019:侘び錆鰐
「カナドメ将軍、少しよいか?」
会議が終わった後、入弦を呼び止めたのは大きな体をした、先ほど会議にも参加していた将軍の一人だった。
二メートル半ばはあるほどの長身、そして分厚い筋肉に覆われた肉体。全身を包む爬虫類を思わせる外皮に、鰐のような頭部。それは先ほど将軍同士の小競り合いを止めた人物だった。
名前は入弦もあらかじめ調べてある。ガス・モーバー将軍。入弦と同じく帝国の将軍に名を連ねる人物でもあり、皇帝の腹心の一人ともいわれるほどの重鎮だ。
「これは……モーバー殿。どうかされましたか?」
「いや……先の会議について、少し思うところがあってな。貴殿の部下が調査しているという件についてだ」
先程議題に上げた調査の内容。反乱軍に関しての調査に加え、中立組織二つに関しても入弦の部下、吉野たちが調査をしているという件に関して思うところがあったのだろう。
鰐のような爬虫類然とした表情のせいで、その感情を読み取ることはできないが、その声音からして敵対的なものではないと思いたかった。
「私の部下から、少し気になる報告が上がっている。貴殿の部下が、少々越権行為に近い形での行動をしていると」
どうやら吉野たちはずいぶんと荒っぽく情報収集をしているようだった。だがここは入弦の対応は決まっている。吉野がそれを必要としたというのなら、それは必要なことなのだ。
「貴殿の名前を出すようなこともあったという。まだ現場での摩擦程度に収まっているが、これが続けば、貴殿の立場もさらに悪くするだろう。部下の暴走ということであれば、自制させるべきだ」
てっきり警告に近いものかとも思ったのだが、どうやらこのモーバー将軍は、入弦の立場を気にしているようだった。
若くして将軍になり、数多くの武勲を上げる年下の同僚。彼がどのようにこの世界の入弦を見ているのかは不明だが、少なくとも気にかけてくれているのは事実なのだろう。あの会議の場でそれを出せば、入弦の立場を悪くすることもできたはずだ。
だがそれをしなかったということは、最低限入弦の立場を気にしてくれているのだろう。
あるいはそんなふりをして入弦を牽制したいのかもしれない。爬虫類の顔色を窺ったことはないため、入弦はどう判断したものか迷ってしまうが、すでに返答は決めていた。
「モーバー将軍、その部下の動きは私が指示しました。貴方にご迷惑をかけたことは申し訳なく思いますが、全ては私の指示によるもの。部下に非はありません」
正面を向いて堂々とそう言い切った入弦に、モーバーはやや驚いている様子だった。そして目を細める。
「言葉には気を付けるのだ。それは、何かあった時貴殿の立場を」
「構いません。帝国が勝利するために必要なことと思って、私は部下を信頼して任せました。その部下か必要だと感じたことであれば、私もそれを支持します。帝国の勝利のためなら、私は手段を選びません」
「……繰り返しになるが、それでは貴殿が今以上に……」
この物言い。やはり入弦の立場を気にしてのものだろう。それを理由に牽制をしようとしたと、入弦は判断していた。
本当に心配しているかどうかなどわからない。ならばここは少し強めに出るしかないと、入弦は自分の立場をもう位置を思い返し、そして声に出す。
「何を躊躇うことがありましょう。帝国の勝利の為なら、私の立場程度どうということはありません。私は言いました。手段は選ばないと。それは私の身の進退も含まれます。完全な勝利を皇帝陛下にお届けする。そのためならこの身がどうなろうと構いません」
「……貴殿は……それほどまでに……」
爬虫類の顔色などわからなくとも、今目の前にいる大柄な鰐が狼狽しているのが入弦にもわかった。
だからこそ、ここは少し情に訴えることにした。
「ですから、もしこの行動をあまりにも問題と思われるのであれば、反乱軍との戦いが終わった後、貴方の名で私を公的に非難されるとよいでしょう。盤石な勝利のため、汚い手でも使ったなどの言う事柄は、皇帝陛下の勝利にはふさわしくない。いざという時は、私を切り捨てることもお考え下さい」
「……カナドメ殿……貴殿は……!」
鰐の表情に僅かな恐れさえも垣間見えた時、目の前にいるモーバー将軍は小さく息をついて入弦の肩に手を置く。
「わかった。貴殿がそこまでの覚悟を持って挑んでいるということを知らず……私の余計な老婆心を許してほしい」
申し訳なさそうな、それでいて嬉しそうな声に、入弦はモーバー将軍の目を見る。その目がいったい何を思っているのかはわからない。だが少なくともこの人物が入弦にどのような感情を抱いているのか、その一端が見え隠れしたような、そんな気がしていた。
「だが一つ、一つだけ教えてほしい。貴殿がそれほどまでに危惧する事態が起きようとしているということか?」
「……私もまだ確信には至っていません。ですが……私の予想がすべて最悪の形で的中していた場合、最悪、帝国は…………敗北するでしょう」
入弦の言葉にモーバー将軍の目が鋭くなる。それほどの事態であるのだと、彼は理解したようだった。
「そうか……そうか……委細承知した。では、私の方でも尽くすとしよう。カナドメ将軍、必要なものがあれば声をかけてくれ。可能な限り配慮しよう。部下にも、貴殿の部下が動いていたとしたら協力するように伝えておく」
「モーバー将軍。私のような若輩の意見を聞いていただき、ありがとうございます」
その言葉に、モーバーは小さく口を開いてからその口を閉じ、小さく息をついて入弦の背中を軽く叩く。それはまるで、祖父が孫にするような、体をいたわり、傷つけないようにするような、そんな気遣いを感じさせる触れ方だった。




