第七十八話:星の空と孤独の世界
「おーい、出来たぞー。皿ぁ準備してくれー」
「はいはーい、任せて~!」
カンカンとフライパンを打ち鳴らす悠の声に、楽しげな応えが返る。
島の内部の調査を始めてから三日──時刻はすっかり太陽の姿も隠れたころ。
満天の星空の下で、悠達は夕食の準備を進めていた。
本日の獲物は、強靭な二本の足で地を駆ける──大きな嘴を持った、体高三メートルにもなる巨大な鳥であった。
何を考えているか全くわからない瞳で、丸太のような脚を忙しなく動かして襲いかかる巨鳥はなんというか見ていると不安になる動きで悠をひるませたが、チームワークを盤石のものにした調査隊の敵ではなく、今ではフライパンの上で美味しそうな匂いを漂わせている──というわけだ。
「しっかし……なんだろうな、この極圏。魔物が強いのは確かなんだが、全然『能力』持ちが居ねえ……っと」
配膳を済ませ、椅子代わりの丸太に腰掛ける悠を、苦笑が迎え入れる。
呆れ気味に愚痴を零した悠だが、腰掛ける際に香ってきた夕食の香りに、表情を緩める。
今晩の夕食は、怪鳥のネギ塩炒めだ。沿岸部付近に生えていた、太い茎を持つ植物と、襲いかかってきた怪鳥をガリカベースの塩ダレで炒めた料理である。ネギとは似ても似つかないが、味が近かった故の命名だ。
「んん! 筋肉質のもも肉がチャキチャキといい食感だな」
「食欲を唆るソースもいいな。なんというか、酒が進みそうな味だ──っと、私以外はまだ酒が飲める歳ではなかったか」
発達した脚を武器にする生物だった故か、筋肉質の身は噛みごたえがあって野性味溢れる食感だ。それが香味野菜たっぷりのタレと絡み、なんとも食欲を唆る仕上がりになっている。大きな一口を噛み締めたくなる、そんな料理だ。
「話を戻すけど……この極圏、やっぱ色々とおかしいよなあ。魔物は妙にシンプルな戦い方するし、原始的だし……極圏の性質にしてもやっぱ流石に不自然な点が多いっていうかよ」
「原始的……というのはよくわからないけど、不自然な点が多いのは確かね」
夕食をしながら、調査の成果を話し合う。それが最近の悠達の日課であった。
極圏の調査を進めていくうちにわかったことは二つ。
一つは悠の言ったとおり、能力を持たない、原始的な姿をした魔物が多いことだ。
「戦う分には楽だが、悠に新しい力が加わらないのは勿体無いと思う気持ちもあるな」
「だよなー……これでも結構楽しみにしてんだけどなあ」
それは、悠の新たな力とならないという弊害となって現れていた。
自力の優れた悠達からすれば、能力を使わない魔物との戦いは楽なのだが、さらなる戦力の強化に繋がらないのは欠点といえた。
「ここに来てから唯一目覚めた力がこれだぜ? 便利っちゃ便利だけどよー……俺もう自分がどこ目指してんのかわかんねぇよ」
そのせいで、悠が『不帰の楽園』に来てから新たに身に着けた能力は一つ。
星のフルーツによる『発光』のみであった。
この力を発動することによって、悠はなんと光ることが出来る。ぼんやりとした優しい明かりは、間接照明なんかにちょうどいいだろう。
手元を照らすのなんかには役に立つだろうが、夜道の助けには心細い、そんなちょうどいい塩梅の力だ。
「魔物の能力を食べることで吸収できる……はいいけどさ、ジャンプ力が高くて毒味が出来て、壁を走れて光とか泡が出せます……ってどんなビックリ人間だって言うんだよ」
「ええ……? 泡ってなによ」
妙にコミカルな人間離れのしかたに影を差した悠に、思わずシエルが聞き返す。
まさか口から吐くのだろうか? 得体の知れなさについ聞き返してしまった彼女に、罪はないだろう。
「見るか? こんなん」
「ぶっ……! あ、あはははははっ! な、何に使うのそれ!」
「いや意外とドラゴンの炎とか防いだり出来るんだなこれが」
「ぷくく、く……も、もこもこしたまましゃべらないでくださいっ」
初見のインパクトは凄まじく、山暮らしの時には居なかった二人が笑いを堪えきれずに腹を抑える。
今の悠の見た目を──現代人に分かるよう例えるなら──マシュマロマンと言ったところだろうか。ただし目も口も鼻もないが。
とはいえ、こんなのでも無ければ死んでしまっていたのだから人生わからないものである。そうなれば、ここでこうしていることは絶対になかっただろう。
「いやあ私も最初は驚いたものだがな……これがなければユウだけでなく、私もクララもこの世には居なかったと思うぞ」
「改めて見てみると、やっぱりシュールだけどね……」
ふう、と息を吐くと悠は能力を解除し、いつもの姿が戻ってくる。
強力な能力ではないが、これに命を救われたのも事実。だが見た目が滑稽なのもまた事実だ。
笑いを取る力としては優秀なのかもしれない──と思いつつも、ある意味人間離れとしては度合いが強そうなこれの気分は複雑だ。
「と、雑談はこのあたりにして、今日までの調査を纏めとこうぜ」
少しだけ表情を真面目なものに変え、話題の舵を取る。
笑いの後を引いていたアリシアとシエルも、悠がそうすることでなんとか笑いを収めて、話題に向き合った。
そう、能力の話題の時に脱線があったが、共有すべき情報はまだある。
調査によってわかったことの二つ目だ。
「極圏の環境の話に戻すけど──やっぱり、区切られた気候と石柱は関係があると思う」
それは、不帰の楽園の不自然な性質についての話。
本格的な調査を開始した初日に見つかった謎の石柱。調査初日から文明の足跡が見つかるなんてラッキーだ、と悠は思っていたのだが、実際にはそうではなかったのだ。
「シエル、頼めるか」
「ええ。これ、今までに見つかった石柱の大まかな位置を纏めたものよ」
ならばそれは何故か。答えは幾つもの石柱が見つかっているからである。
損傷があるものも幾つか混じっていたが、この島ではどうやら石柱はありふれた存在のようなのだ。
それだけではない。
シエルが取り出した簡易的な地図のようなものを広げると、そこに五つの視線が集まる。
「見てくれ。あらかた、等間隔に並んでるのが分かると思う。そんで、柱の位置を結んでいくと──大体、このあたりが中心になる」
悠が指差すのは石柱の並びだ。
点で描かれたそれらを線で結んでいけば、やがて放射状の分布が出来上がる。
その収束する先を追っていけば──おそらく『何か』が存在する。
点を結ぶ線の中心に何があるか、それはわからない。だがたった一つ、確実だと言える事がある。
「おそらくここが──『不帰の楽園』の実質的な中心であり、最も魔力が高い場所。言い換えれば、一番危険な地帯がここになるってわけだ」
極圏を形作る魔力の源がそこにある以上、収束点の付近に存在する魔物はこの極圏で最も強い生物だろうという事だ。
普段のものよりも幾分か低い、重く感じられる悠の声に、誰ともなく頷く。
調査によって得られた成果は明確だ。
規則に従い石柱を、何らかの魔力装置を建てる技術があり、恐らくはそれによってこの極圏を『造った』何者かがいるということ。それが、悠達の得た答えだった。
そして進んだ魔法技術を語る上では、避けては通れないのがマオル族の存在だ。
もちろん、現段階でこの極圏を造ったのはマオル族だという根拠は全く無い。或いはヒトが造ったモノではない可能性さえ否定できないほどだ。
だがマオル族以上に進んだ魔法技術の存在が判明していないのもまた事実である。
「それでも、行くか? 行けるか?」
ならばその可能性は、クララの目的を達成する上では確かめなければいけないものとなるだろう。
しかし、それには困難が伴う。
悠の問いかけは、その覚悟の有無を問うものだ。
──だが、悠が口にしたのは自分は行けるという前提の元に覚悟を問う言葉だ。そんなもの、今更も過ぎる。
「行くに決まっている。念を重ねないでも、私達は既に一蓮托生だろう」
「ここまできて、こたえあわせだけなしというのはあんまりでは。ええ、もちろん行きますとも」
「答えが何にせよ伝説の古代文明なんてモノをぶら下げておいて、行くのかも何もないでしょう。私は元々冒険者だし……それに、ね」
覚悟などとうに決めている。
そんなのは悠もわかっている。これは、単に確認しただけだ。
満足気に頷いてから、悠はクララに視線を送る。
「みんな……ありがとうね。私なんかの──ううん、これはいらないね。……力を貸してくれて、ありがとう!」
言葉を飲み込んで、それからはっきりと言い直す。
気負うことなく、お礼を言う。今度は、全員が──肉食獣のような笑みを浮かべる。
「……よし! ほんじゃ早速だけど明日から中央部の調査に乗り出すぞ! 最低一日は野宿なんで、今日はなるだけ質のいい睡眠を心がけるように!」
全会一致で決まれば、あとは決意表明だ。
取り仕切る悠の言葉を聞いていると、クララ達は不思議となんでも出来る気がしてくる。
共に強敵を打倒して、困難を打ち破ってきたからこそだろうか。きっと今回もうまくいく。自然とそう思えてくるのだ。
「じゃあ今日の調査活動は終了。あとは個々人で好きな時間に眠ってオーケー。まあ要するにいつも通りだな」
それは、悠自身がなんでもないことのように言うからかもしれない。
楽天的といえば否定は出来ないが、暗いムードよりは気分もよく、適度に力が抜けるのも事実だ。
そんな悠でも、思うところはあるのだろう。就寝時間を宣言するも、悠は腰を上げる素振りは見せなかった。
「どうしたの、寝ないの?」
悠の睡眠は、早いほうだ。現代人故に退屈に対する耐性が少なめというのもあるし、早寝早起の健康的なリズムを持っているというのもある。
極圏……というか野外では、特にやることがない。退屈な中起きていても仕方がないと、いつもは早めに寝てしまうのだ。会話が続いていれば適度に残るが、それだってそのへんの葉をお茶に仕立てたりして、中身や話題が尽きると共に就寝する。
だが──悠は恒河沙の宝石を思わせる星空と、星の光を映し揺らぐ海を見つめており、感嘆のため息を漏らしていた。
「いや、景色が気になってさ。じっくり景色を見んのは久しぶりだなーって。こっちに始めて来た時はスゲースゲーって星空見てたりしたんだけど、ちょっとするとそれもしなくなってて」
こっち──こちらの世界に来たばかりの頃は、澄み渡った星空に感動したものだ。だが、いつしかそれもしなくなってしまっていた。
それは見慣れたからこそだが、いまふと気づくとその光景はただただ幻想的で、美しい。
空と海が近いからだろうか、見れば視界の全てが星に満ちているようであり、海の揺らめきは星界の中に一人漂っているような錯覚を覚えさせる。
その感覚に、悠は妙な既視感を感じた。少し考えて、思い出す。
ああ、これはこっちに来たばかりの頃の──孤独感なのだろうと。
星々は手を伸ばせば届きそうなほど近く、しかし足掻いても祈っても届かないほど遠い。
実際には星と星の距離は途方もないほど離れていると知っていても、まるで自分だけが仲間はずれになったような錯覚を覚えるのだ。
それでも、そこにある光を見ていなければ押しつぶされそうなほどに、人里離れた場所の夜は暗い。
「そういえば私もしっかり星を見るのは久々かなー……凄い、綺麗だね」
「うみの方を見ると、しかいの全てが星でみたされるようですね。げんそうてきです」
だから──星空を見上げることが少なくなった理由が、わかった。
「ん、そうだな。一人で見てると寂しくなるような、そんな気がする風景だ」
「ふむ、なんとなく、わかるようなわからないような──しかし、悠でもそういう、独りの寂しさみたいなのを感じることはあるのだな。キミなら一人でもどこでも、前だけを向いて忙しなく動いているイメージがあったが」
「そうね。活力に満ちてるっていうのかしら。なんだったらどこでも生きていけそうよね、あなた。食べ物どころか家でも作っちゃうような人だし」
「おいおい、俺をどんな人間だと思ってんだよ。っていうか俺だって出来ねー事ばっかだから。……いやさ、これでも結構寂しがり屋なんだぜ俺」
いつの間にか、側にはクララ達が並んで座っていた。皆、同じ方向を向いている。無限に続くような、星海の中を。
「人間って、一人じゃ生きられねー様になってるんだよ。そりゃ、簡単なら家建てて、最低限でも服作って、飯を食ってくくらいは出来る。でもそれだけだ。退屈を潰す方法は知らないし、怪我をすれば動けなくなる、病気にかかれば手も足も出ない」
俺だけじゃない、人が一人で生きていくのは──きっと無理だ。
言葉を切ると静まり返ったクララ達に笑みを向けて、悠は続ける。
「例えばさ、半年やともかくこんな場所で一生となると、虫歯一本で人生終わりかねないぜ。飯が食えなきゃ死んじまうからな。風邪を一回引いただけで、明日の食料もどうなるかわからない。病気だけを考えたってこれなのに、小さな怪我でもちゃんと手当を出来なきゃ腐っちまうし、そもそも家作ったりっつー知識だって誰かが考えたもんだ。俺一人じゃ絶対……とは言わないけど多分考えつかねー」
今は五人もいるし、怪我はクララが直してくれるから、半年くらいならなんとかなるだろうけど。
それでも一生となればこの五人でも長くは持たないだろう。
「結局、人間って群れなきゃ生きていけないのさ。……だから、寂しいって感情があるのかもしれないな」
寄り集まって、文化を築いたからこそ、人は生きていける。
悠はそう言葉を締めくくってから、照れくさそうに笑った。俺、何言ってんだろうな。そう笑う悠だが、クララ達の表情は真に迫っている。
こと、個人の戦闘能力で言えば、魔法の力を扱うこの世界の人々は強い。
だがそれでも人間は一人では生きられない、弱い生物には変わりはないのだ。
……いや、違う。
「一緒にいて、分かり合うことが出来るから、強い、のかな」
ぽつり、と。クララが呟いた言葉は、ハンカチに雫を垂らすように、悠達に染み込んでいった。
悠はなんだかスッキリとした気分になって、立ち上がり──恥ずかしがることもなく、頷いた。
「まあ、そう上手くばかりいかないのも人間って感じがするけどな。こういうとちょっと説教臭いけど、欲とかに負けて争うってのは人間ずっと繰り返してきたことだし。マオル族の人達だって、欲に負けた奴らのせいで大陸から追い出されるみたいにされたっていうのもあるわけだし……」
でも、と。
悠はクララに振り返って、微笑んだ。
「月並みだけど、クララには俺達がいるからな。寂しい思いはさせんよ。……あー、その。俺もこっちじゃ独りだったけど、皆がいるから大丈夫だったっていうか……ああもう何言ってんだろう。寝る!」
それでも途中で自分がクサいセリフを言っているのだと気づいたのだろう。
悠は小恥ずかしそうにこめかみを掻いて、自分の寝床に入っていった。
残されたクララ達は──顔を見合わせることもなく、近くにしか聞こえない声で呟いた。
「なんというか……ああいう所がズルいな、彼は……」
「……うん」
カティアの言葉に頷いてから、クララ達はまばらに立ち、ばらばらに寝床へ戻っていく。
誰も顔を見合わせず、見合わせないように。
常夏のリゾート地がごとき、不帰の楽園。ここの夜は、今日も暑い。




