第六十三話:輝きの正体
極圏、輝きの台地に到達してから、二週間ほどが経過しようという時だった。
最初は百名近く居た冒険者達のほぼ全てが途中で諦め引き返してゆき、輝きの台地を定期的に賑わす喧騒も今はない。
もはや地上は遥か遠く、ここはまるで別世界のよう。
気温も低く、空気も薄い。ヒトが定住できない地を極圏と呼ぶのならばなるほど、ここはまさしくその名の通りだと誰かが思う。
しかし──それでも、未だ極まる圏を歩む者達がいた。
「よっ……と。どうだ、登れそうか?」
「後少し……お願い、手を貸して」
「ああ」
少年が一人に少女が四人。とても過酷な環境を行けるとは思えない子どもたちが、岩肌を越える。
無限にでも連なるのではないかとさえ思える台地の層も、今は見えない。
つまりそれは──あと一つ、見えている壁を超えれば、台地の頂点に達するということであった。
なだらかな箇所にシエルを引き上げ、小さく息を吐く悠。
流石にその顔には疲れが見えており、カティアでさえ額の汗を拭っているほどだ。
それでも、彼らは──体力が減っていることこそ感じていても、疲労を忘れていた。
傾斜を登り切ったすぐそこには、燦然と輝く光が湛えられているからだ。
「とうとうここまで登ってきてしまったな。輝きがこんなにも近い」
「晴れてるからか、今日は一段とすごく見えるねえ……一体、何があるんだろう」
一休みをすると、自然と視線は上へと向かう。
太陽の光を吸収して輝くなにか──旅の始まりから見えていたそれが今すぐそばにあるという実感は、悠達を今すぐ浮き上がらせかねないほどだった。
「……まさか、本当にその存在をこの目で確かめられるなんて。嘘みたいね……」
「行けるだろ! って気持ちは捨てないできたけど、マジでここまで来ちまったなあ」
しみじみという悠に対して、シエルの声は複雑に揺れている。
出来ることなら、こうして悠達の力に頼り切りになるのは避けたかった──と、声が語っている。
だがそれも無理はあるまい。仲間の存在を避けてきただとかは関係がなく、やはりこうした、困難を乗り越えた先の景色は自分の力で見たいものだから。
「いったいなにがあるのでしょうね。こうしたかがやきですと、やはりきんぎんざいほうが思いおこされますが」
「あとはマナが溢れてるとかかなあ……シエルはどう思う?」
「え、わ、私?」
シエルが物思いにふけっていると、突然質問を投げかけられたことで、返答が上ずる。
輝きの台地、その輝きの正体──それは、冒険者ならば一度は想像したことのある夢想の一つ。
シエルもまた、クララの問いかけへの答えを持っている冒険者の一人だ。
しかしシエルは、答えを言いよどむ。
よし言おう、という顔をした後にやっぱりやめようと顔を暗くして──ころころと変わる表情に、話に参加していなかった悠とカティアまでが注目すると、シエルは息を呑んで後ずさりをした。
「聞いても、笑わない?」
ようやくためらいがちに絞り出されたのは、逆に問いかける、消え入るような声だった。
顔を赤らめている伏し目がちにしているさまは、どちらかといえばクールでいることが多いシエルには珍しいもので──
悠とクララが勢いよく、カティアとアリシアはゆっくりと頭を下げた。
『輝きの正体とはなんぞや?』
それでも少しだけ迷ってから、シエルはその問いかけに答えを返した。
「……剣」
「え?」
呟くよりも小さく、赤子の頬を押すような、弱々しい声が、静けさの中に水滴を打つ。
聞き返す声に顔を赤くすると、シエルは念を押すように繰り返す。
「だから、剣。剣よ。柄に刺さった伝説の剣──なんて、私は想像してたの。……だから、イヤだったのよ」
その答えは、随分とお伽噺めいた話で──しかし、悠達は笑わなかった。
意表を突かれはしたが、悠達は誰も、誰かの夢を笑わない。
「いいじゃんそれ! やっぱ伝説の剣とかってロマンだよな!」
「ああ。誰もよらないような場所に刺さっていた剣を──というのは、私も想像したことがあるよ。とはいえ少し意外だったがな。シエルはその辺りシビアなものかと思っていたから」
「……いいでしょ、別に。私だって冒険者だもの、夢くらい見るわ」
特に前衛組はその光景を想像したのか、顎に指を沿わせるなどして冷静を振る舞い、ワクワク感を顔に出さないようにしている。
もはや知った中のクララとアリシアには探るまでもなくわかっていたが。
「多かれ少なかれ、冒険者なんてみんな夢を見ているから。……私は、竜退治の剣に憧れたってだけ。……逆に、貴方達はどうなの?」
照れ隠しも兼ねて、シエルは同じ問いかけを返した。
少し悩んでから、先にカティアが浮かんだ姿を声にする。
「うーむ、私もやはり財宝というのが頭に浮かぶな。やはり輝くものというとそれくらいしか思い浮かばなくて」
「ですよね。では、ユウさんはどうですか」
その答えはアリシアと同じ答えで、アリシアが頷く。
同時に話の矢印は悠へと向けられ、皆の視線が集まる。
「んー……俺は……剣もいいけど、嬉しいのだと食べ物だよなあ。光る食べ物っていっても想像出来んけど……」
彼女らのリーダー。
その答えに興味を深めるシエルだが、答えはまた意外なものだった。
「あはは、食べ物っていうのは初めて聞いたわ」
「そういうヤツなんだ。飽きなくていいだろう?」
「いや、俺はあったらいいなって話でだな……」
「ふつう、これだけ苦労して食べ物っていうのは中々ないと思うわ。ユニークでいいわね」
自分のときには笑うなと前置きをしていたくせに笑うシエルに、悠は少しだけムっとしたが、嫌味なく楽しそうに笑う様を見ていると、毒気を抜かれるように息を吐いた。
「でも……その答えが、すぐそこにあるんだね」
「俺達が史上初ってことはないんだろうけど、やっぱワクワクするよなあ」
自然と斜面の上を見上げて、悠は目を閉じた。
休んで、体力は回復している。
あとは──その輝きの正体を確かめるだけだ。
岩場の続く斜面を慎重に、しかし確実に上へと歩んでいく。
あと僅かとは言っても、巨大と言っていい一層毎だ、最後のひと押しも並々ならぬものである。
それでも、悠達の視界から斜面がかき消えた。
不思議なことにこうして近くで見ても優しい光が、迎え入れるように溢れている。
息を荒げるシエルに肩を貸して、少し待つ。
「ありがとう、行きましょう」
そうして息を落ち着けると──口元を拭って、シエルは顔を上げた。
全員揃って、最後の一歩を踏み越える。
すると、そこに広がっていたのは──白銀の畑とでも言うべき『台地の頂上』であった。
「これが──台地の、頂上か?」
うわ言のように悠が呟いたのには、理由がある。
中央の泉を中心として、四方八方に流れる小川のせせらぎ。
畑を構成する植物は、無限と錯覚するほどに広がって穂を揺らしている。
高所の静けさはここがまるで別世界である証明のようで──
一言で表してしまえば、それは『楽園』の姿をしていたのだ。
「は……まさか、伝説の頂上がこの様な……美しい場所だとは」
信じられないような光景に目を擦るカティアだが、目の前に広がる景色は変わらない。
「なんて、なんてうつくしいのでしょう。かがやくほに、ながれる小川──ここは、天のくになのでしょうか?」
「と、言われても信じてしまいそうね」
その美しさに見とれながら、アリシアは夢でも見ているかのように畑に歩み寄る。
睡眠の力を操るアリシアだ、それが夢ではないことは理解していた。
悠達も、頷きあって台地の頂上へと足を踏み入れた。
「なるほど、輝きの正体はこの植物か。穂に実った……これは種子か? これが光を反射して輝いていたのだな」
「それだけじゃない、光をたっぷりのマナに変えて、放出してる。こんな植物があったんだ」
多くの冒険者が追い求めてきた輝きの正体──それは、台地を埋め尽くすと言っても良いほど群生した植物だった。
地面から伸びた一本の茎、そこから実る穂には白銀に輝く小さな粒が実っていた。
……悠には、この植物の姿──とりわけ、その粒に見覚えがあった。
「え? いやいや……そんな訳無いだろ?」
「ユウ、どうしたの?」
その姿は、なんだったら毎日見ている──いや、見ていたくらい見慣れた植物の姿に酷似していたのだ。
ただしそれは、自然界ではありえない形で。
……そう、穂に結実した白銀の粒。
それは精米した白米によく似ていた。
……飽くまでも、似ているだけだ。米を見慣れた白米の形にするまでには幾つもの工程があるし、期間もかかる。
米はそのあり方以上に、食卓に並ぶまでの工程と努力を尊いものとする文化がある。
だからこそ、悠はその不思議な植物に縋った。
近くでよく見てみれば、見るほど米に似ているように見えた。
ただし、それゆえに直接白い粒が実り垂れ下がっているのが違和感どころの話ではなかったが。
恐る恐る、悠はその──米粒? をひとつ口に運んだ、力を入れると砕ける、ぽりぽりとした食感。
それは、確かに米だった。
「こ……」
「こ?」
突然我を失ったかと思えば、打ち震え始める──もしやコレこそが真の『台地の呪い』なのではないかと、クララ達は心配そうに悠を覗き込む。
その瞬間、悠は噴火の如く上体を逸した。
「米だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーッ! こ、ここ、米だーッ!」
強く握りしめた拳を天高く掲げ、膝は祈るように折る。
歓喜に打ち震える声に、少女達は顔を見合わせる。
「……ユウさんがこうなるということは、これはまさか」
「た、食べ物だと言うのか!? 本当に、輝きの正体がっ!?」
悠がここまでなる存在──まさかと思いながらも、クララ達にはそれしか思いつかなかった。
シエルはその空気についていけず、視線を右往左往させている。
しかし今の悠にはそんなことも気にしている余裕はない。
穂を握るようにして一度しごくと、手に米の粒が貯まる。
勢いよくそれを差し出しつつも、悠の手からは一粒たりともそれは溢れていない。生態系を考えても自生していることを考えても、それは米とは言えないだろうが──あえて、悠は断言する。
「そう、米、食べ物だ! 厳密には全く違う食べ物だと思うけど、俺の住んでたところじゃパンを大幅に抑えての主食! 二度と会えないと思ってたんだ……!」
これは米だ、米なのだと。
現にそのぽりぽりとした食感は紛れもなく炊く前の米そのもの。
言葉には涙が混じり、まるで死んだ恋人と再開したかのようだった。
──米。それは日本人にとっては特別な存在ではあるが、米を主食とする国はなにも日本だけではない。
だがそれにもかかわらず、悠はこの世界では米を見つけることが出来ずにいたのだ。
新しい味覚への興味が強い悠でも、当然故郷の味が懐かしくなることはある。これはその問題に対する救世主にすらなり得るだろう。死んだ恋人と再開したかのようというのも、決して大げさではない話なのだ。
悠の興奮は最高潮で、クララやカティアもなんとなくこれが──食べ物が輝きの正体だったのだと思い知る。
ここまで来て、という思いは確かにあった。しかし。
「ぷっ……」
突然、シエルが笑い出す。
勿論それはたかが食べ物で喜ぶ悠を嘲笑したものではない。
だが当然、命をかけてまで来た頂上の輝きの秘密が食べ物で、やけになったわけでもなかった。
「か、輝きの正体を、みんな色々想像してたのに、まさかたった一人当てた人の答えが食べ物って! あはは、それは誰も予想できないでしょうね……本当、ユニークな人だわ」
ただ純粋に──面白かった。
今まで何人もその正体を夢想して、何人も実際に確かめに赴いて、それでも確かめられなくて──
今日、あっさりとその秘密に到達したのは、あろうことか輝きの正体を食べ物といった人で、実際にそれはあたっていて──
周り冒険者達の様々な推測を聞いてきたシエルにとって、それは面白くて仕方がなかった。
偉そうな顔をしているベテランも、仲間を信じられない孤独な冒険者も、実際にそれを見てみるまではなんと的はずれな事を考えていたのだろう。
「あはは、はー……く、苦しかった。実際に、自分で体験してみるまでわからないものね」
そう、それは仲間という存在でも。
自分が自分達がどれほど狭い世界に生きてきたかが、今わかった。
そして、今──悠達に寄って、新しい世界の扉が開かれたようだった。
「そ、そんなに笑うなよ。俺にとっちゃ重要な問題なんだぞ」
「わかってるわ。人それぞれ価値は違うもの。……でも、私もそんな価値を、わかりたいと思うわ」
「それはよいこころがけですね」
「ふふ、ならすぐにわかると思うよ。だって──」
「ユウの料理は、美味いからな」
そしてたぶん、シエルがその中に溶け込むまでは、時間はさほどかからないのだろう。
悠にとっては特別な素材を前に、今この世界の料理史にまた新たな一ページが──
「あ、いや、ちょっと待ってくれ」
刻まれなかった。
もう完全に食事の雰囲気を断ち切って、悠は盛り上がる空気に待ったをかける。
いや俺だって早速実食と行きたいけども。本音を飲み込んで、悠はクララ達を流し見た。
「それより先にさ、本来の目的を果たさないか。幸い、そこに実ってる以上は逃げたりしないだろうしさ」
それを悠に言われた時の少女達の顔は、如何なものだっただろうか。
彼女達の名誉のためにも伏せておくが、とりあえず顔筋を限界まで駆使するほどに口が開かれていたというのが共通していたことだけは、伝えておこう。
……ある意味、それを悠に指摘される事こそが今日一番の衝撃だったのかもしれない。
「はい……」
「そ、そうだな」
「でもあなたにいわれるとなんかくやしいですね」
まさか一番の食いしん坊に指摘されるとは思っても居なかったのだろう。
肩を落とすクララとカティア。今度は痛みを感じないほど、力なき殴打で悠に無言の抗議をするアリシアの心境は如何程のものか。
ある意味異様とも思えるクララ達の落ち込みように、シエルはまた堪えきれず笑いを漏らすのだった。




