第三十六話 英雄vs英雄
「僕は言いましたね。理由のある罪を赦さないと」
「知らん。聞いとらん。いい加減にしろ」
「僕は言いましたね。必ずやあなたを打ち倒すと」
「だから知らんて。なんだ、宣戦布告かお前」
「理由のある孤高。あんなに優しいフルルさんを傷付けたあなたは罪を犯しました!決して許しません!」
「前口上の長いやつだな。分かった、相手をしてやろう」
マージュに調達させた白ワインを嗜んでいたナラーシァの元にアヴィスがやって来てから数時間。こんな調子で長すぎる前口上を聞いてきたが、そろそろ限界だ。
罪人だの赦さないだの、言葉で殺し合いでもするつもりなのかこの少年英雄は?ゲッショのくせに。
「一つ聞いておこう。お前にとっての英雄とはなんだ?」
トントン、と床を叩いて数十本の朱槍を装填する。戦闘時に限り、ナラーシァの手首から先は砲台と化す。
決して布面積が大きい訳ではないドレスの内側に、吸い込まれるようにして朱槍が引き込まれていく。踊るようにして戦闘準備を進めるナラーシァを前に、アヴィスが口を開く。
「民と共にある者。満たされている者。理由なき正義と愛を胸に掲げ、己が絶対と信じる正義を執行出来る者」
笑顔も外見相応の元気さも消え、一人の英雄としてその問いに答えた。ナラーシァも深く頷いて受け入れた。
個々の英雄の在り方に口を出すつもりはない。ただ、それが英雄である限り。フルルのような、英雄に守られる者が、英雄の在り方や考え方について口を出すものではない。
それは傲慢というものだ。例えカーニエであっても、ナラーシァの英雄としての在り方に口は出させない。
「良い。素晴らしい。ならば戦おう」
その宣誓が鼓膜を震わせた刹那、アヴィスが動く。小さな体躯を潜り込ませるようにして、ナラーシァに接近。
謎の男との三つ巴の戦いをした時に分かった、朱槍の投擲を主な攻撃とする戦法。連投されれば勝ち目はない。ならば単純に距離を詰めて、撃たせなければいい。
刀を抜き、腹を押し付ける。同時に発砲、吹き飛ばす。
「気が済むまで戦おう!罪も罰も妾の預かり知らぬこと!」
アヴィスの拳銃は、ただの拳銃ではない。
殺害、傷害ではなく距離を取ることを目的としている。一発撃てばクールタイムが必要になるほど反動が強く、間違っても連射などしてはいけない。銃身も装備者も壊れる。
ナラーシァ後方の壁を突き破り、外へ。黄昏を塗りつぶす闇が世界を覆っていた。アヴィスの血が疼く。
「か、ぁぁぁああ……お前は、罪人だぁぁあああ!!!!」
まだ“声”は聞こえない。ただ衝動に身を任せる。
それは異能ではない。英雄神話である。アヴィスという英雄は、異能を持たぬ尋常の人類であったのだ。
正気を失った剛爪が横薙ぎ、ナラーシァを吹き飛ばす。
「ほーう、これはまた。たまには剛の法も悪くない!」
しかして、悪手。距離を取られる。
真の英雄たるナラーシァは一度経験しただけであらゆる感覚を掴むことが出来る。渦巻との戦争において彼女は、支えのない状態での全力投擲の感覚を掴みきっていた。
朱が闇を裂く。肥大化した右腕の肘から先が弾け飛び、今尚光の灯る街中にアヴィスは落下していった。
「この……罪人如きがあああああああ!!!!!!!」
だが、落ち切ることはない。
咆哮をあげ、下方。住宅街に向けて連続で引き金を引く。反動で肩も銃も壊れるが、アヴィスは再び打ち上げられた。
理法を外れた速度で、肩が再生して行く。
(再生……単純な身体能力向上ではないようだな)
迫り来るアヴィスに向け、五度の蹴撃。手ではなく脚で槍を撃ち出す攻撃を、まだ見せたことはない。
先に地に足が着いた方が負ける、と認識している。当然ながら両者の主戦場は陸であるが、上方から攻撃が可能であることの利点はソレを上回る。故に、落ちる訳にはいかぬ。
ナラーシァは既に蹴撃を利用して天に駆け上がっている。対してアヴィスは、朱槍に翻弄され落下を始めている。
(獣……獣か。身体能力は当然のこと、再生力から反射神経までにも反映されている。厄介だな……)
闇夜の中においても、ナラーシァの視界は昼と変わらぬ。もがきながら落ちるアヴィスを視認している。
また拳銃の連射による上昇が来るかと思ったが、そうはならないようだ。蹴撃により降り注いだ朱槍を掴んで足場にして駆け上がる。……随分と、器用なことをする。
同座標に並ぶ。一瞬の視線の交錯の後に……硬質な金属が接触する轟音。空気が震動し、筋肉が痙攣する。
「くはっ、膂力で並ぶか!見事、獣の英雄!」
「殺すぅぅううう……罪人は皆殺しだあああ!!!!!!」
流星。又は、彗星。二柱の英雄が夜を駆ける。
陸を走るかのように軽やかに、舞うように華々しく繰り広げられる空の攻防。見惚れ、酔ってしまうような……
そんな、ひと時の夢の灯火。
「ううう……うううあああああああ!!!!!!!」
それそのものが攻撃と言っても過言ではない、アヴィスの肺から押し上げられた大音量の空気震動。
朱槍の回転でそれを受け流しながら、ナラーシァは確かに目撃した。駄々をこねる子供のように、しかし高潔な理想を追い求める賢者のように。涙を流すアヴィスの姿を。
「……なんだ、お前。そういうことなのか?」
ああ、なるほど、と。ようやく理解する。
この英雄は、壊れてるんだ。前世で何があったかなんて知ったことではないが、そこの経験とここの温かさで壊れてしまったんだ。……分かる。カーニエと出会っていなければ、ナラーシァ・エミリルも壊れていただろう。
そしてこいつは、今ようやくその段階なのだ。フルル・パケルという存在……母に似た何かを得て、治りかけ。
もうどうしようもないほど壊れているのにそう思う。
「そうかそうか、なるほどなあ。千差万別、よなあ」
過去の英雄にとって、この世界はあまりにも満ち足りている。長く長く続き、終わりの兆しが見えなかった戦争の季節はいつまでも心を苛んで……一度も離さなかった。
だというのに今は、英雄以外の存在にとって戦争はまったくの無縁。街を歩けば、賑やかな喧騒に包まれる。
ゲッショが……アヴィスが生きていた頃、そんなものはなかった。街行く人々は誰も彼もが戦争戦争で、疲れきった夜の街で友と酌み交わす酒だけが心の傷を誤魔化した。
最初から手遅れだったのかもしれない。平和な幻想から逃げ出すための逃避行は、果たして救われるためのものなのかその逆なのか……安寧を享受する人々を前にして、アヴィス・マナフスィリは一体何を幻視してしまったのか。
手遅れ。不治の英雄。それが、この獣。
「……まあ、良いか。手助けの一つぐらいしてやろう」
魔族との戦争……このままでは、100%負ける。
昼のアヴィスには力が足りず、夜のアヴィスには理性が足りない。夜限定でもいい、両立出来ねば話にならない。
舞い上がった瓦礫を足場にして、アヴィスが攻撃を開始する。確かに恐るべき剛力だが、技がなければこの程度。朱槍一本あれば、容易に完封出来てしまう。
振り下ろされた右腕に朱槍を絡め、拘束。そのまま下方に投擲した。地面に縫い付けられ、動けなくなる。
「さて、分かったか?お前が気を抜くからこうなる」
ナラーシァがアヴィスのことをより深く認識したから、というのも当然あるのだが……こんなにも呆気なく決着が付いた要因は至って単純。アヴィスが暴走した。
あんな軌道丸わかりの突撃、無力化してくれと言っているようなものだ。対応しない方が難しいというもの。
「があああああ!!!!!」
「吠えるだけ、か……これだから獣はいかん」
地面に縫い止められた状態でもがくアヴィスの真横に胡座をかき、頬杖をついた。獣と会話する気でいる。
「なあ、獣。このままではお前は……確実に負けるぞ」
暴れるだけだったアヴィスの動きが止まる。
まともに喋ることは出来なくとも、相手の言葉を理解する余裕はあるのか……いや、まだ誰も殺していないからだろうな。夜がトリガー、深層に至る鍵は殺しだろうから。
「魔族の英雄はお前が思うより強い。妾が断言しよう」
一度目の英雄戦争。楽勝のはずだった。
だが、蓋を開けてみればこれ以上ない辛勝だ。今こうして動いている肉体も、魔族の英雄から借り受けたもの。
今回の英雄がどれだけ強いのかは知らないが……まあ、弱くなっているということはないだろう。なら、アヴィスは間違いなく負ける。こんな中途半端な状態では。
「妾は英雄神話を持っておらん。だというのにお前はこのように……生け捕りだ。どうだ?そんな体たらくで勝てると思うか?全力でお前を殺しにくる魔族の英雄に」
喉の奥から漏れていたくぐもった音も消える。獣なりに理解したのだろう……今の自分がどれだけ弱いか。
そこで、ナラーシァが手を叩く。アヴィスに絡ませていた朱槍を引き抜いて収納し、にっと笑った。カーニエがいたなら言っただろう……ああ、もう大丈夫だ、と。
「故に、特訓だ。妾はお前のような英雄を放置できん」
願い祈られる英雄がいれば、その逆もいる。
誰よりも願うが故に、誰よりも祈るが故に、英雄として認められる者も。こうして一人で泣いているこの獣も、きっとそうなのだろう。取り返しが付かないほど壊れて、これ以上ないほど狂って……それが分かるからこそ泣いている。
同じ英雄として、救ってやる義理ぐらいはある。それにどうやら、フルルを傷付けたのは事実のようだし……母親の心に傷を付けた対価はしっかりと払わねばなるまい。
(……これも、お前のせいだぞ?カーニエ)
くすり、と笑う。少しは他人の気持ちが分かってきた。
朱槍の先端でアヴィスをつまみ上げ、四帝の城に戻る。展開が急すぎてついていけない彼は固まったままだ。
……勝てるといいが。ただただ、不安だ。
「まずは夜でも理性を保てるようにせねばな」
「……」
「とりあえず筋トレでもするか。腕立て千回……」
「……」
「……を百セット」
「!?」
まあ、大丈夫か。冗談を言う余裕もある。
はっはっは、と高らかに笑い、夜の戦いは幕を下ろした。
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