第三十七話 勝ちたい
「帰ったぞ、カーニエ。訓練場の鍵を開けろ」
「何もかもが唐突すぎてな」
騎士団関連の処理が多く、会議室で寝ていたカーニエ。突然起こされたかと思えばこれだ。最高にナラーシァらしい。
摘みあげられているアヴィスを見て一瞬思考停止するが、すぐに納得した。ナラーシァがお仕置きしたのだろう。ということは、これからアヴィスの特訓でもするのか。
「別にいいが、明日も使えるようにしておいてくれよ」
「ああ、大丈夫だ。別に破壊を伴う訓練ではない」
「……綺麗な髪留めだな。似合ってる。いつ買ったんだ?」
「んん?ああ……お前がこいつに連れ回されていた時だな」
さらっと尾行していたことを告げ、投げ渡された鍵を受け取ったナラーシァが歩き出す。ユッサユッサと揺れるアヴィスに向けて微笑み、これから行う訓練の内容を口にする。簡潔に言えば精神強度の向上だ。
「何をするかは妾の気分次第だが……そうだな。その状態で妾に、愛していますナラーシァ様と言えるようになれば訓練終了としよう。分かりやすくて良いだろう?」
アヴィスに反応はない。
恐らくこの状態のアヴィスは、殺すだの罪人だの、暗いことしか言えないし思考出来ないのだろう。要するに、誰かを思いやったりプラスな発言が脳内に展開されない。
そこを、調教する。まともに会話出来るまで行かずとも良いから、プラス発言が出来るようになるまで。
訓練場の扉を開けて、数多く取り付けられた小窓を開けて回る。こうでもしないとここは暑くて仕方ない。入場と同時に放り投げたアヴィスは頭を掻きむしってもがいていて、今にも暴れだしてしまいそうだ。
(ふむ、殺しをしておらねば押さえつけるのは可能か)
それにしても、すぐに限界は訪れそうだが。
ガリガリガリガリ、肥大化した右腕で地面を削る。ナラーシァに敵わないことは理解しているはずだが、やはり殺意が溢れだしそうになるようだ。とんだ呪いだな。
全ての窓を開け終わり、朱槍一本を構える。戦闘態勢に入ったと判断したのか、アヴィスの眼光が闇に光る。
「まずは、立てなくなるまでブチのめすとしよう」
話はそれからだ。刃の先端をアヴィスの眉間に合わせる。
刹那、突進。口に刀を咥え、右腕を振りかぶって中途半端な四つん這いの体勢。三本足の獣が如き動き。
(殺す……殺す殺す殺す殺す殺す!!!!!!)
アヴィスの右腕の肥大化。それは彼の英雄神話だ。
現行処刑部及び現行逮捕部が解体される原因となったあの事件がそのまま具現化したもの。無数の血と命に濡れた彼の魂が、苦しみながらも更なる殺戮を求めた結果。
その右腕は命を引き裂く。ラズヴァーリに腹部を貫かれたことが元となったソレは、敵の腹に触れることで命を奪う概念武装である。また、後の世において獣の如き本能に任せた悪質な殺戮、と報道されたことにより獣の能力を獲得している。野生の勘や凄まじい再生能力が代表される。
接触が直接死に繋がるという強力極まる能力に代償がない訳がなく、彼はコレを使用する度に前世の記憶に苛まれる。
「そんな苦しそうに戦うな。興が冷める」
刈払いからの横薙ぎ。技も何もない力任せのソレを、ナラーシァは上体を反らせ、朱槍を傾けることで流した。
流れた朱槍の先端を地に突き立てて浮遊、柱のような状態の朱槍を軸にして回転しながら数度アヴィスを蹴った。脳が揺れたアヴィスの頭部に踵落としを直撃させる。
バウンド。反動を利用して立ち上がる。
目だけを動かしナラーシァを視認……した時には、朱槍の刃がアヴィスの心臓を捉えて突き出されていた。
右腕を割り込ませて防ぎ、掴んだ。
「ほう、攻撃を封じるか。知恵が回ったな獣。だが!」
ナラーシァは一本だけ、朱槍を構えた。だから勘違いしてしまったのか知らないが……誰も武器がそれだけとは言っていないだろう?即座に手放す判断を下す。
気付いたのは【双魚】のみ。ナラーシァは真なる英雄であるのだが、同時に手段を選ばぬ勝利を選択出来る。
髪留めを外し、下方から接近。鎖骨近くに突き刺した。
「髪留めも、少し研いでやれば武器になる……はは!」
勉強になったな、と言いながら捻る。急所を壊されたせいでアヴィスの体に力が入らなくなり、膝をつく。
しかも引き抜かれないせいで再生出来ない。固く朱槍を掴んだまま離さないアヴィスの右腕を踏みにじって奪い返し、トントンと頭を叩いた。やはり、未熟が過ぎる。
「これで理性が残っておれば、どうしたか」
その言葉に、アヴィスの脳が朧気な思考を始める。
まず突撃しない。殺していい戦闘であると仮定して、右腕をナラーシァの腹に接触させる機会が生まれるまで動く。とにかく動いて翻弄し、機会を待つのが一番堅実だ。
また、今回で分かったがナラーシァは投擲以外の戦法も充実しているし上手い。どんな方法で攻めようと対応してくるだろうから、防御を優先しながら攻撃するのも悪くはない。
それはラズヴァーリが得意としていた。攻めの手は緩くなるが、いつでも防御に移れるように動く。
「……ふむ、思考も出来る。何かが邪魔よなあ……」
黙りこくったアヴィスを見て、冷静な判断も可能であると判断したらしいナラーシァが首を捻る。
……原因は分かっている。“声”だ。生まれた時から心を犯した。意味もなく殺した人々の怨嗟が響き渡る。そんなものがずっと聞こえているから、まともな言葉など出ない。
「まあ、良いか。ほれ言ってみろ、愛していますと」
「か、ぁあ……殺す……」
「どうなっているんだ。何故そうなる」
飯を先延ばしされいじけた犬のように、アヴィスがそっぽを向く。分かっていても出来ない、というやつか。
それにしても訳が分からないが……呪いが強すぎるな。英雄神話に昇華されるほどの呪いなのだから、そう簡単に覆せないのも当然と言えば当然だが、だとしてもだ。
何か良い方法はないものか……
「ア、アヴィス?ここにいるってカーニエが……」
思案していると、扉が開かれた。
ひょっこり顔を覗かせたのはフルル。心配そうな顔をしている彼女は、よほど急いだのか肩が激しく上下していた。
「ナ、ナラーシァ様……あの、これは一体?」
「そんな震えずとも、取って食ったりせん」
鎖骨からどくどく血を流して倒れるアヴィスを見て気が気でないだろうに、フルルは平静を装ってそう問いかける。ナラーシァが怖いのか、ただ困惑しているのか……
今の状況と、何がしたいのかを説明する。フルルは荒療治が過ぎないか、と困惑しながらも納得した様子だ。
許可をとって、たたたっ!とフルルがアヴィスに駆け寄って行く。髪留めを抜く許可を得ることは出来なかったのでそのままだが、だるんとしたアヴィスの体を抱きしめる。
「大丈夫?アヴィス……こんな、凄い傷……」
「かああ……殺す……ぐおああああ……」
ナラーシァが首を捻る。先程と比べて言葉がぬるい。
殺意以外の要素が一つも存在しない言葉だったのが、フルルを前にした時だけなんというか……葛藤が混ざっている。
(そういえば、フルルに母性のような何かを感じていたようだったな。それが原因か?)
そうだとするならば、随分と情が深い。
だが……一概にそうとも言えないのか?枕元にフルルがいた時、アヴィスは言っていた。今日は“声”が聞こえないと。その“声”とやらがなんなのか、ナラーシァは知らないが……あの夜に暴走しなかったのは、そのせいだろう。
だとするならフルルは、アヴィスの大切な誰か……それこそ母親に似ているのか、それとも彼女自身に何か謎があるのか。籠絡の異能と考えることも出来なくはない。
「分からん……昼にもう少し情報を集めるべきだな」
正直に言って、アヴィスに関しては分からないことがあまりに多すぎる。それも仕方のないことだ、まだ召喚から一週間も経過していないのだから。
それに四帝やナラーシァと共に過ごした時間も短い。一人目の魔族の英雄も四皇の制御を離れていたと言うが、アヴィスも同じようなものか。なるほど、厄介極まる。
味方ですら手札を知らないとは……
「ほら、離れろ。まだ調教は終わっておらん……」
「フ、ルル……こ、あ……おあ」
無理やり引き剥がそうとしたナラーシァの動きが止まる。言語が乱れている……明確な変化の予兆。
下手に干渉しては止めてしまう可能性がある。
「ありがとう、フルル……」
言えた、だと!?プラスな言葉がこうも簡単に!?
夜のアヴィスは基本的に暴れるのみであり、その原因は恐らく“声”である。勝てない、どうしようもないというアヴィスにとっては避けたい現実を突きつけるか、思考を強制させることでそれは抑制される……というのが現状分かっていること。全て、ナラーシァの予測ではあるのだが。
プラスな言葉を引き出す条件は……フルル、なのか?分からない……だとしても理解し難い。どうしてこんな突然……
「……良いか。出来たという結果さえ見えれば」
鎖骨付近に突き刺した髪留めを引き抜く。再生し、急所の傷が消えてもアヴィスに暴走の兆しは見えない。
フルルの腕の中に抱かれている時だけ、なのかもしれないが。アヴィスという夜の獣は、暴れるだけの怪物は。確かに理性と優しさを……暖かな心を得たようだ。
「随分と呆気ない。そうは思わんか?なあ」
「う……うう……なん、のこと……?」
染み出るような笑みを隠しきれない。開戦の七日が始まるまでに調教が間に合うか不安だったがまさか……初日に終わってしまうとは。拍子抜けもいいところだ。
ふう、と嘆息してわしわしアヴィスの頭を撫でる。どうもこいつは……子供というものは、こちらの予測をとにかく空振らせてくる。この理性を保ったまま夜の身体能力を振るうことが出来れば、ナラーシァにも迫る力を得るだろう。
「毎日の鍛錬を怠るなよ。必要ならば妾も呼べ。妾はもう寝るからな……後は、開戦まで好きにしろ……」
そう言って去り行くナラーシァの背中を眺める。
もうすっかり教官役が板についている。以前の、構成要素が英雄しか存在しない彼女ならこんなことはしなかっただろうことは想像にかたくない。……丸くなった。
「フルル……僕は、……勝ちたい……」
少しザラついた右手がフルルの頬を撫でる。
「魔族の英雄に、絶対……勝って、見せる!」
その力強い宣言を聞いて、フルルは。
ただ優しく、母のように微笑みを返した。
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