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バーチャルとリアル 違いが無くなりつつある現代

作者: 四記玲音

ネットやAIの発展が著しい現在、世間では配信サイト、アプリが非常に増えてきてます


これは近年の流行病の影響もあると思いますが、メインは自らの想いや声を世界に届けるのが容易になり、一般の方にも浸透してきたことが1番大きいと思います


その中でも今注目が集まるのはメタバース、所謂仮装現実ですね


自身をアバターとして動かし、様々な交流を図ることができる世界がまもなくやってきます


そしてその先駆けとして自身をアバターとして命を宿す方々、ヴァーチャルライバー(以降Vライバー)は切っても切り離せない存在と思います


以前はVライバーになるには非常に厚い壁があったものの、ここ数年でその壁はほぼ無くなり、それこそやる気さえあればリアルの自分ではない”もう1人の自分”になることができるようになりました


当然ながらVライバーが増える理由は需要があり、自身の”声”を届けたいからというのもあると思いますが、おそらくVライバーになりたいと思う理由の一端には、彼らを支え交流するリスナーがいるからと思います


かく言う自分も純粋なリスナーとして様々な方の元へ行かせていただいてますし、楽しませて貰ってます


それと同時に、先日Vライバーの方からお叱りを受けました



「ノリや流れ、雰囲気でコメントすることはあるだろう


しかし、バカやアホなど中傷するようなコメントをする人は正直来なくてよい」



このようなことを言われ、正直最初はあまりピンと来てはいませんでした


自分が使っている媒体の特性上配信者の方と距離が近くなる傾向にはありましたが、そこまで悪いことだろうか?と正直その場は軽く流してしまいました


しかしながらその言葉は自分の中に残り続け、考える日々が続きました


そしてこれを書いている現在、仲良くしてくれていた方がそう言ったコメントが辛いと言葉にしたのを聞いてハッとしました


我々が発しているのは”言葉”ではなく”文字”なのだと


これは海外の方がよく言われることですが、日本の言葉はイントネーションや場の流れで意味が変わって難しいと


配信者の方は”言葉”を発しても、我々は文字通りの意味でしか発信が出来ないわけです


これも配信が身近になった恩恵であり弊害です


更にこの問題を加速させる要因をひとつ考察しました


それはVライバーの方が使う”立ち絵”の存在です


所謂”顔出し”の配信媒体では、その配信者の方が見えるため”リアル”に近くなります


しかしVライバーの方はその顔をアバターで覆うため、感覚は”ヴァーチャル”つまり非現実的と認識しやすくなります


その為思考的には”傷つかない仮想の物体”になり、傷つかない物に人間は攻撃的になりやすくなる、と言うのが自分の考えになります


とはいえ、実際の所は”もう1人の配信者”であり中が人である異に違いなどなく、故にマナーが存在するわけでもあります


そのマナーについても、前と今では違う物となっていると思います


自分もネットマナーに対して深い見解があるわけではなくあくまでイメージの話になってしまうのは、正直書いていいものかとも思いますが今の自分の思いを書きとめる為にも続けます


昔、所謂ネット掲示板が主な交流場所だった頃


ネット弁慶なるネット用語がありました


これは書き込みに対して大口を叩き、煽り強く見せているが、実際にはそんな事を言えず小さくなっている人のこと


と認識しています(※間違っている場合がある為鵜呑みにはしないでください。改めて修正する場合があります)


これが容認されていたのは、掲示板へ書き込む方が耐性を持っており、界隈の知識に長けていたからと思います


そもそも一般の方にネットが普及している時代でもありませんでしたので


当然ながら掲示板なので文字(たまにアスキーアート)でのやり取りになり、その先(つまり書き込んでる方)の顔どころか考えなど見えず、無数のフィルターがかかった状態になります


この時代でもマナーとして荒らしや暴言中傷は禁止されてましたが、それでも無くならなかったのは”言葉”のやり取りではなく”文字”のやり取りだったからと思います


では現在はどうかと言うと、ネットが普及し一般の方も気軽に様々な情報を得ることができる時代です


つまりネットにあまり精通してない”耐性”が無い方もいると言うことです


これはどういうことかと言うと、ネットはすでに現実の延長線上にあり、既に文字同士のやり取りではなく”人”と”ひと”のやり取りをしているわけです


つまりネットマナーの延長線上にある配信マナーは、もはやマナーになってないとすら言えます


日常で中傷されれば傷つきますし嫌な気持ちになります


自分の嫌な事は人にしないようにしましょう


そんな当たり前のことを忘れさせるのが”立ち絵”という1枚のフィルターにあると考えます


これは立ち絵が悪い、と言う訳では無く、配信マナーとして”その子”を1人の”ひと”として認識することが重要なのだと思います


この考えが普及すれば、配信マナーはどんどん良くなると考えます


残念ながら一定数の理解が及ばない人間はいるとは思いますが、配信をされる方に配慮し、互いに楽しい友人のような関係が築いていけたら良いなと思っております




それでは長々とお読み頂きありがとうございます


深夜の纏まらない思いをそのまま書いているのでたくさんの矛盾や曲解、支離滅裂なことを書いているかと思います


ですがこういった状態の方が素直な気持ちをかけると思ってもおります


あくまで1個人の想いとして受け止めて貰えたら幸いと思います


最後に、自分はそこまで出来た人間ではありません

間違いを何度も繰り返す愚か者です


これを書いても自身の行いが改善されるか、正直怪しいとさえ思っております


しかし書いた”事実”はこの胸にしっかりと刻み込まれると信じて、締めとさせていただきます

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