第五十九話:ささやかな宴を
「おおおおおおッ! すげえ、すげえよお前達!」
「イグラパルドを倒すなんてここしばらく聞いたことないぞ!」
「ロクに知りもしないであんな態度をとってすまなかった……!」
事切れたイグラパルドを抱えた悠が戻ると、そこで待っていたのは歓声だった。
当然、それらはあの刺々しい態度を向けてきた冒険者達からによるもので──
あまりの態度の変わりように、いっそ今までで一番焦る悠。
「おっ……おお? 急にどしたん……?」
「まあ、冒険者も悪い奴らばかりでもないというわけさ。私も最近まで知らなかったけどね」
困惑する悠に、優しく微笑みかけるのはカティアだ。
こちらもまた、凄い人気である。
「騎士だってだけで偏見を持ってすみませんでした!」
「俺ら、騎士なんて小言ばっかでうっとおしいって思ってたんスけど……誰かを守るために迷わず前に出て戦う姿、かっこよかったッス!」
「……だってさ」
「はは……いや、少々面映いのは、確かだな……」
カティアの言う通り、その態度を見れば命を救われたからというだけではなく、本当に根から悪い人間ではないというのはすぐに分かる。
クララやアリシアもまた冒険者たちから思い思いの謝罪や称賛を受けていて、慌てふためくクララに鼻提灯でも出しそうなくらいいい加減に対応するアリシアという対比が珍妙な空間を生み出していた。
カティアと一緒に苦笑いをしていると、騒ぐ一団から一人の男が歩み出てくる。
腕には傷を負っている。最初にイグラパルドに襲われた人だろうか──と悠が思い浮かべると、男は悠に問いかける。
「あんた、リーダーなんだってな……なんか色々すげえ力を持ってたみたいだけど、そんなんどうでもいい。あんな邪険にしてた俺らを助けてくれたのは、なんでだ?」
身構える悠だが、その質問は悠にとっては的の外れた質問で。
有り体に言えば、質問の意味がわからない、とでも言うように悠は答えた。
「なんでって……助けられるんなら、助けるだろフツー。ムカつくとか嫌われてるなんてので見殺しにする方が気分悪いよ。それに合同探索って、そういうイベントだろ?」
最後には少しだけ意趣返しの皮肉を入れて。
にへら、と笑った悠を見ると、男もなんだかおかしくなった。
「へへ、敵わんな。……ヤツに仲間を襲われた時、俺はヤツの前に立てたけど、戦えなかった。改めて礼を言わせてくれ。……ありがとう、あんた達がいなけりゃ、今頃俺達は全滅だった。すげえよ、あんた達は」
そう言って、男は右手を差し出してきた。
悠はなぜだか左手の握手は喧嘩を売っている──なんて雑学を思い出したが、左右を見るまでもなく、男に敵意がないのは伝わってくる。
益対もない。自分の考えを一蹴すると、悠は差し出された手を取る。
「俺達はもう降りるけど、あんた達はまだ昇るんだろ? 今度土産話を聞かせてくれよ」
それは、暗にまた酒場に来い、と言っていることを意味していた。
調子がいいなあ、なんて思いつつも、悪い気はしない。
「ああ。楽しみにしていてくれ」
なるほど確かに悪い人間ではないらしい。
彼らもまた情熱があるが故に、中途半端に見える存在を嫌っていたというわけだ。
真面目な人間は嫌いではない。そう語るカティアの気持ちが、少しだけわかった気がした。
「……それと、シエル。あの子をちょっと気にかけてやってくれ。ひょっとすると──最後まで、一緒になるかもしれないからな」
「ん、わかった。オッサン達も、気をつけてな」
固く交わされた握手を解くと、冒険者達は皆で来た道を引き返し始めた。
これで、残っている冒険者は悠の一行と先を行くシエルの二組──正確に言うのならば、四人組と一人だけだ。
冒険者の意地を一瞬でねじ伏せる。イグラパルドの襲撃は、それほど衝撃的なことだったのだろう。
……だが、悠達はまだまだ平常運転だ。
「よっし! じゃあこのへんで飯にすっか!」
「助かった~……大分魔力を使ったから、もうへとへとだよ……」
そもそも撃退だけが目的ならば、わざわざイグラパルドに追い打ちを加える必要はない。
悠の驚異を理解した魔物は、最低限の知能さえあれば二度と立ち向かってこないだろうから。
食べる。それは最も人間の生活に近しい文化であり、ここ極圏という環境においても絶対の掟である。
期せずして規格外の存在を相手にしたイグラパルドだったが、彼の不幸はもう一つ、自分が食物としても優れていたことにあるだろう。
討ち取った獲物を前に、小さな宴の準備が始まろうとしていた。
◆
「うーむ、とはいえどうしたもんかなー、これ」
冒険者が立ち去ってからしばらく、捌いたイグラパルドを前に、悠はしきりに顎を撫でては悩みを口にしていた。
センサーが反応していることから、イグラパルドからは味に対する期待ができる──しかし、見た目の上では猫科の動物に近いイグラパルドを、どう調理すべきか思いつかなかったのだ。
「さすがにくせんしているようですね」
「確かに、珍しいな」
その様は仲間達にとっても珍しいらしく、空腹や魔力切れよりも悠が悩む様を貴重なものとして観察している。
「でも、見事なトゲトゲだねえ。怖い魔物っていうのも納得だなあ」
とはいえ、代わり映えのない光景を凝視していても何も変わらない。
暇つぶしがてらにクララが目をつけたのは、毛皮になったイグラパルドであった。
「ん、そうだな。まるでハリネズミみたいだ」
「ハリネズミ?」
「俺の住んでたところにいる動物でさ、こんなふうに棘が生えてるネズミがいるんだ。って言っても確かイグラパルドみたいにトゲを飛ばしたりはしなかったと思うけど」
毛皮の背中の部分には生え変わりかけの小さなトゲが生え揃っており、その様に悠は思わず地球に居た珍妙な生物の事を思い出す。
確かアレは襲われた際に外敵に刺さるようトゲが抜けやすくなっているんだっけ? いつか見た動画の痛々しさを思い返すと、悠はもしかしたら自分もそうなっていたかもしれないと想像し、うへえと声を漏らした。
「んー、そうか、ハリネズミかあ」
しかし、それが思わぬヒントになる。
今回悠が調理に悩んでいたのは、珍しく先入観によるのが大きな理由だった。
ぶっちゃけるとそれは『猫科って美味いの? 食うの?』といった、抵抗感である。
美味いらしいことは自分の直感が教えてくれるが、最後の一歩を踏み出せない──そんなところだろうか。
しかし、そこで何気なく口にしたハリネズミの存在が、悠からそれを取っ払った。
そうだよ、そもそも猫科ってトゲトゲしてないんじゃん?
ハリネズミは、日本ではどちらかといえば愛玩動物として有名である。だが、国によっては立派な食べ物だ。
少し残酷に聞こえるかもしれないが、食べる国ではまるごと熱湯に放り込んだり火にかけたりといった調理を行うそうな。
こうして悠の倫理の壁が取り払われた。
そもそも魔物である以上、細かいことを考えても仕方があるまい。
「とりあえず、ちょっと味見してみるか」
肉の一部を炙り、食べてみる悠。
見た目で言えば、それは若干ささみに似ているように見える。
「ん、美味い。けど、パサパサしてるな」
焼いてみればそれは案の定。
鳥とはまた違った野性味があふれる旨味があるも、脂肪分は極端に少なく、ぱさついた食感。
料理として完成させるには、この脂肪分を補ってやる必要があるだろう。
「脂肪分……と、なると」
実際に味見をしてみて、悠の中で方向性は決まったようだ。
食感センサーの導きに従って岩棚に目をやれば、鳥の巣があり、覗けば卵が見える。完璧だろう。
「よし、決まり! 作るからちょっと手伝ってくれ!」
「待ってました! 何をすればいいのかな?」
近くに居たクララを適当に呼び止め、手伝いを任せる。
頼んだ仕事は、ごますり。と言っても勿論褒めそやせというそれではなく、文字通りゴマをペースト状にするのがクララの仕事だ。
悠は単純な仕事を頼みつつ、自分は岩棚の卵を入手。
卵黄を分け、酢と塩などの調味料とサラダ油を併せて混ぜていく。
「なんですかそれは」
「へへ、マヨネーズってんだ。美味いぞ」
そう、マヨネーズである。
これにごまを合わせ、マヨネーズベースの胡麻ダレを作るのが悠の目的だ。
「ちょっと味見してみるか?」
ひな鳥のように辺りをうろうろと動き回るアリシア。
苦笑いを浮かべる悠は泡立て器代わりのフォークにマヨネーズを少々つけて差し出すと、アリシアは恐る恐るついばむように味を見る。
やっぱりひな鳥みたいだ、などと思う。
「これは……! まろやかでコクが有り、のうこうですね! これはおうようがききそうなソースです」
「お、行けるクチだね。そうそう、マヨネーズは色々なモノに合うんだ。思えばもうちょい早く作ってもよかったなー」
マヨネーズもまた、この世界においては最新の味だ。
日本ではポピュラーもポピュラーな調味料だが、その発祥は十八世紀ごろと見られている。
簡単そうに見えるがうまくマヨネーズを作るのにはコツがいることから、この世界でマヨネーズが生み出され、広まっていくのはまだ先の話だろう。
「終わったよー」
「ありがとう! んじゃ、続きだな」
クララから擦り終えたゴマを受け取ると、悠は魚醤や砂糖などを加えて胡麻ダレを作り上げる。
マヨネーズとごまの脂肪分。蛋白で脂肪分の少ない肉と合わせるならこれ以上ない組み合わせの一つとなりうるだろう。
そして、肝心の肉の方だ。
これは、蒸して火を通すことにする。
もうおわかりだろう、イグラパルドのバンバンジー風。それが、今から生み出される料理の名前だ。
「あとは流水で冷まして……出来上がり! イグラパルドのバンバンジー風だ!」
「おおー! 白いお肉にベージュのソースが綺麗だねー……」
「ほうほう、あのソースがこんなふうに……よそうができませんね」
「出来たのか。まさかあのイグラパルドがこの様な姿になるとはなあ」
完成した料理の第一印象は概ね好評といったところだろうか。
カティアの言う通り、威圧するようなヒョウ柄のイグラパルドから出来上がった料理にしては、白を貴重とした上品な外見は良い意味でギャップを生んでいた。
「それじゃ実食と行こうか。一応謝っとく、まずかったらゴメンな?」
「いえ……これは、だいじょうぶだと思います」
「いざ! いただきます」
あまり不安がなくとも、悠は一応失敗に備えて謝罪を済ませておいた。
とはいえ、アリシアと同じく、悠もあまり心配はしていない。
癖のない肉に濃厚なソース。その取り合わせが──
「んんっ……! 美味ひい!」
不味いわけはないのだ。
事前に味見したとおり、脂肪分が少なく蛋白な味のイグラパルド。しかし焼くのではなく蒸す事を選択した肉には旨味のエキスが閉じ込められ、噛みしめることで旨味が顔を出す仕上がりに。それでも脂肪分が少ないことから感じるパサつきは胡麻ダレの濃厚な舌触りが優しく包み込むことでカバーし、噛めば噛むほど旨味のエキスが出てくる白身肉をサポートしている。
「これは……っ! まるでくんせいのようにうまみのふかいおにく! ですがそれゆえか、しぼうぶんはすくなく、はざわりはわるい……そこにこの、のうこうなソース! のうこうでありながらおだやかなあじわいは、しょっかんとみかくのりょうほうでおにくのサポートをしています……!」
「本当、こってりしてるのにさっぱりしてるというか……いくらでも食べれるって感じだね!」
「うん、美味いな。いやー……ちょっと今回は何も思いつかなくて不安だったから、一安心だ」
思えば未知の食材に挑み続けてきた悠だが、流石に猫科のように見える魔物を相手に調理法をイメージするのは骨が折れたようだ。
しかし出来上がった料理は確りと美味しく、好評だ。
「でも、これいい感じだな。ソースがこってりだけど、肉の方が脂肪分少なくてヘルシーって感じだ。本当にいくら食べても太らないかもな?」
その上、栄養の面でもこの料理は完璧と言えるだろう。
糖質は少なく、タンパク質などの栄養はばっちり。その辺りは地球のささみ肉と似ていると言えるだろう。
悠の見立ては実際その通りで、ダイエットや筋トレなどの最中の食事として、イグラパルドのバンバンジー風は最高のものだった。
「……ほうほう、成る程成る程?」
「……なんか今日はいつもよりお腹が減ってるかも。いっぱい魔力を使ったからかなあ」
そんな情報は、どうやら女子のお二方にはとても魅力的に聞こえたようで。
いつもよりも食欲に満ちた食べ方に、悠は苦笑する。
食べ過ぎたら変わらないと思うけどなあ。なんて口にするにはもう遅すぎて──
でも、苦笑している悠自身も、知らずいつもより食事自体が楽しく思えていた。
冒険者達に認められた事を思い出すと、箸が進む。
満腹になって寝転ぶと、岩肌が痛い。それでも満ち足りた気分の悠だった。
 




