第八十一話:弱肉強食の理
「先程は見事だったな! 戦術の組み立て方、あの化物と打ち合う力といい、合体技の何までも見事だったぞ!」
竜を倒して、少しした頃。
深い森の中には、やたらと目を輝かせたカティアの声がこだましていた。
その内容のほとんどは悠を褒めるもの、残りの少しがクララを褒めるものと、とにかくベタ褒めという言葉がよく似合う賛辞の数々だ。
悠は恐らくはこの探索のメインディッシュとなるであろう料理を制作しながら、曖昧な顔でその賛辞を聞いている。
「一時はどうなることかと思ったが、流石はユウだ! それでこそ我々の──痛つ……」
「もう! 無理しないの! 骨まで来ちゃってるんだから、一日二日じゃ治らないんだからね!」
そして時折ヒートアップしすぎては、治癒魔法を続けているクララに怒られる──と。何度か繰り返した光景を見て、曖昧に笑う悠。
「タフですね……ほんとう、見てるこちらとしても気が気じゃなかったのですが」
「元気なのはいいことじゃない。焦ったのは本当だけど」
アリシアとシエルもまた、呆れ気味だ。しかし言葉の節々にはやはり心配が混じっていたし、無事を喜ぶ笑みをある。
「いや、心配をかけた。実のところ緊急性のあるダメージではなかったのだが、やはり苦痛が大きくて。迂闊だったのも、今では反省をしている」
無論、そんな細かいニュアンスでもわからないカティアではない。実の所少しばかり自分自身の照れ隠しのようなものが混じっていたのだが、反省する気持ちがあったのは本当だ。
「しばらく死なない、ってだけで緊急性がないと思わないでよもう! 苦しくて当たり前、あの時すぐに死にはしないって言えたのだっておかしいくらいのはずだったんだから」
「まあまあ……おかげで冷静に戦えたのは助かったよ。雷の方は、初見じゃどうしようもねーと思うし……でも、身体だけは大事にしてくれよなホント」
「……そうだな。次があれば、無理はしないよう気をつける」
そんなカティアにクララは怪我の重さを理由に叱り、悠は仕方がないと肯定しつつもそれとなく釘を差す。なんとなく、家族みたいだなと思ったのはこのメンバーの中では比較的家庭環境が平凡なシエルだった。
一旦話が落ち着くと、沈黙が流れた。時間がゆっくりと過ぎるようで悪い気分ではない、そんな静寂だ。
だが、手持ち無沙汰を晴らしたかったのだろう、カティアが話題に出すのは先程の魔物の話。
「けれど、まさかあんなモノがいるとは思わなかったな……この辺りに魔物が居ない理由は、アイツだろうか」
「流石にそう思いたいね。ゴロゴロいるとかなったらいよいよどうにもならねー……」
「それは……今度こそ終わりかもしれないな、確かに」
いいながらも、悠はカティアの言葉をそうだろうと思っていたし、カティアも悠の言葉をそれはないだろうと思っていた。当人同士も、同じだ。
アレは明らかに、違う(・・)存在だった。白の砂漠のグランキオーンや、輝きの台地のウィルダのような、他の生物とは圧倒的に違う何かだ。
『古代種』。強大な力を持つ、他とは一線を画す魔物。それなのではないかと、悠達全員が思っている。
「案外、中心部に行きゃわかるかもなあ」
ふと、悠は呟く。何が、と皆が聞かなかったのは同じことを思い浮かべていたからだ。
もしも本当に『古代種』ならば、中心部にマオル族の手がかりがあるのならば、そこに手がかりがあってもおかしくはない。
「ま、今は何考えててもわかりゃしねーよな。アレ以上とか無いと思うし、今は飯食って仕切り直そうぜ!」
「賛成っ! そういえば、お昼もまだだったもんね。カティア、大丈夫そう?」
「ああ。内臓の方は問題ないと思う。でもユウの料理とあらば無理してでも食べるけれどね」
「おやおや、むりはしないと言ったばかりではありませんでしたか」
「それはそれ、さ。それに──ユウの料理を食べれば体力が戻ってくるからな。体調が悪い時こそ食べておくべきだろう?」
だが今はそれよりも、食事と行こう。
悠の宣言に、クララたちはようやく笑顔を浮かべた。
今回の料理は、二品。
「簡単熊煮込みとローストレックスだ! 肉ばっかでワリぃけど、こんな状況だから手がこんだ料理が作れないのは勘弁な」
なんと言っても襲いかかってきた恐竜のローストと、その恐竜の食べ残しである熊の煮込みだ。
これぞ肉! という存在感の真っ赤なレアに焼き上げられたローストと、簡単と言いつつも野草の緑に溢れる鍋の対比が面白い。
「うわあ……なんというか、すごいビジュアルね。反対色の対比というか」
「野性的っていうのかな? それに……お肉も生で平気なの?」
「これだけ新鮮なら大概問題ないよ。それだって火を通したほうが美味いと思ったからやっただけで、この鮮度なら生でも食えるくらいだし──カルパッチョって元々肉料理なんだぜ」
「なんと。肉を生でというのは衝撃的だが……カルパッチョの元となれば平気、なのか?」
肉、肉、肉という外見は悠にとってはこれ以上なく食欲を唆るが、女性陣の反応はまちまちだ。困惑が強いと言うべきだろうか、適切な評価がくだされるのは実食に移ってからだろう。
アリシアだけは唯一眼を輝かせていた。柔軟な考えを持つ故だろうか、悠の出す料理に限っては、ウニで完璧に疑念を捨て去ったようだ。
クララ達が覚悟を決めるまでの間、悠は改めて料理を観察する。まずは熊の煮込みだが──熊というのは匂いが強いと噂されることが多々ある。悠としては食べる前から偏見を持つようなことはしたくなかったが、人に振る舞う以上、出来栄えを気にするのは当たり前だ。
そうして考えたのが、野草の煮込みという手法であった。この野草というのはどくだみの様な香りを発しているものだ。煮込んだ今では個性の強い香りも顔を潜め──隠し味に入れた魚醤のせいか、どことなくエスニックな香りを発している。
一方で、やはり存在感を放っているのはローストレックスの方だ。
全体的に脂の少ない肉質は、断面からルビーのような真紅を覗かせている。丁寧に焼き上げた表面は、穏やかで落ち着いた茶色。そこから中心部に向かってピンク、ルビーと色が変化していくグラデーションは悠にとってはこれ以上にないほど食欲を唆るものだ。
極薄に切り分けられて並べられた断面には肉汁から作ったソースがかけられており──全体的なまとまりは芸術品の域だ。決してこれは、悠の自画自賛ではない事実である。
「そろそろいいでしょう? いただきましょうよ」
出来栄えに満足の笑みを浮かべる悠を見て、アリシアは急かすように袖を引っ張る。
どの道、食べれば評価をくだされるだろう。こうして見ていても何も始まらない。
「いただきます!」
「あわわっ、いただきます!」
慌てるクララ達を横目に、悠は宣言した。
もちろんというべきか、最初に手にとったのはやはり煮込みの方だった。
クララ達は尻込みするという理由から──悠とアリシアは、メインの料理を後に取っておきたかったからだ。
煮込みの入った器を一口手に取り、たっぷりとダシが出たツユをすする。
「……! うまいな」
その感想としては、まずは美味い。ということ。決して単純な感想というわけでもない、文字通りに旨味が強いのだ。
旨味と甘みに優れ、驚くほどよく旨味が溶け出している──詳細に語るなら、そのようなものだ。
また、臭みの類は意外にも少なかった。クセといえる部分こそあるが、それらも香草の香りによって巧妙に隠されている。
では肉の方は。脂身をつけたまま角切りにされた肉は、得も言われぬ仕上がりだ。
脂の融点が低いのか、脂は丁寧に丁寧に長時間煮込んだ豚の角煮のようになっている。反面がっしりとした肉とは対象的だ。
これは一口そのまま放り込んでしまうのがいいだろう。少し大きめなそれに歯を入れると、染み込んだツユをくしゅりと滲ませながら、沈み込んでいく。
脂身の甘みが強い──! ぷるぷるととろける脂身は噛むごとに筋肉質だが旨味の強い肉と絡み、完成された味わいを作り出す。野草によるエスニック風の香りが新鮮だが、角煮のような懐かしさもある──古く斬新な味。
「とろっとしてて、美味しい~っ! とろとろほろほろしてて、味もしっかり染み込んでる!」
「かおりもなじみのないものですが、いいですね! ……じょうねつてきでやさしいといえばいいのでしょうか。しおけのあるあじつけもあぶらのあまさとマッチしていて……なぜだかとてもあんしんできます」
なぜだかノスタルジック、かつ刺激的。人を選ぶ味わいではあったが、この輪の中では大好評のようだ。
となると、クララ達的にもルビー色の肉が気になってくる。
これは、腿の部分を焼き上げて薄切りにしたものだ。わかっていれば、見た目の上ではやはり綺麗に見える。
悠とアリシアは、気にせずに、ローストレックスへとフォークをやった。
薄切りの肉をフォークに乗せて浮かすと、僅かに入る陽の光に透き通る。それは高貴なスカートのようにも見えた。
「……っ!」
しかし口に入れれば感じるものはそんなに生易しいものではない。
まず、臭みはない。丁寧に胡椒を刷り込まれているためか、血生臭ささえも感じさせない、しかしほんのりと薫るブドウの様な、仄かな甘みを香らせた。
その肉が真価を発揮したのは、一度歯を食い込ませてからだ。つややかで滑らかで、むっちりとした歯ざわり。ぎゅぎゅっと詰まった筋繊維が、歯を押し返して来る。
硬いわけではない。いや、確かに生に近い状態ではやや硬めだ。だからこそこの薄切りが生きてくる。
マットな食感で楽しませつつも、噛み切りたいと思えばシャッキリと潔く切れていくのだ。この歯ごたえを出せる肉というのは、他に存在しないだろう。
当然、味も良い。淡白と言えば淡白なのだが、力強さとでも言うべきか。豊富な鉄分による、嫌味のない血の味はダイレクトに『今肉を食べているんだぞ!』と主張してくる。
だが淡白だけで終わらなせないのが、恐竜のグレービーソースだ。
こちらは醤油代わりの魚醤の存在を感じさせないほどに力強い、森林の暴君の力が活きている。香ばしく、濃厚で、コクがあるソースだ。もしこれに肉料理の定番であるワインを合わせるとなると、腕利きのソムリエも涙するだろう。それほどまでに輪郭がしっかりとした味、生半な従者を良しとしない王者の風格がある。
「こ……こんな感じなんだ! 吸い付くような食感、心地良い歯切れ……な、なんか力が湧いてくる気がする……っ!」
「おお、お……! なぜだか妙に活力が湧いてくる! いや、そうか! これが肉を食らうという事なのかっ!」
「そ、それだけじゃない。下味の付け方、臭みの消し方も完璧よ。随所随所に加えられた細かな気配り……何が手の混んだ料理は作れないですって。シェフ達に叩き殺されるわよ」
その鮮烈さは、尻込みしていた三人にこそよく突き刺さった。
そう──そのものではないとは言え、生の肉を食らう、というのは野生における正しい肉の食べ方だ。
いわばこれは勝者の味。付け加えるのなら、この環境を制覇した王者のみに許される味なのだ!
「と、とくにこの……ローストにくが、とまりませんっ」
「煮込みの完成度も高いけれど、肉としての格が違いすぎるんだわ……」
ガツガツと貪るようにして肉を食らう。強い魔物こそ美味いこの世界において、生態系の頂点である肉をその様にして喰らえば、不味い訳がない。
これぞ弱肉強食の理である。
「まだまだたくさんあるから慌てんなって。……いや、マジで無くなっちまいそうだな」
最初は引き気味だったというのに、今ではもはやいつ食べつくされるかといった具合である。
一つ大人ぶって苦笑交じりに観戦していた悠だが──
「ま、まて、俺も食うって!」
どうやら本当に、売り切れは確定のようだ。
急いでフードファイトに参戦する悠。弱肉強食というのは、食卓においても適用されるらしかった。




