第六十話:ドロウサイダー
イグラパルドを倒した翌日。
昼食を終えた後、悠は開けた場所で精神を集中させていた。
身体の内に巡る力に意識を傾けると、取り込んできた命達の脈動とも言うべき力強さを感じる。
悠は、この息吹のことを魔力と呼ぶということに気がついていた。
この世界に来てから、どれだけがたっただろう。まだそれほどの期間ではない。
しかしそれでも、悠はもうこの世界に来た時の頃が懐かしく感じられる。
日本での生活に比べ、それだけ濃密な時を過ごしてきたからだろうか──幾つも命の危機を乗り越えてきたし、大切な出会いを経て、悠自身は自分が変わったと感じている。
食休みを終えた仲間達もまた、悠を注視していた。
「……」
日本にいる頃は苦手だった、誰かの視線を集めるということも、今の悠は気にしない。
とはいえそれ自体に慣れたというわけではなく、集中するということが得意になったためだ。
深く、心の海へ潜るように悠は精神を集中する。そして──
「ふッ!」
己の内に眠る力を、揺り起こした。
身を巡る力、魔力を放出し、身体の近くで留める──!
そうすることにより、悠の魔力は主の身体を包むように固まっていく。
しかしそれが取った形は赤い鎧の『硬質化』ではない。
それよりももっと攻撃的な──
「『棘皮』……とでも名付けるかね」
悠の魔力が作ったのは、黄金色に輝く棘の皮だった。
広げた手を大きな岩に向けると、纏った魔力が意思を持つように岩へと向かっていく。
始めは岩に突き刺さり、やがて岩には亀裂が入り、そして砕け散る──
そう、これはイグラパルドを食する事によって得た力であった。
「ふうっ」
成果を確認すると、悠は大きく息を吐き出した。
少し重くなった身体には疲労というほどではない倦怠感がもたれかかっていたが、少し休めば消えるだろう。
身にまとった魔力を収めると、控えめな拍手が三つ、悠の背を叩く。
振り返ると、クララ達が小さく手を打っていたようだ。
「攻防一体の魔力の鎧、か。攻撃力も中々高そうだが、使えそうか?」
「いやあどうだろうな。感覚的には結構防御力も攻撃力も高そうだけど、相当力んでないと使えないから、今まで通り『硬質化』の方が使うんじゃねーかなあ。使うんならカウンターとかが目的になるかってカンジだ」
今しがたの実演に評価をつけるのはカティアだ。
これから先の戦いを切り抜ける手札になるかという質問に、悠は曖昧な答えを返した。
悠がこうしているのは、昼食後、ここらで身につけた能力のおさらいをしておこうという運びになったからだ。
悠がここ、輝きの台地に来てから身につけた能力はまだ二つのみ。一つはロックゴートから得た『壁走り』で、もう一つがこの『棘皮』である。
今しがた食べ終えた魔物の能力は身につかなかったようだが、冒険者達を追い返した強敵、イグラパルドの力は悠のものとなっていたのだ。
これは、その力が実戦で使えるかという確認だ。
とはいえ、イグラパルドのインパクトに比べて『棘皮』の能力は使い勝手が悪いというのが悠の印象であるようだ。
「アイツ、イグラパルドは能力よりも、魔物自体が強いタイプなんだろうなあ。なんだったら『硬質化』だって持ってる魔物は弱かったからなあ」
「必ずしも能力の強さと魔物の強さは比例しないということか。……便利そうな能力を持っている魔物が居たら、食べてみるといいのかもしれないな」
「力を取り込むためだけに食うってのもなんかアレな気が……いや、食うこと自体は大好きだけどさ」
悠とカティアは、こういった事に意欲的だ。
クララは二人が作戦などを練っていると、少し疎外感を感じることがあるが、イキイキとしている二人を見るのは、好きだった。
「ユウ達は楽しそうだなー……あれ? アリシアちゃん?」
それでもやっぱり少し暇になる時はある。
その解決をアリシアに求めようと、クララはふとアリシアに視線を移す。
……すると、そこには寝息を立てるアリシアが居て──
しかし、返事がないことにクララは違和感を覚える。
「アリシアちゃん?」
「……はっ、な、なんでしょうか?」
ぼーっとしていたのか、アリシアは二度目の呼びかけでようやく反応を見せる。
あるいは悠達の方を集中してみていたのか? と思ったクララだったが──
「んーん、なんでもないよ。それより、疲れてる?」
「いえ。べつにそれほどのことはないです」
返事をしたアリシアにはさほどおかしい所もなく。
その場は、それで終わってしまった。
「おーい、もう出発しようと思うけど、動けるかー?」
悠の呼びかけがかかったこともあり、クララはアリシアと頷き合うと、椅子にしていた石から腰を上げた。
──あるいは、ここが彼女の運命を分けたと言うべきだろうか。小走りで悠に歩み寄るクララはゆっくりと歩くアリシアをマイペースだなと思いつつ、そんなところを少し可愛く感じるのだった。
◆
「うひー……ようやく一息つけるな。しばらく登ったけど、大丈夫か?」
その日の夕方。じきに日が落ちて暗くなるという時間帯、悠達は長い傾斜を登っていた。
各々の手には確りとした作りの杖が握られている。斜面を歩く助けにと、悠が用意したものだ。
「はひ……はひぃ……流石にちょっと、休憩したいかも……」
その効果はあったようだが、クララはもはや息も絶え絶えと言った様子で、休憩を求めている。
斜面もここで一旦終わり、ここから悠達が踏み入れるのは『台地』の次の層だ。
「ああ、そうだな。ここから魔物も強くなるし、身体を休めておいたほうがいいだろう」
つまり、更に先を行く難易度が上がるということ。
クララの提案に肯定を返すカティアの息は乱れていない。
その顔には少々の疲れが見えるものの、流石はといったところだろう。
と、言ってもそれは悠も同じなのだが。
ずっと彼らの戦いぶりを見てきたクララは、漠然とした尊敬の気持ちに、ため息を吐き出した。
「俺でも結構疲れたし、キツかったろ。頑張ったな」
しかし悠に労われると、クララは温かい気持ちになって、活力がみなぎってくる。
心の力でもある魔力が『法則』として根付くこの世界では、精神的なケアの重要性は地球以上と言えるだろう。
とはいえ、後衛タイプのクララがここまで出来るのは、悠でなくても認めるほどのものだ。
悪路を歩き続けたのはここ一日二日の話ではない。道中に魔物との戦闘を挟みつつ来た事を考えると、ヘタな前衛タイプよりタフだと言えるだろう。
そう──ここまで何も起きずに来るのは、実に大したことなのだ。
もう一人の仲間を労おうと、悠はクララの後ろを歩くアリシアに目を止める。
なんとかといった様子で斜面を登り終えたアリシアが、ひょっこりと姿を現す──
「アリシアも頑張ったな──って、オイ!?」
「アリシアちゃん!?」
だがそこにあったのは、思わず悠が声を荒げてしまうほどに具合の悪そうな、アリシアの顔だった。
「なん……でもない、です……ちょっと、つかれた……だけ……」
「なんでもないって事あるかアホ! なんでこんなになるまで言わなかったんだよ!」
今にも倒れ込みそうなアリシアを引き上げて、抱え込む。
ただでさえ軽いアリシアの身体が、今ではその存在さえ危ぶむほどに軽く感じられる。
何故もっと早く報告しなかったのか。そんな理不尽をぐっと飲み込んで、悠はまず自分を落ち着けた。
「今どんな感じだ。できるだけ細かく教えてくれ。しんどいなら無理しなくていい」
「……あたまが、いたいです。それと、きもちがわるい……」
なんでもない──そう告げたアリシアだったが、急に冷静さを取り戻した悠の声にことの重さを理解したのか、症状を説明する。
吐き気に頭痛。それ自体は体調を崩せばいくらでも見るような珍しくもない症状だが──
こんな場所でのそれは時として命取りにもなる。
「……台地の呪い、か?」
その症状には、カティアも聞き覚えがあった。
台地の高くまで登ってきた冒険者を襲う不調、台地の呪い。
アリシアを襲っているのはそれなのか、と悠に問う。
「わからない、けど心当たりはある」
悠はしかしその物騒な名前をやんわりと否定した。
「高山病……だと思う」
「前に言っていたものか。どうすればいい?」
「そ、それって大丈夫なの……?」
悠の心当たり。それは高山病だった。
心配がるクララを落ち着かせるべく、悠は冷静を保つ。
予想外の出来事に思わず声を荒げてしまったが、悠は自分が曲がりなりにも彼女達のリーダーであることを思い出した。
状況を正確に把握・伝達し、仲間を落ち着かせるのも自分の仕事だ。
また、冷静になった悠はもしこれが高山病であるなら適切な対処があることを思い出していた。
「対処を間違えなければ大丈夫だ。まずは休息。治らないようなら降りるのが一番の治療法になるな」
それは、来た道を戻る──下ることで現在地の標高を下げること。
高山病を発症する条件は体調や気候など様々だが、最大の原因が気圧の変化による血中の酸素濃度の低下だ。
山登りなどで高山病になったら、下山すれば、高確率で治るといっていい。
しかし症状が出ている際に動くのは危険であるし、症状が落ち着くまで休むのがベターだ。
「聞こえたか、アリシア。とりあえず休むところを探そうと思う。揺れるけどちょっと我慢しろよな」
「……はい」
有無を言わせぬ強い口調で言うと、アリシアは虚ろながらも肯定を返す。
悠はあえて怒りを混ぜたし、アリシアもそれに気がついた。
……また、悠が怒っている理由にも。
「はー……さっきはいきなり怒鳴って悪かったな」
「すみません……すみません……っ」
それは、当然手間がかかった事に対して怒っているわけではない。
アリシアが足を引っ張ったからなどでは当然ない。
心配しているのだ。自分を。悠は、体調不良をおした無理自体に怒っているのだ。
付き合い自体は短いものの、それがわかるのが、わかってしまうのがアリシアはただ辛かった。
「ちょっと寒くなってきたし、風が凌げる所でもあればいいんだけどな」
「大丈夫? アリシア、寒くない?」
「何かあったら早めに言うんだぞ」
悠達の気遣いは、アリシアの自責の念を思い起こさせるものではあったが、それ以上に暖かく優しかった。
涙が出そうになるのを必死で抑えながら、なんとか頷いたアリシアはこれ以上目が潤まないように目を閉じる。
アリシアを背負った悠はともかく、それはクララとカティアにはバレバレで、二人は顔を見合わせて苦笑した。
それから少しの間、悠達は休める場所を探して歩いた。
もうじき日が暮れてしまうため、テントを張れるような場所が理想的だ。
悠はアリシアを背負っているものの、背負われるのも寝るのに比べれば体力を使う。
できるだけ早く休ませてやりたい──という気持ちから、歩く速度を少し早める。
これが、決定打となった。
「なんか、聞こえねえ?」
その音を拡大するように──仲間に疑問を呟いたのは悠だった。
悠の言葉に耳を済ませてみれば、金属音が聞こえてくる。
「……戦闘音だ! 近いぞ!」
その音に聞き慣れたものを見つけると、カティアは叫んだ。
金属の武器が何らかのモノを打ち払う音──それは、ヒトの存在を悠達に知らしめていた。
しかし、もう冒険者はほぼ全員が下山中だ。
攻略を続けるパーティは、現時点では悠達のものだけとなっている。
だからこそ、その戦闘音が誰によるものなのか、悠達にはすぐにわかった。
「シエルって奴か!?」
シエル=フランセル。
現時点で悠達以外に攻略を続ける唯一の『冒険者』だ。
たった一人パーティを組まずに、最も先を行く者。
それが、今戦闘を行っている。当然、たった一人で、だ。
「どうする? リーダー」
あえて、カティアは悠にそう問いかけた。
決定を一任すると伝えているのだ。
普通に考えれば、放っておいて問題はないのかもしれない。ここまで一人で来るような実力者だし、一刻でも早くアリシアに確りとした休息を取らせてやるべきだろう。
だが直感的とでも言うべきか、アリシアによって緊張感を強くしていた悠は、その可能性を思い浮かべていた。
一言で表すならば、たった一人の冒険者の、危機を。
「……行こう。せめて、確認するだけでも」
なにもないならそれでいい。
だが何かあれば──宣言とは裏腹の意思を感じつつも、カティアとクララは頷いた。
確認もなく自分の決定を受け入れてくれたことに嬉しくなる。
そんな気持ちを噛みしめる間もなく、悠は走り出す。背中のアリシアを気遣いながらも、人一人を背負っているとは思えない速度で。
果たして、その決定は。予感は。
確かなものであったと言えた。
「ぐあっ……は、あ」
悠達がその場にたどり着いた時、それは既に手遅れであると言える状況だった。
むき出しの筋肉の様な──ゴムチューブを束ねた様な腕に、ナイフを並べたかの如き凶悪な鉤爪を装着した怪物。その冒険者シエル=フランセルが対峙している魔物の最大の特徴は、そのように言い表せた。
その怪物の腕が伸び、裂爪がシエルの腹部に突き刺さる。
悠達が現れたのは、そんな瞬間だった。
「──ックララ! アリシアを頼む!」
「任せて!」
凄惨な光景を確認するや、悠はアリシアを任せ、弾かれたように走り出した。
声も掛け合わずに並走するカティアはただただ頼もしい。
動けなくした獲物にトドメを刺そうと、怪物が飛びかかる。
間に合えと強く願って、悠は『跳躍』の力を活かしてタックルをぶちかました。
その技は粗雑の一言。だったが、数十キロの人間が凄まじい速度で衝突するエネルギーは計り知れないもので、異形の怪物は勢いのままに跳ね飛ばされる。
「あな、た達、は……」
「喋るな。傷が深い」
自分を守るように立つ背中に問うと、一拍遅れてやってきたカティアが屈んで、シエルを掬い上げ、抱きかかえた。
爪の突き刺さった腹部は赤く染まっており──じき、命を失うであろうことが予見される。
うわ言のような問いかけをぴしゃりと断ち切って、カティアはシエルを抱いたまま立ち上がる。
「任せられるか?」
「やるしかなかろうよ」
紅刀を抜き放って、悠は簡潔に返す。
カティアにはそれだけで十分で、悠に背を向けた。
「気を付けろよ。アレの名前は『ドロウサイダー』。見たとおり伸縮する腕を持つ、強力な魔物だ」
「あいよ」
背中越しに聞こえる相棒の声に返事をすると、背後の足音が遠ざかっていくのを確認した悠は心中でホッと息を吐いた。
代わりに現れるのは──異形の怪物。
縦長の顔の切れ目から除くのは不揃いで乱雑な牙。体毛の生えていない身体。最大の特徴たる腕の凶器が一対に、全体的に細身の身体を支える脚が二本。
……二足歩行かよ。今更に、悠は独り言つ。
その姿は一言で言って不気味だったし、動物っぽさを全く感じさせない『怪物』そのものだった。食欲を感じないことも、幽世めいて思えた。
「……来るなら来い」
自分を奮い立たせるように言うと、悠はルビー色の刀身を立てる。
刀越しに見るその顔には感情が見えなかった。それがまた不気味で、初めて相対する異形の恐ろしさを煽る──
が、同じく初めて見た致命傷が、悠の心を冷静に保っていた。
自分の肩に命が乗っている。普通なら重圧に感じるそれは、悠に取っては決意の礎となるようだ。
声も上げずに向かってきた異形の怪物、ドロウサイダー。
食べるためではない、初の『怪物退治』が幕を開けた。
はじめに、悠はその怪物の動きを観察する。
幾つかの戦いをくぐり抜けてきただろうか、ディアルク以来の一対一という戦いの中にあっても、悠は冷静だった。
まず、ドロウサイダーの最大の武器はその凶悪な爪と、それを胴体とつなげるゴム質の腕だ。
コレを飛ばして攻撃するのが、最も一般的で、最も相手に致命傷を与えやすい攻撃の一つとして間違いないだろう。
飛来する腕の速度を見れば、筋力に優れることもわかった。反面、不揃いの牙はどう見ても攻撃に向いているとは思えず、噛みつきによる攻撃は脅威ではないと見ていいだろう。
「ちっ……!」
しかし、この爪の攻撃が中々厄介だった。突く、振るう、そして戻す。たったそれだけで実に多彩な動きをする。
鍛えられた悠の動体視力はそれを見切ることを可能としていたが、避けるとなるとギリギリだ。ミス一つで崩れる可能性があった。
何よりも、面倒なのが隙の少なさだった。伸びた腕に反撃をしようと思っても、少し腕を引くだけで、掃除機のコードのように引っ込んでいってしまう。
また束ねたゴムチューブと例えるだけに、その腕の靭性は高く、生半可な打撃技は意味をなさない。
「調子ン乗りやがってぇ!」
遠距離から放たれた斬撃を避けるという何度かの──一方的な──やり取りを経て、悠はその行動パターンを読んだ。
遠距離からの攻撃とは言うものの、それは単純に放たれるだけでなく、次までに一度引き戻すという動作が入る。
悠は、戻る爪を追いかけるようにドロウサイダーへと駆け出した。
しかし、ここからがもう一つ厄介な所。
ドロウサイダーは残る左腕をあらぬ方向へと発射すると、突如として身体を浮き上がらせた。
爪は岩壁へと発射されていて、鉤爪様の形状を利用してフックのように引っ掛けていたのだ。当然、岩壁に固定された腕は動かず、その状態で引き戻せば腕ではなく体の方が移動していくことになる。
曲がった爪の役割はこのためで、これは岩場の多い輝きの台地を自由に動き回るためドロウサイダーが選択した『進化』の形の一つだった。
「だぁー! 面倒くせえ!」
伸びる腕を利用した遠距離からの高速度・広範囲の攻撃。そして、爪をフックのように移動した多角度・高速の立体的な移動。それらがこのドロウサイダーという異形の武器だ。
眼の前で去っていく標的の影を見た悠は、苛立ちを感じながらも大きく息を吸い込んだ。
ゴムということで連想したのが、炎だ。
ドラゴンブレス──胸の内で地獄の火炎に変貌した空気が、悠の口から放たれる。
広範囲を一瞬で焼き払ってしまえば問題はない、という選択だったが──これには、ブレスのスピードが不足していた。
ドロウサイダーは地面に鉤爪を打ち込み、ブレスを潜る形で悠に接近した。
視界を塞がれた形の悠はとっさに硬質化を強めながら回避行動に移る。
直後、擦るような金属音が響き渡る。回避に失敗したのだ。
「痛っ……て!」
しかも、完全には防げなかったようだ。顔を守るように構えた腕には、切り傷が走っていた。
傷は決して深くはないが、それは強度を高めた『硬質化』さえも突き破る鋭さがある事を示していた。
「コホォォォォ……」
その一合はドロウサイダーにとっても意味あるものだったようで、悠にも傷をつけられると判断する材料になったようだ。
相変わらず感情の見えない異形の容貌だが、口から漏れる吐息はどことなく嬉しそうに見える。
「ヤーな感じだな」
油断なく観察しつつも、悠は悪態を吐かずにはいられなかった。
この場で恐らく最もドロウサイダーに適しているであろう能力が使えなかったからだ。
それは『光進』である。
蓄積した力を一気に爆発させ、突進力に変える能力。力の充填に時間が掛かるものの、『光進』は発動さえしてしまえば悠の持っている技の中で最速かつ一点に対する破壊力が最も高い。
だが、この力を使うには、触媒としてディアルクの両刃剣が必要なのだ。しかしディアルクの両刃剣は大きく、重い。輝きの台地のように険しい道を行くのには邪魔になるということで置いてきてしまったのだ。
ならば同じ古代種能力の『氷閃』はどうか。
「……くそ、警戒してやがるな」
『氷閃』の発動を試み、紅刀に魔力を集わせると、ドロウサイダーは最大限に警戒を強めているようだった。
忙しなく多角的な動きを繰り返し、的を絞らせないでいる。先にドラゴンブレスを見せたのが悪かったか、明らかに遠距離攻撃を警戒している動きだ。
──『氷閃』もまた、『光進』ほどではないにしろ発動には時間がかかる。
これも発動してしまえば、非常にスピードの早い攻撃ではあるのだが、移動を繰り返すドロウサイダーに直撃させられるほどの速度はないのだ。
一応、ドロウサイダーの動きを目で追うことは可能だ。腕を引っ掛けて移動している以上、ドロウサイダーの移動は必ず刺さった腕の元へ向かう。だが、次の移動までが早く『光進』の速度ならば次の移動までに攻撃を加えられる所が『氷閃』では間に合わないのだ。
待機状態でも魔力を食う『氷閃』の発動を解除すると、紅刀は輝きを失い、ドロウサイダーが動きを落ち着ける。
なんだかそれが無性におちょくられているようで腹が立つ悠だったが冷静さは失わない。
ここで、カティアを待つことができれば楽なのだが、それは期待できない。
ドロウサイダーほどの攻撃力があれば、疲労状態のクララの結界を裂く程度は出来る。
そうなれば、クララのほかは病人が一人に重症が一人。ドロウサイダーの機動力を考えれば、護衛一人は必須だ。
「けど、やるしかねぇんだよなあ」
カティアに返した言葉を、言い聞かせるように呟く。
任せろと言われて引き受けたのだ、ここでやらねば男が廃る。
再び始まるドロウサイダーの攻撃を避けつつ、悠は自らの手札を洗い直し始めた。
「(トラップ……は無理だろうな。動きから踏ませられねーし、腕が突き刺さる『点』に作っておくってのも現実的じゃあない)」
まっすぐ額を狙う爪を側方へ転がり込むようにして躱し、即座に体勢を立て直す。
「(誘引は使うまでもなし、穿行は使うわけにいかない)」
引き戻されると同時に、足元へ薙ぎ払われる鎖鎌の如き一撃を跳ぶ。
「(ブレスは試した、光進は武器がない。氷閃はめっちゃ警戒されてる)」
一撃必殺の技は、どれも問題を抱えている。
たっぷりと溜めた氷閃を連続で放つという手もあることにはあるが、狙って一撃を当てるのは無理で『半ば運任せの数撃ちゃ当たる』になる。
『古代種』の力は消費が多い。一回も当たらなかったら悲惨なので、これは最後の手段になるだろう。
「(泡……は論外だろ。もう一回くらい使える所こねーかな?)」
空中で身動きがとれないところに突き出される一撃は、紅刀で防御する。
そうすることでドロウサイダーの手に一筋の傷が入る。手の先は、それほど硬質でもないようだ。
空中で攻撃を受け止めた勢いで、悠の身体は後方へと突き飛ばされる。
が、これで攻撃範囲の外に出られたようだ。
少しの間与えられた時間で、悠はゆっくりと体勢を整えた。
「(と、なると。やっぱりこれしかないよな)」
同時に、手札も整えたようだ。
内一枚、切り札を切るべく、悠は『硬質化』を解除した。
「……!? ユウ、まさか!」
その様子を伺っていたカティアが、信じられないと驚愕する。
『硬質化』で軽減がやっとの攻撃ならば、生身で受けられるわけはない。
しかしカティアもその行動の意味自体は把握していた。
驚いたのは、ここでそれをやるか、という選択そのものについてだ。
対するドロウサイダー。
今まで感じていた不思議な守りが消えたことに、すぐさま気づく。
紅刀に集う魔力も感じない。ドラゴンブレスならば見てからでも対処が可能だ。
好機と思うも、ドロウサイダーは戸惑った。あまりにも都合が良すぎる。
──それでも、そこを一手読み進められない。
その読みこそが、人間の力だからだ。
タメを作って、ドロウサイダーは腕を伸ばす。
選択した攻撃は『突き』だ。防御力がないのならば、最速の技を選ぶ。単純ながらノータイムの選択は、野生で生きてきたゆえのもの。
それ故に、悠は人間的な駆け引きの場で勝利した。
迫る腕に感じるのは恐怖。だが、それを克服して悠は内なる息吹に命ずる。
瞬間、肉が破れた。
「──『棘皮』」
但し当然、それはドロウサイダーの方だ。
ドロウサイダーの伸ばした手からは、何本もの棘が生えていた。
否、それは悠の纏った棘の鎧。何本も貫通した棘は、食らいつくようにドロウサイダーを捉えて離さない。
突然の反撃に、ドロウサイダーは焦りを感じた。──この自然界、決定的な敗北にはいつだって死がつきまとう物だ。
誰しもが未体験で、体験する時は全てが終わる。その終わりが眼前に反り立った瞬間、ドロウサイダーは恐怖から腕を引き戻す。
が。腕は棘に絡め取られている。
高速移動を可能とするドロウサイダーの身体は軽く──縮む腕は、ドロウサイダーの身体を浮き上がらせた。
『勝者』の元へ。これから行く場所へ向かって。
「ようやく挨拶出来るな」
死神の元へと。
猛スピードで向かってくるドロウサイダーを見据えて、悠は攻撃的な笑みを浮かべた。
『棘皮』。それは『硬質化』と比べると動けない代わりにより攻撃的で、一点にとどまっての防御に優れた能力。しかしこの能力はそれで終わりではなく──
「ブッ飛べ!」
その棘を、標的へ向けて放つことが出来る。
そのあり方はまるで砦。引き合う力に導かれて浮き上がったドロウサイダーと、見事勝利を引き寄せた悠。
どちらがより大きな存在を示すかのごとく浮き上がったドロウサイダーは、その勢いをも足した棘の弾に撃ち抜かれた。
棘の威力で引き寄せられる力を相殺されて、その場に落ちるドロウサイダー。
不気味な頭部をはじめ、余すところなく打ち抜かれた異形の絶命は、もはや疑うまでもない。
痙攣さえみられない即死だ。魔力が形を失って霧散していくと、異形のあちこちから血が流れ始める。
念を入れて確認するが、やはり食べられそうにない──と、悠はぐっと息を呑む。
食べるためではなく、自分と誰かの命を守るための戦い。
それ自体は、間違いではないはずだ。だが今までは、言葉が通じずとも、魔物との間には命の相互通行があった。
感じている気持ち悪さは、そこにある。
「そうだ、アリシアとシエルは?」
それでも、その戦いは必要なものだった。結果がどう出るかはまだわからないが、何かを守るための戦いに勝ったのだ
疲れを押し出すように大きな息を吐くと、悠は後方に残した仲間達のことを思い出した。
そもそも自分が一人で戦っていたのは彼女らを守るためということを思い出し、足早に戻っていく。
悠が戻ったのを見とめたカティアがクララの肩を叩くと、内外の出入を拒む防御結界が崩れ去った。
「そっちはどうなってる?」
聞きつつ見回した状況は──良いと悪いが半々、どちらかといえば悪い寄りといったところか。
最初に気になったのはアリシアだった。
高山病だろうと判断した悠だったが、それには幾ばくかの希望的観測も含まれていた。もしも本当に『台地の呪い』なるものがあり、それが重篤なものだった場合は打つ手がない。
だが悠が確認する限りアリシアの様子に悪化は見られず、安定した場所で体を横たえることができているためか、背負っていたころよりもいくらか寝息が落ち着いているくらいだった。
これが、良いほうの情報だ。
「……一命はとり止めた、といったところだな」
そしてこちらが、悪いほう。
一命はとり止めた──決して悪い報告ではないが、苦渋の味を感じさせる表情は、逆に言えばそれ以上良く言いようがないことを物語っていた。
「二日もあれば傷はふさげるが、動くのはしばらく無理だそうだ」
その語り口は、クララの代弁である。
診断したクララは玉の汗を浮かべて、全力で治癒の魔術を施していた。
それだけ集中をしているということだろう。悠の帰還自体は気づいたのだろうが、一言の労いもないというのは普段のクララからは考えづらく、それがかえって悠に状況の悪さを知らしめていた。
「わかった。とりあえずは今すぐどうこうって感じじゃなくて安心したよ」
「ああ。悠もご苦労様。キミに任せてよかった」
代わりに、カティアは手を差し出してそう労ってくれた。
向けられた手のひらに一回り大きな同じ形をぶつけると、控えめな祝砲を思わせる小気味良い音が響く。
すると、ほんの少しだが悠は疲れが取れる気がした。
「よし、それじゃ俺は夜営の準備をするよ。何かあったら知らせてくれ」
「待て待て、疲れてるだろう。私に任せておけ」
「ん……そうか。悪いな」
「このくらいは当然さ」
夜営の準備をしようとすると、カティアがそれを代わってくれる。
出会ったばかりのカティアでは火を起こしたりテントを建てたりといったことは難しかっただろうが、そばで悠を見つつ手ほどきをされた今では慣れたものだ。
そうしてようやく、平気の平左を気取っていたものの、大分疲れがたまっていることを実感した。
手ごろな岩を見つけて腰を下ろすと、無意識に大きなため息が漏れる。
「ユウ。ありがとう、疲れたでしょ?」
するとようやくそこで気がついたのか、クララが顔を上げた。
疲れを労いつつも、その顔は悠以上の疲労が見て取れた。
「あー、いや、そうでもないよ。それより、クララも無理するなよ、な。根詰めて倒れたら本末転倒だしそっちも『どうしようもなくなる』ぞ」
「……うん。でも、もう少し頑張らないと、だめだから。もうちょっとだけ頑張らせて、ね?」
疲労にまみれた声での『お願い』はいっそ懇願にさえ聞こえるくらい、察するに余りあるものだった。
致命傷をふさぐ、この世界の魔術には、そんなものは存在しない。
ただしそれは、人々の知る限り、と頭につく。
歴史から失われたマオル族の魔術ならば、それを可能とすることが出来るのだ。
しかし当然、奇跡の対価は軽くはなく、莫大な魔力を要するらしい。
ドロウサイダーに受けたシエルの傷は深かった。その損傷は決定的ともいうべきで、ヒトが『壊れる』には十分すぎるものだ。
これを直せるのは、この世界に存在しているものではいまクララしかいない。
だからこそクララが倒れれば、それは適わなくなってしまう。
悠はそれをそれとなく伝えたし、クララもそれはわかっていた。あえて直接的な表現を避けたのは、シエルに悟らせないためである。
結論から言えば、患者に絶望感を与えないことを目的とするならばその気遣いは無意味だった。
「……むだ、よ。もう、手遅れなのは、わたしが一、番わかってる……」
冒険者としての実力とキャリアを兼ね備えたシエルには、それが致命傷だったとわかっているからだ。
人の世界から遠く離れた過酷な地で、放っておけば死ぬ傷を受けた。それは、諦めるには余りある状況だ。
いまクララが行っていること──瀕死の人間への治癒魔法というのは、この世界の常識に当てはめるなら一言で『無駄』と表すことが出来る。
最後の力を振り絞って言うのがその無駄を止めることだというのは、相変わらずだと悠は苦笑を抑えた。
「起きてたのか。けどもうちょい寝てろ、予断を許さないらしいぜ」
だが、それこそ意味はない。
何故ならば、余計なことさえしなければその生命は救われるからだ。
文字通り奇跡を現実に起こす。それがマオルの魔術である。
なんでもないことのように言う悠にシエルが抱いた感情は、筆舌に尽くしがたいものだった。
人が親切心で言っているのに、だとか。状況をわかっていない、だとか。お人好しがすぎるだとか──
そのほとんどは文句に偏っていたが、それでもドロウサイダーを一人で倒すような少年の日常会話の様な声は、シエルに安心感を与えた。
「たす、かる……の?」
「なんとかなるそーだぜ。クララに感謝しろよな」
半ば投げやりにも聞こえる悠の指し示す方を見てみれば、そこには疲労にまみれた顔をした少女の顔があって──目が合うと、クララは勇気づけるように、ひどくぼろぼろの笑顔を浮かべた。
「わかったら安静にしてろよ。マジで最初──傷口を塞ぐまでが肝心みたいだからな」
そんな必死の笑顔と、投げやりながらも確かに感じる心遣いを受けると、シエルはもう何も言えなかった。
起こしかけていた上体に込める力を抜いて、横たわる。
「う、ぐ……っ」
如何に治療をしているとはいえど、致命傷の与える痛みは冒険者生活の中でも感じたことがないようなもので、ついシエルはうめき声を上げた。
……本当に、助かるのか。二人の態度を見ているとどうもそうらしいが、いまいち実感はなかった。
「聞いても、いい……?」
「安静の範囲内ならな。無理感じたら静かにしてろよ?」
手持ち無沙汰になり、シエルはうわ言のように問う。
「なんで、危険をおかしてまで……助けたの? てっきり、嫌われてると、思ったけど……?」
ようやく絞り出した一言に、予想以上の体力を使うと、シエルの息が少し荒くなった。
それを咎めるような悠の視線から目を反らしながら、シエルは返答を待った。
悠は少しだけ抗議の視線を続けるも、シエル自身無理と反省を感じていることがわかったのだろう、間をおいて答えた。
「こないだも聞かれたけど、コレってそういう……助け合って無事に戻ってこようってイベントだろ? それに──俺らは、あんたの事を嫌っちゃいないよ。最初は嫌な奴って思ったけど、アレは注意してたんだってわりかしすぐ気づいたからな」
疑問に答えると、これ以上体力を消費されては困ると感じたのか、悠は腰を上げる。
「疲れ取れたし、飯取ってくる。ホント何度も言うけど、クララも無茶するなよ?」
いや──違うか。
いたたまれなくなって、この場から逃げたのだ。勿論、食事の調達という目的は本当にせよ、だ。
逸した顔が濡れている予感を感じて、悠は退散した。
「……優しいでしょ? 私達のリーダーって」
疲れに震えながらも自慢げな少女の声に、シエルは小さく頷きを返した。




