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降り積もる灰の理想郷  作者: 螺鈿
第二章 月夜に吼える不落城
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第三十三話 こんにちは、上官殿

 夜の子として生を受けた。それを自覚したのは……確か、寒い寒い雪の日だった。西方の人類圏にしては珍しい、雪合戦が出来るほどに寒い雪の日。初めて人を殺した。


 五歳だった。夜中にこっそり抜け出して、雪だるまを作った。明日の朝、母さんたちを驚かせようと思った。


「雪がいっぱい!たくさん、だるまさん作るぞー!」


 手袋もはめてなかったから、すぐに手がかじかんで思うように動かなくなった。少しだけ怖かったかな。


 結局、家族三人分……三つの雪だるまを作って終わった。初めての作業に予想以上に疲れてしまって、眠くて眠くて。早く布団の中で丸まりたいって思い続けてた。


 家から少し離れていたから、欠伸をしながら歩いた。ザクザク歩いて、ようやく家が見えてきたところで……


「……っ!?んー!んーー!!!」


 口元に布を当てられて、体を抱きかかえられた。


「と、止まれ!てめえら止まりやがれ!」


 視界の端に捉えた、真っ黒な覆面を被った男の顔。父さんが言っていた、連続殺人強盗犯の特徴だった。


 彼が叫んでいる先には何人かの騎士団がいて、一様に武器を構えていながら行動を躊躇っていた。子供心に、自分が人質に取られていることは理解していた。


 同時に思った。今自由に動けるのは自分だけだって。


 物心ついた頃から、“声”は聞こえていた。ただ、一人分だったしぼんやりしてた。たまに何か……染まっちゃいけない衝動に染まりそうになるだけで、害はなかった。


「へいへーい覆面君。越えちゃいけないラインがあるぜ」


「う、うるせえ!それ以上寄るな喋るな!こいつを……」


 何か、騎士団と覆面男が言い争っていたが。その時だけは聞こえなかった。世界に自分しかいないような感覚だった。


 その“声”は夜だけ聞こえた。堕ちちゃいけないどこかに誘う黒い声。今までは聞こえても無視していたけれど……その時だけ、なんて甘い考えで耳を傾けた。


「子供まで巻き込み始めちゃ終わりだって……なに?」


「す……すぅぅ……は、ぁぁぁぁぁ………………」


 その場の空気を、齢五歳の子供が凍結させていた。


 覆面男の腕の中で、ドス黒い何かが芽生えた。騎士団は同時に最大級の警戒態勢となり……覆面男はただ震えた。


「殺す……殺す……殺して殺した殺しを殺すぅ……」


 力の緩んだ腕の中から、勝手に体が落ちた。すぐにでも覆面男から距離を取れば……きっと。夜は安寧の時間だったはずなのに。どうしてか、その時の僕は……


「殺す……お前みたいな……罪ある者を殺す……」


 修羅の地獄に堕ちる道を選んだんだ。


 雪だるまの壊れる音と一緒に。


 ――――――


「とまあ、お前は出会った時からイカれてたよ」


「もっと暴れてもいいのに、なんかずっと静かだったしな」


 騎士団のために作られた酒場で、男たちがある雪の日のことを話していた。アヴィスもそこにいる。


 覆面男を殺した。後に分かったことだが、彼は普段勤勉な銀行員で、職場の人間からの信頼も厚い好青年だった。夜になると街に出て、強盗や殺人を繰り返していたらしい。


 そこに意味はなかった。意義もなかった。快楽に溺れる人間と原理は同じ……気持ちよくなりたいからする。ただそれだけの、醜悪極まる罪人だった。それを聞いた時、煮えたぎるような怒りと堪えきれない吐き気に襲われた。


 目的も意味も理由もない罪。なんて、許し難い。


「にしても時の流れは早いもんだ。まさか、なあ」


「ああ。あの時のガキが同僚になるなんてな」


「照れますね……もう皆さんに追いついてしまった」


「おいなんだコイツナチュラルに煽ってきたぞ」


 あの夜のことは、騎士団が隠してくれた。子供を人質に取った覆面男は、騎士団の説得に応じず最終的に自殺……心に深い傷を負ったその子供は中央で高度なメンタルケアを受けるために西方の街から離れた。表向きにはそうなっている。


 実際は、子供……アヴィスが自分からついて行ったのだ。騎士団から漂う血の臭いに酔ってしまったように。


「現行逮捕が許された特権階級、現行逮捕部」


「連行を挟まなくていいウチは結構難関なんだが……」


 四十代近い、くたびれた男たち。彼らは筆記、実技両方で騎士団最高峰の実力を保有する超エリートたちだ。


 通常、逮捕には連行を必要とするのが人類の法律。しかし彼らはそれを挟まずに悪人を逮捕する権利を保有する。


 そんな集団の中にあって、一人。十代後半の青年。


 彼らと同じようにジョッキを煽り、血塗れた勲章を胸につけたその者の名はアヴィス・マナフスィリ……十数年前に現行逮捕部に拾われ、異例のスピード出世を果たした天才。


「こりゃ、将来の部長はお前かな。天才め、このこの」


「ははは、御冗談を。僕なんかまだまだです……」


「そうだぞ。こんな乳臭いやつが部長になんかなれるか」


「乳臭いのは見た目だろ。はっは……おっと死んだか俺」


 ピクリ、とアヴィスの眉が動く。


 誰もが羨む才能を持つアヴィス。品行方正、勉強熱心、運動神経抜群……しかし、一つだけ悩みがあった。


 十歳から一向に成長しないその外見だ。


 丸みを帯びた全身に加え、鏡を見れば自身でも驚くほどの童顔。最も小さな隊服でもブカブカで、身長は140cm台。そこらの町娘よりも小さく、かっこいいより可愛い……


 アヴィスは凄まじいコンプレックスを抱えていた。


「誰にでも地雷ってなァあるんだぜ、同僚よ」


「なんでお前は地雷原でタップダンスしちまうかなあ……」


 アヴィスの外見を馬鹿にした現行逮捕部の男が死を覚悟して十字架を切る。アヴィスの外見を馬鹿にした者は、そのほとんどが全治二ヶ月ほどの重傷を負う……のだが。


 何故かアヴィスはジョッキを煽り、酒場から出て行った。


 全員がぽかんとする中、アヴィスの静かな足音だけが聞こえる。いつも陽気な店主も、そのあまりにも冷えた空気に何も言えず注いでいる酒が零れていることにも気付かず呆然としていた。トクトク、木の床にアルコールが染みる。


 こんなこと、今までなかった。実害のあるからかいの一つだったのだが、アヴィスは一体どうしてしまったのか……


 パタン、と酒場の扉が閉まる。誰も、何も言えなかった。


 ――――――


「ふう……はあ……はあ。良かった、落ち着いた……」


 酒場での一件から数時間後。朝日の輝きが少しづつ街を照らし始めた頃……路地裏で、アヴィスは息を吐いた。


 ここの所、自身の様子というか心がおかしいことを自覚していた。昼間なら笑って流せるような冗談やからかいが、どうしてか凄まじい怒りの衝動を伴い襲い来るのだ。


 そんな時、決まって聞こえるのが“声”。子供の頃と違って鮮明な“声”は……何故か二つになっていた。そして、今なら分かる。“声”に耳を傾けてはいけない。一度そうしてしまったが最後、アヴィスは帰って来られなくなる。


「このままじゃ、夜間業務にも支障が……」


『いいじゃないか。夜に我慢なんてするもんじゃない』


 また“声”だ。許し難い、誘惑の“声”が聞こえる。


『夜は誰も見ていない。夜は罪の時間だ』


『正義の太陽は身を隠す。俺みたいに、好きなように』


「っ……黙れ!誰が、お前たちに耳なぞ貸すか!」


 頭を振って“声”を追い出す。聞く意味もない……ただの害悪だ、こんなもの。この世で最もくだらないものだ。


 浴びるようにして水を喉に流し込み、胸を叩く。現行逮捕部の敬礼。こうしていると、荒れた気分も落ち着いてくる。こんな“声”に惑わされることもなくなるのだ。


「ふう……宿舎に、戻らなくては……」


「こーんなとこで何してる?あいつらと喧嘩したか?」


 一歩、進もうとしたその時。背後から声がする。


 すぐに振り返って、最敬礼の構えを取った。あの夜覆面男にラインを説いた、ある種アヴィスの救世主……


「隊長!いえ、少し……野暮用で!」


 現行逮捕部、部長。ラズヴァーリ。


「本当かあ?最近お前の様子がおかしいって報告は上がってるんだよなあ……ま、なんかあったら言え。無茶はするな」


「は!お気遣い、感謝致します!」


「固ぇなあ……他の馬鹿共みたいに、緩くていいんだよ。お前は変なとこで抱え込んじまうからなあ……」


 ラズヴァーリはそれだけ言ってアヴィスを送り出した。少し危ういふらつきをした足取りを、彼は見つめ続けていた。


 ――――――


「それで?今日はなんの用かねラズヴァーリ君」


「は……うちの天才、アヴィス・マナフスィリについて」


「君、身内に関する自信だけは凄いよな」


 特務会議室にて、ラズヴァーリと重役の男が向き合う。この男は部署の設立に関する決定権を有する騎士団内でもトップクラスの要人であり……ラズヴァーリの親友だった。


 この形式ばった挨拶も恒例行事のようなものだ。ラズヴァーリもすぐに肩の力を抜いて楽な姿勢になる。


「あいつのためだけの部署を作るべきだ」


「君が親友じゃなければ即刻ご退室願う所だがね。君のことだ、理由があるだろう。僕を唸らせる理由が」


 もちろんだ、と頷いたラズヴァーリがあの夜のことを話し始める。僅か五歳の少年が、連続殺人と強盗の罪を犯せるような極悪人を、一方的に殴り殺してみせた夜のことを。


 死体はボコボコにひしゃげ、頭部に至っては原型を留めていなかった。腹部も穴が空いて……パズルのようにちぎれていたのを今でも覚えている。凄惨な有様だった。


「人間は、極限の状況下で奥底の本能が表出することがあるんだが……アレは、それともまた違うような気がした」


「違う?すまない、僕の頭ではそれ以外の可能性は……」


「逆、なんだよ。少年という殻がアレを隠していた」


 奥底の本性が出てきたのではない。ずっと表に出かけていた本性を覆い隠していた殻があの事件で剥がれたのだ。もともとメッキだったものが、ついに役目を失った。


「そうか。実際に見た君が言うなら信じよう。だが、それと新部署の話がどう繋がる?関連性は皆無だぞ」


 考える。もう結論は出ている問いだが……もう一度、誤りがないように考える。だが、導き出される答えは同じ。


 仲間として、アヴィスのことを信頼している。これからも同じ部署で、仲良くやっていける。そんな夢想をいつもしていた。他のメンバーだってそうだろう。


 だが……


「あいつは、誰かと一緒に生きることが出来ない」


 いつから面倒を見てきたと思っている。最近のアヴィスとあの夜のアヴィスの目の色は……まったく同じものだ。


 長い年月をかけて再び作り上げたメッキは……現行逮捕部として生きていく中で、数々の犯罪者を目の当たりにする中で。薄氷のように砕けていっているのだろう。


 ……理解している。いつかアヴィスは、怪物になる。あんな暴力を、理由もなく振るうようになってしまう。今朝の様子で確信した……もう、取り返しのつかない所まで来てしまっている。


 何故そうなのかは知らない。生まれ持った宿業で、本人にはどうしようもないのかもしれない。


 理由のない衝動なのかもしれない。けれど。


 怪物となることに変わりはない。


「言い訳を作ってやりたい。あいつの人生の言い訳を」


 別に、ラズヴァーリはアヴィスの全てを理解している訳では断じてない。けれど、ただの上司部下ではない。


 ほんの少しでも救いたいと思うほどには、愛している。


「現行処刑部の設立を、要求する」

ご拝読いただきありがとうございました。

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