを顕現させる。
また数千年は何も出来ないだろうが、仕方ない。人間たちへの試練と、獣たちへのプレゼントのためだ。世界の裏側に居続けても、“彼”はどうしようもなく人間を愛している。
「い、つ、が、い、い、か、な、あ……うん、そうだね。三人目の英雄戦争が終わった後が丁度いいだろう」
世界の裏側からの観測は時間に囚われない。魔族歴元年から……“彼”が囚われ始めた時間から、世界が終わる時まで。全ての時間を同時に観測することが出来る。
最初は驚いた。一人目の英雄戦争が終わった直後から、見える世界が変わったのだ。【有り得ざる第三種】……厄介。無理やり修正したのなら放置はやめて欲しい。
それはそうと。三人目の英雄戦争は、一つの境目だ。アレは……魔族側も人類側も、規格外が過ぎる。
英雄のみならず、一般の魔族や人類への被害も尋常ではないだろう。一人目の英雄戦争の時もそうだったが、今回は灰の楽園では済まない。もっと大規模な……破壊。
「最高の被害の後に最高の試練。乗り越えられるかな?」
計画そのものは一人目の英雄戦争が終わった時点で完成していた。練りに練った計画だ、穴はない。
だが……今もう一度三人目の英雄戦争を確認したが、本当にしていいかどうか考えてしまう。被害の規模があまりに大きすぎる……人間たちは、試練に耐えられるだろうか。
「いやーダメだダメだ。僕が信じなくてどうする」
パンパンと頬を叩いて気を入れ替える。大丈夫だ。世界の表側の観測が可能になってから、ずっと見てきた。こちら側からの一方的な期待、信頼かもしれないが、今の人間ならばきっと大丈夫。どんな試練だって乗り越えられる。
それに……この程度の試練だ。所詮は。人類と魔族関係なく訪れる、三人目の英雄戦争による大破壊。その後に訪れる種族全体への特攻を保有する概念生命体の攻撃。失ったものを取り戻すのに、文明を再構築するのに膨大な時間と資材を必要とするだろうが……まあ、その程度だ。
逆行的消滅は世界への攻撃。どれだけ苛烈で取り返しが付かないものであろうと、内部のみへの攻撃で折れるぐらいじゃあ未来はない。壊れるほど鮮烈な輝きを見せてもらおう。
「なあ……見てるか?世界。お前、とんだ大失態だぞ」
言うなればこれは、世界とそれ以外の戦いだ。
世界が孕み、世界が産み落とし、世界を食らう怪物。その責任を……魔族と人類、子供に押し付ける。
昔から適当だと思っていたが、度が過ぎる。
「世界の裏側に僕と彼らを閉じ込めて……危険分子を自分で作っておきながら隔離するなんて、酷いじゃないか。申し訳ないと思うなら、最初からするんじゃないよ」
能力で作り出した杯を傾ける。酒は飲んだことがないのでただの水だが……何故か、酔ったような気分になれる。
不条理だらけで歪な世界。理不尽塗れで壊れた世界。こんな場所に産み落とされて……なんて可哀想な、全て。それでもここ以外じゃ生きられないなんて、酷い話だ。
「表側だけで完結出来るような物語じゃないとダメなんじゃないか?裏方の僕らが手を出すなんてナンセンスだろうに」
毒親の極みだろう、まったく。
産むだけ産んで放置、進化の試練も何も与えず、罪に対する罰則のみを用意して意思を与えた上で放置。放置放置放置の大連続、こうして子供だけで責任の取り合いなんて。
「……さすがに、キレるよ。僕が人間愛好家じゃなかったらどうするつもりだったのさ?彼らを表側に顕現させて無意味に大暴れさせたら、お前なんてすぐに滅ぶんだよ?」
闇の揺らぎが強くなっていく。
世界とは単なる維持装置ではなく、意思を持つ存在だ。明確な意思を持ってして、この地獄を作り出している。
だから、なのだろう。自身の裏側で宣戦布告を受けて黙っていられるほど世界というのは利口じゃない。この揺らぎはきっと、受けて立つという意思表示だ。
よく言う。諸悪の根源はお前の癖に。見ているがいい、きっと魔族は、人類は、全ての命はお前を上回る。高みの見物を決め込んでいられるのも今のうちだ。
「お前が始めた地獄だ。お前が責任を取れ。お前から生まれ落ちた命たちは、一度だってお前の所有物になったことはない。その証左を今、示してやろう……楽しみにしておけ」
見えている。“彼”には、逆行的消滅を防ぎ、世界へと反旗を翻す人間たちの誇り高い姿が確かに見えている。それを確実にするために、人間たちにはもっと試練を与えよう。
散々振り回してくれたのだ。許しはしない。
再び杯を傾ける。幕間の物語は、これにておしまい。
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