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降り積もる灰の理想郷  作者: 螺鈿
第一章 血濡れて消えた恋心
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第十七話 太陽暦

 目が覚めるとそこにいた。見覚えはある、子供の頃によく遊んだ街外れの倉庫。錆だらけで、もう稼働していない機械が沢山あったから好奇心を満たすには丁度良かった。


 ただ、あの頃と違うことが一つある。


「恨むなら、渦巻と仲良くしていた自分を恨むんだな」


 禍々しい大鎌を肩に担いだ男が、椅子に括り付けられた自分を睨みつけていることだ。魔族としての直感で理解出来るが、こいつは人類だ。神秘を保有しない人類だ。


 まだ少し混乱している頭を必死に回転させて、何があったか思い出す。そう、いつもより急いで、走って家に向かっていたらいきなりこの男が現れて……さらわれたんだ。


 映画でしか見たことがない、鮮やかな手刀で意識を刈り取られて、ロープやらガムテープやらでぐるぐる巻きにされて運ばれた。そして目を覚ませばこの倉庫だ。指先一つ動かせないように厳重に拘束され、息すらも苦しい。


「お前という餌がなくては、あいつは動かん。……どちらにせよ七日の間での開戦は英雄の義務である以上、あいつの抵抗は無意味なのだがな。……なんだ、喋りたいのか?」


 最近の若いのはすぐに喋りたがる……とぶつくさ言いながら男が拘束を解いた。と言っても首から上の拘束だけで、体は一ミリも動かせないままだ。


「お前……お前が、美珀の言っていた組織の人間だな!」


「察しが悪いのか、確信を持ちたくないのか……教えておいてやるが、アレはお前の大好きな美珀じゃ……ない」


 男が柘榴の顔を覗き込みながら言う。男の予想通り、その顔は悲しみでもなく衝撃でもなく……納得だった。恐らく、誰かの答え合わせを待っていたのだろう。


 恋情恋慕は、かくも人の心を惑わさせる。


「……じゃあ、なんだ。あの美珀はなんなんだ……」


「英雄。魔族の未来を護るため未来から訪れた英雄だ」


 それはさすがに予想外だったのか、顔が驚愕一色になる。まあ、自分の家に英雄がいるなど信じられないだろう。


 柘榴が口を開く。だが、それを聞き遂げるよりも前に男が上空に向けて大鎌を振るう。亜音速の刃は軌道上に真空を形成し、紙細工か何かのように金属の天井を切り裂いた。


 バラバラと、純白の鎧の欠片と人何人か分の血液が降り注いだ。細切れになった肉は夜空の彼方へ消えていく。


「ほら、これが英雄の力……虹の七騎士だ」


「返せ……柘榴君ぉお!返せぇぇぇえええ!!!!!!」


 天井に開いた穴から、渦巻が飛び込んでくる。男と数秒格闘を繰り広げた後に後退し、睨み合う。


「しかし、到着が早かったな。どんな裏技だ?」


「騎士……私の騎士は、涙の根源を追跡する!」


 大鎌の男……【太陽暦】の経験が、その言葉の意味を推測する。英雄、渦巻鐘音の神秘……いや、英雄創世。発動条件は涙、その原因を追跡し排除する能力か。


 創飛翔皇との戦闘記録と一致する。間違いないだろう。


「置き手紙も見ていないか……少し帰りが遅くなっただけでこうまでするとは、少々過保護が過ぎるんじゃないか?」


 【太陽暦】の足元から、恒星の輝きのように眩しい侵食が始まる。それはやがて渦巻も飲み込んで、一つの隔絶された領域と化した。【太陽暦】の異能、【永遠恒星】。


「あいつが来たから警戒していた……そうしたら案の定、柘榴君が狙われた!許さない、お前を殺して取り戻す!」


「……殺す?俺を?随分と自信家だな……」


 渦巻の視界から【太陽暦】が消え、背後を取られたのだと気付いたのは首に鎌の刃がかけられた時だった。


 動けない。背中に何本かの針が刺さっている……動こうとする度にそこから痛みが広がって、筋肉が裂ける。


「さあ、もう何度目かになる交渉だ。戦え、英雄。お前が戦わなくては、魔族の未来も過去もなくなるんだぞ」


「う……うう……ヤダ、やだぁ!私は、戦わない!」


 理解出来ない。このままでは、己の駆け抜けた時も、今仮初の命を宿しているこの時も全て消えてしまう。


 ただ戦うだけでそれを回避出来るのに、何故そうしないのか。【太陽暦】には、この女の思考が理解出来なかった。彼は別に世界が好きな訳ではないが、己が足掻いた軌跡を消したいとは思わない。そうなるぐらいなら、戦う。


 きっと、誰もがそうだ。


「私は、私は幸せな人生なんてただ一回も歩んだことはない!愛した人と一緒に死ぬことが、私の幸せ!」


 その瞬間、【太陽暦】は理解した。こいつは、破綻者だ。いいや、英雄と呼ばれる者は皆、きっと破綻者なのだ。


「……交渉は、終わりだ。最後に創増殖皇の言葉を伝える」


 渦巻の背中を、【太陽暦】が蹴り飛ばす。鋭利な刃が彼女の喉を刈り、視界を反転させた。


「今からの七日間での開戦は世界の課した義務です。あなたがどれだけ抗おうと……それは不変でしたよ」


 ゴトリ、音を立てて首が転がった。意識が黒に染まっていって、涙は枯れて、そして……


 世界は逆行した。


「第二ラウンドだ。次は動きぐらい捉えろよ」


 彼……【太陽暦】の異能、永遠恒星。


 世界に覆い被さる世界を構成する結界型の異能。この中では死も……生すらも存在せず、引き込まれた時点の状態を基準、十としてループが繰り返される。


 ループの発動条件は、状態が二以下にまで悪化すること。その時点で対象は、あらゆる法則を無視してループする。無論この機能のオンオフは可能であり、足止め以外の用途で【太陽暦】がこれを用いることはない。


 言うなれば、終わることのないシミュレーション。


「永遠恒星には、もう一つ能力があってな」


「……?なにが……?」


 状況を一切飲み込めていない渦巻に畳み掛けるように【太陽暦】が喋る。彼は今、英雄を圧倒している。


「時間の流れが早い。ここでの一分は……ああいや、やめておこう。よくわかりにくいと言われるんだ……」


 思考が追いつかない。一度死を経験している渦巻にはわかる、先程確かに首を刈られて死んだはずだ。だが、超常の法則の下に再生した。渦巻には、それが受け入れられない。


 【太陽暦】何かが喋りながら攻撃する。鎌の先端が頭頂から頭蓋の中に侵入し、顎までを両断した。


 だが、次の瞬間には再生している。


「二十分。ここでの二十分は外での二日となる」


「……は?」


「昨晩の時点であと三日。ここに入ってからそれなりの時間が経過している……つまり、だ。英雄」


 腰を深く沈め、【太陽暦】が前傾姿勢となった。自身では視認出来ない速度での攻撃が来ることを悟った渦巻は即座に回避に移行し、転がるようにして動く。


 だが、無意味。尽くが無意味。心臓を抉り抜かれた。


「二十分以内に脱出出来ねば、開戦の七日が訪れる。あの男も飲まず食わずでは限界だ……お前の安寧は終わるんだよ」


「あ………………ああああああああ!!!!!!!」


 まだ破壊されていない騎士と共に、渦巻が【太陽暦】に突撃する。冷静さを失い、獣のような雄叫びをあげながらの突撃は、かすり傷さえ負わせることなくいなされた。


 お返しとでも言わんばかりの斬撃が四肢を切断し、零れ落ちた血液が地に着くよりも先に首を引きちぎられた。


 再生。


 理解出来ない、ならそれでいい。死ねば再生する事実だけを受け入れろ。倒れていく身体を無理やり跳ね起こさせ、首を狙った上段蹴りを鋭角的な軌道で見舞う。


 が、大上段から振り下ろされた鎌が足ごとその身体を切断し、臓腑が撒き散らされる……よりも先に。


 再生。


 両手両足の関節のみを駆動させ、全力で後退。近付けば鎌で殺される……騎士だけで攻める方がいい。


 だが、先程の真空斬撃からして騎士だけでは火力も防御力も足りない。方針を変え、騎士を盾にしながら攻める。横一列に並ばせて突撃、常に動きながら距離を詰める。


 が、【太陽暦】が横薙ぎの一閃。騎士の上半身がズレていくのと同じように、渦巻の首も落ちた。


 再生。


「ふむ、英雄創世も状態に含まれるのか。再生する度に五人の騎士も再生している……まあ、関係ないことだが」


 もう何度死んだか分からない。言葉が聞こえる時も聞こえない時も殺され続け、この領域に入ってから死んでいる時間の方が長い。生と死の境界があやふやになっている。


 何故だ。何故、こんなにも動くのが速い。未来でも、身体能力において渦巻鐘音を上回った存在はいなかった。アレでさえも、神秘を使わなくては補足できなかった。だというのに何故、この男が身体能力のみで圧倒している。


 対魔族において最強の存在であるアレをも上回るというのか、この男は。有り得ない、有り得てはならない!


「絡繰が気になるか?だろうな。ふむ」


 もう抵抗する気力すらなくなり、考えうる全ての戦法も試した。だが、どれもこれもが無意味だった。


 終わり、だ。廃人になるまでこの領域から抜け出せない。柘榴がさらわれ、この男と戦い。終わった後は人類の英雄との戦いが待っている……一方的に役割を押し付けられて、勝手に召喚されて……何でこんな目に合わなくてはいけない?


 ……なんて、そんなことを考える気力も、ない。生きているのか死んでいるのかもわからず傷付けられ続け、大切な存在である柘榴を想う心も、既に風化を始めた。


「教えん、ぞ。知られても状況は一切変わらんだろうが、まだお前の全貌を把握出来ていない。逆転されては困る」


 首が落ちる、臓腑が引きずり出される、破砕した騎士の鎧の破片で喉を掻っ切られる、潰される、壊される。


 何分経過した?痛みと絶望で時間感覚がなくなっている。いや、痛みなど、とっくに感じなくなった。あるのは、もう何もかも終わりだという絶望感だけだ。


「そろそろ十分経過だ。あの男も限界に近いぞ?」


 学校終わりで疲れた柘榴は、精神的負荷も相まって気を失っている。渦巻がそれを知る由はないが、ただ【太陽暦】の言葉で僅かな焦燥感が芽生える。手を動かす。


 知らぬ内に油断していた。今まで、永遠恒星を使わなくてはならないほどの強者は五分もすれば心が折れ、十分もすれば動かなくなった。どんな言葉を投げかけても、指先一つ反応することはなくなった。しかし、この女は。


「柘榴……君が…………ぁぁぁああああああ!!!」


「なっ……お前……!」


 接近。【太陽暦】の、音速にも近い踏み込みは急停止が出来ない。渦巻の突き出した腕が腹に突き刺さる。


 即座に【太陽暦】が後退し、全力の構えを取る。確かに肉を裂いた感覚があったのに傷一つなく、動きにも支障は見受けられない……否、一箇所だけ、違う。


 動きが遅い。後退の時の動きが、渦巻でも再現出来るほどの速度だった。分からないことが多すぎる。


「ふむ。破られたか……だから無理だと言ったんだ……」


 その呟きと同時、【太陽暦】の肉体が僅かに発光した。


「二度目だ。次は……不可能だな。ちっ……危ない橋は渡らない主義だというのに、創増殖皇、恨むぞ」


 その、絡繰は。

ご拝読いただきありがとうございました。

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