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第六十七話:『あのお方』

 港町モイラスの一角。酒場や宿などが集まった、冒険者がよく通る区画に、その宿は店を構えている。

 よく行き届いたサービスと、グレードのいい寝具、そして相応の一泊あたりの価格──その宿は、極圏探索を成功させ、心地よい睡眠が恋しくなった冒険者たちが使う宿として評判だった。

 酒場などの併設はしていないものの、メインストリートに隣接しているという地理は付近に食事を探す際には不自由を感じさせず、少し歩けば換金所や様々な店が連なるように立ち並んでいる。

 一言で言えば、その宿は有名であった。それも高級であるとか評判が良いだとか、割合良い方向の噂に恵まれる程度には。


 しかし、その宿には最近もう一つ小さな噂が立っている。

 それは──


「ここ、貴方達が借りている宿だったのね。ある時からずっと借り続けられている二部屋があるって、結構有名よ。ずいぶん景気のいい奴らがいるとか、あるいは亡霊が住み着いてるんじゃないかってね」


 そんな高級宿を、ずっと借り続けている何者かがいる、という噂。

 極圏へ探索に出て魔物の素材や鉱石を採取し、生計を立てる冒険者にとって港町モイラスは離れられない場所だ。

 自然と拠点もモイラスに構えることになるのだが、探索に出かければ長い間街を離れるということで、宿を使う冒険者は少なくない。

 その上で、探索に出て街を離れている間もずっと同じ宿の部屋を借り続ける冒険者はめったに居ない。そんな事をするくらいならば家を買うなり借りるなりした方がずっと安く済むからだ。

 たまにそれを実行する奇特な冒険者もいるが、そうなればその宿の一室は『開かずの間』の話として酒の肴にでもなることだろう。

 ましてこんな高級宿だ、そこに二部屋も開かずの間があれば、人々の想像力も膨らむことだろう。


「いやー……景気が良いと言われるとなんとも。正直、俺この宿の一泊の値段も知らないんで……」

「少し話したが、私達はザオ教から依頼される形で極圏の調査を行っている体だからな。宿の方は、ザオ教持ちだ」

「それはそれで、景気のいい話だけれど。『開かずの間』の実態にザオ教が絡んでいるなんて、それはそれで噂になりそうね」


 そんな噂など知らず、亡霊にまでされかかっているのが悠達一行なのであった。

 『高級宿を借り続ける何者か』『亡霊が住んでいるので部屋を開けられない』『時折話し声がする』──

 いつの間にか怪談になっていた現状に、悠は頬を掻いた。

 時折話し声がするというのは、こうして極圏探索から帰っている時のことだろう。


「けれど、私もそんな怪談の仲間入りってわけね。……宿代とか、私も見てもらえるのかしら? 流石にここを自腹で借り続けるほど景気は良くないし、一人だけ別の宿っていうのも少し寂しいんだけど」


 そして──時折響く『亡霊の話し声』に新しく加わったのが、難しい顔で眉間に皺を寄せるシエル=フランセルであった。

 ギルドのある酒場にいることが多いシエルは噂話にもそれなりに詳しいのだが、まさか自分がその噂話の一員になるとは。なんとも因果な話である。


「それは心配いらない。あの御方はなんというか、結構大雑把だからな。仲間が増えたと伝えれば喜んで取り計らってくれるはずだ」

「私も最初は驚いたけどねー。でも、いい人だし大丈夫だと思うよ」


 ひとまずの心配事を否定され、シエルは胸をなでおろした。

 だが、そうなるともう一つ気になることがある。


「そう言ってくれると少し気が楽だけど。……そういえば、その『あの御方』とかいう貴方達の協力者って、どんな人なの? 貴方達に対するサポートの手厚さといい、本来極圏への渡航を禁止されている騎士を極圏に送り込んだり、相当な力がある……と、思うのだけれど」


 それは、悠達の『協力者』がどの様な者であるか、だ。

 提示した推測の材料は実に的を射ていて、宿や道具のサポートから、騎士を極圏に送り込む権力など──それらは、生半な存在では実現たり得ないレベルのものだ。

 なんの目的があって、それほどの者が? あるいは後ろ暗い話になるのでは──そう考えたシエルの問いかけは段々言葉尻を弱くし、誰かから隠れるようなささやき声になっていく。

 しかしそうして聞かれても悠達の脳裏に浮かぶのは底抜けに明るい青年の笑い声で、なんだか悠は吹き出してしまいそうになる。

 なんでもないことのように、実際に何でも無いことを話すだけの悠は、協力者の正体をシエルに明かそうとする──


「いえ、それは明日のおたのしみにしませんか。どうせ、ていれいのほうこくに行くでしょう」


 が、それは寸前でアリシアに阻まれた。

 彼女の象徴たる眠たげな瞳は、それでもなお輝いていることがわかる『イイ笑顔』である。


「そ、そういう事するの?」


 突然の悪意──と言うには少し可愛らしい悪戯心だが、いきなり水を向けられた事でシエルはわずかに吃り、声を上ずらせた。


「うーん、俺はいいけどシエル次第だな。そういうの嫌いじゃないか? 大丈夫なら知るのは明日のお楽しみってのも悪くはないと思うけど」

「あの方の身分を考えれば本来ならば止めるが、肝心のあの方があの調子だからな。私もユウと同じ意見だ」


 ある種ドッキリのような、ちょっとした悪戯だが、一人だけ仲間はずれにするようにも取られるかもしれない──こういう『ノリ』を嫌う人は少なくない。

 名実共に『仲間』となったシエルでも、まだ付き合いを初めて日は浅い。あるいは仲間だからこそ、疎外感を棘に感じるかもしれない。

 悠は自覚がある程度には図太く、そういう悪戯をされても悪意を感じることはない。しかし同時に、自分とは違う価値観に配慮する程度には、気も配れる。 


「ええー……私は別に構わないけれど……少し、怖いわね」


 幸いシエルもまたこういうやり取りが嫌いではないようだった。

 むしろ長らく一人で行動していたため、友達同士の付き合いのようなふざけあいが懐かしいのだろう、困ったように言いつつもその口角は上がっている。


「シエルがそういうんなら、それは明日のお楽しみ、って事にしておくか。俺はよくわからないけど、多分結構驚くと思うぞー」

「お手柔らかに。ねえ、それって私でも知っている様な人?」

「あはは……多分、知ってると思うよ」

「ふふふ、明日がたのしみですね、おたがい」


 こうして、悠達がモイラスに戻ってきて最初の夜は更けていった。

 遅くまで灯っていた開かずの間の窓は、街を行く人々にまた新しい噂を流していったとか──


 ◆


 そして、悠達が極圏から帰還して二日目──

 シエルは、人生で最大……の次くらいと言える窮地を感じていた。

 言うまでもなく、最大の危機はドロウサイダーに腹部を貫かれ、致命傷を負った時だろう。

 だが、目の前にしている存在の脅威度で言えば、今この場のほうが遥かに上だ。


「おおお……! ユ……ユウッ! これは!?」

「『台地』の輝きの正体だ! 天辺にそりゃもう沢山生えてて……しかも食える! 栽培出来ないかって、持ってきてみたんだ」

「す……素晴らしい発見だよ! もしも栽培が可能ならば、歴史に刻まれるべき大発見だ!」


 ならば何故その驚異が人生で最も危険な出来事に惜しくも届かなかったかと言うと、リーダーである悠がその驚異と親しげに話しているからだ。

 なんだこれ。別段驚く様子もない仲間たちの横で、シエルは顔を上げられないままこの状況に静かに困惑していた。

 本来極圏への渡航が禁止されている聖騎士を極圏へと送り出し、冒険者登録も済んでいない様な悠達を合同探索にねじ込み、金銭的なサポートまでやってのける──

 よほど大きな力を持つ人物がバックに居ることはわかっていた。

 だがそれが世界でもトップクラス、事実上のナンバーワンとも言えるザオ教大司教『ディミトリアス=ランドール』だと誰が予想するというのか!

 世界最大宗教のトップ。それは強大な権力を持つ──どころではない、さじ加減一つで文字通りすべてを失わせられる様な人物だ。

 そんな大人物が、変わってはいるもののどこに出しても恥ずかしくない庶民の悠と、肩でも組まんばかりに意気投合している。

 ひとまず双方に敵意がない故に出来ることなのだろうが、なんとも心臓に悪い光景なのであった。


「そうだ、今回はどんな魔物の素材を取ってきたのか見せてほしいんだが……と、その前に。いい加減彼女について説明してもらってもいいかな?」

「ひゃ、はい! お呼びでしょうか!?」


 しかし、ある種まだシエルは安心の中にいたのだろう。

 突然話のテーブルへ引っ張り上げられて、シエルは素っ頓狂な声を上げつつも何とか丁寧な言葉を絞りだした。


「いい加減にっていうけど、ディミトリアスも『白銀米』でいっぱいで忘れてたじゃねえか」

「ま、まあそうともいうね。だから僕のほうから切り出したんじゃあないか」


 何とか絞り出した勇気と冷静さで敬語を保ったシエルの苦労などどこ吹く風、悠は口を尖らせてディミトリアスに抗議する。

 それがまた、なんとも肝を冷やさせる。頼むから黙っていてくれ──感じた理不尽さに少しだけ悪態を考えてから、シエルは小さく息を吸った。

 騒がしい中、少女が息を飲む透き通った音は、悠とディミトリアスの間をすり抜けるように通る。

 時計の針が歩みを止めた様な気がしたのは一瞬、悠達は同時にシエルへと向き直った。


「シエル=フランセルです。『合同探索』でユウ達に命を救われて以降、カティア殿達にご一緒させて頂いています」


 整然とした、切り立つような声。

 緊張と混乱の最中に奏でられたものだとは、誰もわかるまい。

 ドロウサイダーに遅れを取ったものの、シエルの本来の得意とする行動はサポートだ。

 それは戦闘中偶発的に巻き起こるいくつものやり取りの中で、瞬時に最も重要な戦局を把握し、最も効果的な行動を選ぶ冷静さと頭の回転を必要とする役。

 ディミトリアスという超重要人物を前にしての毅然とした態度は、まさに見事と言う他ない。


「え、あ、うん。よろしく? まいったなー、この部屋でそんなにかしこまられたのは久しぶりなもんだから……楽にしてくれると嬉しいんだけどね」


 が、そんなものはこのゆるい空気の中では必要がなかった。

 もしもこの世界に地球は日本の九十年代のギャグ文化が伝わっていたら、ズッコケていただろう。

 が、この世界にはそんな文化は無いので、シエルは理不尽な気持ちを飲み込んで心で泣く他なかった。


「そーそー、本人もこう言ってくれてるんだし、気楽にやろうぜ。もちろん俺だって公式な場じゃ控えるけどさ」

 お前はもう少し気にしろ。そうツッコミたくなったシエルを咎められる者は──この国には、いないだろう。

 シエルは、救いを求めるようにカティアとクララに視線を送る。

 返ってきたのは思った通りの首振りだった。


「そういうことだ、諦めてくれ。遺憾だがユウの言う通り、ディミトリアス様が気にされることはないから」

「気持ちはわかるけど、かえって畏まりすぎても逆に失礼みたいだから、ね?」


 どうやら、二人はとうに諦めていたらしい。

 曖昧な笑みと疲れの表情に、大きなため息が出そうになる。

 ああ、これを悪戯だと言うのならば大成功だろう。自分よりも小さな背丈に視線をやる。

 すると──


「どうです、中々のおたのしみだったでしょう?」


 可愛らしい眠たげな瞳は、いっそ艶やかなまでに怪しく細められるのだった。


「ええ、それはもう一生モノの思い出になりそう」


 なんとか返した皮肉は、負け惜しみ以上のそれではなく。

 シエルはようやく──緊張を捨てて、心のままに眉間を抑えた。


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