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第八十九話:非日常

 クララとテレサの再会から、数日が経過した。

 道行く人々はすれ違うたび、悠達に深く頭を下げて行く。

 どうやらガトゥムにペンダントを持ち帰った功績を広められたようだった。マオル族は仲間を大切にする文化が非常に強いようだ。

 だが、それだけではない。


「先生、昨日の講義は非常に有意義なものでした。野菜を煮詰めてあの様なソースが出来上がるとは、驚きです」

「先生、削り節の生産準備が整いました。ダシの概念、感服いたしました。これらはマオルの歴史を変えるものとなるでしょう」


 その中には『先生』と呼び、興奮した瞳を向けてくる者達もいる。

 深々と頭を下げた後、少ししてから──悠は力なく笑う。


「は、ハハ……いや、こんなことになるとは思わんかったな……」


 物静かなマオル族の中にあって、ひと目で分かる尊敬の眼差し。その中心は、悠だった。

 今街を歩けば、通行人の多くが悠へと熱い視線を向けてくる。

 それは、ガトゥムから依頼された食文化の伝達が始まったせいだった。

 食の技術は開拓されていないものの、学問として農業を発展させたヘレムの食材は非常に豊かだ。地上にあるような野菜は勿論、白銀米よりはグレードが落ちるものの米までが栽培されており、ヘレムの農業技術は非常に高いレベルまで達している。

 ヘレムの豊富な食材を前にした悠は、まさに水を得た魚というべき状態で、ついつい食文化の伝達にも気合が入ってしまったのだ。

 恋しく懐かしい味から、ちょっと気合を入れた和食の技法まで──ヘレムの食材に合った食の技術や知識を惜しげもなく伝える悠は、今や時の人だった。

 食の文化とは、強烈な娯楽となりうる。生活をより良くする技術の開発や発展にすべてを捧げてきたマオルの人々にとって、悠の伝える『技術』は新時代の到来を告げるに等しいものだった。

 その上で彼らは料理の技術を娯楽そのものとしては判断せず──それ以外のやり方も知らないため、まるで学問の一つのように扱う。

 結果、悠は『先生』と呼ばれ、地球で言えば世界的な科学者のように扱われていた。十人のほぼ全員が勤勉な学生のような、この町で。


「悪い気分じゃねえんだけど……やっぱ恥ずかしいわ……」

「まあ、貴方の料理の知識は最先端だからね。学者気質の人達が興奮するのも仕方がないでしょう」

「簡素な料理が多い中、一足飛びで悠に料理を教えられれば尊敬の一つもするさ。特にあの『ウスターソース』というものは、地上でも誰も見たことがないようなものだったからな」


 この辺り悠はシャイなところがあり、そんな扱いを悪くは思わずとも面映さを覚えていた。

 とはいえ、この程度で──と卑下することもできない。長い年月で磨き上げられてきた日本料理の技法には、悠自身尊敬の念を感じているからだ。


「ふぃー……疲れた。今日はもうメシにしちまいたいな」

「けずりぶしを、つかうのですか? 木材のようにかたいあのひものがどうなるか、きょうみがあります」

「お。そうか? じゃあお吸い物でもやるかなー」


 マオル族の人々の気持ちも分かるので、とりあえずは求められた『先生』として接するしか無い。

 そんなわけでなんだかんだ面倒見のいい悠は、マオル族の人達を相手に料理の先生をしているというわけだった。

 が、やはり慣れないことをすると疲れるもので──現在は食材の調達を終えた帰路の途中である。

 しかしどうも、今日は小忙しい日のようだ。


「もし、もし! ちょっと止まってくれ!」


 背中に響いたのは、悠達を呼び止める声。

 マオルの人々とはまた違う言葉遣いや声のトーンは、悠達に疑問符を浮かべさせる。

 だが止まれと言われたからには、そうしない理由もない。

 悠達は、声の方へと振り向いた。


「……リオネル! 『鷲の剣』のリオネルね!?」

「やっぱり! 久しぶりじゃないか、シエル!」


 するとそこに見えたのは、小走りで駆け寄る隻腕の男性だった。

 ガタイがよく、体中に刻まれた傷はひと目で彼を冒険者だと分かるよう主張していた。

 悠達は顔を見合わせ、盛り上がるシエル達に視線を移す。

 地上から来たのは悠たちだけではなく、シエルはその人達と会うことを目的としていた。

 思いもかけず、その目的は果たされ──シエルは、知り合いの冒険者と再会することが出来たようだ。


 ◆



「いや、驚いたよ。噂の『先生』と一緒にいるのが、シエルだなんてな」

「ええ、私も知り合いに会うのは諦めてたから……こうして出会えて、嬉しいわ」


 市場の出口付近で知り合いと再会したシエルは、悠達を伴って会話に花を咲かせていた。

 冒険者は横の繋がりが強い。モイラスの冒険者は殆どがその知り合いと言われているほどだ。


「しかし、いつの間にパーティを組んだんだ? 一匹狼で有名って聞いていたんだが」

「『鷲の剣』が不帰の楽園に行った後よ。……紹介するわ。命の恩人、ユウとクララ、カティアにアリシアよ」

「へえ、彼女を助けられるほどの冒険者たちがいたのか。ヨロシクな、リオネルだ」

「悠っす。よろしく」


 手を挙げて挨拶をするリオネルという男に、悠達は同じ様に返した。


「これで、全員か?」

「ええ」


 挨拶が済むと、今までの気安い様子とは雰囲気を変えて、リオネルが尋ねる。

 答えたのはシエルだった。悠達はまだ、質問の意図を理解していない。


「そうか、優秀なんだな君ら。……大した怪我も無く、ここまで辿り着いたんだからさ」


 だがリオネルがそう言うと、その意味を理解せざるを得なかった。

 隻腕と、質問の内容から──


「その様子だと『鷲の剣』は──」

「殆ど壊滅だよ。俺の他には、アイカがいるだけだ。そのアイカも、足をやられて動けない」

「……そう」


 リオネルがここにくるまで、壮絶な出来事があったと推測するのは、容易だった。

 ネーデに来る方法はたった一つ。不帰の楽園と呼ばれる『アーク』に乗って旅をするしか無いのだから。


「五体満足のやつは、正直始めて見たね。流石シエルのパーティだ」

「逆に私がお世話になってるんだけどね……まあいいわ。その、こんな話の後にするのもなんだけど、元気してる?」

「まあね。最初は慣れなかったが独特な調味料も慣れてきたし、居心地の良さは地上とは比べ物にならないしな」


 それでも笑えるその男性は、強いのだろうと、悠は思う。

 無傷でここまで来るのは、困難なのだ。それを、改めて思い知った。

 ……それから、リオネルはほぼ一方的に色々なことを話し始めた。

 ヘレムにおける労働だとか、賃金だとか、地上にない便利な道具のこととか。

 地上人の口から語られる、ヘレムの異なる文化は悠達にとっても面白い話だった。

 元来おしゃべり好きなのだろう。様々な話に脱線しつつ、気がつけば、話は『不帰の楽園』事『アーク』の話へと移行していた。


「な、なに!? じゃあ君ら、『楽園』の中央部で暮らしてたってのか? ちょっと進んだだけでも魔物が強力になりやがるってのに! ……俺達は、沿岸部からほんの少し進んで諦めたってのに、大したものだな」

「確かに魔物は真ん中ほど強くはなりますけど、すげー丈夫で快適な、マオル族の作った宿舎みたいなのがあるんで一度辿り着いちまえば悠々自適ってななもんっすよ。マオル族の人がいなきゃ、入れないかもしんないっすけど……」


 もう彼らが極園に挑むことはないだろうが、それでもロクな探索も出来ずに後にした極園がどういうものかは、気になるのだろう。


「うーむ、それでも中央の魔物なんて、想像したくも無いがな。……なるほどなァ。君らの無傷は、なるべくしてなったってわけだ。冒険者として尊敬するわ」


 いっそ呆れた様にいうリオネルだが、それは純粋な賛辞だ。 

 暫く話し込んだシメにそんな言葉を吐くと、リオネルはため息を吐き出した。


「リオネルさんは、向こうに帰ったりするんスか? ヌシみたいなのは倒したんで、今は沿岸部とか相当マシな環境になってますけど」


 『アルパ』の存在が消えた以上、今は円周ごとの魔物の強さも落ち着いてきている。そんな情報を伝えながらに、悠が問う。


「いやあ……それでも、俺たちじゃ水の確保も難しいんじゃないかな~。まあここの生活にゃ満足してるし──冒険は、もういいかなって思うわ」


 だが、もうリオネルに戦う気力は無いらしい。

 ヘレムが気に入っているのは事実のようなので、悠達は本人がよいと言うならと、納得する。


「んじゃ、ウチのが待ってるからさ。ぼちぼち俺は帰るよン。君らも元気でな」

「アイカにもよろしくいっておいてね」

「あいよ。そのうち、噂のメシを作ってくれよ。美味いもん食えば、ウチのも元気出ると思うからさ」


 そのうち話すこともなくなったリオネルは背を向けた。

 後ろ手で手を振り、去っていく。口々にその背へ別れの挨拶を投げかける悠達。

 だが、全員が明るい声を出したその裏で、表情は僅かに気落ちしていた。

 ……ここに至るまでに色々在ったのは、マオルの人だけではないのだ。

 隻腕の彼の言葉を考えると、やはり少しやるせない気持ちがある。


「でも、良かったわ。知り合いと会えて。みんな死んでたと思ったもの、生きてくれているだけでも、ありがたいわ」


 そんな思いが漏れ出したのか、シエルはぽつりとつぶやいて、悠はそうだなと肯定した。

 今も見えるリオネルの背は、決して力強い足取りとは言えなかったが、しょぼくれた背中というわけではなかった。

 同じパーティの生き残りの女性と結婚したことを、嬉しそうに語っていたリオネル。聞く限り夫婦仲は良さそうで、幸せそうだった。

 たとえそのきっかけが──傷のなめ合いだったとしても、彼は本当の幸せを掴んだようだ。

 なんとなくその背中が眩しくて、悠はリオネルが見えなくなるまで見ていようと思った。

 段々遠ざかっていく背中は小さくなっていき──

 やがて、倒れた。


「……なっ!? リオネル!」


 何の前触れもない。突如として倒れたリオネルに、悠達は全員で駆け寄る。

 その身体を抱き起こしたのは、悠だった。

 少しだけ平均よりも軽い身体は、容易く持ち上がる。

 だが悠は、リオネルを見て絶句する。

 息は、ある。だがリオネルは死んだようにうつろな目で、どこも見ていなかった。

 呆けた顔をして、息を続けるだけ。それだけの存在になっていた。


「な、んだ? なんだよこれ!?」


 悠がそう叫んだのは、リオネルの現状を見たからではなかった。

 次々と、視界の中の人々が倒れ始めたからだ。おそらくは、彼らもリオネルと同じ様になっているのだろう。

 ……何が起きた? シンプルな困惑が、悠達を凍りつかせる。

 はじめ、悠はこリオネルが急に倒れ込んだ時、何らかの外傷を受けたと思っていた。しかし、それはなかった。

 症状としては一番近いのは脳死だろう。生きているし、悠達には一人として被害はない。そのため、毒ガスという可能性も考えづらい。

 だとしたら、一体なにが起きたという。

 こうしている間にも、まだ無事だった町の人達は倒れていく。


「みんな……みんなが……なんでっ!? 何が起きてるの!?」


 最も取り乱したのは、当然クララだった。ようやく辿り着いた、自分と同じ人達が住む第二の故郷。それが理由もわからず、破壊されようとしていたからだ。

 だが、クララの悲痛な叫びが帰って悠に冷静さを引き戻した。

 ……かすかだが、音が聞こえる。それは何が起きたかわからずに惑う民衆の声だ。

 町の中央のほう。そこで、今まさに悲劇が起きている。


「……行くぞっ!」


 悠はそれだけ告げて、走り出す。

 説明をしている暇はなかった。一刻も早く、被害を食い止める必要があるからだ。

 カティア達もまた、悠の意図を組んで、疑問を思い浮かべるより早くその行動に追従した。

 悠の全速力は速い。瞬発的な行動ならばカティアに大きな分があるが、定めた目的地まで一直線に走った場合は悠に軍配が上がるだろう。

 急ぐあまり、悠はクララ達の少し先を走っていた。

 ……街の中は、地獄だったと言える。先程のリオネルと同じ。呼吸をしているだけの人形が、そこら中に倒れ伏している状態だ。

 生きる気力に満ちていた男が突然崩れ落ちて、悠達五人を残して街中の一人残らずが人形とかしている。あまりにも異常な光景。

 だがその異常さ故に、悠はこの現象が何によるものなのかを導き出していた。

 『なんでもあり』を実行するには『スキル』しかない。

 今もなお響く悲鳴を追って、悠はかける。もしもスキルだとしたら、誰が何のために?

 当然浮かぶ疑問だが、悠はそれを捨てた。答えとはすぐに出くわすはずだ。

 だったら一秒でも早く辿り着いて、このふざけた真似をやめさせなければならなかった。

 ──だが無情にも、声の数はどんどん減っていって、やがてゼロになった。

 奇しくも、悠が悲劇の震源地に辿り着いたのは、その瞬間だった。

 倒れ伏すガトゥムと、人形の山。

 その側で柔和な笑みを浮かべる、人の良さそうな青年。


「……ん、で」


 一瞬で干上がってひび割れた喉が、声を絞り出そうとする。

 失敗した。眼の前の光景が信じられなさすぎて。

 だが、二回目は成功した。


「なんでおまえがここにいるんだよ! ──ディミトリアス!」


 この悲劇の生みの親の名前を、叫ぶことが出来てしまった。

 倒れ伏す人々の山の隣で、悠にとっての友人が、その口を三日月のように歪めた。



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