第五十八話:ユウの力
「ん……ゔぁー……」
朝日が昇り始め、薄っすらと明るくなってくる頃。
個人用の小さなテントから這い出す、眠そうな声が一つ。
まだ深い青色の空をひと目見て、清廉な空気を胸いっぱいに取り入れる。
あたりを見回すと、合同極圏探索を始めた頃よりもずっと減ったテントの森──というよりも、もうまばらに生えているだけといった様相だが。
ともかく、冒険者達の眠るテントがあった。
見れば他の冒険者もちらほらと動き始めているのを確認すると悠は大きく伸びをした。
人里離れた場所の朝と夜は早い。じきに動き出さないと、今日の行動時間は減ってしまうだろう。
「よし、今日も頑張るか! おい、朝だぞー!」
そうと決まれば早めに行動を開始しよう。
別のテントの中の少女たちに声をかけることで、悠の一日は始まった。
◆
「けど……他の人達も大分減っちゃったね」
行動を開始して、日が頭の上をすぎる頃、あたりを見回したクララは本当に何気なく、そう呟いた。
言う通り、最初は列を成して歩いていた冒険者達の姿も今はまばらで、皆一様に疲れが見えるようになってきていた。
「もう大分昇ってきたからな……見ろ、海岸があんなに遠い。高さも台地の半分ほどまで昇ってきているようだし、文字通り後半戦に入ったということなんだろうな」
「そうは言うけど、天辺を目指す上じゃ、まだまだ半分も終わってないんだよなあ。やっぱ過酷ってのもホントなんだな」
その理由は、単純に日程が進んできたからだ。
これにより冒険者間でも先行するパーティと遅れるパーティの差が広がってきており、またそもそも探索を続ける冒険者が減ってきた、というのがこの光景の真実である。
「そのてん、わたしたちはけっこうやるほうなのでしょうね。まだ少し、よゆうがあるでしょう?」
「だなあ。持ち込み食材にはほとんど手ェ出してないし、俺ら割と強いほうなのかもなー……ってのは、調子に乗り過ぎか」
軽い様子で雑談する悠達。だが、たまたま近くを歩いていた冒険者達は冗談ではない──と思った。
その口調から嫌味がないことはわかる。それでも近くの冒険者が苛立ちのようなものを感じたのは、文字通り『冗談ではない』からだ。
周りの冒険者のような苛立ちこそないものの、そんな悠の冗談に対して呆れ混じりにツッコミを入れたくなったのは、カティアだ。
「(……調子に乗りすぎなものか。ここまで残っている冒険者は、殆どがかなりの手練と言っていい。それでも、疲労は濃いし士気も下がっているんだ。未だに歩きながら雑談なんか出来ているのは、私達くらいだぞ……?)」
そう──ここまで来られる冒険者はすでにごく一部と言っていい。
残った者もほとんどは目に見えた疲労を浮かべていて、それこそ悠達のように冗談交じりの雑談など出来る状態にある者など、一握りも居ないだろう。
だと言うのに、悠達は未だ疲労など感じさせない様子でサクサクと歩き、談笑している。
前衛タイプの二人はともかく、後衛のクララとアリシアまでもがだ。
「でも、確かに疲れとかはあまりないよね。ユウの料理のおかげかなあ?」
「栄養面は結構気を使ってるつもりだし、美味い飯って結構士気上がるらしいし、ソレはあるかもなー。まあ、多分ソレはちょっぴしだけどさ」
当人達がそれをひけらかすでもなく、大したことだと思っていない様子は、周りの冒険者からすれば理不尽だという気さえした。
傷もない青っちょろいガキ達が。こういう極圏をナメているような奴らに邪魔はされたくないものだ──と、その場に居た者達の心は一つだった。
だが実際にはこうで、下手をすれば自分が彼らに迷惑をかけかねない。
それだけはしたくない、というのが奇しくも冒険者達に意地のような気力を与えていた。
……まとめると。半分近くまで昇ってきたこの時点で、談笑などしているのは十分偉業とさえ言えることだった。
知らぬは本人ばかりなり、とはよく言ったものだ。
だが実はその中でも何気ない一言だけが、的を射ていた。そう、彼らの活力の要因、それが悠の料理のおかげだというクララの推測がだ。
「(んー、でも確かにメシのおかげってのはあるのかな。メシを食うと疲れが取れる感じはしなくもない)」
薄々、悠自身もそれに気がついている様子で。
何気なく広げた手に視線を落とすのは、そこにあるかもしれない何か──無意識に自分の力を覗いているようでもあった。
一方で確信を得ているのはカティアだ。
確かに食物の摂取にはマナの回復効果もある。だがそれは本来微々たるもので、飽くまで十分な休息を補助する程度のものでしかない。
悠の料理は回復効果、能力の底上げ、その二点においては魔法の域にまで達していた。
「なんでもいいです。ユウさんのりょうりはおいしいので」
「おー、嬉しい事言ってくれるねえ」
他の者はその力さえ知らないとは言え、なんとなく力の本質に気づきつつもその価値に思い至らないのは、本人たちだけだろう。
悠もクララもアリシアも。強大な力を持ちながらどこかフワフワしているのは、カティアの悩みと言えた。
とはいえ、ここまで来ていつもどおりでいられるというのは、紛れもなく良いことと言えた。
願わくば、このまま何もなく頂点にたどり着ければいい──そんな風に思ってしまったカティアを、誰が責められようか。
往々にして、何もなければいいなんて思う時点で、何かが起こる予兆というものである。
「うわあああああッ!?」
悠達の後方で、腹の底から絞り出されたような恐怖が轟く。
弾かれたように、悠達は走り出した。
「いッ……イグラパルドだ!」
「馬鹿な! 二層は上の魔物じゃねェか!」
聞こえてくる情報は恐怖に歪んでいたが、それでも断片的に入ってくる情報がよろしくないものであることは明らかだ。
しかし悠達は怯まない。
「疲労を感じている者、実力に不安があるものは退け! 私達が当たる!」
「こっちです!」
一番に指示を飛ばしたのはカティアだった。
次いで、カティアの意図を察したクララが、防御結界の陣を刻んでいく。
迅速な対応に、もはや悠達を見くびるものは皆無だった。
迷惑だけはかけない。最初に抱いた印象とは大分違う方向へ行った意地さえ打ち砕かれた冒険者達は、さらなる負担になるのを避けるため最良の選択肢を選び──防御結界の中へと身を隠した。
「コイツがイグラパルドか……!」
そして、最初に波乱の中心と対峙したのは、悠だった。
イグラパルド。豹の背に針の筵がついたような──針を持つ猛獣だ。
大きさもちょうど大型の猫科動物といったところだろうか。靭やかに凝縮された筋肉の力は言うに及ばず、針に塗れた攻撃的なフォルムが悠の警戒を揺り起こす。
「シィィィィアァァァァッ」
静かに喉を鳴らし、威嚇するイグラパルド。
冒険者の怯えようを見ればその強さは勿論、警戒心も強い魔物のようだ。
真っ直ぐに向かってきてくれれば迎撃もしやすいものを──舌を打ちつつ、様子を窺う。
──が。
「ユウ!」
冒険者の保護が終わり、カティアがこちらへ向かってくる。
たったそれだけを確認するべく、一瞬。ほんの一瞬だけ意識を向けた瞬間に、イグラパルドは身を震わせた。
「……!」
その瞬間を、悠は見た。
身を震わせると同時に放たれる針を。
指向性を持ち、明らかな意思で束ねられて自分に向かってくる針を!
カティアが合流する事による戦力の増加を、それを期待した悠の心境を、そして呼びかけで僅かに乱れた悠の集中力を、全てを計算に入れた──真正面からの見事な不意打ちであった。
面を成して襲いかかる針の絨毯に、悠はとっさに硬質化を全開にする。
「いぢぢぢぢ!」
思ったよりも鋭くはなく、皮膚に突き刺さるのをなんとか防ぐ悠──だが、その破壊力は想像以上に高い。
硬質化の上から悠にダメージを与えられる攻撃は決して多くない。遠距離から、高速で、広範囲にダメージを与えたイグラパルドの針飛ばしは、その総合的な性能もさることながら非常に威力の高い攻撃であると言えた。
「っすまない! 意識を向けさせた!」
「気にすんな。でも、厄介だぞこれ……カティアの防御力じゃキツいと思う」
不意打ちでの必殺技を防がれたのは予想外だったのか、イグラパルドは更に警戒心を強めているようだ。
硬質化がなければ、蜂の巣状態になっていただろう。恐れられるだけはある。悠もまた、目の前の敵への認識を改めた。
「来る!」
さてどうするか──作戦を立てようとしたところに、イグラパルドは飛び上がった。
身を屈めて回転すると、丸められた背から回転の勢いを得て針が飛び出す。
その速度と威力は先の不意打ち以上のものだ。
しかしコレは回転している方向から範囲が読みやすく、悠とカティアは左右にそれぞれ飛び退くことで難を逃れる。
「同時攻撃だ! だが私の攻撃は当てにするな、回避を優先する!」
「そうしてくれ! 居てくれるだけで助かる!」
なんとかやり過ごした悠達だが、その能力以上にイグラパルドは厄介な相手だった。
警戒心が強く、頭もいい。悠の隙をついたり、コミュニケーションを阻害したりと、戦闘勘も良いようだ。
故にここから求められるのは対応力。悠達は数を活かす構えを採った。
散開した左右から、挟み込むように駆ける悠とカティア。同時攻撃に、イグラパルドが選んだのは、迎撃である。
「シィィィィッ!」
左右挟み撃ちという不利に対し、イグラパルドは震えることで針を放つ。
ただし、最初に悠に行った不意打ちのときとは違い、指向性を持たせずに針を放ったのだ。
より広い範囲へと放たれた針の攻撃角度はイグラパルドを中心に約百八十度。
全方位の攻撃を、カティアは唯一の死角である下へと逃れるため、転がり込むように身をかがめる。
思わず強力な行動に舌を打つ──が、理不尽なのは自分のリーダーも同じだった。
「おォォらァッ!」
なんと、悠はまたも硬質化で攻撃を防ぎつつ、そのまま切りかかったのだ。
理不尽というのなら、より力任せに見える悠の方が理不尽感が強いかもしれない──しかし、これでも悠的にはちゃんと勝算があっての選択であった。
より広範囲に指向性を持たせずに放った分、針攻撃は最初のそれより密度も威力も低かったのだ。
それでも、生身の人間がマトモに食らえば突き刺さるような代物だが、強靭な殻を持つに等しい悠なら痛いで済む程度のものだ。
流石にこれは想定外だったのか、イグラパルドは反応を遅らせ、紅刀は飛び退くイグラパルドの脚を僅かに切り込んだ。
その着地へ、カティアが切り込む。
だがこれはイグラパルドが針を放つことで防がれてしまう。
──しかし。
「ちっ」
放たれた針は一本のみ。
カティアは正確に額を狙うそれを首の動きだけで避けると、イグラパルドと反発するように距離を取り合った。
「気づいたか」
「ああ。多分、あの針も無限に撃てるわけじゃないんだな」
そうしてようやく悠と合流すると、イグラパルドは先とは違い観察することを選択した。
読み通り──針攻撃は威力・速度・範囲、あらゆる面で強力だが、それには『弾数』が存在するのだ。
棘の生え変わる速度は早く、こうして睨み合っていれば一度全方位攻撃を行えるくらいには回復するだろう。
それは、悠達も予想の範疇であった。故に、一言。
「捕まえるか?」
「是非とも!」
イグラパルドの次の一手を読み切った悠は、カティアと一言のみ交わすと、イグラパルドに向けて駆け出した。
そう、イグラパルドの取る一手。
それは逃げだ。
状況を分析し、効果的な攻撃と迎撃を行ってきたイグラパルドだからこそ、この不利を理解し得ぬはずはない。
己の武器は必殺たり得ず、また使用不可能。これ以上やったところで結果は決まっている。
ならば、このまま戦う意味はない。
その選択は、極めて自然と言えた。
強大な攻撃力に俊敏性、そして判断力。
全てを兼ね備えた猛獣、イグラパルドが初めて選んだ逃走。
だが──ここに来て、経験不足が勝負を分けた。
鋭い踏み込みから繰り出される、人間の技術の乗ったカティアの斬撃。
なんとかそれを飛び退くと、イグラパルドはより上方への逃走を選択する。
ニンゲンは、見たことがある。ニンゲンは飛べず、岩壁を駆ける事もできない。上へさえ逃れれば安全だと、そう思ったのだろう。
しかし、そこにいるのは規格外。
最後の最後で、イグラパルドは見誤った。
「逃すかぁ!」
岩壁を駆け、自分より高く跳ぶニンゲンもいるということを、彼は初めて知った。
といっても、それはこれから食物連鎖に沈む彼にはもう使えない知識だし、何かの間違いで生き残ったとしても使うことはない知識だろうが──
紅の刀は、イグラパルドを一刀両断に切り捨てる。
──戦う相手を間違える。鋭い野生勘を持つ彼にしては、あまりにも愚かな最後だった。
 




