3話「良心」
けたたましく鳴っていたスマホの着信履歴を見ると、やはり学校と両親からの着信が何件か来ている。
それぞれに今朝の旨を話し、今日は遅刻したいと伝える。
両方共に半信半疑ではあったが、何とか了承を得ることができた。
つい1、2時間前のことである。
自殺しようとした女は手を握られるとハッとした顔を俺に向け、その後無理に作った笑顔をした。
よろつく足取りでホームの階段を登ろうとするので放っても置けず、駅の外のタクシー乗り場まで肩を貸した。
止まっていたタクシーの前まで近づくために傘を開くと、女が恥ずかしそうな顔をして立ち止まった。
「……しかないです」
「え?」
「500円しかないです。すみません……」
想定外だった。
自分の財布を開いて見ると、200円とICカードしか入ってなかった。世知辛いなぁ、と思った。
どうやって帰るのかと聞くと、女は歩いて帰ると言った。
最寄駅でも1km以上離れている住宅街に住んでいるらしいのだが、いつも徒歩で駅まで来ているから大丈夫だと言う。
しかし、足取りや雰囲気を見るにとても心配だ。
スマホで時刻を確認する。あと1分でHRが始まってしまう。
既に遅刻は免れないので、女に自宅まで肩を貸します、と言った。
女は申し訳なさそうに頷く。
雨は止みそうにない。人生初の相合傘は、何とも奇妙な経験になった。
しばらくして、女の家に到達する。
女はひとしきりお礼を言った後、自己紹介をした。
「私、井上と言います。先程は、本当にお見苦しいところを見せてしまい、申し訳ございませんでした……」
「いえいえ、お気になさらず。僕は清水と言います」
「どんなお礼をしたらいいか……、その、連絡先を聞いておいていいですか?」
「あぁ、はい分かりました」
井上さん、と連絡先を交換した後、しばし沈黙が流れる。
彼女の境遇を想像する。見たところ、年は10代後半から20代前半といったところである。
新品同然のスーツに、くたびれた表情。
そして、自殺を覚悟するような環境……。
まだ社会を経験したことがない俺には想像に難いが、とても心労していることは理解できた。
「今日は本当にありがとうございました」
そう言うと、彼女は深々とお辞儀をする。
もし、就職したばかりで早々に出勤を拒否した場合、やはりクビになってしまうのだろうか。
このご時世である。
次の就職先を見つけるのも困難なのかもしれない。
「あの、すみません」
振り返り、自宅のドアを開けた彼女を呼び止める。
「もし何かあったら相談してください。何せ、自分暇ですから」
少し俯いた後、彼女はこちらに近づき、
「よろしければ今、話を聞いてもらってもよろしいですか?」
と言った。