道を間違えると言っても道を進んでいることには変わりない
広大な騎士学校の敷地は、一つの街といっても過言ではない程に広い。多くの施設と多くの居住区を抱えており、学園内ではあるものの住み込みで働いている人間が多いからだ。
そんな学園の中をとぼとぼと歩く少女が一人。
「うぅ……やっちゃったぁ……」
彼女の名はムース。学園の制服の上から、お古のフード付きマントを羽織る気弱そうな女の子といえば、大体彼女のことを示している。
そんな彼女は、今しがた自分が暮らしていた寮から逃げ出してきたばかりであった。
「どうしようどうしよう……勢いで飛び出してきちゃったから荷物もないし、お金もないし……帰りたいよぉ……」
というのも、彼女が所属するクラスⅥは、教師であるヴァルサーノによるスパルタ特訓の真っ最中なのである。朝起きてから始まるのは、眼がくらんでしまうほどの大量の朝食を食べること。それを、分厚すぎる本を片手に味も確かめることなく口の中に突っ込んでいくことから、クラスⅥの朝は始まるのだ。
そもそも、大して朝食はおいしくなく、彼女も何度も吐き気と戦いながら口の中に押し込んでいった。
その後始まるのは、一日の半分を丸々使ったトレーニングである。走り込みから筋肉を酷使するトレーニングに至るまで、筋肉を苛め抜く最適解が用意されているのだ。座学の時間は自習のみであり、少しでも怠ったて週一で開催される小テストで赤点(入学初日に行われたテストの点数よりも一点でも少なかったら赤点である)でも取ろうものなら、特別授業なる恐怖のデスマーチが始まるのだ。
肉体も頭も酷使し続ける環境を誰かが地獄と呼んだ。
そんな地獄に耐えかねたムースが、衝動的に寮から逃げ出したことで今に至る。
「お母さん、お父さん……期待してくれてたのに、ごめんねぇ……私には無理だよ……」
うわごとの様に頭に浮かんできた両親に謝るムースは、確かに限界寸前といった様相だ。身に着けた衣服も、まだまだ新品同様の見栄えだというのに、どこかぼろ雑巾のようにも見えてしまう。
そんな彼女の前に、ふらりと人影が二つ。
「えと……大丈夫?」
「ふぇ?」
「貴方よ貴方……ってことのやり取り、入学したばっかりの時に一度やった気がするわね。とにかく、そんな真っ青な顔で往来を渡られたら、心配で気が気じゃないのよ。見たところ同級生みたいだし、悩みなら私たちが聞いてあげるわよ」
「もちろん、問題があるなら解決してあげるよ!」
「えっ、えっ……」
現れたのは、金髪と灰髪の少女。学校から支給される素朴な運動服を着ているにもかかわらず、きらきらとした光を纏って見えるほどにはどちらも美少女と言って差し支えない容姿をしており、見るからにどこかの令嬢といった佇まいだ。
余談だが、ムースが制服なのは、先日着替える余裕もなく入眠してしまったからである。
さて、そんな二人は言動から、同じ学園の同級生だということはわかるのだが……小市民に過ぎないムースにとって、その輝きは毒であった。
「あ、あわ……」
「……あわ?」
「あわわわわわ!!!」
「ちょ、え……大丈夫!?」
人は自分の頭では処理しきれないことに遭遇すると思考停止してしまうというが、どうやら彼女は泡を噴いて倒れてしまうらしい。
さて、それから数分後。
「大丈夫なの……?」
「す、すいません……ちょっと目がくらんでしまいました」
「そうなの?」
「はい。大丈夫です。ですので、できれば私の目はあまり見ないでいただけると……はい」
「わ、わかったわ」
突如として倒れたムースだが、彼女の不調を心配していた手前、二人の手当は迅速であり応急処置は素晴らしいものだった。まったくもって、この程度で倒れてしまうとは情けない。
そんな情けない自分と、そんな自分を捨て置くこともせずに介抱してくれた二人を見比べてまた発作を起こしそうなムースは、とりあえず彼女らの目を見ずに自己紹介をするのだった。
「む、ムースです。ご心配をおかけしてすいません」
「いいのよ。私たちも早朝のマラソンをしてたところだから」
「……そうなんですか」
「ええ。この学園に来たのだから、どんな努力でもする。それが、精霊騎士を目指すものとしての正しい姿でしょ?」
「うぐぅ……!」
「……?」
はてさて、金髪の生徒が語る当たり前こそが、地獄の訓練から逃げ出したムースの心臓に激しく突き刺さった。うめき声をあげるムースの顔に疑問符を浮かべる金髪の少女。その理由をなんとなく悟ったのか、灰髪の少女は隣に座る金髪の少女に耳打ちをしていた。
ただ、その耳打ちがムースは怖かった。
(何か言ってる……でも聞こえない。ああ、だめだ。なんで、悪く考えちゃうんだろう……)
聞こえてくる言葉は微かで、言語として理解することができない代物。しかし、幻聴の様に彼女の頭に言葉が流れ込んでくる。
『逃げ出したんだ』
『最初からできないくせに、思いあがっちゃったんだよ』
『まったく、ダメならダメでやらなきゃいいのに』
目の前の二人が、自分を介抱してくれるような優しい人なのはわかってる。そんなことを言うような人じゃないのはわかってる。それでも、その言葉は彼女の奥底から湧き上がってきて、どんどんと思考を沈めていくのだ。
ああ、なんてひどい人間なんだ、私は。
そんなマイナスな感情がムースを支配した時――
「逃げたいなら逃げたら?」
「ちょっと、何言ってるのゾフィア!」
その言葉は、まっすぐにムースの心に突き付けられた。




