第十話 英雄の定義
「……ふふ、死んだ。案外弱いのですね、黄道聖典は」
「【金牛】は頭が悪い、【双魚】は未熟。それだけの話だった……黄道聖典全体を巻き込まないでもらおうか」
「あら、気に障ったならごめんなさい。次からは、そうですね。優しく触れてあげることにします。ふふ」
創増殖皇の名を知らぬ魔族は、それこそ渦巻以外に存在しないだろう。彼女は史上最高の大魔族だ。
人類の中で最も英明なマージュ、彼はその人生のほとんどを知力の強化に捧げたが……創増殖皇は彼の三分の一にも満たぬ年月しか生きていないにも関わらず、世界最高の頭脳を得るに至った。彼女なしに魔族は立ち行かないほどに。
魔族の教育水準を高め、交通の便を改善し、神秘の謎を解明する研究に大きく貢献した叡智の王冠。
だが何より、彼女の最大の功績は四皇になる要因となったある研究……『対大悪用粛清機構』の開発だ。
これにより魔族は一つ上のステージに進んだ。
「冗談は程々に……どうですか?あの英雄は」
「悪くない。強さは十分だ。人類の英雄にも引けを取らん」
「黄道聖典統括、【太陽暦】のあなたが言うなら間違いないですね。私、戦いとかそういうのは専門外で……」
「馬鹿を言え。戦に疎い者があんな開発をするものか」
金髪を長く伸ばし、赤い瞳が覗く。純白のドレスがその過剰なまでの美貌を際立たせる。ナラーシァのような埒外ではないが、それでも異常なまでに美しい創増殖皇の対面に座するのは大鎌を肩にかけた死神のような男。
黄道聖典統括、【太陽暦】。その名と姿を知る者はライア教内部でも数える程しか存在しない闇の世界の住人。
「一度目の勝利はもらった、と考えていいですね?」
「ああ。奴の戦意のあるなしに関係なく、人類側のあの英雄ならば時が来れば勝負を仕掛ける。だが、これは魔族の英雄に戦意がある前提の予測だ。それを覚えておけ」
「そう、良かった……本当に助かります、【太陽暦】。四皇の中に英雄の目利きが出来る者はいないから……」
そこらの魔族なら卒倒してしまいそうなほどに美しく優しい微笑みを向けられた【太陽暦】は、しかし心底うんざりした様子で舌打ちをして立ち上がった。
「もう行くんですか?もう少しいてくれてもいいのに」
「……こんな場所、一秒たりともいたくはない」
チラリとその部屋の壁を見ると、創増殖皇の美しさとは裏腹に趣味の悪い絵画やガラス細工等が陳列されていた。
解析に出したりよくよく見てみれば分かるが、これらは全て人間を材料として作られたものだ。絵画に使われている染料は血や脳漿、ガラス細工の色彩は人骨を削ったものや筋繊維、脂肪等が使われている。悪趣味極まりない。
戦を忌み、血を拒み、慈愛を以て善しとするライア教の教えに唾と汚泥と吐瀉物を混ぜたものを擦り付けているかのような部屋。【太陽暦】にとっては地獄に等しい。
「【処女】が囚われていなければ、今すぐにでもお前を殺してこの部屋を破壊したいぐらいだ」
「あら、ライアの神は慈愛に溢れているのではなくて?」
「忘れたか?我々は神罰執行室だ」
髑髏の形をしたドアノブを捻りかけてやめ、大鎌を振るってドアそのものを破壊する。この髑髏が作り物なら良かったのだが……非常に残念なことに、本物だ。
確か、創増殖皇に刃向かった部下のものだったか。昔からこいつは、氷すら凍えるほどに冷たい女だ。
「お前にもいつか、残酷で無慈悲な神罰が下る」
「まあ、怖い。天使様に守ってもらわないと……」
創増殖皇の視界の内側で震える肩。コツコツ、コツコツ音を立てて去りゆく背中。ああ、こんなにも愛おしい。
抱きしめてしまいたい。ずっとずっと、一緒にここで生きていたい。なんでいつも、私の愛する人はどこか遠くに行ってしまうのだろう。こんなにも抱きしめたいのに。
でも、あなただけは納得。だって、そうでしょう?
「私の、天使様に……」
あなたは、世界に一人だけの天使なのだから。
――――――
「学校の近くで軍が動いたって……怖いよなあ」
「あは、物騒だよね、最近。本当に怖いなあ……」
終礼のチャイムが鳴ってから五分ほどした後、ぜえはあ息を切らしながら柘榴が校門まで走ってきた。
未来でもそうだったが、ヤンキーだったり不良はずっとかっこつけてズカズカ歩いているイメージがあったから、思わず笑ってしまった。柘榴は、本当に面白い。
同じ下校路を歩いている生徒もそうだが、学校は軍が動いた、という話題で持ち切りのようだ。もうニュースにもなっていて、先生たちも大騒ぎ。付近はまだ危険なので近寄らないよう警報も出ていて……家がなくなっていた生徒もちらほら。道端で号泣しているのはそういう生徒だろう。
「柘榴君の家は大丈夫なの?」
「オレん家は反対だからよ。何も問題ないぜ」
あ、と何かを思い出した柘榴が鉄の板を取り出した。
ちょっと親に電話する、と言って駆けていく。さっきもそうだが、ヤンキーじゃないならその外見はどうかするべきではないだろうか。今の所授業をサボっていた部分以外に不良要素が皆無なのだが。走るヤンキーとか初めて見た。
「って、ああ。歴史であった。ビジョンだ、あれ」
未来ではビジョンと呼ばれる技術、今の時代だと……スマホ、だったか。電話、ゲーム、学習、何でも出来る万能機具だ。若者のビジョン依存が問題視されていた。
■■がいつも見ていた。渦巻には、その面白さは理解出来なかったが。運動している方が楽しい。
「悪い、待たせた。許可はもらったし、ほら行こうぜ!」
一応学生なので、異性を家に連れ込む、それも……恐らくは泊めることになるのだ。許可が必要なのだろう。
ニッコニコで渦巻の手を引いて走り出す。少し驚いたが、何かを楽しんでいる人間を見ているのは楽しい。渦巻からすればつまらない速度だが、何だか楽しくなってすぐに一緒に走り出す。自然と笑みが零れるような時間だった。
走り始めてから数分後、柘榴の家の前で止まる。思ったより近くて、少し残念だ。
どこにでもあるような二階建て、白を基調とした綺麗な色彩。見れば見るほど、柘榴の外見に疑問が湧き出る。
(なんでこんな家で育ってその外見になるんだろう……)
横目で覗くと、やはりツンツンの金髪に色があまりにも濃いサングラス。身長の高さやいかつめの顔もあって完全にヤンキーだ。その割りに走り回るし趣味は読書とか……渦巻の中のヤンキー、不良のイメージがどんどん崩れていく。
「帰ったぞ母ちゃん、おーい母ちゃん?」
「はいはいもう集金の取り立てみたいな帰り方してくる息子だね……おや、誰だいその子。女の子じゃないやっだ」
「電話しただろうが!ったく……ほら入るぞ、美珀」
「お邪魔しまーす……」
しかも漫才するし。仲良いなあ。
あらあらまあまあしか言えなくなった母親を奥の方に押し込んで、柘榴がリビングに渦巻を通した。
最初は柘榴の部屋に行きたかったが、顔を真っ赤にして汚いだの整理してないだの言って逃げていったので仕方なくソファに座って待つ。どこかゴワゴワしている。
「未来って、やっぱり進化したんだなあ……あ、そうだ」
未来との差を実感しながら、テレビのリモコンのボタンを押す。大きさも画質も、テレビだけは変わらない。
勝手に人の家のテレビを見るのもなんだかアレな気がするが、仕方ない。好奇心には打ち勝てないし……一応、街の破壊の原因の一割ぐらいは渦巻だ。知っておく義務がある、と彼女は考えた。
「チャンネルどこだろう……これかな?ニュース」
適当なボタンをポチポチしていると、ニュース番組らしきチャンネルを発見した。キャスターがマイク片手に立っているスタイルを見るに、ここで間違いないだろう。
カメラは上空から回されているようで、爆撃やそれによって死んだ魔族軍兵士の死体、肉片がよく見える。こういうところに規制をかけたりしないからテレビは苦情が絶えないし情報を管理している四皇はバッシングされまくるんだ。
「そういえば、■■君が言ってたな。四皇は情報規制をしないって……なんでだろ?メリットなんかないのに」
考えてもわからないことは考えない。渦巻の生き方だ。とりあえずあの戦闘がどんな被害をもたらしたのかはわかったし、これ以上はいい。テレビを消して柘榴を待つ。
(私、悪くないよね。襲ってきたのあっちだし)
そもそもとしておかしいのだ。何千年も経った後の世界のために、まだ存在していない命を召喚して戦わせるなど。こっちの気持ちも事情も考えずに一方的に戦え、だなんて。そんなもの、こっちからしたら知ったことではない。
どうしても戦って欲しいなら、他の好戦的な英雄でも呼べばいい。人という存在そのものを嫌悪している陸堂でも、邪悪を煮詰めて凝縮したような蟲桃でもいい。他にも、未来の死刑囚でも十分に戦力にはなるだろう。英雄の基準はわからないけれど、そんな奴らでも遺したものはある。
渦巻は何かを深く考えたことがないが、敢えて英雄の定義を述べるならば“何かを遺した者”。誰かが焦がれるような、誰かの生きる希望になるような、そんな何かを遺した者。
人は、生きているだけで誰かの英雄だ。
なら、私である必要はない。世界を救うのに相応しい英雄は、他にいくらでもいるはずなのだから。
「私はどっちかって言うと、滅ぼす側だしねっと……」
「準備出来たぞ美珀、さ、オレの部屋はこっちだ!」
うん、と元気に返事をして立ち上がる。先程までの、少し暗い思考は端の方へ追いやってから。
もう、昔の……いや、未来のことは考えない。世界からの干渉で大体一ヶ月後に消える運命だが、それまでこの世界を楽しむと決めた。無理やり喚ばれた対価としては丁度いいくらいだろう。許可を得ているなら話は別だが。
柘榴は本当に、少し無邪気さが残りすぎている点に目を瞑れば■■に似ている。もしかすると、■■は柘榴の生まれ変わりなのではないかというほどに。
(なんでだろうね、今度こそ)
ノイズがかかる記憶。思い出してはいけない記憶。
■■を看取った時の、禁忌。
(幸せに終われる気がするよ、私)
自然と笑みが零れる。この幸福を噛み締めて。
ご拝読いただきありがとうございました。
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