第七十五話:空の幸
「ハイ、というわけでそろそろ食料調達の方開始したいと思います」
水を掛け合ったり、泳ぎの講習をしてみたり……ひとしきり常夏の海を楽しんだ悠達は、本来の目的という事になっている海中での食料調達を行うことにした。
「といっても、あんまり気負う必要はないんだけどな。備蓄はあるし、魚も何匹か釣れてるし。どっちみち今日の晩飯はまたカルパッチョでも作ろうって思ってる」
「カルパッチョ! 山の時に悠が作ってくれたやつだよね! 楽しみだなあ」
「ああ、またアレが味わえるのか……」
しかしやはり、これも結局は遊びの延長であることには変わりない。
本日の夕食の献立を公開すると、クララとカティアは記憶に思いを馳せて歓喜の声を上げる。
「カルパッチョ……って、何? 聞いたことのない料理だけど……」
「ふむ……クララさんたちのはんのうを見れば、きたいできそうですが」
「はは、あんまり期待しないでおいてな。シエルは最初は驚くと思うけど、安全は保証するからさ」
「なんか、怖いわね」
それは魚肉とはいえ『生食』であり、この世界の人々には健康上禁忌とされている料理だが──シエルからも、悠への信頼は感じ取れる。なんとか受け入れてくれるだろう──とは思っているのだが。
「まあでも、多分衝撃的な料理には変わりなくてな。そのためにも、食べられなかった時の保険を用意しておこうかと」
「私達も最初は驚いたからねー……」
保険はあるに越したことはない。
山で一緒に用意したつみれ汁は結局それはそれで楽しむだけに留まったが、刺し身は単純に好みに合わないという可能性だってある以上、一応は他の料理も……というのが悠の考えだった。
「あとは、単純にがんばった分だけ夕食が豪華になりますよ! って話だな。魚はあるから貝類とか、あとは小さいカニでもいればいい出汁がとれるかもなー」
しかし目的は他にも。
何事も、わかりやすい成果報酬があればやる気に繋がるというもの。
頑張れば夕食が豪華になる──このちょっとしたレクリエーション感覚は、全員に火をつける。
「ざっと見た感じ危なそうなヤツは居ないけど、毒を持ってる海の生き物って多いからな。毒なり怪我なり、なにか違和感を感じたらクララに治療を頼むこと。あとなにか採れたら食べられるかどうか見るから、俺に見せてな。……それじゃ、始めようか!」
悠の注意に頷きが、声が返り、悠は満足気に頷いた。
このレクリエーションを開催したのも、一通りは悠が安全を確認できたからだが、もしもということもある。注意を真剣に受け止めてくれたのが、嬉しかった。
一斉に海へと潜っていくクララ達。
悠もまた、同じ様に海面へと顔を突っ込んだ。
「(うおお……すっげえ綺麗な水!)」
そうした瞬間驚いたのが、水の透明度だ。
ゴーグルもない視界では細かい部分こそ見づらいが、透明度が高いことだけはよくわかった。
ゴーグルでもあれば、きっとそこには絵画や写真でも伝えきれない自然の美しさがあったろう。
ふと辺りを見回せば、幾つかの人影が見える。
同じく食べられるものを探すクララ達だ。負けてはいられないと、悠も海中を浚うように観察していく。
すると──
「(ぬ、これは……)」
ぼやけた視界に、マリモのように映る黒い姿。
最初は第一印象の通りに海藻の塊かと思ったが、どうにも違う。
もしかして、と辺りを付けた悠は『硬質化』を発動してそれを手にとった。
息苦しさを感じて急いで海面へと上がると、顔を拭ってから掴んだモノを見る。
それは、地球に居たとある──高級食材に似ていた。
「うっ……ウニかー!?」
思わず、叫ぶ悠。
ただならぬ様子に、散らばっていたクララ達も集まってくる。
「ど、どうした!? それはまさか……刺さったのか!?」
悠の手に握られているモノに気がついて、カティアが困惑の声を上げる。
そう、悠の手に握られていた黒いなにか。それは地球の『ウニ』とよく似たなにかであった。
その攻撃的なフォルムは、初めて見る者に衝撃を与えるには十分すぎるものだろう。
なにせ、どこを見ても棘、棘、棘の棘だらけなのだから。
「いや『硬質化』を使ってるんで痛くはない。こんな見た目だけど、俺の居た場所の食材と似ててつい手にとっちゃってな。どうやら食べられるみたいだし、コレは期待できるぞ~」
「そ、そうなのですか? いや、しかしなんこつも食べられたのですからあるいはこれも……?」
悠に次いで食欲の旺盛なアリシアも、流石にこのフォルムにはひるんだらしい。
流石にトゲは食わないんだけど──悠は苦笑しつつも、なんだか面白いので黙っていることにする。
なんかいい感じの野草と炒めても美味いだろうし、なんだったらこのまま魚醤をかけてもいい。途端に膨らんできた晩の献立に、悠は耐えきれず笑みを零す。
「俺はもうちょっとコレ取ってくるから、みんな頑張れよ~」
こうはしていられないとばかりに、悠は再び水中へと潜っていく。
残されたクララ達は顔を見合わせて、気持ちを通じ合わせた。
悠のことは信頼している。信頼しているが──自分達でも色々と採った方が、安全かもしれない。
夕ご飯を豪華にするためにも、もしもの備えを万全にするためにも、少女たちもそれぞれ散り、海へと潜っていく。
その総合的な収穫の量は──おかげさまで、大漁だったと記しておこう。
◆
「よし、早速調理を始めるとするかな!」
「待ってましたあ! って言いたいところだけど……やっぱりそのとげとげが想像できないなあ……」
そして、日も沈む頃。
海から上がった悠達は、明かりの火を前に、夕飯の支度を進めていた。
といっても、今回の料理は生食が基本──の予定になっている。すでにカルパッチョを知っているクララとカティアは大丈夫だろうが、アリシアとシエルは生食に対して全くの経験も知識もない。もしも食べられなかったらという危惧から、悠は他にも二、三品の料理を作るつもりだ。
「まあまあ、見てなって。とりあえずは魚をさばいちゃうからさ」
それでもウニに対しては、まだクララでさえ警戒心を解いていない。
その正体を引っ張りつつ、悠はまず魚を捌くことにした。
ナイフを使って切り込みを入れたり、威勢よく切り開いたりとしながら、食べやすい刺し身の形にしていく。
ちなみにだがこの魚は、青い表皮をしていたが、切り身の方は美しい白身であった。
「派手な表皮だったが、やはり肉の方は綺麗なんだな」
「大概の生き物は赤いか白いかの違いくらいさ。俺のいたところには羽は真っ白、皮と骨は真っ黒で肉も灰色っぽいなんてスゲーのがいたけどな。ちなみに高級食材」
「肉が……灰色? ぞっとしないわね」
「でもこうきゅうしょくざいということはおいしいのでしょうね」
「味は淡白だけどダシが凄いって聞くな。一回食ってみたかったけど機会はなかったな、っと」
雑談などを交えながらも、悠のドラゴンナイフは氷上を滑るように滑らかな動きで魚を切り分けていく──
ここに、植物油にガリカの実や胡椒などを混ぜたソースをかければ、料理は完成だ。
「……もしかして、完成? 煮たり焼いたりしないの?」
「そ、コレで完成。大丈夫かどうか気になるなら、クララ達に聞いてくれ~」
案の定、まさか肉類を生で食べるとは思っていなかったシエルが、嘘でしょうと言わんばかりにカルパッチョを指し示す。
こういうのは最初が肝心なので、二度目の説明を詳しく行っても良かったのだが、それはうんちくを語りたがりそうにしているクララ達に任せることにした。
説明をクララ達に任せた悠は、次に大量のウニらしき生物の調理にとりかかる。
と言っても、その構造はほとんどウニだ。ナイフで口の周りを切り離し、そのまま二つに割れば果実のようにも見える黄金色の部位が姿を現す。
食用に適さないジェル状の部分などを丁寧に取り除き、最後は塩水で軽く汚れを落としてやれば、これだけでもう立派な料理と言える身が姿を現す。
「これがこいつの食べ方だな。浅い岩場で取れるのが一番うまいっていうし、期待できそうだ」
「あ、こうしてるとちょっと美味しそう……かも。トゲは食べないんだね」
「さっき肉の色の話をしていたばかりだが、これは綺麗な黄金色なんだな……ふむ、興味深い」
ウニが気になったのだろう、一旦話を切り上げてきたクララ達が、その黄金色の身を覗き込む。
……そう、確かに黄色い肉というのはさぞ珍しいことだろう。悠の知る限りでは、こんな色の肉というのは聞いたことはない。
というのも──この生物が地球上のウニと同じ構造ならば──この可食部位というのは、精巣や卵巣に当たる部分なのだから。
体の一部である以上これも肉と言っても間違いではないのだろうが、未知の食材はなるべく先入観なしで食べてもらいたいというのが、悠の考えである。
「はは……だろ? さて、コイツも生で食べられるんで、炒めものと生食とで試してみようか」
なのでこの場はさっと流し、調理を進めることにする。
サシミ講習を再開する傍らで、悠はまず生身のウニを皿に盛る。
そこに魚醤をかければ料理と言い張れる一皿の完成だ。ウニにガルム──魚醤をかけるというのは、古代のローマでもしていた事だそうだ。当時は塩漬けなどにしていたそうだが。
そして、加熱調理の方は──
泉の近くに生えていた野草を使う。噛むとぴりりとした辛味が走る、爽やかな香りの植物だ。辛味のある野草と、ウニを炒める。簡単だが、きっと相性がいいことだろう。
あとは蒸し焼きにしていた貝を取り出せば、完成だ。
「よし、出来た。魚介尽くし完成! 新鮮なうちに食べちまおう!」
「どれどれ……おお、これはなんともふしぎなかおり。のうこうかつぴりっとしたさわやかさですね」
出来上がった料理を全員で運ぶ最中、その香りを吸ったアリシアが、緩んだ顔で言う。
確かにそれは、魅力的な香りだった。濃厚なウニの旨さ、野草の辛子のような香り──が、食べずとも伝わってくるほどに。
「よし、じゃあ揃って、いただきます」
「いただきます」
調査隊お決まりの挨拶を口にして、食事が始まる。
しかし、今回はクララやカティアも含め、全員が戸惑っているようだ。
何から食べればいいのか、と言ったところか。禁忌とされている生食、そしてトゲに包まれた謎の生物。
結局、クララ達は、その選択を悠に委ねることにした。
そうとは知らず、最初に悠が手にとったもの。それは──生ウニのガルムがけであった。
刺すのではなく掬うように、黄金色の身をフォークに乗せれば、儚げに震える柔らかさが、同じ大きさの黄金と間違えるほどの存在感が伝わってくる。
その味は──まさに、濃厚の一言だ。
ふるりと柔らかな食感が舌に降りれば、海の香が感覚を塗り替えるように鮮烈に、しかし優しく駆け抜けていく。
溶けるような舌触りをせがむように押しつぶせば、それは弾け飛ぶように喉を、鼻を染め上げる。
次いでやってくるのは、穏やかな甘みだ。悠が口にする機会のあったような市販のウニのいがらっぽさは全く存在せず、包み込むような甘みがクリームになって、染み込むように広がっていく。
「ん~……うめえ! 天然のって甘いんだな……」
予想以上の旨さに、悠は唸る。
この世界では基本的に高い魔力を持つ魔物ほど美味い──が、新鮮さと適切な調理さえあれば、美味いものは美味いのだ。
……尤も、美味しいものにありつくのには努力が必要という原則は変わらないのだが。このウニのような生物も、実は地球上の生物では考えられないほど硬い外殻を持っていた。それが気にならなかったのは、優秀な調理器具と優秀な調理人(馬鹿力)が揃ってこそだ。
とはいえ、こうなってしまっては地球の生物と変わりはない。
「……! お、美味しいっ! しょっぱい味付けだけなのに、甘いっ!」
「これはまた見事な! 取り出しただけの身が上質なクリームのようだ!」
その味は、魔力が高い魔物の味に慣れたクララやカティアでさえ感動するものだ。
単純な調理で極上の味、というのは先のワニ肉でもあったことだが、調理すらほぼ必要ないこの食材のポテンシャルは凄まじいと言えるだろう。
ならば、調理をした味とは一体どれほどのものか。
野草とウニの炒め物──熱で溶け出したウニはしかし粒を残しており、炒めて色が濃くなった野草によく絡んでいる。
立ち上る湯気を一呼吸取り込むと、海が広がるような気がする。濃厚な香りが更に凝縮されているようだった。
一口分をフォークに絡め、口に入れる。
「……!」
味も、香りも、全てが数段増している。
滑らかな甘さは絡みつくようにねっとりとしており、クリームと言うよりは溶けたチーズのようだ。
また、それがぴりりと辛い野草の仄かな苦味と互いを引き立てあっている。
シャッキリと歯切れのよい野草はその断面から爽やかな香りを放出し、ウニの包容力が鮮烈な香りを受け止めていて──
「おいしい……! 生も大したものでしたが、これはさらにあまく、かおりだかい……! それだけではない、からみとにがみのあるはっぱのふうみがよりきいろいみのあじを引き立てています……!」
「ほ、ほんとに美味しい……! こんなに個性の強い味は初めて……!」
ただでさえ美味いウニが、より甘くより香り高くなっているのだ、まずいはずがない。
それだけではなく、辛子のような風味を持つ野草の爽やかさが、味が重くなりすぎるのを防いでいる。
鮮烈かつ濃厚だが嫌気のない、奇跡の調和と言えるだろう。
「ん~っ……お魚も美味しい! ぷりぷりしてて、サクッと歯切れがよくて……生臭さとかないのも凄いな~」
「ひじょうに上品なあじですね。こきみよいはぎれにてきどなあぶら……ソースのせんさいなかおりとよくマッチしています。生のお魚と一口に言っても、しゅるいによってあじは大きくかわるのですね……」
そして残りの一皿も、間違いのない一品だったようだ。
ガリカや胡椒などの香辛料が入ったソースで臭みを消した魚は、臭みもなく、歯切れも良い。
いつしかの『バブリン』と比べ、脂の乗っている身は例えるならブリに近いだろうか。大トロのようだった『ディープホワイト』と『バブリン』の中間ほどの脂のノリと言えるだろう。
「……! 美味しい……生の魚って、こんなに美味しかったんだ」
クララ達の反応を見て、恐る恐るカルパッチョに手を出したシエルは、驚愕に目を見開いた。
口を抑えた手の奥で、興奮から顔が赤らむのが見える。
未知を追い求める冒険家にとって新しい発見というのは、財宝を見つけることにも等しい。
それが健康を害する可能性が高い、禁忌とされているモノの奥にあったのなら、その喜びもひとしおだ。
「気に入ってもらえたようで良かったよ。めっちゃくちゃ強い魔物じゃなくても美味いやつはいるもんだな」
「魔力が味の全部を決めるわけじゃないのね……料理って奥が深いわ」
基本的に、強い魔力を持つ魔物ほど美味い──この世界においてその法則は間違いではなく、常識となっている。だが、悠は決して弱い魔物が必ずしも不味いというわけではないことを、陸の巻き貝、ソルトロールなどで学んでいる。岩塩地帯に生息するソルトロールは、強固な殻を持つわけでもなく、鋭い爪や牙も持っていない。にもかかわらず、塩味のする身は滋味に富んでいて、山の生活で癒しになったものだ。
常識にとどまらず未知の味覚を開拓する悠は、シエルだけではなくクララ達全員に尊敬の念を起こさせた。
「んん、程よいとろっと食感で刺身もうまい。ここの食い物は何食っても美味くていいな~」
けれどそうとは知らず、悠は自分の作った料理を幸せそうに頬張っている。
その様は控えめに言っても普通の少年となんら変わりないもので、なんだか見ているとこちらまで楽しくなってくるようだった。
「どうしたんだよ。早めに食わないと鮮度が落ちるぞ。蒸し暑いからなあ、ここ」
「わわ、それはちょっともったいない。食べる食べる」
外れた調子で食事を急かす悠の言葉に押されて、クララ達は急いで食事を再開する。
これだけ幸せそうなのに、惜しむことなく幸せを共有できる──それはとても素敵なことだと、クララは思う。
「しかし、これだけ美味いと丼で食べたかったなー、ディミトリアスに渡した米が栽培できれば、ぜひ海鮮丼と洒落込みたいもんだ」
「ドンブリ、というと『ウィルダ』の肉の煮込みと食べたアレか。生魚にも合うとは、幅が広いな」
「そうなんだよ。米は日本……ああ、俺の出身国なんだけど──日本人の魂っていうくらいだからな。ソレに合うものや料理もたくさん開発されてるんだぜ。いつか披露する機会があればいいな」
そして悠の語る未来は、クララ達にはとても輝かしく見える。
皆で美味しいものを囲みながら、先を語り合う、語り続ける。そんな今が続けばいいなと、誰もが思った。




