第16話 異変
ドクン……ドクン……
「……?なに……?」
ドクン……
胸の鼓動が大きく聞こえる。
広大な草原の中を走っていたリケアは足を止めた。
「……リケア?どうかした?」
リケアの後ろを走っていたシエルが心配そうに声をかけてきた。
「え……。あ、ううん。ちょっと胸が苦しくなったけど、何でもないよ。」
「食い過ぎじゃねぇのか?さっきドカ食いしてたろ?」
「本当に何でもないから気にしないで!心配してくれてどうもありがとうね!」
先頭にいたリッツがそう笑い飛ばすが、後ろからリケアに腕で首を絞められた。
「……ぐええっ!い、いいってことよ……」
カルプシス大神殿の隠し通路は行き先が複数存在する。魔法ギルド、礼拝堂、魔法書庫。そして神殿の外へ脱出できる緊急路だ。
シエルたちはリケアの先導で神殿の裏側から脱け出し、少し離れた草原まで走ってきていた。
「…………」
わちゃつく三人をよそに、ユグリシアはひとりキョロキョロと周囲を見渡し、襲撃を警戒している。
「……いてて……。にしてもよシエル、迷わず『逃げ』を選択するなんてやるじゃねぇか。大正解だったぜ?」
「うん。なんとなくヤバい気がしたんだよね……。」
「あぁ。レッドスのアニキの言った通りだったな。【ラグナロク】のヤツらと目ぇ合わせらんなかったぜ。」
間近で見た【ラグナロク】の恐ろしさは想像を遥かに超えていた。頭で考えるよりも先に「逃げなくては」という本能がシエルたちを動かせたのだ。
「……リケア、ごめんな。フェリネスさんたちの事……。」
ふとシエルがそう切り出してきた。【ラグナロク】襲撃のせいでフェリネスとちゃんとした話し合いができず、真っ向から対立する形となってしまった。
しかしあの状況下ではシエルたちの選択肢は一つしかなかったのも事実だ。「あれはしょうがねぇよ」とリッツも相槌を打ってくれた。
「…………」
二人の言葉にリケアの反応はなかった。彼女は無意識に胸に手をあて神殿を見つめている。
「おいリケア?大丈夫か?」
「……え?う、うん。大丈夫。気にしないでよ二人とも。結局あのままユグリシアを渡してたら何されるか分かんなかったし……。あのバカ兄は【ラグナロク】とケンカでもして頭冷やしたらいいんだよ。」
「リケア……。」
小さな声で呟いたリケアは、再び草原の中を歩き出す。その時にシエルが見た彼女の横顔は、怒りとも悲しみともつかない複雑なものだった。
初めて見せるリケアの表情に、シエルはそれ以上言葉が出せなかった。
「……しっかし、なんだってあんなヤベーヤツらに狙われてんだ?お前何かやったのかよ?」
「……さっき、街でぶつかっちゃった。」
「それだけで!?んなワケねぇだろ!?」
リケアに続いて歩くリッツが疑る声を出したが、ユグリシアは「それ以外に心当たりがない」と首を横に振るだけだった。
「はぁ~。結局コイツが何者とか家がどことか、肝心なコトは分からず終いだ。これからどうするよ?」
「うーん。そうだな……」
振り出しに戻ったシエルは歩きながら考え込む。四人の間で重い沈黙が続いた。
「……あぶない……!」
沈黙を破ったのはユグリシアだった。彼女の鋭く発せられた声に、シエルたちは足を止める。
キュイィーン!
すると前方の空から黒い閃光が凄まじい速さで飛んできた。シエルたちはかろうじてそれを避ける。黒い閃光は地面に刺さり鋭く深い穴をあけた。
「な、なんだ!?」
「……あれぇ?どっか行くの?ボクも連れてってよー!」
黒い閃光が飛んできた方向、その上空には屈託のない笑顔のファルイーヴァが空中で足を組んで座っていた。
「なーんてね!ニャハハハ!」
「げっ!【ラグナロク】!?」
一変して歪な顔で嗤うファルイーヴァ。早すぎる追手にシエルたちも動揺を隠せなかった。
「み、みんな!大丈夫か!?」
「う、うん……。」
「……へーき。」
とりあえず全員の無事を確認できたが、シエルとリケアは無自覚に足が震えていた。ファルイーヴァの恐ろしい殺気に当てられ体が萎縮してしまっている。
「……そう簡単には逃がしてくれねぇか![フレイムガウンド!]」
そんな中、リッツがシエルたちの前に出て呪文を唱えた。彼の手から炎の球が飛び出しファルイーヴァに向かっていったが、彼女に当たる直前で爆発し消えてしまう。
「リッツ!?」
「チッ!やっぱ効きゃしねぇ!お前ら!俺が引き付けとくからユグリシア連れて早く逃げろ!!」
「何言ってんの!?ダメだよリッツ!!」
「るせぇ!!いいから早く行けって!!」
シエルとリケアの制止を遮るようにリッツは大声を張り上げる。そうでもしなければ彼もファルイーヴァの殺気に圧倒され動けなくなってしまうからだ。
どうにかこの場をやり過ごす手立てを模索するリッツだったが、その考え自体が甘かった。
「……誰オマエ?邪魔なんだけど。」
今の彼女にとって、遊びの邪魔をされるのが何より腹立たしかった。ファルイーヴァの顔から笑みが消え、目の奥が黒く淀んでいる。
(……なんだコイツ……!?マジで……ヤベェ……)
それは魔法でも何でもない。殺気のこもった目で睨まれただけ。それだけでリッツの思考は途切れてしまった。
「リッツーーー!!!」
シエルの叫び声もむなしく、意識を失い立ち尽くすリッツ。彼の目の前には、ファルイーヴァが指先から放った黒い閃光が迫っていた。
バチイィッ!
「…………んぇ?」
鋭い音に気づきヘンテコな声を出したのはリッツだった。意識が戻った彼が見たのはユグリシアの後ろ姿。
「……大丈夫?リッツ。」
「……あ、あぁ……。え?」
ユグリシアが半身だけ振り返る。その右手からは黒い蒸気が出ていた。
ほんの数秒だけだが、意識を失っていた間に状況が大きく変わっている。リッツは頭の整理が追い付かず狼狽するだけだった。
「ユ……ユグリシア……?」
「何あれ……。カッコいい……。」
唖然としているシエルとリケア。二人は信じられないような光景を目撃していた。
黒い閃光がリッツに当たる直前にユグリシアが瞬間移動したかのように突然現れ、右手で閃光を受け止め、弾き飛ばしたのだ。
「ニャハ!さっすがー!」
ユグリシアがこちらに来たことで、ファルイーヴァの機嫌もコロッと良くなっていた。
「お、おい!何する気だよ……!?」
「……あの子、わたしと遊びたいみたい。ちょっと待ってて。」
ユグリシアはゆっくりと歩き、ファルイーヴァに近づく。止めようとしたリッツだったが、二人の放つ恐ろしい程の魔力量と威圧感に、それ以上近づくことができなかった。
「やぁっと遊んでくれるのぉ?」
「……うん。でもシエルたちを傷つけちゃ、ダメだよ?」
「あんなのいらないから大丈夫だよー!あ、ボクはファルイーヴァ。キミは?」
「……ユグリシア。」
「そっか。じゃあユグリシア……」
ファルイーヴァがニコッと笑うと、座ったままの姿勢で突然フッと姿を消す。
「……仲良くしようね?」
次の瞬間、彼女はユグリシアの背後に回り込んでいた。
バチィッ!!
ファルイーヴァが魔力のこもった足で鋭く蹴りを入れる。ユグリシアはそれを振り向き様に片手で受け止めた。両者が触れた瞬間、火花が眩く散る。
「ん~!」
ファルイーヴァは拳も交えて立て続けに攻撃を仕掛ける。ユグリシアはそれを避ける、あるいは受け止めながら彼女の猛攻を全て涼しい顔で凌いでいく。
「うんうん!イイ感じ~!」
ユグリシアの実力を試しているのだろうか。攻撃を防がれているのにファルイーヴァはいたって上機嫌だ。
「……俺たち、夢でも見てるのかな?」
「……何なんだよこれ……。あのバケモンみてぇなヤツと張り合ってるぜ……。」
「信じられない……。ユグリシアってこんなに強かったんだ……。」
呆然と立ち尽くすシエルたちは、二人からかなり離れた場所まで下がらざるを得なかった。
一見するとファルイーヴァの攻撃はただ殴ったり蹴ったりとしているように見えるが、そんな単純なものではなかった。
彼女の手足には尋常ではない魔力量が集約されている。そのため、通常の何倍もスピードが上がっており、威力もそれに比例している。シエルたちが彼女の攻撃を食らえば、一撃で体が粉々にされるだろう。
「っあー!!楽しいぃ!!」
ファルイーヴァが攻撃する度に、凄まじい衝撃波が発せられていた。周囲の草木はなぎ倒され、地面も大きく揺れている。
よほど嬉しいのか、彼女は笑いながら攻撃のスピードを更に上げる。対するユグリシアも同じように加速させる。
二人の攻防はすでにシエルたちの目では追えなくなっていた。
「…………」
その最中、ユグリシアは時折シエルたちをチラッと見ていた。彼らを気遣っているようにもみえるが、相変わらずの無表情で真意は分からない。
「……んー……?」
と、突然ファルイーヴァが攻撃を止めた。
「ねーねーユグリシア!ひとつ聞いていい?」
「……なに?」
明るい声でそう尋ねるファルイーヴァだったが、
「なんでちゃんと遊んでくれないの?」
今度は一変して声が低くなり、ドス黒く濁った目でユグリシアを睨む。
「さっきからよそ見してるよね?ボクと遊んでるのに、どぉしてなのかなぁ?」
「…………」
リッツに向けたものとは比べ物にならない程の鋭い殺気をファルイーヴァが放つが、ユグリシアはは平然としている。
「あ~……。あーそっかそっか!気が散って遊べないんだねー!」
するとファルイーヴァが突然体を横にぐいんと傾けた。ユグリシアの背中越しにはシエルたちの姿が見える。
「ニヒヒー!ゴミはゴミ箱へー!」
ファルイーヴァは貼り付くような笑みを見せながら手から小さな黒い球を出し、ユグリシアに向かって思い切り球を蹴り込んだ。
「……!」
黒い球はユグリシアの目の前で破裂し、無数に分散した黒い閃光となって一斉にシエルたちへ飛んでいった。
「うわっ……!?」
不意を突かれた攻撃に、シエルたちは動く事ができない。ユグリシアも動きを鈍らされ助けが間に合わない。
バキイィン!
閃光がシエルたちに当たるかと思われた次の瞬間、彼らの前に光の壁が出現し、鋭い音とともに数発の閃光を弾いた。
「……フェリ兄!?」
[ディアン・ヴェル・ルッジェ]
窮地を救ったのはフェリネスだった。彼はシエルたちの前にフッと姿を現し、素早く呪文を唱える。すると光の壁が幕に変化し周囲を覆う。残りの閃光も全てその光の幕に弾き返され地面に落ちていった。
「……良かった。間に合ったか……!」
シエルたち全員の無事を確認したフェリネスは安堵の表情を見せた。
「フェリ兄……。あ、ありがと……。」
「……いや。かまわんさ。お前たちが無事でなによりだ。」
フェリネスに対して滅多に礼を言わないリケアは、恥ずかしそうに小声で呟く。いつもならそんな言葉を聞けば卒倒するはずのフェリネスだが、この時は短く答えるだけですぐにファルイーヴァとユグリシアに目を移した。
「……ねえ。シエルたちは傷つけちゃダメって、言ったよね?」
「ぶー!だあってゴミを気にしてちゃんと遊んでくれないじゃーん!」
「…………」
まるで子供のようにジタバタと喚くファルイーヴァ。それを見るユグリシアの表情がほんの少し変わっていた。例えるなら悪口を言われ怒った、という表情だろうか。
「……おょ?イイ目してるね。遊んでくれる気になった?」
「……いいよ。つきあってあげる。」
「ニャハハ!そうこなくっちゃ!」
両者は再び動き出す。二人の間の空気が張り詰め、地面が揺れている。
[フィルディットぉ……]
今度はファルイーヴァが呪文を唱えた。小さめの魔法陣が全部で四つ浮かび上がる。赤、青、緑、空色と色違いの魔法陣は彼女の前に横並びになる。
[……ブレイクショット!]
そして赤色の魔法陣を力強く殴ると、魔法陣から炎の弾丸が勢いよく発射された。弾丸は凄まじい速さでユグリシアに飛んでいくが、彼女は片手で、しかも素手で弾丸をはねのける。
「ニヒヒー!いっくよー!うりゃりゃりゃりゃー!!」
ファルイーヴァは腰を低く落とし、重い拳で四つの魔法陣を連続で叩き込む。青色は氷、緑色は土、空色は風と、それぞれの属性の弾丸が息をつく間もなく打ち放たれた。しかしこれらもユグリシアが両手で全て捌いていく。
「ニャッハハー!スゴいじゃん!それならぁ……」
ファルイーヴァがニヤッと笑うと、彼女の左右に白と黒の魔法陣が二つ追加される。それを見たユグリシアは空中へ飛び、距離を取った。
[バーストショットォ!]
拳の連打に加え、左右の魔法陣に強烈な蹴りを叩き込んだ。魔法陣から光と闇の大きめな弾が飛び出すとすぐに破裂し、複数の小さな弾丸に分かれてユグリシアを追いかけていく。これは追尾弾だ。
正面からは四色の直進弾、左右と背後からは二色の追尾弾が同時にユグリシアを襲い、色鮮やかな爆発を起こした。
「…………」
激しく立ち上る爆煙。その中からユグリシアが姿を現す。直撃を受けたはずだが、彼女は傷どころか服すら汚れていなかった。
「……こっちだよ。」
ユグリシアはファルイーヴァを誘うようにそのまま空を飛んでその場を離れていく。
「なになにー?鬼ごっこ?負っけないよぉ?」
ファルイーヴァも続けて後を追っていく。数秒後にかなり離れた場所から激しい衝突音が聞こえてきた。
「……予想通り壮絶な戦いをしているな。だが見たところどちらもまだ本気を出してはいないようだ……。」
「マジかよ!?もうありえねぇくらいの戦いしてるぜ!?」
「先程ユグリシアのあり得んようなステータスを見ただろう。このくらいは当然だ。それに対抗するファルイーヴァも化物じみているがな……」
(……やはり野放しにしておくには危険すぎる力だな……。だが【オーディン】だけでは抑えられそうにない。『法の番人』の出方次第だが、聖王都に協力を仰がねばならんか……。)
戦いを静観するフェリネスはユグリシアの強大な力を懸念していたが、それと同時にひとつの疑問も抱いていた。
(しかしなぜこの場を離れた……?リケアたちを庇っているのか……?)
素性がはっきりと判明していないためか、フェリネスにはユグリシアの行動が理解できずにいた。ここで判断を間違えれば取り返しのつかない事態になりかねない。
彼女は敵か否か──。
「ねえフェリ兄……。すごい汗だよ?大丈夫?」
「……え?」
深慮しているフェリネスを見たリケアが驚いた表情で話しかけてきた。リケアに言われるまで気づかなかったが、フェリネスが体を確認すると全身から大量の汗が出ていた。
「……これは……!?」
「……うっ……!?」
ドクン……!
するとリケアの胸の鼓動が再び聞こえた。先程よりも大きく鳴っている。
「な……なにこれ……?体の震えが……止まらない……」
「おいおい!そう言うお前だって顔面真っ青じゃねぇかよ!?」
「リケアどうかしたの!?」
フェリネスに続きリケアも体に異変が起こる。よろめく彼女をシエルとリッツが慌てて支えた。彼ら二人の体は何ともないようだ。
「……ま、まさか……!?」
何かに気づいたフェリネスは神殿の方に向かい耳に手をあてる。
「……フェリ兄……?」
「……ナッキたちと魔法通信が繋がらない!何かあったか……!」
「……!!」
ドクン!
その言葉を聞いた瞬間、リケアは二人の手を払いのけ、弾かれたように猛然と神殿へと走り出した。しかしすぐにフェリネスに腕を掴まれ止められてしまう。
「待てリケア!行っては駄目だ!」
「どうして!?みんなが危ないんだよ!?」
「いいか、落ち着いて聞くんだリケア。レグノは危険な男だ。お前が行っても殺されるだけだぞ。」
「だったらフェリ兄が行ってあげてよ!早く!!」
振り返り叫ぶリケアは大粒の涙を流していた。掴んだ彼女の手からは悲しみと怒りが混ざったような震えが伝わってくる。それを感じたフェリネスは複雑な表情をしていた。
「……ガルフィドが国の軍隊と聖王都にも連絡をとっているはずだ。ナッキたちは彼らに任せる。」
その言葉を聞いたリケアはもう片方の手で胸をギュッと押さえ込んだ。
「それに私はここを離れる訳にはいかないんだ。ユグリシアを逃がすことになってしまえば……」
バチンッ!
掴まれた手を振りほどき、リケアが怒りの表情でフェリネスの頬をおもいっきりひっぱたく。乾いた音が辺りに響いた。
「……リ……」
「まだそんな事言ってるの!?あの時と何も変わってないじゃない!フェリ兄は家族のこと何とも思ってないの!?」
「なっ……!!私が家族を思ってないだだと!?そんな訳ないだろう!!私は……」
フェリネスも思わず感情的になり声を荒げる。
二人が掴み合いになったその時、遠くから爆発音が聞こえた。
「あ、あれ見て!」
「おいマジかよ!あれってまさか……!?」
シエルとリッツが爆発音がした方向を指さす。そこにはカルプシス大神殿があり、数ヵ所から黒い煙が立ち上っていた。
「!!?」
不安が確信へと変わる。魔法書庫がある場所が一番激しく燃えていた。それを見たフェリネスとリケアは血の気が引く思いで絶句している。
「ニャハハハ!オモシロくなってきたねえぇ!?」
「……!」
激しい戦いを繰り広げていたファルイーヴァとユグリシアも神殿に火の手が上がっているのが見えた。何が起こったのかすぐに把握したファルイーヴァは楽しそうに嗤う。
ドクン!ドクン!
《ナッキ姉……ミオ姉……トール兄……!》
《あらリケア。嬉しそうな顔してどうしたの?》
《父さんと母さんに誕生日プレゼントもらったんだって!》
《良かったじゃねェか。ニヤけてねェで早く見せてくれよ?》
胸の鼓動が高鳴るとともに、きょうだいたちの笑顔がリケアの脳裏に浮かぶ。
「……っ!!」
「よせ!リケア!!」
リケアはフェリネスを突き飛ばして走り出す。体勢が崩れたフェリネスはリケアを離してしまい慌てて後を追う。
「……リケア……!」
ユグリシアもリケアが走り出したのを見て追いかけようとした。しかし次の瞬間、彼女の視界に黒い影が写り込むと同時に体に衝撃を受ける。
「……うっ……!」
ファルイーヴァがユグリシアの前に回り込み、蹴りを繰り出していたのだ。その蹴りは今までよりも段違いに速く重かった。
ユグリシアはかろうじて腕で防御したが、強い衝撃で吹き飛ばされファルイーヴァと距離をあけられてしまう。
「……はぁ~あ~。まーたよそ見してんじゃーん。そんなにゴミが気になる?」
低い声で呟くファルイーヴァからは笑みが消えていた。黒く淀む瞳には走るリケアの姿を捉えている。
〝夜を唄え 闇を嗤え 血に染まれ 緋く爆ぜろ そして狂い咲け〟
ファルイーヴァは黒い光に包まれた左手を下にかざし呪文を唱えた。するとシエルたちを囲むように、赤と黒が重なった大きな円が瞬時に地面に描かれる。その範囲はリケアまで届いていた。
「邪魔だからみんな消えろよ。」
「……だめ!」
[ヴァンスタード・クレイジーナイト]
大きな円の正体は魔法陣だった。ファルイーヴァが左手を高く突き上げると、円の中に紋様が描かれ巨大な魔法陣が発動する。
赤と黒の光が強烈に発せられた直後、描かれた魔法陣の範囲全てが大爆発を起こした。
「うわあぁーーー!!!」
ユグリシアが止めに入ろうとしたが間に合わなかった。赤と黒に織り混ざった火柱は空高く燃え盛り、辺り一面が業火に包まれる。
「ニャッハハハハハハ!」
その光景を空から見下ろすファルイーヴァは狂おしく嗤っていた────。
灼熱の炎が周囲を舞う中、気を失っていたリケアが目を覚ます。
一体何が起こったのか全く分からない。凄まじい衝撃に襲われた後の記憶がなく、気が付けば辺りは炎に包まれていた。
しかし熱い感覚ではなく、何か別の温もりを感じる。懐かしさが伝わってくる温もり。
「……うっ……。フェリ兄……?」
「気が付いたか。無事で良かった。」
フェリネスの声が耳元で聞こえる。彼はリケアを抱きかかえており、安堵の笑みを見せた。
リケアが周りを見渡すと、狭い範囲に結界が張られており、その中の少し離れた場所にシエルとリッツが倒れていた。
「安心しろ。彼らも無事だ……。」
「な、何が起こったの?」
「ファルイーヴァの攻撃魔法を受けたんだ。強力な結界を張り直したが……なんとか間に合った……な……」
「フェリ兄!?」
下にリケアを降ろした直後にフェリネスがその場に倒れ込んだ。彼の体に触れたリケアは自分の手が血に濡れていることに気づき小さく悲鳴をあげる。フェリネスは身を呈してリケアたちを庇い、脇腹と背中に傷を負ってしまったのだ。
「フェリ兄!!」
ドクン!!ドクン!!
《……フェリ兄……》
《心配するなリケア。何があってもお前は私が護る。だから……もう泣くな。》
リケアの胸の鼓動が大きく、早くなる。これが悪い夢を見ているだけだとリケアは願うが、脈打つ鼓動がそれを否定している。
「私は……大丈夫だ……!気を……静めるんだ……リケア!」
「……うぅっ!」
リケアは苦しそうに胸は押さえる。フェリネスの言葉はもはや聞こえていない。
ガシャーン!!
すると突然結界が音をたてて割れた。ファルイーヴァがリケアの目の前に現れ、腹部に蹴りを入れる。
「がはっ!!」
「リケア!?」
リケアは血を吐きながら激しく吹き飛ばされてしまった。フェリネスはリケアを助けようとしたが、傷のせいで体の自由が利かない。
「貴様っ……!!」
「黙れよ。ボクの邪魔するオマエらが悪いんじゃん。さすがにアッタマきたよ。」
機嫌を損ねたファルイーヴァは怒りの表情で倒れているリケアに近づく。
「せっかく楽しく遊んでたのにさー。シラケさせるのやめてよねー。」
「……うぐっ!」
そしてリケアの髪を掴んで体を起こす。
結界が割られたことで、炎の熱気が入り込みリケアを襲う。加えて腹部を蹴られた時に骨が数ヵ所折れたようで、リケアの表情が苦痛に歪む。
「……おょ?なんだコレ?どっかで見たような……。」
ふとファルイーヴァがリケアの胸元に何かを見つける。彼女の首にはペンダントがかかっており、先端に丸く加工された宝石が付いていた。
ファルイーヴァは淡い光を放つ宝石を手に取り中を覗く。
「や、やめろ!!それに触れるな!!」
「んー?うーるさーいよーっと。」
フェリネスの必死な叫びもむなしく、ファルイーヴァは鼻歌交じりにペンダントの紐を引きちぎった。
「……!!?」
ドグン!!!
《お父さん……!お母さん……!》
《リケア!誕生日おめでとう!》
《おめでとうリケア。ほら、お誕生日プレゼントよ。綺麗なペンダントでしょ?》
胸の鼓動が激しく鳴った。
「……ほいっと。……おぉー?」
ファルイーヴァはペンダントの丸い宝石を片手で割る。中には小粒な水晶の欠片が入っており、それが淡い光を放っていた。
「あー!やっぱそうだ!これヴェルーン晶石の欠片じゃーん!」
歓喜の声をあげるファルイーヴァはリケアを無造作に投げ捨てた。
「やめろぉ!!くそっ!!リケアー!!」
「フェリ……兄……」
よろめきながら立ち上がるリケア。虚ろな表情の頬に涙が伝う。兄を呼ぶ彼女の心の中で、何かが割れる音が聞こえた。
「……あ……あぁ……!」
《フェリ兄のウソつき!もう大キライ!》
《リケア!》
《私が……私のせいで……!》
激しい虚無感がリケアを包み込む。心が傷つき、涙に濡れる。
「いやだ……!こんなのいやだよ……」
《……助けて……フェリ兄……》
「うああぁぁぁ!!!」
両手で胸を押さえ、リケアは叫ぶ。すると彼女の体から黒い光が溢れだした────。
どうも。雫月です。
第16話目完成しました。お待たせしてすいません…。
あと2~3話で第一章完結と区切りたいと思っています。
ゆっくりペースではありますが、読んでいただければ嬉しい限りです。
ここまでご拝読ありがとうございます。
次回もお楽しみに。




