第六話:塩
「さて……何か面白いモンが見つからないかね」
ちょうど太陽が真上に登る頃、悠はベースキャンプを離れて食料の調達をしていた。
食糧の必要性が増えたため、幅広い範囲で食材を集めるためだ。
背中のリュックには、日用品の代わりに豊富な食材が詰まっている。
味はともかく、全て毒がないれっきとした『食材』なのは、悠の能力の賜物だろう。
背中の重みが増していくにつれ、悠は機嫌を良くしていく。食材集めの労力は昨日以前よりも大変になっているのだが、悠に疲れはなかった。
本人はあまり気づいていないものの、異世界に来た時よりも活力に満ちていたからだ。
「あの木の実、取れそうだな」
ふと、木の上を見上げると、楕円形の紅い実が目に入った。なんの前触れもなく木の上へと視線を動かしたのは、悠が『なんとなく』気になったからだ。
……これも、悠に根付いた力の一つだった。可食性のモノに対する嗅覚と言うべきか。『毒の有無を判別する』だけでなく、悠はこの世界に来てから『食べても害がない』物よりも『食べられる』食物に気づきやすく、より強い興味を惹かれるようになっていたのだ。
「っと」
──屈伸し、身体を解す。
その間も悠の視線は、木の上──四メートルほど上にある紅い果実に注がれている。
『準備運動』を終えた悠は身体を慣らして、狙いを定めると、木に登り始める。
のではなく──垂直に飛び上がった。
上へと糸で引かれるように、悠の身体は重力の方向とは逆に浮き上がっていく。
そして──地面から四メートルも上の位置にある木の実を、掴み取った。
「へへー、やりィ」
助走もなく、特別な動作もない垂直跳び。たったそれだけで、悠は人間の跳躍からするとはるか上の位置にある果実を手にしていた。
それは、言うまでもなく異常と言えるだろう。垂直跳びは世界で活躍するトップクラスの選手でさえ、七十センチほどが限界だ。上げた手の位置だけでも地表から四メートル程の位置にまで到達するというのは有り得ない。
まして、安定しない土の地面で、軽々とそれを成すというのは。
「こっちの世界に来てからメチャクチャ調子いいよなー。日に日に強くなってるっていうか……美味いメシ食ってるからかな?」
冗談めかして言う悠だが、それが冗談ではない事はまだ気づいていない。
……そう、悠は、食事を取る度に強くなっていたのだ。それこそ、軽々と垂直跳びで二メートル以上は飛ぶほどに。
その異常性に悠が気づかないのは──良くも悪くも、気がついたら異世界へ……というライトノベルに慣れていたからだろう。
「ん、美味い。見た目通りリンゴみたいな食感だな。野生だからか、甘さは控えめだけど」
もう一つ言うならば、というよりも此方のほうが大きな理由なのだが。
『食べるほど強くなる』という自分の能力に気が付かないのは、やっぱり悠の興味が異世界の食材へと全振りされていたからに他ならない。
「おっ、これ初日に見た青い葉っぱか。……毒は、ないみたいだな」
今はもう、悠の興味は別の食材へと移っていた。今度の興味の対象は、初日に見た『青い葉っぱ』だ。ごく一部を除き、基本的に自然界には存在しないと言われる青い葉を摘み取り、匂いを嗅ぐ。
酸味の匂い。見た目以上にみずみずしい香りに、頬をほころばせる。
土を払い、葉を一口かじると、強い甘みが舌に広がっていった。
「甘い……! フルーツみたいだ……!」
見た目からは想像できない味に、目を輝かせる。強い甘みを感じる葉というのは、初めての経験だった。
甘い葉は地球にもあるのだが、悠はまだそれらを食べたことは無い。
十分に食用に向いていることが分かると、悠はまるごと一枚を口の中に入れる。
生の葉特有のもさもさとして歯や舌に張り付く感触はあるものの、肉厚の葉はしゃきしゃきとみずみずしく、噛むたび爽やかな香りと強い甘さが口の中で弾けていく。
「これ、あの子も喜ぶかもな。ちょっと多めに取ってくか」
群生した青い葉を、悠はてきぱきと摘み取っていく。量的には『食事』には程遠いかさだが、嗜好品としては十分な量を摘み取ると、悠は再び食材調達へと出発する。
その顔には、やはり疲れはなかった。様々な食材を、より多く採取しなければならない──それも、今の悠にはより多くの食材を見て、食べる事が出来るチャンスに他ならない。
手軽に摂れる果実やキノコをかばんに放り込みつつ、山を歩いて行く。
「おお……壮観……」
……やがて、悠は岩場へと到着した。そこに広がっていたのは、黄色みがかった岩が露出した岩場だった。
表面は粉を吹いたように白くなっていて、陽の光を反射して輝いている。その美しい光景に、思わず息を漏らす悠だが、そうして驚いていたのは少しの間だ。直ぐに表情をほころばせ、悠は岩場へと駆け寄っていく。
「もしかして……!」
食材のみに大きな関心を示す悠が、いくら綺麗に見えても岩に興味を示すのは、非常に珍しいことと言える。
「塩……岩塩だ!」
だが、今回も『珍しいこと』ではなかったようだ。よく見られる岩とは色が違う、変わった石。その存在に心当たりが有ったからこそ、悠は興奮した様子で岩場へと駆けたのだ。
舌の上に広がったのは、久しぶりに感じる『当たり前』の味覚。
──岩塩。それは料理の基本となる、もっとも重要な調味料、塩だった。
「海があるからいつかは取りたいと思ってたけど……山で手に入るのは幸運だったな!」
幅広い料理の味の根幹となるだけでなく、生き物が生きていく上で必要な栄養素でもある。これを大きな移動も特殊な手段も無く、手に入れられるのは紛れもなく僥倖といえた。
「毒の方も問題なさそうだな。これで、美味いもんが食えるぞ!」
塩は、言うまでもなく地球でも見慣れていた調味料だ。
だがそれを山の中で手に入れる事が出来た悠は興奮していた。いっきに豊かになるであろう食事に対してもそうだが──何故だか、今は遠く離れた世界とのつながりを感じられた気がしたからだ。
「んじゃそろそろ帰るか……?」
とはいえ、悠はもう『こちら』で過ごす意思は固めている。無意識に帰る、という言葉を使い、割った岩塩をかばんに押し込む。
が、その言葉尻は強く引き締められたものではなく、ひどくふわふわとした水面に漂うようなあやふやさに満ちていた。
新たなる『興味の対象』を見つけてしまったからだ。
塩の岩場に、いくつか見える黒い点。しかしそれは動いていて──
悠は、恐る恐るといった様子で小さな物体へと近づいていく。
目を近づけて見ると、それは……
「巻貝……? 貝か? こんな山の中、岩塩の上に?」
殻を被った、小さな生物であった。口にした名は、地球では海に住まう生物の名前だ。
ひょい、と岩場に張り付く貝? を持ち上げる悠。
「変わったところはない、か。毒もない。見てる限りは貝だな」
一応は可食性である事を確認した悠は、訝しげな視線で貝を観察する。
見た目は貝。何処も可笑しいところはない。水場のない、山の上に居ることを除けば。
「山の貝……どんな味がするんだ……?」
山の上に居るだけ。たったそれだけと思うかもしれないが、悠にとってはその不思議さは十分に興味をそそる対象だった。
山の上で生活している以上は、貝と似ていても体の構造は違うのだろう。だとしたら、この生物は一体どんな味がするのか──
興奮を抑えきれず、悠は暫定貝を採取する。激しい動きはしないだろうが、生き物なので弁当箱の中に閉じ込めた。
「色々手に入ったし、今日はもう終わりだな。どんな味がするか、今から楽しみだぜ……!」
グヘヘ、とでも付け足しそうな愉悦の表情で、悠は帰路についた。