第二十九話 大反乱
「回収、大変だったんですよ。熱くなっちゃって」
「……悪かった。つい……楽しかったんだ」
魔族軍病院特別棟のある手術室にて。内臓の損傷が激しかった【太陽暦】は創増殖皇が派遣した工作員により回収され手術を受けていた。命に別状はないという。
バツが悪い顔をして、創増殖皇と視線を合わせる。お前のせいだけどな?と言うのは簡単だが、引き受けたのはこちらだ。【処女】の人質もあるが……【双魚】と【金牛】を見殺しにしたのに、今更人質云々は卑怯というものだろう。
「もう……あ、一応聞いておきますけど。工作員による回収と、私による回収。どっちの方が嬉しいですか?」
「絶対工作員だ。何が悲しくてお前に回収されにゃならん」
「なんて酷い人……もう黄道聖典を無駄死にさせたくない、と駄々をこねたのは誰だと思っているのですか。気にしてないように見えて毎晩【金牛】【双魚】と未練たらしく……」
両手で口を塞いで黙らせる。創増殖皇は微笑を浮かべた。
一度目の英雄たちに対する【双魚】と【金牛】の出動はライアの上層部からの命令だが、通したのは【太陽暦】だ。
……【金牛】はよく分からないが、【双魚】は主の教えに背く英雄を殺せる機会を与えられて喜んでいた。彼らが受け入れている以上、あの判断は正しかったと断言出来るが……
死んで欲しくはなかった。どちらも現黄道聖典では新参者で入ってから日が浅いとは言え、ライアのために尽くしてくれたのだ。まだ、一緒にいたかった……
「まあ、いいです。過ぎたことですし……人類の英雄に関する情報は後でいただきますよ。私はもう行きます」
「人類の英雄以上に優先するべき事柄があったのか?」
純粋に疑問に思って、そう問いかける。【太陽暦】からしても、これ以上優先すべきことはないように思えるが……
くるりと振り返った創増殖皇は、珍しく何か悩んでいるような表情を見せた。初対面の時から今まで、そんな顔を見たことはない。叡智の王冠としての彼女は、何もかもを即決した上で最善の結果を招く化け物だったはずだが。
うーんうーんと数秒首を捻った後、何かを諦めたかのように脱力。優しく微笑んで【太陽暦】に言葉を放った。
「あなたには……少ぅし……言いにくいことですので……」
「なんだ歯切れの悪い。珍しいじゃないか」
「ま、まあ!そんな大事ではありませんが、無視出来ない微妙なラインと言いますか……蛆虫共と言いますか……」
「急に口悪すぎないか。なんなんだ本当に……」
言えないことならそれでもいいが、こんな創増殖皇は本当に珍しい。数年働かされてきて初めて見た。
そうだ、隠し事も初めてじゃないか。無論いくつかあるのだろうが、隠し事がある、ということをここまであからさまにされたのは初めてだ。何か悪いものでも食べたのか?
「では私はこれで……治るまでゆっくりしていてください」
「心配しなくても俺をこき使うのはお前だけだ」
出口の前でぺこりとお辞儀をして、創増殖皇は立ち去っていった。その顔にはいつもの笑みを称えたままで……
「用事は終わったかな、お嬢さん」
「そこまで歳は離れていないと思いますよ」
ガチャン、と扉を閉めるのと同時に千崎がそう言う。出会ってそんなに経過していないが、もう軽口を叩けるほどの仲にはなっていた。千崎の対人コミュニケーション能力と創増殖皇の話術が卓越しているから、と言えばそこまでだが。
彼……【太陽暦】はすぐに入院患者用の部屋に移されるだろう。魔族の全技術を用いれば、完治は一週間。
「エレベーターは……ないのか、この時代。面倒だな、二階から屋上に足で登るのなんざ、初めての経験だ」
「興味深いですね。後でエレベーターとやらについて詳しく教えてください……あ、いえ今でなくても結構」
少し話して分かったことだが、彼は“後で”というのを嫌がる傾向にある。未来で何かあったのだろう。
それから、魔族……というより四皇に対する憎悪もひしひしと感じる。渦巻鐘音を使い捨ての道具か何かのように使ったのだから、当然と言えば当然のこと。不快ではあるが。
どうも未来と相性が悪い……人類は過去といい感じだというのに。いや、二人目はそうでもないのか……
「人類の英雄と戦ったそうじゃないか。どうだった?」
「まだ聞いていませんよ。今は……こちらが先です」
確定ではないが、工作員がギリギリまで粘った結果分かったこと。二人目の人類の英雄は、ナラーシァほどではない。力任せに暴れるしか脳のない少年だったという。
あの戦闘の結果、【太陽暦】と同じようにそれなりのダメージを負っていたが、意識は保っていた。しかし付近で待機していたらしいナラーシァによって気絶させられ、回収されていったと。【太陽暦】よりは強いようだ。
何気に驚嘆したのは、一人目の人類の英雄。ナラーシァ。まさか現代の人間として残っているとは思わなかった。渦巻鐘音の臓器や手足で生き長らえているくせに……腹立たしい。
頭を振って、余計な情報を排除する。屋上に繋がる扉に手をかけて開き……千崎をそこに押し込んだ。
「おっとと……なんだ?突然」
「すみません。少し……いえ、なんでも」
歯切れが悪いことは自覚している。どうもここ最近は感情が揺さぶられることが多い……
喜ばしいことではある。人の心を理解するのに最も手っ取り早いのは同じような人の心を持つことだ。感情とはその最たるもの……だが、得てみると案外鬱陶しい。
下から人々の声が聞こえる。しかしそれはいつものような賑やかさではなく……他人を糾弾する悲しいものだった。
「おーおーうじゃうじゃいやがる。多いねぇ……」
千崎が覗きこめば、そこには立て札やスローガンの書かれた巨大な紙を掲げる民衆の姿があった。
数万人はいるだろう。四皇の城と魔族軍用特別棟は建設場所が近いが故にこうして見下ろせる。彼らは皆、瞳に涙を浮かべ、口々に叫んでいる。私たちの家族を返せ……と。
「聞いたぜ。第八魔族街、灰になったってな。俺の記憶にはそんな大事件なかった。やっぱなんかの矛盾があるな」
「そうですね……悩ましい。分からないことだらけです」
その美しい顔に憂いを称える彼女の言葉は、そう思っていることを確信させるものだった。本当に悩んでいる。
この群衆は、一度目の英雄戦争の舞台となった第八魔族街に家族がいた者たちだ。魔族全体で見ればそこまで重要ではない街だったが、民衆にとってはそうもいかない。
魔族がこの先も繁栄するために大事なことだというのは理解しているだろう。だがその上で、家族を突然殺されたことを受け入れるのは難しいようだ。家族などとうの昔にいなくなった創増殖皇には理解出来ない感情だった。
無論手は打った。求める者には金を渡し、英雄戦争に関する記者会見まで開いた。やれと言われれば頭も下げた。
けれど足りなかったようだ。命の価値は、創増殖皇の想定よりも高いらしい。創増殖皇として着任して以来、民衆が言うことを聞かないことはなかった。ミスというやつだ。
だから、仕方ない。この失敗は今後に生かす。命の価値を測り直す。なのでこの民衆たちは捨てるとしよう。
何も無駄にはしない。この民衆たちの命も……他の、静観している民への見せしめとしよう。反抗心を抱くこと自体にはなんら問題はないが……行動に移されては些か困る。
「まだですか……ああ、来ましたね。では千崎様」
「さん、か、君でいい。歳はそこまで離れてないぞ」
創飛翔皇が運転するヘリが屋上に到着した。バラララララと耳障りな音を立ててホバリングしている。
創増殖皇に見送られながら、千崎はそのヘリに乗った。手に二つの小石を握って、空に飛び立つ。平静を装ってはいるが、何だかんだ人生初ヘリコプターだ。少し興奮している。
なんで俺が……だのもう少しいい扱いを……だの愚痴っている創飛翔皇の横に立って、場所の指示を出す。
「そこだ。あーいや、もうちょい右。行きすぎだ馬鹿」
「……なんで俺はどこに行っても罵倒されるんだ……」
創飛翔皇はヘリの創始者。運転に関しては誰より上手い。だが千崎を満足させるのは中々難しい。あーでもないこーでもないと罵倒混じりの指示を出し続ける。
十分ほどそうしていただろうか。ようやく完璧な位置についたヘリが停止する。直下には蠢く民衆の姿。
「仕事の前に、一つだけ聞きたいんだけどさ」
「なんだ。出来るだけ英雄とは関わりたくないのだが」
ふぅ、と千崎がため息を吐く。英雄を前にしてそんなことを言える度胸は尊敬するが、今じゃないだろう。何があったかは知らないが、英雄に苦い思い出があるようだ……
「鐘音と何があった?愉快なやつだったろう?」
「……愉快、か。そうだな、愉快ではあった。だが……化け物だ。お前たち英雄は、所詮俺たちにとって化け物だ」
創飛翔皇は力に焦がれている訳ではない。どちらかと言えば平穏を求める。だが、英雄を受け入れられなかった。
化け物は苦手だ。周囲の人間は、同じ範疇で、同じ世界に生きていて欲しい。どんな想いを抱えているにしろ、平然と人を殺せるような存在が近くにいて欲しくない。
「人を殺せる奴は……駄目だ。創増殖皇も同じようにな」
「そうかよ。良い奴なんだな、お前は……」
ドアを開ける。強い風が機体を僅かに揺らす。
千崎がほんの少しだけ浮かべていた笑みは……渦巻のような無邪気なものではなかったが。どこにでもいる人間がいつも浮かべるような。どこにでもあるような……
英雄とは思えない、まともな笑みだった。
「ま、苦手なのはしょうがねえ。何も言わねえよ。だけどもまあ、な。分かっちゃいるだろうが、全員が全員そうって訳じゃねえよ。一方的なのはやめた方がいい……」
それだけ言って、千崎は飛び降りた。両手に握った小石に力を込めて……神秘と英雄創世を同時に発動させる。渦巻と同じように、彼もまた能力が重複していた。
(俺は、お前に嫌われる側の人間だがな……)
透き通る二つの居城。鮮血が世界を濡らした。
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