第2話 全裸の勇者
ディスは停止した思考をなんとか回転させる。
(何が起きた?)
何故だか解らないが、いまだかつて感じた事のないほどの解放感を感じながら、ディスは恐る恐る自分の身体を見下ろす。
そこには見慣れた自分の裸体があり、そしてこれまた見慣れた愚息がぶら下がっていた。
「ええええええええ!? えっ、えええええ!?」
「な、何だ!? 何事だ!?」
今にも死にそうなはずの魔王でさえ、その驚きから悲鳴に近い声を上げている。
「何驚いてんだ! てめぇがやったんだろうが!」
「いや知らん! 装備が外れるとしか知らん!」
「見ての通り全裸だよ! 服もダメか!? あ!? これから全裸で王都に凱旋しろってのか!?」
「仕方ないだろう! 古代の禁呪など初めて使うのだ! それよりお前の…ぐふっ!」
大声を張り上げたせいか、魔王の命は今まさに尽きようとしていた。
「いや、待て! 何死にそうになってんだ! この呪いどうにかしろ!」
「ぐふ…どうにか、と…言われても…」
「おい待て! まだ待って! せめて呪いの解き方言ってから死んで!」
「わ、我は…命を代償に呪いをかけたのだ…すでにこの命は…」
「それっぽい事言って誤魔化すな! おいこっち見ろ! 何目ぇ逸らしてんだ!?」
ディスは魔王を必死に揺さぶりながら叫ぶ。
さすがに無い。これは無い。
痛いのも苦しいのも我慢出来るが、これだけは勘弁してほしい。
未だかつて、どんな死闘をも潜り抜けた勇者は…最後の最後に、初めて泣きそうになっていた。
「いいのか!? お前このままだと、全裸の勇者に殺された魔王として歴史に名を残す事になるんだぞ!?」
「い、嫌だ…嫌すぎる…」
「だったら何とかしろ! って、おい! まだ死ぬなって言ってんだろうが!」
すでに魔王の目は虚ろだ。
何時力尽きてもおかしくないのは、誰の目にも明らかだった。
だがそれでは困るのだ。非常に困るのだ!
「ゆ、勇者よ…我が最大の好敵手よ…き、貴様なら何とか出来るはずだ…後は、まかせ…た…」
「任せんな! おいコラ、目ぇ覚ませ! 目の前の現実を見ろ!」
ガクリ、と魔王から力が抜ける。
ディスは全力で治癒の魔法をかけているが、それでも魔王が目覚める事は無かった。
諦め悪く治癒魔法をかけ続けていたディスだが、いい加減に無理だと思い直し、魔王の身体を横たえた。
「…ど、どうしよう…とんでもない置き土産していきやがった…」
がっくりと床に手をついて、絶望に暮れるディス。
「まずい。絶対まずい。このまま全裸で王都に行きたくない。って言うか外を歩きたくない」
いや、外の前にここは魔王城なのだ。
全裸で魔王城を練り歩くなど前代未聞だ。
「魔王様! ご無事ですか!!」
そんな中、魔王城の最奥へ辿り着く者が居た。
魔王に従う十幹部の内の一人、魅惑将のシャルナ。
これまでディスは、七人の幹部を打倒してきた。
未だ三人の幹部は健在であり、シャルナも一度出会ったものの取り逃がしてしまっていた。
きっと、魔王とディスとの最終決戦に参戦しに来たのだろう。
(厄介な…)
金髪赤眼…男達を誘惑、洗脳し、己の意のままに操る能力を持つ彼女は、ディス達魔王討伐軍にも多くの被害をもたらしてきた。
かと言ってその能力に頼るばかりでなく、魔法使いとしても非常に強い力を持っている。
万全なら負けるつもりはないディスだが、今は魔王との戦いで大きく消耗し、聖剣も無ければ聖鎧も無い状態なのだ。
相も変わらず蠱惑的な恰好をしたシャルナに、ディスは向き直る。
「ヒィ!?」
ディスの姿を認識した途端、シャルナは短く悲鳴を上げ、尻餅をついてしまった。
どうしたのかと疑問に思えば、シャルナはディスの下半身へと視線を注いでいた。
(しまった…そういえば全裸だった)
ディスは今まで一度たりとも女性に身体を晒した事は無い。
それゆえにとんでもない羞恥心が膨れ上がってくる。
「なっなっなっ…」
「ま、待て! 何を見てる! あっちを向け!」
「は!? お、おおおおおお前! 魔王様をどうする気だ!? 私の気を逸らして魔王様にナニをするつもりなのだ!?」
「何もしねぇからあっち向けって! こっち見んな!」
必死になって隠す物を探すが、丁度いい物が見つからない。
仕方ないとばかりに、絨毯を引きはがし、身体に巻き付ける。
…絨毯が弾け飛んだ。
弾け飛んだ衝撃で、ディスのもう一つの聖剣がブルン、と大きく揺れた。
「なあああ!? な、な、なんだその禍々しい物体は! 貴様、邪神の加護でも受けているのか!?」
「人聞きの悪ぃ事言うんじゃねぇ!」
「く、来るな! 貴様、私にナニをするつもりだ!?」
「何もしねぇっつってんだろうが! いいからこっち見るんじゃねぇよ!」
シャルナを無理やり部屋の外へ追い出そうとするが、シャルナは尻餅をついたまま、後退って行く。
「来るなと言っているだろうが! やめろ! そんな凶悪なモノを向けるな!」
「向けてねぇよ! ガン見すんな!」
「お前、私をどうするつもりだ!? ナニが目的だ!?」
「ナニナニ言うんじゃねぇ! 誤解すんな!」
「ヒィ! ヒイイイィィィ!」
シャルナは腰が抜けたまま、魔王の部屋から四つん這いで逃げ出した!
「ま、待て! お前は何か勘違いを…!」
追いかけようとして、ディスはようやく気付く。
そう、全裸だ。
このままでは本当に魔王城を全裸攻略するハメになる。
(せめて前だけでも隠さなければ!)
先ほど絨毯を巻き付けたら弾け飛んでしまった。
であれば別のもの…いや、巻き付けたからこそ装備品として認識されたのかもしれない。
聖鎧の肩の部分を外すと、自分の前に当てる。
これで隠れ――――。
聖鎧の肩パーツが弾け飛んだ。
「……」
カランカラン、と聖鎧のパーツが転がって行く。
なんとも言えない惨めさを感じながらも、ディスは別の物を探す事にした。
とは言え、魔王との戦闘で調度品もバラバラ、一体他に何があると言うのか。
グルリと見渡し、魔王の玉座が目に入った。
かろうじて原型を留めているそれを掴み、引き抜く。
身体に当てた事で装備品と認識されたのなら、あくまで持ち運んでいる道具と言う体で股間を隠せればいいはず――――。
玉座が弾け飛んだ。
(…もう泣きたい)
他にはもう何も無いし、と思いながら…ふと、魔王の遺体が目に入った。
「………いや、いやいやいや」
いくら人類の敵とは言え、力の限りを尽くして戦った相手だ。
その亡骸を股間を隠す為に使うなど…さすがにそれは人としてどうなのか。
「…いや、だが待て」
元はと言えばこいつの所為だ。
本人だって、全裸の勇者に負けた魔王の称号は嫌だと言っていたではないか。
ならば、最後に一度役立って貰おう。
そう、ディスは後を魔王に任されたのだ。
…そんな言い訳を考えながら、ディスは魔王の脇の下へ手を差し込む。
あくまで魔王を運んでいるだけだ。
ディスが装備しているわけじゃない。
強くそんな事を念じながら魔王を抱え上げる。
―――魔王が弾き飛ばされた。
弾き飛ばされた魔王は、窓を突き破り何処かへ飛んで行ってしまった。
「………」
詰んだ。
もうダメだ。
すまない魔王…俺はお前との約束を果たせそうにない。
星になった魔王に、ディスはそう心の中で謝るのだった。