第三十四話 さようなら、全部
正義の太陽。アヴィスにとってのそれは、ラズヴァーリその人だった。あの夜何とかして助けようとしてくれた人。現行逮捕部に入って、その背中を追い続けた。
悪を許さず、正義を愛す。アヴィスの理想像そのものみたいな、今ここにいることにすら感動してしまう人。
「……すまない。俺には、これしか……」
差別とか、そういうのは絶対にしない。あらゆる人間を対等に扱い、誰に対しても優しい言葉を投げかける。
その行動に、選択に迷いはない。間違いもない。現行逮捕部という騎士団のエリート集団、その頂点に君臨する者としてただの一度も間違えた事などない。
少なくとも、アヴィスの認識の中ではそうだった。
「お前を、こうすることしか、出来ない……!」
だからきっと、目の前のこの光景も正しい。
檻の中に入れられた自分の姿を、どこか他人のように見下ろす。手錠、白黒の囚人服、冷たい石の床……
死刑囚か何かがするような格好。
「現行処刑部。ウチの附属部だ。逮捕した所で死刑が決まっているような奴らをその場で処刑する権利を持ってる」
その言葉に、今までの自分なら疑問を抱いたのだろう。平和と秩序に、そんなものいらないはずだ。何故そんなものがうまれしてしまったのか……と。だが、この時は。
まるで“声”に脳髄まで侵されてしまったかのように、悪を殺せるということに歓喜していた。否、悪なんてどうでもいいことだった。とにかく、人を殺せること。その部分に、どうしようもないほどに喜んでいる自分がいた。
「後にも先にも、お前だけのための部署だ……!」
泣かないで欲しい、と思う。あなたはこの選択を悔いているかのようだけれど、本官は喜んでいるのだから。
この手に手錠がかかっていなければ、その頭に手を伸ばして撫でてあげたい。目の前に檻がなければ、その体に手を回して抱きしめてあげたい……あなたにその顔は似合わない。
一度だって見たことのない泣き顔。こんな所でそれを目にしてしまって、湧き上がった感情は……
哀れみでも疑問でもなく……陵辱したいような劣情。
この時、アヴィスは自身がアヴィスであることを捨てた。
「だから、好きなように生きてくれ。お前をここまで連れて来ちまった俺の罪だ。罰だ。したいことをしてくれ」
そんなことを言ってしまうのですね、あなたは。
檻に手をかけ、詰め寄っていた。言葉は発さず、疲れてもいないのに息切れは止まらず……熱が体を覆っている。
「好きに言い訳に使っていい……俺もたまに顔を出しに行くから、沢山話をしよう。だから、頼む」
舌なめずりをしてしまう。好きなように、なんて。
素敵という言葉で表現出来ないほど……素晴らしい!
「せめて、幸せだと思える生き方をしてくれ……!」
本官は今、幸せです!
――――――
そこから、死に至るまでの記憶は忌まわしいものだ。
脳髄に刻み込まれた記憶にあるのは、あの夜みたいに冷たい“声”の嵐と、どれだけ拭っても消えない血の温もり。
昼間は眠り、たまに眠れない日は街のパトロールをした。自分がどこか壊れていたことは自覚していたから、現行処刑部への異動に関する不満とかそういうのは一切ない。
遂にこの時が来たか、という感じだった。
たまに現行逮捕部の巡回とかち合った。本官は変わらず仲良くしたいのに、彼らは何故か本官を避けていた。
不思議だった。疑問だった。何故そんなことをするのか?
『ひ、ひいい……化け物!虐殺の悪魔め!』
だが、そんな問いはすぐに晴れた。自分が街でどんな評価を受けているのか……その時、ようやく分かった。
夜だった。昼は眠って休み、夜は内なる衝動に任せて街に繰り出した。今にして思えば、あの夜“声”に耳を傾けてしまったのが全ての始まりで、終わりだったんだ。
最初は、与えられた役目通りに悪人を殺していた。けれど当然のように区別が付かなくなって……いつか、処刑のための犠牲は許容するようになった。建築物も次々破壊して、これも現行処刑のためだと胸を張って主張した。
意識が朦朧とするのはいつものことで、時折眠りながら街のパトロールに出た。生ぬるい何かで目を覚ました。
「会いたい……どうしてだろう……会いたい……」
子供の頃に完全に決別したはずの故郷に、何故か焦がれた時があった。ふらふら、歩いて行ったのを覚えてる。
一週間後ぐらいに帰ってきた。その時何をしたのか、に関しては……何故か記憶に“もや”がかかってて思い出せない。あの夜みたいな雪じゃなくて、赤い何かが降っていた。
そんな毎日が何年も続いた。日々壊れていく精神を自覚して、そんな自分に嫌悪感を抱いてまた壊れ……負の無限ループを繰り返すのも飽きた頃。“声”が囁いた。
『私を殺した時みたいに、血の雨を降らせましょう』
『この街は人が多いぞ、もっと沢山の雨が降るぞ』
やけによく聞こえる“声”だった。聞き慣れていたのだ。
その“声”に賛同し、抑えきれない高揚と衝動に身を任せて飛び出した。深夜は誰も出歩かない……違う。出歩かなくなった。アヴィスが現行処刑部に所属してから、すぐに夜は無人の時間と化した。だって、見られれば殺されるから。
けれど無意味。されど無価値。夜の獣は遂に暴れて、家の扉なんて紙細工。ビリビリ破ってお邪魔する。
「う、うわぁぁあああ!!来るなああ!!!」
「せめて子供だけ……いやあああ!!!!」
そんな悲鳴が聞こえる。老若男女問わずその暴力は襲いかかり、夜の獣は遂にその本性を表した。
「キェァラハハハハハハハハ!!!!!!!!」
その地獄の只中で、高らかに笑う。死んで行った者たちに敬愛の念を込めて。死んで行く者たちに哀れみを込めて。
炎の中心、災厄の獣。ソレを招き入れた男と、ソレをかつて愛した者たち。現行処刑部という檻に限界まで閉じ込めていながら、それでも制御し切れなかった者たち。
今や滅びをもたらすだけの獣と、騎士団のエリートである彼らが対峙するのは必然だった。
「自由の対価か……これが」
一斉に剣を抜く。もはや彼らのことを敵としか認識出来ないアヴィスも、両手に武器を構えた。雑なフォームだ。
敵集団の中央に立つ男に違和感がした。いつからか人の顔にかかっていた霧が……少しだけ、薄い気がして。
「お前をここに呼んだのは、全て俺の責任だ」
右手に刀、左手に拳銃。どちらも、自分で手に入れたものではない……誰かがプレゼントしてくれたものだった。
悲鳴が、一瞬だけ止んだ時。
「許してくれ。お前を理解出来なかった俺たちを。そして死んでくれ。これからも、獣を知らず生きる者のために!」
突撃してくる騎士団たちに、ひたすらに攻撃した。獣のような姿勢で四つん這いになり、足を撃ち抜いて首を断つ。凶悪犯と戦闘になった際のマニュアルを改変した戦法。
一人一人、冷静に処理した。中心を排するのは最後、周囲を守る護衛がいなくなってから。現行逮捕部の基本。
そして、謎の違和感を孕んだ男だけが残った。他と同じように体を少しづつ壊すか、一気に殺すか……そんな逡巡が頭を埋めた僅かな一瞬、その声が聞こえた。
「武器収納訓練開始!マナフスィリ、構え用意!」
前方からそんな声が聞こえた。刹那、アヴィスの中の“声”が途切れる。獣の如き暴虐性がその時だけは失われ、気付けば武器を収納していた。慣れ親しんだ動きだった。
瞬間、熱。腹に何かが刺さった感覚。違和感を孕んだ男の長剣……ラズヴァーリの愛武器であると分かった。初めて殺意と共に向けられたそれを……アヴィスは。
やはり微笑んで受け入れた。何も分からぬ獣のように。
「楽しかったよ。お前と一緒に過ごした日々は……」
過剰がすぎる正義心の現れだとラズヴァーリは思っているのだ。この暴虐はその現れだと……そう思うことしか。
アヴィス・マナフスィリの人生はそこで終わった。
「なあ……悲しいなあ……俺は、悲しいよお……」
――――――
その後の歴史において。
アヴィスの存在そのものが闇に葬られた。あの大殺戮は大規模なテロである、とされそれを鎮めたのは現行逮捕部の大英雄、ラズヴァーリであると。歴史には刻まれた。
だが、真実を知る当時の人間はアヴィスとラズヴァーリの関係性、アヴィスの呪縛を聞いた上で……
現行逮捕部の解体、及びラズヴァーリの死刑を求めた。
ある重役が断固反対したと言うが、大衆の意見に押し潰され無視。寧ろこの殺戮に関与したとして地位を剥奪された。
また、今回の事件を受けて当時の四帝は『現行』の名を関する全ての部署を解体。個々の判断が実行される騎士団の部署は二度と作らないと宣言した。明確な怯えである。
また、このような悲劇を二度と生み出さぬために騎士団から最低一人は四帝を抜擢する制度を実施。これは自分たちの頂点は四帝である、という認識を騎士団全体に持たせ、体のいい矛として使い潰すための私欲に塗れた制度であった。
更には各地方に散らばっている街や村を出来るだけ四帝が滞在する中央に寄せ、管理をより強いものとした。
家族を失った悲しみ、あまりにも突然すぎる大殺戮に興奮した民衆の勢いは留まる所を知らず、最後にはアヴィスの一族郎党の処刑を求めた。そして四帝はそれを許諾。
結果として、マナフスィリの名と血を持つ者は全て断頭台にかけられた。その恨みは、想像を絶するものであろう。
そしてこれら全ては……なかったこととして、記録から抹消された。何もかも、無意味なものと化したのである。
この一連の騒動……アヴィスが生まれ、“声”を認識した時から始まった悲劇の連鎖。これを持って彼は、事象と括り合わせにされて世界から英雄だと認識されたのであろう。
即ち、群体として生き、更なる進化を求め、堕落にも直結するよりよい生とやらを求め、最後には自滅し何もかもを無意味とする醜悪極まる習性を持つ生物……人類の愚かさを少なくともその時代の人類に見せつけた立役者として。
また、誤認性。アヴィスは悪を許さない訳ではない。元より正義心は強かったが……彼が悪を必滅する存在であると世界に認識されているのは、単に“声”が悪ならば殺してもいいと囁き続けてきたからこその誤認が働いた結果である。
そして、これは余談だが。
アヴィスの一族郎党が処刑される際、何故か彼の直接の母親と父親はかなり前に死んでいたと言う。
また、英雄としてのアヴィスは“理由のない罪”を容認する傾向にある。生前は真逆であった。
それは、目を瞑りたい記憶に蓋をした彼が自分で自分を赦すための……保身なのだろうか。何故なら彼は、彼が行った幾多の殺人に……何か、必要な理由はなかったのだから。
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