第二十二話 ■■
渦巻は戦闘慣れしていない。この戦争でこそ自身の身体能力を最大限活用しているが、仲間がいた未来では彼女は騎士を召喚する以外の戦い方をしていなかった。
故に、痛みに慣れぬ。その時の全力全霊を振り絞った投擲であっても、威力、軌道、速度……全てが平時より弱い。
また、ナラーシァはその限りではないが、四肢のうち二つを失ってしまっている。当然ながら投擲に必要な踏ん張りや勢いも足りておらず、その速度は神速と言っても差し支えないものであったが、致命的に遅かった、と言える。
つまりこの投擲を、両者は。
視覚で捉え、反応することが出来ていた。
「ぢっ……!」
「くっ……ああ!」
英雄たちの後方で、尋常ではない大きさの爆発音が轟く。朱槍が着弾した音だと、誰が信じるだろうか。
結果として、鮮血の華を咲かせたのは両者であり、それによって命を落とした者は……いなかった。ただ、渦巻は右腕と脇腹をごっそりと失い、ナラーシァは……
とさり、と儚い音と共に体が倒れる。否、“落ちる”。血に濡れた灰が僅かに浮かび上がり、彼女の体に積もった。
「はぁ……は、ぁぁあ……はぁぁ……」
渦巻の目が正常であるならば、朱槍は確かに、残されていたナラーシァの左脚を貫通し奪っていた。心臓を狙った投擲だったが、ナラーシァが体を逸らしたことで外れた。
果たしてその情報と結果は……正しい。
人類の英雄は遂に右腕以外の四肢を失い、楽園の大地の上に倒れ伏した。もう動けない。どれだけ彼女が執念深かろうと、渦巻が知覚するよりも先にこの距離を詰め、命に王手をかけることは決してない。これは……敗北だ。
人類の英雄は敗北したのだ。渦巻も腕と脇腹を持っていかれたが、勝利の対価としては安い方だろう。
「柘榴君……はあ……生きて、かふっこふっ……る……?」
数秒ナラーシァを見つめた後に、渦巻は振り返って歩き始めた。今も僅かに上下している布が安否を伝える。
ああ、今すぐ抱き締めたい。隣町でもいい、病院に連れて行って診てもらわないと。そして、どれだけ時間をかけてもいいから健康にしてもらって、それから……
(……それから?私はそれから、何が……)
ぴたりと足が止まる。それからって、なんだ?
渦巻鐘音という存在は、柘榴のために戦った。■■と同じように愛した彼を護るために戦ったのだ。だが、彼女の心はここに残ろうとしていない……未来を、捨てていない。
ならば助けても無意味だろう。だって彼の生きるこれからに、自分はいないのだから。
「私……柘榴君が、好きなのに……なんで、こんな……」
愛する人と共に死ぬ。それが、渦巻の求めた末路。
だというのに何故、救おうとしていた?わからない、こんな感情知らない、なんで、なんでなんでなんで……
破綻している。むちゃくちゃだ。そもそもとして、共に死ぬことを求めていたのに護るために戦うなどと。そこからおかしかったのだ。そして今、戦いが終わったから、愛する柘榴を救おうとしている。何もかもが、破綻して……
『好意の向きってのがあるんだよな』
■■の言葉が脳裏に浮かび上がる。
『それが相手の方を向いてると、相手を幸せにしたいって思うようになるんだ。この人の役に立ちたいってな』
確か、キャンプ場。焚き火を囲んで話したんだ。
『だから世の中の人間は、好きな人のことを知ろうとするんだよ。だって、その人のことをよく知ってたらもっと役に立てるだろ?相手のために生きようってなるんだ』
パチパチ、木の弾ける音がする。揺らめく炎の赤色が心を落ち着けてくれて、■■君がいつもよりかっこよく見えた。
夜の闇の中で見える横顔に、焦がれたんだ。
『でも、好意が自分を向いてると駄目だ。自分の幸せのために相手を使っちまう。道具じゃないってのにな』
びくり、と震えたんだ。何故か、背筋が震えた。
『私の幸せはこれだから、あなたもそうよね!ってな。相手のことを考えちゃいないんだ。だからそういう奴らは大抵すぐ別れる。押し付けは良くないんだよ』
なんでこんな話をしたんだっけ……ああそうだ。紅海さんと喧嘩したんだ。どっちが■■君が好きかって。
結局■■君に迷惑かけるなんて……馬鹿だなあ、本当。
『表に出してない奴もいる。表向き相手のことを考えてるようで、心の中ではいつか辿る道を決めてたり、な』
……あ、あ。そうか。
柘榴君のために、なんて言っておいて。行動の根底は全部一緒に死にたいから、だった。どんな時も、そう。
あれ?じゃあ何で助けようと……矛盾してる、ような……
『……お、気付いた?そう、鐘音のこと。鐘音は俺への好意が自分に向いてるんだよ……わかる?駄目だよな、それ』
必死に謝ったなあ。■■君は苦笑いしてたっけ。
そして木を火の中に焚べながら、言ったんだ。
『いつか君が、愛する人のためを想っての行動が出来るようになったら、きっと。幸せになれると思うよ』
頬を涙が伝っているのを感じる。灰の楽園の中で、魔族の英雄は未来を思い出して泣いていた。涙をトリガーとする神秘も英雄創世も、この時は起動しなかった。
当たり前のこと。考えなくても分かること……柘榴君には未来があるんだ。英雄が役目を終えて消えてしまっても、これからずっと柘榴君は生きていく。いつか渦巻鐘音という名前も声も姿も忘れて、誰かと一緒に歩むんだ。
その先に自分がいないことを思うと、胸が苦しくなる。締め付けられて、吐きそうになる。嫌だ嫌だ嫌だ、そんなの嫌だって。今度こそ一緒に死にたいんだって思ってしまう。でも■■君のお陰で……渦巻鐘音という存在はようやく。
「愛する人を、愛する人のために、愛することが出来た」
きっと、誰でも出来ることなのだろう。心から惚れて、一緒にいたいと思うような存在のために生きることは。けれど渦巻はそれが出来なかった。未来でも、ずっと。
そんな簡単なことの一歩を、ようやく踏み出せた。
「ああ……良かった……私は、やっと、私は……!」
ごぼり、と血を吐いて倒れる。白い灰が紅く染まる。
遠く遠く、揺らめく蜃気楼よりも遠く、柘榴君がいる場所が見える。朱槍の着弾地点はそこではなかったが、大量の灰を被ってしまっている。まだ生きているが、危険。
辿り着くよりも先に限界が来た。体が、もう動くなと警告している。けれど、進まねばならない。前へ、前へ……!
『私、大好き。あなたのことが。ずっと、名前を呼ぶね』
■■君のお墓の前で誓った。これからどんな人生を歩んだとしても、ずっと彼を忘れない。どれだけ遠く離れても名前を呼び続けるって誓った。花の美しい季節だった。
あれからすぐに自殺しちゃったけど。
『■■君、■■君……!』
ノイズが。邪魔。彼の名前が、聞こえない。
なんで、聞こえないんだ。あんなに愛した人なのに。この身を焼いてしまうほどに愛したのに。どうして。
「忘れちゃいけないのに……!」
『ずっとずっと、ずーっと。いつまでたっても』
前を向いて欲しいから。彼はきっと、そう願う。
現代に召喚されて、すぐは。覚えていた。ノイズなんてかかっていなかった。鮮明に彼のことを覚えていて、頭の中が彼のことでいっぱいだったのに。
「どうして……!私に愛し方を教えてくれた人なのに……!」
『憧れで、大好きで、愛してるあなた』
這って進む。柘榴の眠る場所へ進む。この身が崩れて果てても、不器用な私に愛し方を教えてくれた彼のために、その愛を受け止めてくれた柘榴のために。
「■■君……!」
『■■君……』
ぽつり、と。雫が落ちるように。
ああ、そうか。耐えられなかったんだ。何もかもをくれた彼がこの世界にいないことが。だから記憶に蓋をして、名前
にノイズをかけて声も顔も忘れてしまって……
逃げたんだ。辛くて苦しくて、残酷で。彼との記憶にも蓋をして。彼がいないなら、覚えている必要とないって。
でも、もういい。それは、いい。彼のことを思い出した。彼じゃなくても、誰かを愛せるように導いてくれた彼のことを思い出した。大切で、大好きで、愛していたあなたのことを思い出した。名前を……その、姿を……!
「『千崎君!』」
刹那、脳を埋め尽くす記憶の嵐。未来でのこと、彼と過ごした人生のこと、その全てを思い出した。
涙が止まらなくて、えずきが止まらなくて。嗚咽が止まらなくて……幸せが止まらなくて。彼の声を思い出す度に、彼の言葉を思い出す度に、怖いほどの幸せが止まらなくて。
「千崎君、千崎君、千崎君!」
愛の証。朝焼けの中でキスをした。
騎士が渦巻の手を取って、背中を支えて立ち上がらせてくれた。柘榴へと繋がる道を、指し示してくれた。
歩き出す。何度も何度も愛しい彼の名前を呼んで、何度も何度も愛しかった彼の名前を呼ぶ。駆け出して、彼を抱き締められる所まで近付いた。どこか、鮮烈に見えた。
「思い出した……思い出した!千崎君のこと!ああ、愛し方を教えてくれた人!私が、大好きだった人!」
今も大好きな彼の存在に埋め尽くされる。腕の中で眠っている柘榴も、今はここにいない千崎のことも大好きだ。
一緒に死にたい、なんてもう思わない。柘榴はこれから、沢山のことを知って、見て、経験して。焦がれるほどに笑いながら生きていく。こんなとこで死んじゃいけない。
ここに千崎君はいないけど。彼が求めたように、彼が望んだように。この一瞬だけでも、柘榴のことを愛する。
愛する柘榴のために、愛する。
「今、助けるから!すぐに助ける……か……ら…………」
柘榴の体を優しく抱きかかえて、立ち上がる。今も右腕と脇腹の抉られた場所から血は溢れ続けているが、知ったことではない。彼を死なせない。今度こそ死なせない。
今は、心のどこかで“一緒に死にたい”などと思いはしない。彼のこれからの幸せのために行動したい。
千崎君もきっと、同じことをするだろうから。
「……ごめん、柘榴君。もうちょっとだけ待ってて」
灰の大地の上に、彼の体を置く。
幸せだ。愛する人のために行動することのなんと幸せなことか。この心にはもう、迷いも。躊躇いもない。
矛盾もなく、ひたすらに彼の幸せだけを考えている。けれど彼女は、知ってしまった。この幸福を。そして、同じように願い、幸福を求める者がいることを。
「人類の英雄。彼女もきっと、愛する人がいるから」
彼のためを想うなら、無視して病院に運ぶべきなのだろうことは理解出来る。けれど、無視してはいけない。
愛する人のために戦った彼女に、そんなことは。
遙か遠方、灰の楽園の真ん中で。片腕の英雄は、その身を蠢かせて前進していた。ああ、理解する。
決着は、まだついていないのだと。
ご拝読いただきありがとうございました。
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