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第九十七話:カルマ

「あれは、人間……なのか?」


 頬でも抓るような声で、カティアが呟いた。

 その第一声が問うのは、ディミトリアスかどうか、ということではない。それがヒトか否か、であった。

 だが、その疑問も尤もだと悠は思う。

 ディミトリアスの背には白い羽が、その背後には後光の様な光輪が、それぞれ存在していたのだから。

 なんとも悪趣味な冗談だ。宗教画から抜け出たような出で立ちにも関わらず、目は粘ついたタールのように黒く濁っている。歪んではいたディミトリアスだったが、悪人ではなかった。だが、この目はどうだ。これが善人のはずがない。


「もう、ヒトではないよ。ヒトの殻を脱ぎ捨てて、より高次な存在として生まれ変わったのが僕だ」


 何よりも、本人がそう言っている以上、それはもうヒトではないのだろう。どこか投げやりな思考で、悠は舌を打つ。

 新しい体の感覚を確かめるため、ディミトリアスは無表情で手を握ったり開いたりしている。

 先程までの戦闘態勢とは違い、明らかに隙だらけだ。……それでも、悠達は先程以上の驚異を感じていた。

 様子を見つつも、悠達は最大限の警戒を保ち、いつでも万全の動きができるように身を整える。

 やがて、確認が終わったのだろう。最後に強く握りしめた拳を開くと──ディミトリアスが、嗤った。


「……っ!」


 瞬間。シエルとディミトリアスの目が合う。

 その目が細められ、三日月の様に裂けた口に、怖気を感じる。

 それが、決定的だった。


「シエルッ!」


 突如として張り上げられた自分たちのリーダーの声に、シエルは人生で最大の力を振り絞って、体勢を敢えて崩すように利き腕の方向へと転がり込んだ。

 そのほんの一瞬を遅れて、ディミトリアス遥か彼方から飛来してきたディミトリアスの紅い爪が、今この瞬間までシエルがいた場所を引き裂いた。

 転がる勢いで立ち上がったシエルは、体の正面をディミトリアスへ向けたまま全力で後方へと跳ぶ。シエルは、反射的に悠の方へと跳ねていた。


「は……はーっ、はーっ……!」


 顔面蒼白で震えるシエルを、悠が抱きとめる。膝が笑っていて、今にも崩れ落ちそうだった。

 ……死んでいた! 今、ほんの一瞬悠の声が遅れたら、死んでいた! シエルは心中でそれだけを繰り返していた。


「……い、おい! 大丈夫か!?」

「え、え……傷は、ないわ……」


 悠に肩を叩かれて、ようやくシエルは自分を取り戻した。

 それほどの、脅威だったのだ。

 今もなお、シエルは何が起きたのかを理解していなかった。その程一瞬のことで、動くことが出来たのは悠の声と、運のおかげだ。

 だが声をかけた悠は、何が起きたのかを見ていた。

 数十メートル離れた位置にいたディミトリアスが、飛びかかってきたのだ。ほんの一回、地面を蹴っただけで。

 見ていたからこそ、悠はシエルが感じる恐怖の種類を、詳しく理解していた。

 即ち、野生動物に出会った時のそれだ。それも、絶対的な捕食者としての。


「化物、だな」


 苦々しく呟くカティア。

 ディミトリアスはさも嬉しそうに嗤った。


「心外だな。この姿を考えれば、もう少し他に呼び方があるんじゃあないのか?」


 言外に、主張していた。

 自分は神になったのだ、と。

 なんと醜悪なことだろう。カティアは顔を顰める。

 確かに、その姿だけを見れば、神々しく見えるかもしれない。だがその目を見た時、同じ感想を持ち続ける事ができる者はいないだろう。……皮肉なことに、ディミトリアスからは見えないのだ。信念の光を失って濁った、自身の瞳の汚らしさが。

 歪んだ理想に取り憑かれつつも、迷いながらも、人の未来を願って行動していた先程までとは明らかに違う何か。

 今のアレに嫌悪感を感じるのは、そのせいなのだろう。震えながらも自らの力で立つシエルを立たせて、悠は一歩前に歩み出る。

 手で指示を出されたシエルが、悠の意図を組み後方へと下がった。


「勇敢だな、ユウ。僕の力を前にして、まだ前へと足を踏み出すことが出来るなんて」


 悠のその行動に、先へと進む人の意思を感じて、ディミトリアスは自分の心が喜びに満ちていくのを感じた。


「僕の……僕の、ね。確かに、そうだろうな。それがお前の本当の力なんだろうさ」


 ──だが悠がそう言うと、ディミトリアスは無意識に唇を引きつらせるほどに、不愉快だと感じた。

 悠の言葉に、皮肉はない。本心からこの力をディミトリアス本人のものだと認識しているのが窺えた。

 ……その目を見なければ、ディミトリアス本人のものと『認められた』と思ったろう。


「『スキル』は先天的に得ていたものと、後天的に目覚めたものとが存在するって言ってたよな。なんとなくだけど、わかった。お前のは後天的に目覚めた方だろ?」

「……ああ、そうだよ」


 何気ない質問に、投げやりに返した。

 その筈だったのに、知らずディミトリアスは言いようのない苛立ちを感じていた。

 悠がくすりと鼻を鳴らすと、その感情は実感できるほどに膨らんでいく。


「やっぱりな。……見えてきたよ。『全知の実』じゃない、お前本来の『スキル』がどういうものか、どうやって目覚めたものか」


 構えた刀が、小気味良い音を立てる。

 その様を見て、ディミトリアスは垂直に飛び上がった。

 『スキル』の分析をされたその事自体が、非常に危うく感じて。


「黙れッ!」


 たった一蹴りで数十メートル上空まで到達したディミトリアスが、滑空するように悠へと向かう。

 その時、既に悠は行動を開始していた。自分が狙われるという事を理解していたからだ。


「ユウッ!」


 凄まじい速度で飛来するその狂気に、案ずる声を上げられたのはカティアだけだった。

 落下よりもなお速い滑空。強烈な怒りと共に生み出されたエネルギーは、しかし単純な軌道をしている。

 ディミトリアスの狙いは悠から逸れて、今悠が立っていた大地に、交差する二掛ける五本の爪痕を走らせた。

 その速度は、爪痕の深さは、今まで見てきたどんな生物よりも速く鋭い。

 だが悠はかえって滑稽だとでも言う様に鼻を鳴らして、ディミトリアスをより深い怒りへと導いた。


「何がおかしいッ!」


 滑空の勢いのまま、滑るように着地したディミトリアスが地を駆け悠へ迫る。

 振りかぶられ、振り下ろされる爪の鋭さは、人間のそれとは違う強力な武器だった。

 いや、これほどの武器を持つ獣は、魔物にさえそうはいまい。

 するとやっぱり。悠は、自分の推測に手応えを感じた。

 紅刀を寝かせるように構え、盾とする。ディミトリアスの爪を受け、悲鳴を上げるも折れぬ刀に感謝した。

 紅刀はその使いやすさから携行する機会が多く、悠にとっては仲間とはまた違う、相棒とでも言うべき武器だ。だが、これほどの攻撃はそう何度も耐えられないだろう。防がれた方とは逆の左手を振りかぶるディミトリアス。悠は、その腹部を風の篭手で殴りつけた。

 爆発するような風が一気に膨らんで、ディミトリアスの体を吹き飛ばす。

 ……予想通りの結果だったが、あまりダメージはないようだ。『硬い』と、そう感じていた。

 未だ痺れる手を二三振って、悠は紅刀を構え直す。

 そして、得た確信を語り始めた。


「その力、『業』だったっけ。それは望む通りの力を得る能力、だろ? 『全知』で知る限りの魔物の肉体の、欲する部分の力を得る『スキル』だ」


 悠の推測、いや確信を得た解答に、ディミトリアスは怒りを隠さず犬歯をむき出しにして表情を歪めた。

 それを知られたからとて、戦局が不利になるわけではない。むしろ、自分で語るつもりでさえあった。

 にも関わらずディミトリアスが激しい怒りを覚えているのは、悠の表情だった。

 悠は、微笑んでいた。それが、ディミトリアスにとっては嗤っているように見えたのだ。


「黙れよォッ!」


 赤黒く濁った瞳をぐちゃぐちゃに歪めながら、ディミトリアスは再び悠へと駆ける。

 行動を見れば、悠の推測があたっているかなど、一目瞭然だった。

 故に、クララ達は解せなかった。知る限りの魔物の身体と同じ力を得る能力。全知とまで言われるほど膨大な知識を持っている彼にとって、それは言い換えれば生態系の頂点に立つ力と同義だ。知られたところで、怒る必要も取り乱す要素もない。

 ならば、何故ディミトリアスが怒っているのだろう?

 激しい金属音を響かせながら打ち合う悠達を遠巻きに見つめるクララ達──その理由にいち早く気がついたのは、アリシアだった。


「こうてんてきのうりょくしゃ……まさか」


 引っかかったのは、最初にディミトリアスが怒りを見せた悠の言葉だ。

 そのふとした呟きに、魔物の聴力を持ったディミトリアスが反応する。アリシアの呟きが、的確に精神をえぐる物だったからだ。

 悠をそっちのけに跳躍するディミトリアス。滑空が来る。とっさに刃を向けられた、アリシアの背筋が冷える。


「させるかって!」


 だが、跳躍で追いすがった悠が、ディミトリアスを引き止めた。

 二人はもみくちゃになりなりながら地面へ激突する。すったもんだの末、ディミトリアスが悠を思い切り蹴飛ばした。

 硬質化で耐えながらも、確かな痛みが腹部に鈍く響く。

 それでも、悠は言葉を止めなかった。


「馬鹿にしてるんじゃないぜ。……お前にも人間らしいところがあるんじゃないかって、ちょっとおもしろくなっただけだ」

「黙れって言ってるんだよ! それ以上その口を開くな!」


 どうやら、その言葉はディミトリアスにとってよほど聞きたくない言葉らしい。

 ……いいや、違う。ディミトリアスという殻を捨てた『業』にとってと言い換えるべきだろう。


「後天的なスキルの発現には、ソイツの生き方が関わってるっていったな。ヒトの三大欲求を消す力は、本当に『欲』そのものが消えてなくなれば良いと思った末に目覚めたものか?」

「もう喋るなって言っているだろう!」


 魔物の剛力。ディミトリアスの腕が、筋肉により膨れ上がる。

 弓を引くような動作で行われた殴打を、悠は避けなかった。

 分厚い鉄板を殴ったような音が響く。『硬質化』の力だ。クララ達が思わず息を飲む。

 『硬質化』でもダメージを相殺しきれなかったのだろう、切れた口の端から紅い雫が垂れる。


「良い世界を作ろうとしたからこそ、人間ってやつがバカに見えたんだろ? 気づかないだけで、いいや、気づかないふりをしていただけで──」

「口を閉じろおおおおっ!」


 悠は、それでも続けた。

 金属音が、雨の日のように続く。悠は、口を閉じなかった。

 そして、言い放つ。


「あったんだろ? お前にも『支配欲』ってやつがさ。それが許せなかったんじゃないのか?」


 ディミトリアスにとって、決定的な言葉を。

 いつの間にか、ディミトリアスは動きを止めていた。代わりに自分の頭を両腕で抱え、悶ている。


「ウ、おおおおおおああああああッッ!」


 凄まじい頭痛が、ディミトリアスを襲っていた。

 頭蓋骨を中から引っかかれるような音として、液体になった脳みそに紅く灼けた鉄球を浮かべような熱として──卵を混ぜるような混沌として、千の苦痛が、『業』という存在を撹拌していく。


「ユウ……これは……?」


 少し離れたところから、クララが問いかけた。

 幾つかの問答で、突然悶え苦しみ始めた。そんな状況が、理解できるはずがない。

 しかしユウにはなんとなくわかっていた。直感以外に、判断材料は見つけられなかったが──


「さっき、アイツ自身が言ってたろ? ヒトという殻を脱ぎ捨てたって。じゃあその殻から出てきたものは何なんだろうな?」


 問いかける形で、疑問に答えていく。だが段階を踏まれたその一つ目では、何も理解が出来ない。

 ……続ける。


「ヒトじゃないディミトリアス。『中身』そのものとしてのディミトリアス。全知の実を食って、殆どの『領域』を知識とかに占領されて、殻を押し破って出てきた存在。全知の実の力の殆どがスキルの成長に使われたのなら、出てきたのは肥大化した『スキル』そのモノだ」


 ディミトリアス、ではない。ディミトリアスのスキルそのものが、目の前にいる異形の男の正体だと。悠は言う。


「全部推測なんだけど『ヒトのディミトリアス』の中に詰め込まれた『全知の実』の知識と魔力がディミトリアスの願うスキルの進化を実行した結果、狭い殻のなかで人格とか良心とか、必要なモンの場所を食いつぶして一つのスキルを完成させた。育ったスキルは殻に収まらないほど大きくなって、生まれ落ちた『実体化したスキル』なんじゃねーかな。……言い換えれば、ディミトリアスの人生とか思想そのものが力を持った存在だ」


 今もなお悶える『業』を憐れむように、悠は目を細めた。


「……」


 絶句するクララ達。だが、何故それが今ここでこうして苦しみにのたうち回っているのか、まだそれがわからなかった。

 疑問が湧くのは尤もだ。


「じゃあなんで『こう』なってるかって話だよな。それは多分、コイツがやっぱりディミトリアスでもあるからだ。……スキルの研究者だから、どういう条件で後天的にスキルが発生するかは、わかってた。そのヒトの思想や生き方が、スキルとして結実する、それが後天的な能力の目覚め方だ。じゃあ『欲』を操る『業』のスキルはどうやって生まれた? ……多分、ディミトリアスの思想から変異したものだ。それこそが『支配』。……それだと言い方が悪いから『管理』かな」


 一拍置くように言葉を切る。


「ディミトリアスは本当に争いの無い世界を願ってた。頭がいいから、その方法は幾つも考えついたんだと思う。けれど、争いは一向になくならない。なんで争いは無くならないんだろう? ……人間が、バカだからだ。自分が管理できるのなら、争いなんてすぐなくなるのに。……邪推すると、こんな所かな。最初に、その手段として欲を操る力が生まれたんだと思う。欲する力に目覚める形でな」


 けれど。


「力の強さは不十分だった。自分は完璧に制御下に置かれても、俺たちみたいに効かない奴がいる。能力として、強度が低かったんだ。……それがなぜかって言うと、多分本人自体がそのスキルを嫌っていたんだと思う。『支配欲』を醜いものとして、嫌っていたから。能力の完成に必要な1ピースが足りなかったんだ」


 悠の説明がそこまで進むと、クララ達も悠の言わんとすることがわかったようだった。

 ココにいる彼が、ディミトリアスのスキル──人生と思想の結晶だと言うのならば。最後の1ピースを与えられ、追い求めていたはずのスキルのカケラの正体に気がつけなかったのなら。それが、自分の何より嫌うものの一つだったなら。


「スキルのあり方自体が矛盾になって、ぶっ壊れる。自分で気が付かないフリして隠してたものがスキルの完成に必要なもので、完成した故に自分でそれに気がついてしまったら。……知らずに大苦手なものを食ったんだぞって知らされた時みたいに、吐き出しちまうんだろう。完成したからこそ生まれたスキルそのものが、また不完全になろうとしてるんだ。守ってくれる殻のない、外の世界で」


 完成したからこそ生まれることが出来た『人格を持ったスキル』。しかし、外の世界で自覚してしまったからこそ、今その存在が崩壊しようとしていた。


「ク、そおおぁ……僕は、僕はぁ!」


 憎悪を込めて悠を睨みつける。が、ディミトリアス自体が存在を否定する不完全な『彼』には最早鋭い爪も、疾き翼も、獣の剛力も存在しない。


「俺は決して、支配欲自体が悪いとは思わねえ。大なり小なり人間だったら持ってるもんだむしろ無いほうが世の中上手く回んないかもな? そういう欲持ってる奴らが、上に立ち続けて面倒な事をしてくれてるから、ラクできてる部分もあるんだ。……中には、美味い汁吸ってるだけのやつもいて、そういうのはやっぱムカつくけどさ」


 だから、悠は思う。それはディミトリアスへの侮辱になるのかも知れないが、彼を哀れなんだと思う。


「潔癖すぎたんだよな。だから自分の欲と上手く向き合っていくことが出来なかったんだ。だろう? 『ディミトリアス』」

「……!」


 顔を上げた『業』は憔悴しきった顔をしていた。

 それほど消耗していながらも、名を呼ばれた憎悪がにじみ出る。

 支配欲の獣『業』。ありとあらゆる生物を支配しうる『力』。自分の欲望から目をそらすことができなくなった彼の考えた答えは──『こんなのは僕ではない』。


「う……ぇあ、うあああああああッ!」


 さらなる崩壊が、『業』を、ディミトリアスを苛む。

 他の誰でもない彼自身が、最も考えてはならないことを考えてしまった。

 自分自身の生き方を、思想を否定する。それは、スキルそのものとなった彼にとっては、自らの存在を否定するも同じことだ。

 『業』の身体が、崩壊していく。

 末端から崩れ、塵とかしていくディミトリアスに、クララ達は戦慄していた。

 ただ一人、悠だけが苦虫を噛み潰した様な表情で、それを見つめていた。


「く、くく……まさかこんな結末が待っているとはね、お笑いだ」


 滝のような汗を流しながらも、『業』は絞り出すように言葉を紡いだ。

 究極の存在になれたと思ったのに、その実態は生卵の様に脆弱な存在だった。なんとも劣悪な喜劇だと、自嘲した。

 『全知の実』の容量を受け入れるために、ディミトリアスは不要なものを捧げていた。今ここにいる『業』という存在は、スキルを構成するために必要なもののみで構成された存在だ。

 だからこそ、彼にはスキルを構成する上で必要な『人格』が、その中の僅かな『良心』が含まれていた。それ故に、今彼はその人格自体に否定されて崩壊しつつある。

 だが。それでも、その良心はごく小さいものだ。

 今の『業』は、力を失いつつも強大な支配欲に支配された、ディミトリアスが否定していた自分の醜い部分そのものだ。


「おまえたちの……お前達のせいで、僕は何もなせずに消えていく……そんなのは、ゆ、許さないぞ……!」


 統べる者。それが彼の本質だ。だからこそ、今この場で何も出来ずに消えていくことが、彼自身には許せなかった。

 ……今や、スキルとしての成り立ちを否定された彼に『業』の力はない。

 それでも、彼には『全知の実』の魔力が残っていた。


「お、おおおおおおッ!」


 その魔力を全力で増幅させ、集める、集める、集める。

 悠は、その叫びに困惑を浮かべた。意図がわからなかったからだ。

 だが魔力の力に、クララがいち早く気がつく。


「……! 離れて! 自爆しようとしてる……! でも、これは……っ!」


 最後に『業』が選んだ手段。それは自爆することだった。

 自らを魔力の爆弾と化して、最後に爪痕を残す。聖人としてのディミトリアスが消え失せたからこそ選ぶことが出来る、最悪の『嫌がらせ』だ。


「だ、ダメ……! このままだと、私達だけじゃない……『ネーデ』そのものが、消えてなくなる……!」


 瞬時に、悠はクララを振り向いて、またディミトリアスへと向き直った。

 その顔には、笑みがある。ただただ邪悪で、未来を破壊するためだけの、ディミトリアスが最も無駄だと唾棄した悪徳のための悪徳があった。


「お、前……っ! そこまでするかよ!?」

「攻撃してっ! 力を溜め切られたら、全部が終わっちゃう……!」


 クララの叫びに、反射的に攻撃を加えたのはカティアだった。

 剛と迅を兼ね備えた剣──が、鐘を叩くような強烈な金属音が響く。


「く、くそ……あの盾の魔法か……!」

「ハハハ、無駄だよ! 君達の力では破れないのは、実証済みだろう!」


 血走った目、髪を乱しながらも、ディミトリアスは勝ち誇る。

 実際、このままでは先程の再現となるだろう。高速で修復される強固な盾を敗れる一撃は、悠達には無い。

 ──だったら、作るしか無い。


「クララ! 『オラクル』を頼む!」


 未だかつて存在しなかった、強力な一撃を。

 その盾の強固さと、訪れるであろう決定的な破滅に涙を浮かべていたクララ。

 悠の意志が、その涙を拭った。


「……うんっ!」


 対象を強化する古代魔法『オラクル』。それを持ってしても、悠があの盾を敗れるかどうかといえば──難しいだろう。

 だが、悠はきっと示してみせるだろう。

 今までもそうしてきたように、これからを。

 紅刀を納め、悠は転がり込むようにして置いていた荷物から新たな武器を手にとった。


「武器を変えたか? だが無駄だ……!」


 『業』の、盾への自信は崩れない。悠達の持てる力では、最早何をしても無駄だと考えていた。

 しかし違う。カティア達は、悠が自分たちの力を求める時、自分たちと悠の力が合わさった時に何が起こるかを知っている。


「──『光進(チャージ)』……!」


 手にとった武器──ディアルクの両刃剣を構え、その力の名を叫ぶ。

 悠の足に煌めきが宿り、刃の角が光を放ち始める。

 その力を見て、『業』はその程度かと嗤う。

 ……が。


「……!?」


 困惑。

 悠に漲る力が徐々にその輝きを増し、膨れ上がっていく。

 溜めるほどに増す力。それが『チャージ』と呼ばれ恐れられていたディアルクの力だ。

 しかしそれだけではない。


「お願い、悠……『オラクル』っ!」


 オラクル。力を与える祝福の光。

 ありったけを持ってクララはその名を唱え、自分の持てるすべての力を悠へと託した。

 悠の身体を包む光が、一層強くなる。

 その輝かしさは、思わず目を細めるほどだ。


「な……あ……」


 あまりの力に、そして何よりもその身体を包む光の激しさに。

 ……その神々しさに『業』は声を漏らした。

 穢れなき光を放ち、それ以上になお輝く様な瞳が。

 嫉妬よりも先に、思想として崇拝する神の姿を見た。


「全力、全開だ! いィくぞおぁああッ!」


 全てを絞り出すように、悠は叫んだ。

 蹴った地が爆発し、凄まじい速度はまさしく光そのもの。

 その破局的な威力を察して、『業』は自爆の為に蓄積した魔力の殆どを盾へと注ぎ込んだ。


「く、ぅああああ! ユウ、ユウゥッ!」


 身にまとうものではなく、複数枚の壁として、ディミトリアスは盾を展開した。


「突き抜けェェェっ!」


 それでも悠は構わずに、突き進んだ。

 光の力が噴射され、さらなる加速を得た悠が、ガラスの様に壁を突き破る。

 最早、何枚壁があろうと、悠は止まらないだろう。壁を突き破る力こそ、悠達の──人間の力だ。


「はああああッ!」


 ありったけの気合を込めて、悠は光と化した両刃剣を『業』の盾へと叩き込んだ。

 光の剣は盾へと突き立てられ、亀裂を走らせていく。


「お、のれ……おのれ! ユウ! 貴様ぁぁッ!」


 溢れ出た光は盾の中を満たし、そして──最後の一枚の『壁』を、突き破ってみせた。

 エネルギーそのものである光に身体を灼かれた『業』が、膝を突く。

 静けさが、場を支配した。

 一見、外傷はない。しかし『業』はわずかに呼吸で肩を上下させる以外に全く動かない、動くことが出来なかった。

 最早、爆発を起こす魔力は残っていない。

 悠達の、勝利であった。


「ユウ……! ユウーっ!」

「お、おお……!? わっ!」


 あふれる喜びのままに突き動かされたクララが、悠へと抱きついた。

 突き破った壁の破片でついた傷が痛む、が。悠もそんなことは気にせず、抱きしめたクララをの勢いを振り回すようにして弱め、落ち着ける。


「ふ、ふふ……これだけの事をしたあとに、無邪気なものだ……」


 クララを下がらせて、悠はディミトリアスと向き合った。

 もう、彼が──そう、ディミトリアスが無害になったと、知っていたからだ。


「まあ世界を救ったんだ……それくらい喜ぶのが、普通なのかも知れないね」

「どうだろな。爆発寸前の爆弾を止められたのは嬉しいけど、友達死なせかけてるんで結構複雑だぜ」

「ハハハ……盛り下げて悪いねえ」


 その顔からは、文字通りに毒気が抜けていた。

 『スキル』が崩壊した後に残ったもの。それはすり減ったディミトリアスだった。

 支配欲の顕現であったスキルが崩壊し、そして全知の実の魔力も使い果たして。後に残ったのは、目減りした人生と人格。消えていくだけの、残り香のようなものだった。

 戦いの終わりを察して、カティア達が近づいてくる。その表情は、押し並べて、色々な感情が混じり合った混沌だ。


「……もっと、うまいほうほうがたくさんあったでしょう」


 最初に声をかけたのは、アリシアだった。

 ディミトリアスをよく知っているからこその、言葉だった。

 主語が大きく、思い当たりが幾つもある質問だ。

 その中で、アリシアが最も聞きたい事をディミトリアスは知っていた。


「そうだなあ。まずは君達を『不帰の楽園』へ向かわせなければ、今僕はこうしてなかっただろうね」


 こくり、とアリシアが頷く。

 なら、なんで敢えて自分たちをこの地に送り出したのか。

 そうしなければ、きっとディミトリアスは恙無く、目的を達成していただろう。目覚める力も、あり方が変わっていただろう。より完全な力を手にしていれば、悠達だって止められたかわからない。

 それでも、敢えてディミトリアスはこのタイミングを選び、この地まで共に来た。

 アリシアにはそれがわからなかった。


「僕自身の手で君達と決別するのが試練、なんて言ったけど。本当のところは、自分自身の欲ってやつに気がついてたのかも知れない。……自分じゃ、僕は賢い、欲に左右されない完全な知性になるなんて思ってたけど──」


 顔を上げたディミトリアスが、悠に微笑みかける。


「僕もまた、人間臭い、普通の人間の一人だったんだろうねえ」


 穏やかで力のない笑み。それは、ディミトリアスの感謝だった。

 戦いの中で彼を『人間臭い』と評した悠への、醜い欲望を蔑まなかったことへの感謝だった。

 だから、本当は止めてほしかったのかも知れない。そう伝えることはなかったが、誰もがその意図を感じている。

 そんなディミトリアスの瞳が受け止めきれなくて、悠は目をそらす。

 ……そうして、目をそらした先には、とある輝きがあった。


「……もう、どうにもならないんですか? スキルは、きえさったのでしょう?」


 悠がふらりと姿を消したのには気づかずに、アリシアは問う。

 黒い部分も知っているし、許せない部分も多い。だけど彼の善い所も、自分自身の醜さに耐えることが出来ず悠達に決着を委ねるような、悪を許せない良さを知っているからアリシアは憎むことが出来なかった。


「無理だと思うなあ。実はこうやって喋ってるのも辛いんだ。ほら……腕とか、崩れてきちゃってるしさ……」


 それでも、手のひらから水が落ちるように、ディミトリアスの身体はこぼれていった。

 今やディミトリアスの身体は、すかすかだった。生き方とか人生とか、彼を構成する情報の殆どが抜け落ちていたからだ。

 人の身体を捨ててスキルという存在になったばかりに、身体をとどめておくことが出来ない。崩れていく身体を支える骨格が無いようなものだ。


「じごうじとく、ですね。……ばかなことをしたものです」

「耳が痛いなあ……」


 憎まれ口を叩きつつも、アリシアの声は力なく震えている。

 家族のいないアリシアにとっては、彼は兄のような──唯一味方と言える大人だったのだから。

 今は恋心までも寄せられる程信頼できる、かけがえのない仲間が、悠がいる。もう、寂しくはない。……それでも、兄を無くす悲しみは、代えがたいものだった。

 場に沈黙が流れる。

 『罰』を受けたディミトリアスに、クララは言えることがなかった。

 かつて主としていたものへ刃を向けたカティアは、自分自身で何かを言う資格はないと。

 これ以上何かを言っても追い打ちになるだけだと、シエルも何も言えずにいた。


「さて、どうだろう。意外と、無いでもないかもしれねーぞ?」


 そんな場で、場違いに明るい声が響いた。

 悠のものだ。


「いやしかしだね……? 待て、それは……!」


 その手には──金色に輝く、りんごのような果実が握られていた。

 ……ディミトリアスから視線を外した先にそれを見つけたのは、必然だったのかもしない。

 『食感センサー』の反応。まるでそれは『全知の実』自身が悠を呼ぶかのようだった。

 もしもこれが必然だとすれば──一筋の冷たい汗を流しつつも、不敵な笑みを浮かべて、悠は軽く上に投げた実をキャッチした。


「『全知の実』……! 何故それが君の手に!? いやそれよりもやめるんだ! その魔力と情報量は、知識を宿す準備をした『マオルの賢者』でなければ、受け入れられないぞ!」


 全知の実を使用したからこそ、その実の事を知っているディミトリアスが、叫ぶ。

 悠とて、ほぼアタリの推測を立てていた以上、その実の危険性はわかる。


「でもよ『全知』なんだろ? だったらお前を助けつつ、俺も大丈夫、みたいな方法もあるかもしれないしさ。ギリ生きててもこうして『全知の実』がここにあるわけだし、生きてる内に返還する方法とかあるんじゃん?」

「不確かがすぎる! 万が一でも! 君は、罪を犯したくだらない人間のために犠牲になっていい人間じゃないんだ!」


 実を持つ悠に、ディミトリアスは必死で声を張り上げた。

 その振動で身体が崩れるのも、気にしない。

 心の底から、悠を案じて言っている事を疑うものは、誰もいない。

 それはやはり『ディミトリアス』だった。悠にとって、ロマンを共有し会える友人の──


「あまり声を荒げなさるな。こうなっては、ユウは梃子でも動かんよ」

「カティア……!?」

「じっとしていてください。貴方がどうあれ、多分ユウは実を食べてしまうでしょうし」

「シエルくん……」


 カティアとシエルが、ディミトリアスへ釘を指す。

 どうせ、言ってもわからないと思ったからだ。友人の命を救おうとする悠が、無茶をするはずがない。


「だって、食べ物だもん。ね、ユウ」


 クララが、困ったように笑う。

 悠は頭をかいて、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「そりゃ、な? 大丈夫。コレは俺の直感が毒じゃないって言ってる。美味そうだって、さっきからうるさいくらいにな!」


 だが、そのとおりだ。

 友人を救えるかも知れない。そのついでに『知恵の実』とも呼ばれる伝説の木の実を味わうことが出来るかも知れないのだ。

 まるで欲するかのように実の旨さを説く『食』の力が求めるままに。

 悠は、輝く『知恵の実』へ豪快に齧り付いた。

 ──最初に感じたのは、ほとばしる果汁のみずみずしさ。

 りんごを強くしたような爽快な歯ごたえ、レモンよりも爽やかな香り、メロンよりも芳醇な甘さ。

 視覚、触覚、聴覚、嗅覚、そして味覚。あらゆる感覚という情報が、順番にやってきては身体を突き抜ける。

 そのすべての感覚が、情報なのだと、悠は味覚で感じた。

 そして──悠の周りが、闇に包まれていく。

 気がつけば──悠は、たった一人闇の中に立っていた。

 どこまでも続く闇。あるのは自分の姿だけで、地面に立つ感覚も、香りも音も、時間の感覚さえない闇の世界。

 だが悠は不思議と恐れなかった。なんとはなしに、その闇を身近なものの様に感じたからだ。

『肝が座っているな』

 やがて、そんな悠へ、闇の中から声がかけられる。

 老いた男性のようにも、若い女性のようにも聞こえる、声ではない『音』。

『その分だと察しがついているようだが、説明しよう。ここは君の中の心の中。そして我々は──実に蓄えられた、賢者の知恵』

 精神の回廊で、悠は大いなる存在と邂逅した。



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