第七十三話:最初の食事
「早速魔物と出くわすとはなー……強い魔物がひしめき合ってるって情報も、ダテじゃあなさそうだな」
「ドロウサイダークラスは余裕であるって感じね。ほんの少し中心部に向かっただけでこのレベルが出てくると思うと、中心部ほど魔物が強いっていうのが本当ならかなり難易度の高い極圏だわ」
ワニを打倒した悠達は、泉の側で遠巻きにワニを見ながら、情報の整理を行っていた。
確かに極圏探索を初めてすぐに出会った魔物としては、この『脚長ワニ』はかなり強力な魔物と言えた。
破壊力に、素早さ、そして硬さ。全てにおいて高水準という非常にシンプルな強さだ。
生命力の方も高いようで、戦闘が終わって二、三分がたった今でも時折動いているのには、思わず顔を顰めたくなる。
「いきなりこんなのが出てくると先が心配だなあ……動きを見るのがギリギリだよ……」
「見た感じ、特にすばしっこいタイプだったようにも見えるがな。だが、三人でも余裕が残るんだ、クララとアリシアが一緒に戦ってくれれば大概は平気さ」
それでも、悠達は余力を残していた。
ヘタな極圏ならば『主』にもなり得るクラスの魔物を相手にしてもなお、全員でかからず、かつ魔力を節約しながら勝利できる──これほどのパーティは、探す範囲を歴史上まで広げても数えるほどしか居ないだろう。
しかし悠達はそれだけではない。
「で、どうなんです。これは食べられるのですか?」
「おう、バッチシの筈だ! 似た動物の肉は食ったことがあるんだけど、そこそこ美味かったから期待できるかもなー」
悠達には、理を外れた特殊能力があるのだ。
もしも悠たちに成しえないことならば、どのパーティでも無理なことだ。そう評したディミトリアスの言葉は、まさしくその通りであると言えた。
悠の言葉に、一行は見て取れるほどにテンションを上げる。
悠の食事は美味いだけではなく滋養強壮にも富む。疲労や魔力を回復するのにもぴったりなため、暑さで疲れを覚えたクララたちにとってはありがたいことだった。
「ううむ、もう鱗のある動物でも問題なく食欲につながるのは恐ろしいところだな」
「慣れてるに越したことねーよ。でも多分──」
いい加減に動かなくなったワニへと近づいていった悠は、ドラゴンナイフを取り出して手早く解体を始めた。
「そういえばそれ、ドラゴンの牙を調理用に使うなんて、貴方も大概よね」
「料理にだけ使ってるってわけじゃないんだけど……正直、俺もちょっとそう思う」
ワニの皮は硬く、ドラゴンナイフでなければ解体にもっと手間取ったであろう事を考えると、これでなければならない理由もあるのだが──ドラゴンの牙といえばファンタジーでも定番のアイテム。それを料理に使うというのもなんだか、罰当たりな気がするのは確かだった。
とはいえ、薄い場所さえ見ていけば鎧のような鱗に包まれた皮もラクラク切り進めるのも事実だ。
そういうめぐり合わせだったのだろうと、悠は苦笑しながらナイフを走らせる。
本来の目的に集中すると、ナイフはまるで楽譜の上を踊るように流麗に進んでいく。
やがて肉の一部を切り出すと、悠は掲げるようにワニ肉を見せつけた。
「ホラ、肉は綺麗なモンだろ? 嫌な臭いとかもないしさ」
「おお、本当だ……! 上品なピンクの肉だな!」
「ちょっと鶏に似てるかな? 美味しそう……」
「でも、皮を見ると鱗なのよね……不思議だわ」
反応は三者三様。
だが概ね好意的と言えるだろう。
悠の感想は、やはり地球のワニとよく似ている──というものだった。
言う通り、悠はワニを食べた経験があるのだ。調理も自分で行っている以上、その肉にも覚えがある。
──意外なまでに、ワニの肉は鶏とよく似ていた。
味や食感の感想も、メジャーな食肉を例えに出すのならばやはり鶏になるだろう。
「それで、それで、どうちょうりするのですか? たしかおいしいといっていましたね」
「多分の話だけどな。調理方法だけど──そうだなあ、わりと何しても美味いんだよな。カレー……は材料的に無理だけど、からあげ、シンプルにソテー、変わり種だとたたきなんてのもあるけど……これは、止めとくか」
そしてその調理方法も、鶏と同じ様に多い。
基本的にはどう調理してもうまいといって良いだろう。
「というわけで、手軽にソテー。思ったより暑かったことだし、野菜を早く使いたいのもあってシチューってトコか。暑い中って思うかもしれないけど、暑いからこそ栄養を取っていこうな!」
悠自身が上がってきた気分を隠せずに、声は高揚していく。
すると、何が起こるかクララたちはわかっている。
単純、美味しいご飯が食べられるのだ。
「よーっし! じゃあ調理していこうか! ……その前に解体しなきゃだけどさ」
高らかに宣言した悠に呼応するように歓喜の声を上げるクララとカティア。アリシアは小恥ずかしいからか今ひとつハイテンション! というわけにはいかないようだが、一番楽しみにしているのはこれで彼女だ。
表情の色は薄くとも、どこか柔らかくなった雰囲気に、シエルはわかりやすい子だと笑う。
とはいえ──それも、悠に比べればまだまだと言ったところか。
「うおお……! いい肉質だなあ! 脂は少ないけどなんだいこの芳香! マジにここが楽園か……!?」
調理を始めた悠の言動は、少しアブないものだった。
そんな彼が幸せそのものを作り出すのだから大したものだ。『ユウの料理』の経験が少ないシエルだが、クララ達がこうなるのも無理はないと思う。
一方で、悠もまた見れば分かる──異常に、テンションを上げていた。
その理由は、この魔物によく似た生物であるワニを食べたことがあるからこそだった。
ワニの肉というのは、調理段階ではやや臭みがあるのだ。生臭かったり泥臭かったりと言うよりかは、水草のような香りだろうか。好き嫌いがあることには変わりない。
だが──悠が今感じる芳香は、全く嫌味のない、バナナにも似た甘ささえ感じる香りだった。
ワニの肉は環境の影響を受けやすいと聞いたことはある。日本で手に入れるにはひと手間が必要なワニの肉を食べ比べる機会などあるはずがないので、噂の真偽は定かではなかったが──なるほど、これほどの大自然で綺麗な水場を独占するような生物ならば、それも納得が出来る気がした。
「へえ……見事なものね。流石に手際がいいわ」
「そうか? 慣れりゃこんなもんだろ。良ければ今度教えるぜ」
「ん、ちょっと興味はある。向こうに帰ったときにでもお願い」
悠が調理の下ごしらえをしていると、物珍しさから覗きに来たシエルが感心した様に呟いた。
リズムよく包丁──として使っているドラゴンナイフ──が素材を切り、まな板を叩く音が心地よい。
一人での活動が長いため、シエルはこのパーティの中でも料理は出来る方だろう。だがあくまでそれは必要があるからやっていることで、趣味にまで昇華させた悠の手管に比べれば、無骨もいいところだった。
ここでは肩肘を張る必要がない。それを思うと、少しばかり女の子っぽいこともしてみたい。悠という良い教師がいる料理は、その足がかりとしては理想的なものだった。
「おー、いいね。んじゃ無事に戻ったらお料理教室のマネごとでもすっか! 趣味の仲間が増えるのは大歓迎だぜ」
「ほう、楽しそうな話をしているな。私も混ぜてはもらえないか?」
「わ、私も! 前々から興味あったんだ!」
「いいぞいいぞ。みんなまとめてこい。アリシアはどうする?」
「わたしはししょくの方で。まだ台所にもとどきませんので」
「物は言いようだな」
シチューを煮込むなどしながら雑談していると、鍋の方からいい匂いがしてくる。
そろそろ良い具合だというタイミングを見計らって、悠はソテーの調理に入った。
バターを多めに、炒めるようにワニの一枚肉に火を通していく。甘い香りもこうするとなりを潜め、メイラード反応の香ばしい香りが漂ってきた。
焼いた肉にはやはりこれが無いと寂しい──ちゃんとガツンとした食欲の香りが出来上がり、悠は安堵の息をつく。
「よし! 出来上がり。シチューもいい塩梅だし、飯といこう!」
「はいぜんはおまかせください。もうおなかがぺこぺこです」
アリシアを筆頭に配膳を手早く済ませ、悠達は輪になるように腰を下ろす。
並んだ料理は、一言で言えば魅力的であった。
きつね色に焼き上げられたソテーは香ばしい香りを立ち上らえせており、食べやすいよう切り分けられた断面には薄っすらと肉汁が滲んでいる。
一方でシチューはというと、これもまた素晴らしい。とろとろになるまで煮込まれた野菜──特にキャベツのようなブラッカは、たっぷりとスープを吸っていてまるでエメラルドのベールのようだ。輝かしいばかりの野菜がまず目に入るが、ワニ肉のクリーム色の美しさも負けてはいない。むしろ飾らない存在感が、この料理の中心であると感じられた。
「おお……これはまたうまそうだ」
「持ち込みの素材を使ったとはいえ、極圏でこんな手が込んだ料理が食べられるなんて、驚きね」
「と言っても、大分簡単に作ったつもりなんだけどな」
本来なら、牛乳でもあればクリームシチューにしたんだけど──と続けつつも、これはこれで正解かもしれないと悠は思っていた。
その理由は、仲間たちの反応を見れば正しかったといえるだろう。
「それじゃあ冷めないうちに食っちまおう! いただきます」
「いただきます!」
手を合わせて叫ぶいただきます、はまるで号令のように。
悠の合図に合わせて、一斉に食器が踊る。
悠が最初に目をつけたのは、ソテーの方だった。
肉汁のにじむ断面。そこにフォークを突きたてると、適度な抵抗感と共に柔らかな感覚で迎え入れられる。
ジューシーという程ではないが、荒い断面に纏わりつくようにしっかりと肉汁の保たれているさまは期待を煽る。
ずっしりとした肉質を口に入れれば、まずはこんがりと焼かれた香ばしさが、続いてバナナの様な、コクのある甘い香りが僅かに薫る。
優しい歯ざわりもいい。しっとりとした肉質は歯を優しく包み込むようでいて、歯を沈ませれはベタつかず、潔く繊維がちぎれていく。
肉の味も、脂が少ないため淡白かと思いきや、さっくりと繊維が千切れるほどににじみ出てくるような肉の旨味が顔を出す。
バターをたっぷりと使っているにもかかわらず、非常に爽やかな旨味であった。
「ん~っ! 美味しい! お肉なのに爽やかで、でも軽いっていうわけでもなくて……不思議な味だね」
「焼き加減は良いが、ほぼ焼くだけでこうなるのは驚きだな。香草のたぐいを使っていないとは思えない芳香だ」
まさしく、焼くだけでも工夫を凝らした料理のような出来栄えだ。
悠の火加減は完璧といってもよい出来栄えだったが、これなら誰が焼いてもそこそこは美味い──と、悠は考える。
インスタントな感覚で高級な料理と遜色のないものが出来上がる──極圏探索という環境において、この肉の調理の手軽さは冒険者の救世主となるだろう。……尤も、この魔物を仕留めることこそが最大の難関とも言えるが。
では、多少なりと手をかけたほうはどうか。
ずっしりとした感覚を受けながらシチューに刺さったスプーンを引き上げると、くたくたになったブラッカを纏ってクリーム色の肉が現れる。
特別な味付けこそないものの、野菜と肉のダシがたっぷりと出たスープは黄金色に輝いている。
簡素な料理だと言うのに、美しい。不思議な魅力がそこにはある。
外見に見惚れるのもそこそこに、悠は重いスプーンを口へと運ぶ。
すると──ほろりと野菜がほぐれ、とろとろと舌へ溶け出す。
野菜はたっぷりと肉から出たダシを吸い取っており、凝縮したコンソメスープのような濃厚な味が広がっていく。
肉はというと、果物のような甘い芳香が野菜の甘味と合わさって、複雑かつ繊細な味わいを生み出していた。
また、たっぷりと汁気を孕んだ野菜はジューシーさに欠ける肉の食感をよく補っている。優しい噛みごたえのソテーとは違い、万人受けするひたすらに完成度の高い食感だ。
「んむ……すばらしいです! やさいのあまみに、おにくのあまいかおりがマッチしており、あじにおくゆかしいふかみをあたえている……!」
「これ、美味しい……! 貴方、こんなに繊細な料理も得意なのね……」
「ん、単純な料理だよ。でも確かに複雑な味わいだ。今回は素材の力がでかいぜこれ」
悠はスプーンに乗せたシチューを見つめながら、感心したふうに語る。
料理の腕がいいのは確かだが、そうでなくともこの素材ならどう調理してもうまい……というふうになるだろう。
「んんー……美味しかった! お腹いっぱいになったら、なんか元気が出てきたよ~」
「まいどのことながら、つかれがとれるようですね。おなかがいっぱいなので、ねむたくなってはきましたが」
「じゃあ気持ちいい寝床を作るためにも午後の仕事だな。水場は確保したし、飯も確保したことだし。あとは拠点の確保が最優先だ」
午後の仕事、という言葉にアリシアは歪ませた口を波打たせる様にして、無言の抗議を表明する。
とはいえ本気で嫌がっているようではなく、動き出すのは早かった。
食器洗いを始めた悠達を見て、少し遅れてカティアとシエルが腰を上げる。
「気づいたか?」
「ええ。気持ちの問題じゃない、本当に疲労が取れている──というより、『体力と魔力』が回復している。……とんでもない力ね」
「これはまだ仮説だが、おそらく上限の方も僅かだが増えている……と思う。ユウのそれに比べればごく僅かではあるがな」
語るのは、自分達の身体にみなぎる活力についてだ。
食べれば減った体力や魔力が回復するどころか、それだけでわずかながら確実に強くなれる料理──その価値というものがどれほどのものかは、想像だにできないものだ。
敢えてカティアが悠達と情報を共有していない理由を察して、シエルはため息を吐き出した。
この力が知れ渡れば、人々は悠を自由にさせておくはずがない。
カティアの思惑を察したシエルは、この事実を胸のうちに秘めておくことにした。
「おーい、早く来いよ! 日が暮れたら野ざらしで眠ることになっちまうぜ」
「そ、それは困る! 今行くっ」
野ざらしで眠ることに抵抗があるカティアは、悠の言葉に強く反応して駆け出した。
本当に、とんでもない人達の仲間になってしまった──困ったようにため息を吐いたシエルだったが、すぐに笑顔を浮かべる。
損得を抜きにして、力になりたいと思う。殊更、恩のあるクララと──不思議な魅力のある、悠に対しては。
「私も早く追いつきたいところね」
まだ自分は彼らの特異性に肩を並べられたという実感はない──だからこそ、追いつきたい。
そうつぶやいてから、シエルは早歩きに悠達の元へと向かう。
自分に胸を張って、悠達の仲間と言うために。




