第九十話:有り得ぬ邂逅
「なんでお前がここにいるんだッ!?」
反射的に、悠は叫んでいた。困惑のようで、驚愕のようで、しかし怒りを感じながら。
声に怒りを混ぜたのは、直感的に彼がこの騒動──いや、惨劇の原因だと感じ取ることができていたからだろう。
「なぜ僕がここにいるか、か。良い質問だねユウ。当然、意味もなくこの場に僕がいるのはおかしい。こんな状況でもわかっているみたいで、嬉しいよ」
だって、無関係の筈はない。
生きているかさえわからない、倒れ伏す人々の中にあって、柔和な笑顔を浮かべてただ一人立っている青年。
人の山の側に立って鼻歌でも歌いそうな上機嫌でいる青年は、気安く悠の名前を呼ぶ。
親愛を隠すことのない柔らかな声が自分の名を紡いで、悠は激昂した。
彼が、悠の名をそのように呼ぶことを、許される立場にあったからだ。
彼という存在が、この場においては異次元の異物感を放っていたから。直感的に、この騒動の原因が彼で間違いがないと知ってしまっていたから。
「ユウ! なにか見つけ──!?」
青年を睨みつける悠の背中を、いち早く追いついてきたカティアの声が叩く。
が、それは途中で断たれて、カティアもまた驚愕した。
「なんで、何故貴方がここに……!」
そしてその異物感を吐き出す。
貴方。そう、カティアはそう呼ぶだろう。
その青年の名は──
「答えろよディミトリアス! お前が、なんでここにいるんだ!」
悠にその名を呼ばれ、青年は──大司教ディミトリアス=ランドールは、柔和な笑みを更に深く、攻撃的なまでに歪めた。
「何故、か。君達が本当に聞きたいのは目的かな? どうして(動機)、あるいはどうやって(手段)の方が優先度は高いと思うけれど、何故、が先でいいのかな」
飽くまでもディミトリアスは悠達に敵としての態度を向けず、友としての接し方を続けるという意思表示のように、落ち着いて諭すように聞いた。
悠はぐ、と息を飲んだ。まるで、あの執務室のよう──ふと蘇った光景が首を絞めた。
遠回りの会話に、場の空気にそぐわない、調子の外れた問いかけに。悠の怒りは募る。
「なんでもいいからさっさと話せよッ! これは、これはお前がやったのか!?」
悠の怒声につられ、クララ達が遅れてやってくる。
クララ達もやはりディミトリアスの顔に驚いて、言葉を失った。
ディミトリアスはそんな悠達を見て、一つ息を漏らした。
どこかさみしげで、どこか愛おしそうな。夕暮れ色の混沌。
「じゃあ、その質問から答えようか。答えは『はい』だよユウ。これは、これらはすべて僕がやったことだ」
「──ッ!」
少しだけ語調をきつく結び直して、ディミトリアスは答える。
まるで死んでしまったかのように倒れたマオルの人々──その惨劇を引き起こしたのは自分だと。
敵意ではなく、敬意というべきか。普段の明るいディミトリアスを残しつつ、悠達が相手だから真面目に答えた。それがわかってしまって、悠は唇を噛む。
「……そうだね、順を追って説明しよう。まず『僕が何故ここにいるか』。当然、何の意味もなくここにいるわけじゃあない。僕は『知恵の実』と呼ばれるモノを求めて、ここまで来たんだ」
「知恵の実……?」
神妙に語るディミトリアスから感じるのは、やはりあの執務室の落ち着いた空気。
ディミトリアス本人の口からこれは自分の仕業だと語られて、この暗黒の空に暖かな日差しはありえないと知る悠は、頭を振るう。
困惑ながらにも聞き返したのは、カティアだった。
ゆっくりと頷いて、続ける。
「そう──地上においてはマオル族の文献のみに残る、木の実さ。それを食した者はこの世に存在する全ての知識を手に入れることができるという、伝説の食物。僕はそれを、ここまで探しに来た」
この世全ての知識を得られる、木の実。
ディミトリアスの語る伝説を反芻するように、心中で繰り返す。
ここがあの執務室ならばきっと悠はワクワクして顔を紅潮させていただろう。だが、かえってその存在が──この伝説の地にならば荒唐無稽な存在さえ存在しうるという現実感が、かえって体を凍りつかせる。
「……どうやって、ここまできたのですか。わたしたちは『アーク』でもあなたとは一回も、会わなかった」
質問を継いだのは、アリシア。
悠やカティアと比較しても、より強い憤怒がその表情に浮かんでいる。
「一回も会わなかったのは、単純に君たちとは反対の方向にいたからだね。どうやって、に関しては──簡単なこと、僕にもあるんだよ、『スキル』がね」
手段を問われたディミトリアスは、いたずらっ子のように微笑んで、そう答えた。
スキル。悠の『食』や、アリシアの『微睡』の様に。自分にもまた、技術として確立された魔法の力とは違う、世の理を外れた力があるのだと。
「僕の力は、ヒトの欲を操る力。食欲、睡眠欲、性欲。僕はそれらを、それらの必要性を消すことが出来るんだよ。だから僕には食事も睡眠も必要ない。性欲を我慢するのはまあ、普通の人間でも出来るだろうけどね。とにかくその力を使って、何もしないで過ごしたのさ。安全な場所でじっとしていれば、戦闘能力に欠ける僕でもそう難しいことじゃなかったよ」
そして語るその力は──生物としてのあり方を否定する力。
食事も要らず、睡眠も要らず、性欲の解消を求めることもない。
つまり、ディミトリアスはアークがここに到着するまでの三ヶ月あまりを、文字通りに『なにもしない』で、過ごしたというのだ。
大した娯楽もなく、食の喜びもない状態で、寝て誤魔化すことさえせずに。
あっけらかんというディミトリアスが、悠には信じられなかった。たった一人で、そんな状況にいたら、生きていく事ができても自分ならば気が狂ってしまう。
「名前をつけて呼んだことはないが、君達に話すときは便利だから──そうだな、『業』とでも呼ぼうかな。ヒトの業を消す力、という意味でね」
生きることを否定して生きる力を、カルマと。ディミトリアスは、自らの力をそう呼んだ。
どう反応したら良いのだろう。悠に限らず、この場に集まった立てる者は、皆そう思った。
「ああ、気になっているだろうからついでに説明すると、マオル族の人達の状態も僕の力によるものだよ。彼等は今、あらゆる欲求を失って生きる意欲をも否定しつつある状態だ。……僕の力も未熟なので、他者の食事や睡眠などの必要性を消すことはできないけどね」
だが一瞬で、現実に引き戻されるかのような思いが体を貫く。
食事や睡眠の必要性を残したままに、一切の、生きる欲求さえも消す。
それは、このまま倒れた人々が静かに死んでいくだけの存在になったということと、同意義だからだ。
「なんでっ……!」
膨らんだ感情が破裂するかのような痛みを叫びにしたのは、クララだ。
言い換えれば、倒れている人達は全員死ぬ。
ようやく会えたマオル族の人々が眼の前で死んでしまうなど、平静でいられるはずがない。
「それに関しては、悪いと思っているよ。けれど、こうでもしないと知恵の実の場所を知ることができなかったんだ。そして、今から彼等には僕が知恵の実を手にするまでの間の、安全の保証となってもらう。これはよりよい人間の世界のためだ、割り切ってほしい」
「割り切れる……ワケねーだろが。今すぐ力を解けよ。出来ないとは言わせねえ」
「もちろん出来るよ。だが、やらない。そうすれば、私の目的を達成するのを、彼等や君等が邪魔をするだろうからね」
「当たり前だろうがッ! こんなことするヤツに、そんな危ないモン渡すか!」
「君達はそう言うと思っていた。誓って、僕はより良い世界のために動いているが──それをわかってくれとは言わないよ」
「わかったようなクチ利きやがって……っ」
悠が怒る理由を肯定しながら、ディミトリアスは静かに頷く。
やはりそれは諭すようで、しかし自分の凶行を理解しているとでも言うような落ち着いた態度は、悠に怒りを覚えさせた。
のらりくらりと、というのではない。真摯に言葉を受け止めながらも、決意さえ感じさせる眼差しは、ディミトリアスが間違っているとわかっていてなお悠に行動の是非を考えさせる。
それでも、どんな目的があっても、罪がない人を犠牲にする意味は無いはずだ。
「……ご大層な話だけれど、そもそも間違えていないかしら。私達が、貴方をこのまま行かせると思う?」
「行かせるとも。というよりも、行かせざるをえない。『無欲』を治す方法を知っているのは僕だけだからね。このまま僕を行かせてくれれば、彼等を救う方法を教えるよ」
「教えていただけなくとも、それを吐かせる方法はいくらでもある。貴方はそれをよく知っているんじゃないか『ディミトリアス』」
ディミトリアスを囲むように移動したカティアとシエルが、睨みを効かせる──が、ディミトリアスは表情一つ崩さない。
「ああ、よく知っているとも。拷問は、殺してしまっては意味がないこともね。僕の口は硬いよ」
その言葉には、やはり余裕が見て取れる。
なんとなくではあるが、悠にはその言葉がハッタリだとも思えなかった。飲まず食わずで娯楽一つ求めず三ヶ月もの期間を過ごす男が、痛みで音を上げるとは──どこかしら壊れていないとも、思えなかった。
「だが、それも悪くはないと思ってるんだ。嘘は嫌いなので正直に話すが、現時点での僕は君達には勝てない。実力の差があるからか、他の要因か──君達には『業』の力が効かないようだからね。君達が僕を捕らえようというのなら、僕は抵抗ができないだろう。だが、僕も口は割らない。これでも苦痛に対しては結構強いっていう自信がある。……けれど、君達は僕を殺すことが出来る。この地の、マオル族の生き残りの殆どを犠牲にしてね」
煽るでもなく、ディミトリアスは飽くまでも提案の形で、述べる。
マオル族を犠牲にして──秤にかけられた対価の重さに、悠達は息を飲んだ。
暗に、握る情報を渡すつもりは絶対にないと言っているのだ。それが当たり前の様に言えるのは、やはりどこかが壊れているのだと悠は思う。
「君達が察する通り、知恵の実を手に入れた僕はより良い世界を作る過程で多くの人を殺すだろうね。だが、僕を殺せばそれは止められる。君達が感情に惑わされない選択を出来るなら、時間はかかるだろうけどきっと良い世界を導いてくれるだろう」
そして事実──壊れている、とは断言できないものの、ディミトリアスの思考と行動は悠達とは決定的に違う。
善意なのだ。ここに至るまでのディミトリアスの行動は、その全てがより良い世界を作りたいという思いの元で行われている。
「これは『試練』なんだよ。もしも君達が僕を殺せるのならば、きっとそれが大いなる意識が選んだことなのだろう。だから僕はここで君達に殺されても悔いはない。だが、君達がマオルの人を見捨てられずに僕を殺せないのなら──やはり、僕が世界を導くほかない。争いのない世界にね」
ディミトリアスの言葉に、悠達は声を失った。
あまりにも歪んだ、しかし『大義』を一点見続けた、剛直な決意。
世界を良い方向へと導くことが出来るのならば、それを成すのは自分でなくても良い。──しかし、どちらにせよ犠牲は強いる。
善で悪を成す者というのは、程度はともあれ珍しくはないものだ。しかしここまで歪んだ思想は、悠はまだ知らない。
「全然わかんねーよ……ディミトリアスは、偉いんだろ? そんなモンがなくても、世界を良くしていくことは出来るんじゃないのかよ。なんでそんなに、犠牲を出すのが前提になってんだ……!」
その理不尽な思いをとどめておくことが出来ず、握り込んだ拳からは血が滴る。
何の力もない人が思想だけを雄弁に語るのではない、ディミトリアスにはすでにこの世界で最大の宗教のトップという地位がある。
だというのにもかかわらず、力を求めて生贄を捧げるような行為が、悠には理解できなかった。
「長い年月をかければあるいはそれも可能かもしれないね。でも、世界が良くなるまでには、争いがなくなるまでにはきっと多くの死人が出ると思うよ。……僕はね、その背景には人間の『欲』が、業があると思っているんだ。もちろん全てがそうというわけではないけど、『欲』を満たすために、奪うために傷つけるというのがこの世で最も多い争いだ。必然、そうなると悪人よりも善人が割を食う。おかしいとは思わないか? 例えば、ここの人達がそうなんじゃあないのかな?」
柔和な笑みを一転させて──悲痛に眉を歪める。
世界中の善人が割を食う──そのことに、真実心を痛めているのだ。
「だから僕は争いのない世界を作りたいんだ。だが、争いのない世界なんて有史以来存在しなかった世界だよ。方法はわかるのに、それを成すことが出来なかったからだ。君達の様に、いろいろな物を分け合える人達が増えて、ようやく可能性が出てくる世界だ。……だけど、僕ならそれをすぐに実現することが出来るんだ。知恵の実によってこの『業』の能力を完全に制御すれば、人から欲を消し去る事ができるだろう。欲がなくなれば、争いは少なくとも激減するはずだ。全ての人が後ろを鑑みることなく、隣を羨むことなく足を揃えて歩く時代が到来するんだよ」
いつの間にか、ディミトリアスの表情はもとの柔和な笑みに戻っていた。
僅かな興奮を頬に差して、広げた手は天使の到来を待つかのように。
だがかえって、悠の頭は冷えていた。欲を消し、争いのない世界を作る──耳に心地の良い理想が、途方もなく恐ろしいことに聞こえたからだ。
「……その表情だと、わかってはくれないみたいだね。だがまあいいさ。君達との争いもまた『試練』だ。大いなる躍進には試練が伴う。感情を捨てて世界を管理する存在になるための『試練』には、やっぱり君達以上の適任はいないだろう。……信じてくれないかもしれないけど、君達のことは本当に好きだったんだよ」
「そりゃ、わかる。……どうしても、やるのかよ」
「ああ。答えを聞こう。僕を見逃してマオルの人を助けるか、僕とマオルの人を犠牲にして世界の変革を止めるか、だ」
僅かな逡巡もなく言い切ったディミトリアスの言葉に、悠は強く目を瞑った。
答えは──悠に委ねるということなのだろう、クララ達は視線を向けるのみで、言葉を発さない。
……多分、答えは一緒だろう。悠は、目を開いた。
「教えろよ。マオル族の人を、助ける方法を」
ディミトリアスは──寂しそうに、笑った。
しかしそれも鼻を鳴らす程度のもの。背を向けたディミトリアスは、遠くを見据えるように顔を上げた。
「『無欲』の状態を回復する方法は大きく分けて二つ。一つは僕が能力を解除することだが、これはないと思ってくれ。二つ目の方法だが、陳腐に言うのなら、生きる『目的』ってやつを思い出させて上げればいい。なんでもいいから生物としての欲求を焚き付けてやるのさ。……まあ、彼等は現在強烈な不能の状態だし、その方法は自ずと絞られてくるだろうけど。ついでに言うなら、急いだ方がいいな。無気力状態は長く続くと馴染んでしまうようだから」
歩き出すディミトリアス。カティアとシエルが構えるが──
「ああちなみに、方法を聞いたからと言って、僕を捉えても意味はないよ。また新しく『欲』を奪えばいいだけだからね。能力の有効範囲の広さは、今目にしているとおりだよ」
すぐさま飛びかからなかったのは、ディミトリアスが対策を講じていることを感じていたからだ。
歩き出すディミトリアスを通すように、武器を下ろす。
それはまるで城門から出ていくかのようで──決定的な、決別だった。
歯噛みしつつ、遠ざかる背を悠達は見送った。
言いようのない敗北感が、場を包んでいた。
──しかし、それは悠を除いてだ。
やがてディミトリアスの姿が見えなくなると、悠は弾かれたように顔を上げる。
「ボヤボヤしてる暇はねえ、早速動くぞ!」
「う、動くって、どうやって……!?」
その瞬間にマオル族の現状──全滅さえありえる現在を思い出して、クララは今にも泣き出しそうなほど声を震わせる。
ディミトリアスは、ほとんど答えとなる事を言っていた。
それは明確に、悠に向けられたメッセージだったといっていい。
生きる意欲を思い出させる──抽象的な言葉は、悠にとっては最も鮮烈なイメージを描かせていた。
「作るんだよ、とびきり美味いメシを!」
生きるということは、すなわち食べること。それが、悠のモットーだ。
生きてさえいたくない誰かのために食事を作るのは初めてだったが、これはもう、悠の意地だった。
ディミトリアスの歪んだ理想に対しての答え──悠自身の考えを、胸を張ってディミトリアスに叩きつけられるかどうかの、喧嘩だった。
──生きる意欲がないというのなら、明日も明後日もメシが食いたいと思うほど美味いモンを作ってやる!
悠にとっての最後の戦いは、今この瞬間に幕を開けた──!




