001:死の運命
「ほう、変わった運命をしておるな」
不意に聞こえてきたその声を、その耳は捉えていた。澄んだ、それでいてどこか妖艶さを醸し出す独特な女性の声だった。
何処からともなく聞こえてきたその声に、先ほどまで動いていた足をつい止めてしまう。
「どうしたキョーちゃん?」
一緒に歩いていたもう一人が足を止めたことで怪訝な顔をしながら声をかける。丸い鼻とたれ目が特徴的な男は、足を止めている、キョーちゃんと呼ばれるもう一人の方に目を向けた。
呼ばれた当の本人は周囲を見渡しながらこれまた怪訝な表情をしていた。
「あ……いや、今なんか女の人の声聞こえなかったか?」
「女?いなくね?お前モテなさすぎてとうとう幻聴が……」
「違うって、マジで聞こえたんだって。んんん?」
確かに聞こえたはずの女性の声。だが周りには声の主と思われるような女性はいなかった。
コンビニが目の前にある十字路。車が常に走り去り、歩道に人の姿は何人かいてもその中に偶然にも女性はいない。
サラリーマンらしき人や、中年男性などはいる。コンビニの中に女性らしき人物は見えるが、コンビニは道路の向こう側だ。声など聞こえるはずもない。
「おい吉野、実はお前の裏声だったんじゃないだろうな」
「裏声とかこれが限界だわ。あー……アー……ハハッ!ようこそ!ネズミーランドへ!今日もいっぱいゲホッ!無理!この声は無理!」
「いろいろやばいからそこまでにしておこう。っていうかお前は聞こえなかったのかよ」
「全然?だからキョーちゃんダメだぜ、いくらもてないからって彼女を妄想するのは。妄想は現実にはならないんだぞ?」
「うるせぇお前も似たようなもんだろうが」
「違いますぅ!俺は彼女いますぅ!ただちょっと引きこもりなだけですぅ!」
「画面の中でっていうんだろ。聞き飽きたわ。あー、彼女欲しい」
そんなことを話しながら再び歩き出し、信号の色を確認してから横断歩道を二人で歩く。
先に吉野と呼ばれた男が、その次にキョーちゃんと呼ばれた男が続く。
十メートルあるかないかの横断歩道、大した距離ではないその横断歩道。どこにでもあるような十字路に、けたたましい音が響く。
一体何か。多くの者が目を向けた瞬間、そこには激突した車が複数。そして、その衝撃で操作不能になった車が今まさに横断歩道に突っ込もうとしているところだった。
声を出す暇もなく、とっさに逃げる暇もなく、キョーちゃんと呼ばれた男は目を見開いてしまっていた。
操作不能になったその車の先には、自分がいると認識したその男は、一瞬が何秒にも延長されたような感覚に陥る。
これが走馬灯なのかと、このまま死ぬのかと、まだやりたいことがたくさんあったのにと、そんなことを延々と考えている中、ふと、疑問に思ってしまった。
周りから、音が消えている。
先程のけたたましい音も、衝撃によって生み出される破壊音も、誰かの声も、車が動く音も自分の鼓動さえも何も聞こえない。
一体どうなっているのか。見開いた眼は、その光景を捉えていた。
何もかもが、止まっている。
自分に迫る車、そしてその中にいる運転手の形相。周りにいる人々、空を飛ぶ鳥、自分の前を歩いていた友人、すべて、すべてが止まっていた。
時間そのものが止まってしまったかのように、すべての動きが止まっていた。
疑問符が頭の中を飛び交い、動揺が心を支配する中、それは目の前に現れた。
前を歩く友人の影から現れたその人物は、この止まった世界で唯一動き、自分のもとに歩み寄ってくる。その光景に、男は、恐怖していた。
「いやはや、すまんすまん。唐突にこんなことになるとは。本当に、随分と奇妙な運命をしているのだなお前は」
「あんた……一体……っ!?」
いつの間にか自分の体が、自分の口が動いていることに気付き驚愕してしまう。そんな中でも、目の前にいる人物は平然としていた。
その声を、先ほど聞いた気がした。先ほど、ついさっき聞いた女性の声だった。
「初めまして。名前を聞いてもよいか?」
「……京入弦……」
こんな時に、こんな状況に何を言っているのか。そんなことを思いながらも、停止した世界に取り残された青年、京入弦の口は素直に答えを吐き出していた。
聞きたいことはほかにもあるはずなのに、口にしなければいけないことはもっと別の問いで、疑問で、困惑のはずなのに、入弦の口は目の前の人物の望む答えを口にしていた。
その事実に驚き、そして戸惑いながら、入弦は目の前にいる人物、いや、少女に目を向けていた。
赤い髪、金色の目をした小柄な少女だ。入弦の身長が約百七十センチ程度に対し、この少女は胸もないような背丈だ。百三十センチあるかも怪しい。体も細く、肌も病的なまでに白い。顔立ちは整っていて、笑みを浮かべるその姿は妖艶とさえ思えてしまう。
だが、その笑みに大きな威圧感を覚えてしまうのもまた事実だった。
「カナドメ……イヅル……目の前のこいつは、キョーちゃんと呼んでいたようだったが?」
「そ、れは……漢字の読みがキョウって読めるからだよ。昔からあいつは、俺をそう……呼ぶんだ。まぁ、あいつしかそんな呼び方する奴いないけど」
先程と同じように口が答えを吐き出していた。どういうことなのかもわからず動揺しているが、目の前の少女はまったく気にした様子もなく『そうかそうか』とつぶやいている。
入弦の前を歩く男は『吉野安則』入弦の幼稚園の頃からの付き合いで、小中高、大学まで一緒という、文字通りの腐れ縁だ。
丸い鼻とたれ目が特徴で、入弦よりもやや背が高い。
そんな人物しか呼ばないような仇名。こんな言葉も自分で言おうとしたわけではない。だというのに入弦の口はなぜか答えを吐き出していた。
「そうか、イヅル……この状況に戸惑っているようだな」
「そりゃ……だって俺は、あの車が……いや、そもそも前の吉野は?止まって……えっと」
あまりの事態に入弦は思考が追い付かず困ってしまっていた。
入弦の前にいる赤毛の少女は、そんな入弦の様子を見て笑っている。その様子に入弦はどうしたらいいのか判断できなくなっていた。
「状況は大まかながら理解している。だが心の整理が追い付いていないといったところか。まぁいい。本題に入ろう。カナドメイヅル。お前は、このままだと死ぬ」