004:広がる荒野と灰色の
入弦はゆっくりと目を開いていた。だが眩い光によって、視界が真っ白になってしまっている。光に慣れるのに少し時間がかかってしまっていた。
強い風が入弦の全身を撫でる。僅かに砂埃の混じった風は、入弦の肌を容赦なく痛めつけていく。
まだ転移してきた肉体に精神が馴染んでいないからか、視界がぼやけてしまう。目の前に広がっている世界の色しか認識できない中、入弦は徐々にその世界を目に捉えつつあった。
まず目に入ったのは、灰色の空。その中にある眩い光を放つ太陽。どうやら雲が周辺を覆っているというわけではなく、この世界の空は灰色であるのがデフォルトのようだと、さっそく入弦の世界との違いを見せつけながら、それでも入弦は何とか冷静さを保っていた。
この程度は予想できていたことだと、この程度は許容範囲内だと、そう思いながら視線を空から大地へと移す。
そこにどんな街があるのか、どんな風景があるのか、どんな人がいるのか、それを確かめるために視線を向けた先には、岩肌がむき出しの荒野が広がっていた。
街どころか人影すら見えない荒野のど真ん中に自分がいるという事実に、入弦は白目をむいてしまっていた。
もしや、既にこの荒野に打ち捨てられた後だったのだろうかと嫌な予感とともに頭を抱えようとする。
その瞬間、ようやく自分の体の違和感に気付いた。
妙に筋骨隆々なのである。
自分の体はこんなにごつくなかったはず、腕も、そして足も、胴体も。そして今になってようやく、入弦は自分が来ている服装に目が向く。
下半身はジーンズのようなズボン。上半身はずいぶんとよれてしまっているTシャツに、これまたボロボロになっている革ジャンを着ていた。
靴は素材の不明なブーツのようなものを履いている。先端に鉄のカバーがついているのが特徴的だった。
何という格好なのだろうかと入弦はこの世界の自分がいったい何をしていたのかと疑問で仕方がなかった。
荒野のど真ん中でただ立っていたとは思えない。いったい何をしていたのだろうかと思考を巡らせた瞬間、背後から甲高い音が聞こえてくる。
「おい!いつまで待たせんだよ!」
不意に聞こえてきたガラの悪い声。いったい誰の声だと振り向くと、そこには大型のバイクにまたがった一人の男がいた。
その男は、何というか特徴の塊のような男だった。
頭部はピンク色のモヒカン、肩パットに入弦の着ているそれと同じような革ジャン、そしてズボンとブーツ。さらに言えば入弦の体と同じ、いやそれ以上に鍛え上げられ筋肉に覆われた肉体。
大型のバイクにまたがっているため、正確にはわからないが身長は二メートル程度あるのではないかというほどの巨躯。サングラスをかけ、こちらに対して不満そうな声を出しているあたり、自分の関係者なのではないかと入弦は疑問符を頭の中に一杯にしながら話を合わせることにした。
「わ、悪いな、今行く」
「ったくよぉ、小便にしたって長すぎだぜ。どんだけ膀胱にため込んでたんだ?」
「仕方ないだろ、で、出るもんは出るんだからよ」
どうやらこの世界の入弦はトイレが我慢できなくてタチションをしていたところだったのだろう。そしておそらくこのガラの悪い男は入弦の連れといったところか。歩み寄ると大男の向こう側に入弦のものと思われるバイクが置いてある。それ以外には周りに何もないところを見ると、どうやら二人でバイクに乗って移動している最中であるらしい。
「つっても、こんだけ広いところでタチションってのはなかなか風情あんじゃねえの。スカッとしたか?」
「まぁすっきりしはしたけどな。お前は平気……か……?」
入弦が自分のものと思われるバイクの近くに行くと、ちょうど大男はかけていたサングラスをハンカチで拭いているところだった。そしてその男の顔を見た。
特徴的なたれ目と、丸い鼻。筋骨隆々になり、顔つき、そしてモヒカンのせいでもわずかに変わっているがその人物の顔に、どこか見覚えがあった。
「あ?どうしたキョーちゃん、俺の顔になんかついてるか?」
「……………………………………お前吉野か!?」
吉野安則。入弦の腐れ縁であり友人であるその人物。入弦自身も筋骨隆々になっていたせいでわからなかったが、目の前にいる人物が友人の吉野であると知り、つい叫ばずにはいられなかった。
キョーちゃんなどと入弦を呼ぶのは過去二十年間で吉野だけだった。その事実に、入弦は確信をもって叫んでいた。叫んでしまっていた。
「なんだよ今更。あ!ひょっとしてあれか?髪型変わったの気付いたのかよ。まるで別人のように見えるってか?嬉しいこと言ってくれるじゃねえの。そうなんだよ、ちょっと短めにしてみたんだよ。いやぁやっぱりわかる奴はわかるんだな」
モヒカンの長さが変わったところで大して変わるわけがないだろうと、入弦は頭の中にある、自分の知る吉野と今目の前にいる吉野を見比べて、あまりの変化に意識を失いそうになっていた。
ビフォーアフターにしてもひどすぎる。いったいどんなことがあればあの吉野が、良くも悪くも平凡な吉野がここまでの変貌を遂げることができるのか。
ムキムキになってしまっている入弦自身も、一体何をどうしたらこんな風になるのか全く理解が追い付かない。
一体この世界は入弦の知る世界とどれほど異なる世界であるのか、入弦は眩暈をこらえながらなんとか自分のものと思われるバイクにまたがっていた。
まずは話をしながら情報を収集するほかない。そうしなければ何故この世界の自分が死ぬのかもわからないのだから。