第七十七話:常夏の恵み
「うふぃ……生きかえります」
「暑いと歩くだけでも疲れるねー……水の冷たさがきもちいい……」
目印となる川まで戻ってきた悠達は、各々が思い描く方法で休憩をしていた。
川辺の石に腰掛けて、足を冷やすクララにアリシア。岩を背に座るカティアにシエル。
一方で、悠は採取してきた果物を味見している。
「甘さもいいし、汁気も十分。これならいけるな」
飽くまで味見のため、派手なリアクションはない──が、出来栄えへの期待に悠は子供のような笑みを浮かべた。
採取した果物は三種類。
一つは淡く発光する星型のもの。一つはキウイの様に毛が生えた、楕円の果物。最後の一つが、お姫様のスカートを思わせるような膨らみ方をした、白い果実だ。
悠は並べた果物の一つ一つの皮を丁寧に剥いて行く。楕円の果物は、キウイを思わせる外見の割に中身は夕日のようなオレンジ色であった。香ってくる芳香も濃く甘いもので、マンゴーや高級なメロンを思わせるようなずっしりとした印象を与える。
一方で、星型のフルーツは皮を剥いてもなお淡く黄色く発光していた。こちらは一転して甘酸っぱい味だ。苺とバナナを混ぜて酸味を足したような、不思議だがどこか懐かしい風味である。
そして──白いフルーツ。これは、膨らんだ形をしていてヘタの周囲が反り返った、奇妙な形をしていた。
それほど高くない位置のものを難なく採取したような、取得方法は味気のないものだったが、今回はこれが影の主役と言っても良かった。
香りは、他の二つに比べれば比較的穏やかなものだ。甘みの方も、ほんのり感じる程度といってい
い。食感はふるふるとした寒天質といったところだろうか。
「上手くいくといいけどなー。それっぽくはなると思うんだが、まあ出来なかったら出来なかったで修正案はあるしいいか」
それでも、悠が作ろうとしているものにはこれが必須だった。
皮を剥き終えた悠は、果物を適当な大きさに切り分け、種を除く。幸い、どの果物も種子は大きく取り出しやすかった。
そして、ここからが本番。
鍋に白い果肉の半分ほどを入れ、星のフルーツを入れて、もう一つのオレンジ色のものはとっておく。
次に取り出したるは──
「まさか、コレの初の出番がこんなんだとは」
苦笑しながら、その道具──いや、武具の生前の姿を思い出して、悠は無性に申し訳ない気持ちを覚えた。
自由自在に空を駆け巡り、台地の天辺を根城としていた暴君、ウィルダ。
その爪と骨を使い、生み出された『ウィルダガントレット』。その初の出番は──
「ミキサー代わり、とはなあ……」
切り分けた果物を切り刻むミキサーの代わりであった。
魔力を込めることで動作する『嵐禍』の力を起動すると、悠の手は小型の竜巻を生む。
この竜巻は込めた力によって大きさが変化し──抜群の切れ味を発揮するのだ。
それを、悠は蓋を締めた鍋の中に発生させた。鍋の直径よりも小さいごく小型の竜巻は、鍋の中心でフルーツを切り刻み、跳ね飛ばし、砕け散らせる。
やがて音が変わる頃、悠は能力を収めて鍋の蓋を開ける。
すると鍋の中は、たっぷりの果汁が抽出されたミックスジュースに満たされていた。
「おお、おたのしみというのはジュースですか。それはありがたいです」
何やら轟音を発生させて果物をミキサーにかけていた悠の背から、アリシアがにゅっと顔を出した。
この暑い中、喉を潤す飲み物はさぞ美味く感じることだろう。
「いや、まだ終わりじゃないんだ。もしよければジュースも後で作るから、ちょっと待っててもらっていいか?」
だが、これで終わりではない。
疑問符を浮かべるアリシアの頭にぽんと──篭手をつけて居ない方の──手を置き、二つ目の鍋を用意した。今度はこれにオレンジ色のフルーツと白いフルーツを入れ、同じ様にミキサーにかける。
こうして、二つの鍋に二種類のミックスジュースが出来上がった。
粉々に砕かれてジュース状になった果実には、これ以上の発展は思いつかない。アリシアは、予測のつかない先の手順が楽しみになった。まさかこれを火にでもかけるのだろうかと、身体を揺らしながら次を待つ。
果たして、次の一手は──
「クララ、ちょっと頼みたいことがあるんだけど、魔力の方って大丈夫か? 目一杯弱くていいんで『アイシクル』一回分くらいなんだけど」
「え、ええ? 私……ってアイシクル? だ、大丈夫だと思うけど……まさかソレに使うの?」
まさかのアイシクル。予想外の行動に、アリシアは口を三角にしておお、と声を出した。
「なるほど、こおらせるのですか」
「そう。目論見が成功するかは半々ってトコだな」
開けた場所の岩の上に二つの鍋を置き、さあ、と手を広げる悠。
「あうう……成功するかなあ」
クララは困惑しつつも、本来ならば的に向けるべき意識を鍋に集中して、魔本に魔力を通した。
一瞬、冷たい風が吹き抜け、一行がその心地よさに表情を緩める。
また生暖かい空気に戻ると、そこには中に鍋を閉じ込めた氷柱が立っていた。
「お見事! 流石に魔法の扱いはクララだな」
「え、えへへ……そう? ありがとう」
気を良くした悠に褒められると、力の抜けた笑みを浮かべた。
さて、この『アイシクル』。これはクララの使える呪文の中でも最も詠唱が長く、強力な魔術である。その詠唱の長さから攻撃に使う時は悠達を巻き込まないよう留意しつつ、ありったけの魔力を込めて範囲を広げるのだが、その攻撃力自体は力を込めていない小さな氷柱でも殆ど変わらない。
何がいいたいかといえば、今鍋は凄まじい冷気に曝されているという事だ。
金属は氷柱の冷たさを余すところなく伝え、中の果汁は凄まじい速度で凍結していく。
完全に中身が凍るまで、実に数秒といったところか。
おもむろに氷柱へと近づいていった悠はクララに合図をし、氷柱を解除させる。
氷柱の中から現れた鍋を、布によって手を保護しながら開くと──目論見通り、凍った果汁が現れた。
これを、スプーンでひっかくように削っていく。
「……よし! 目論見通り!」
細かく削れた果汁の氷は、冷たく、ほろほろと溶け、ジューシィ。
そう、シャーベットの完成である。
白いフルーツを見つけた時、悠は漠然とこれを思い描いていた。
見た目は全く違うものの、その性質がココナッツの果肉に似ていたからだ。
ココナッツミルクと適当な果汁を混ぜて凍らせるだけでも、シャーベットっぽくなる。ちょっとした子供心から昔作った氷菓を、再現したのだ。
「よっしゃ、急いで盛り付ける!」
あとは溶けないように、美味しそうに盛って、さっさと食べるだけだ。
せわしなく動き始めた悠に気づき、カティア達も寄ってくる。
「南国風シャーベットの完成だ! 移動する島で南国ってのもおかしな話だけど」
自分のネーミングに、自分でツッコミを入れつつ──悠は、クララ達にシャーベットを差し出していった。
スプーンでこそいでまあるく盛り付けられた黄色とオレンジ色の球体。
なんだか知らないけれど可愛らしい。未経験のビジュアルに、クララ達は釘付けになった。
「わあ、なんかころころしてて、なんだろう、かわいい?」
「見事な美しさだ。食べてなくなってしまうのが寂しくすら感じられるな。うん、なんだろう、いいな」
「た、食べたいけれど食べてしまっていいのかと、ぎもんに思いますね……うつくしい、とはちがう。やっぱりかわいいというのがてきせつなひょうげんでしょうか……」
何故だかわからないが、猛烈に惹かれる。女性陣は、そんな感覚を受けていた。
それもそうだろう。チョコレートの原型や金平糖の様な砂糖菓子などは存在するものの、この世界は文明レベルで言って精々がルネッサンス時代前期ほど。現代の地球の『菓子』と呼べるものが登場するのはもう少し後、同じペースで料理が発展していったとして百年以上は後の話だ。
一部の上流階級はまだしも、この世界の一般人にとっての菓子とは精々が簡素な焼き菓子くらいのもの。一時期スイーツなどという言葉が流行ったが、この世界ではまだ概念の発足すら覚束ないのである。
そんな彼女らに、シャーベットという存在はあまりにも魅力的であった。
「わからんでもないけど、この気候じゃあっという間に溶けちまうと思うぞ。その方が勿体ないし、ちゃんとしてるうちに食べてくれると嬉しいな」
目を釘付けにされているクララ達を横目に苦笑しながら、悠は自分の分のシャーベット──星型の黄色いフルーツを使った方を掬って、口に入れる。
さらりとした舌触りを舌で撫でると、温かな口内はあっという間にシャーベットを滑らかにする。
ミルクのような白いフルーツの果汁で風味を柔らかに丸められた甘酸っぱさが、シーツを広げるようにふわりと広がって、溶けて滑り落ちていく。
火照った身体に冷たいシャーベットが溶けていくさまは、身体に染み渡っていくようでもあった。温度もご馳走のうちであるならば、冷たさもまた贅沢なご馳走になりうるのは道理だ。
「あー……うめえ。なんかデザートっぽいもの久々に食べた気がするわ」
その感覚は、非常に懐かしいものだった。
前述の通り、この世界ではまだ菓子の文化は発展していない。
悠とて甘いものが欲しくなることはあり、そしてそれは果物だけでも満たせるものではなかった。
その点でいつだかのチョコレートバーは良かったが、やはりアレは悠の感覚ではスナック感覚。この暑さの中で食べるシャーベットには敵うはずもない。
「……と、溶けて無駄になっちゃうのはだめね。じゃあ、いただきます」
幸せそうにシャーベットを頬張る悠に触発されて、とうとうシエルがスプーンをその美術品へと切り込ませる。
シャーベットを乗せたスプーンを持ち上げると、小さな氷の粒が木々の間から漏れる光を跳ね返していて、非常に美しい。
シエルが最初にとったのは、夕日色をしていたフルーツと混ぜ合わせた方のシャーベットであった。
口元に近づければ、その冷気が漂ってくる。この暑さの火照りには、それすらもが魅力的に感じるが、後ろ髪引かれる思いを断って、口の中へと移す。
「んんっ……!」
すると──世界が広がった。そもそも氷すらそれほど普及していない世界において、氷菓というのはあまりにも衝撃的だった。
にもかかわらず、世界で最初の一口がこれだというのはあまりにも酷だ。
夕日色の果実の糖度からくる、鮮烈な甘さ。しかしそれはクリーミーな白い果汁と、何よりも冷たさのおかげで全く嫌気のない爽快感となって身体に染み込んでくる。
刺激であるはずの冷たさはむしろ優しく身体を癒やし、次のひとくちへの渇望を撫でるように掻き立てる。
正しく極上品。この先更新されることを考えなければ、こと甘味の完成度においてこれは間違いなく現在史上最高であった。
咥えたスプーンを口から離すと、シエルは一つ息を吐く。冷気を含んだ息を吐く感覚が、また心地良い。
「何これ……こんなの、初めて……」
感想は、ただ恍惚と。
夢見心地が信じられない様に、ただそれだけを呟いた。
誰ともなく、つばを飲む。
そうなれば、群がるようにそれぞれのシャーベットを頬張った。
「ふわあ……甘くて、冷たくて、儚くて……っ! 美味しいっ!」
「な、これをなんと表現すればいいのか……こんな味覚が、この世に存在するのか」
「見た目にうつくしく、つめたくてあまいというしんかんかく! くちどけはなめらかで、さらりとほどけるようにとけていき……! みかくから、しょっかんまでの何もかもがあたらしい! こ、これはなんですかっ!?」
反応の良さは、言うまでもない。
初めての体験が、最高のものであったのだ。食という一点に置いて、これ以上の衝撃はないだろう。
予想以上の反応の良さに、悠はこの世界の食文化を考えつつも、冷や汗を流した。
感動の一欠片も逃さないように深く味わいつつも、一しずくすら無駄にしないよう一心不乱に食べ進める姿を見ていると、作ってよかったという感情が湧く。
どこの世界でも女の子って甘い物が好きなのかな。なんて思いつつ、悠は答える。
「シャーベットって言ってな。本来は果汁に牛乳を混ぜて、味を調整したものをこんな風に凍らせて食べるんよ。白いフルーツが、なんか牛乳っぽい印象があったからいけるんじゃねーかなと思って作ったんだ。暑いから美味いだろって思ってさ」
美味いだろう、という言葉に反応し、全員が無言のまま頷く。
目を合わせても言葉は発しない、鬼気迫るまでの一同にまた苦笑して、悠は続けた。
「牛乳とかがないと滑らかさが出ないから成功するかは半々だったけど、凍りさえすれば削らないで、切り出したのを食べやすく棒みたいなのに刺せばアイスキャンデーっていうのになる。シャーベットと違って舐めたり齧ったりしながら食うことになるかな。こっちも機会があればいずれ作りたいな」
「はあー……っ。本当に、衝撃的だったよー……しかもこれだけじゃないんだね」
「いや、感服した……味もそうだが、全く新しい体験だった、驚いたよ」
「そのアイスキャンデー、というのも気になりますね。ですが今回はただただおみごとでした」
予想以上だったのはお互い様だったようだ。クララ達の反応に驚く悠と、新たな味覚に驚くクララ達。
新たな味覚の発見は大きな喜びだが、悠も含め、全員が甘いものを好んでいるため『冷たい』という味がより鮮烈なものとして焼き付いたのだろう。
「なんだったら『不帰の楽園』にいる間に作るかもな。街じゃ『アイシクル』なんかは相当使いづらいだろうし……」
「なら是非お願いしたいわね。……これ、なんだったら一財産築けるわよ、本当」
未だに信じられない、という表情で皿を見るシエル。
仲間達の反応を見れば、シエルの言うことも大げさではないのだろうと思った。
製法を考えれば、この世界でシャーベットまたはアイスキャンデーを量産するのは、かなり難しいだろう。
「そうだなー、シャーベットは難しいかもしれないけど、アイスキャンデーなら割と楽だろうしちょっと考えてみるか? ……なんてな」
ならば、案外それも悪くはないのかもしれない……とも思う。
冒険が労働だとは思わないが、楽という程ではないにせよお金持ちになってみるのは、どんなものか興味はある。
「けど、しばらくはいいかな。今は皆と冒険してんのが楽しいや」
しかし今は別にいい。それが、本心だった。
「無欲ね。でも……私も、今楽しいわ。すごく」
何故ならば──今が楽しいから。
きっと、それは皆そうだ。多分、そうして同じ気持ちを共有できるからこそ、楽しいのだろうと悠は思う。
「そろそろ帰ろうぜ。この森だと、暗くなるのすげー早いと思う」
「ああっと、それは困る。得体の知れない森で野宿というのは少し気になるぞ」
だからこそ、今日は帰ろう。
急ぐ必要はない、一歩一歩をしっかりと踏みしめていけば、ちゃんと前に進めるのだから。
涼を取った身体で、帰り路を行く。
その足取りは、妙に軽く感じられた。




