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第五話:クララ

 少女が目を覚ましてから数分後。

 二人は一定の距離を保ちながら、お互いの様子を伺い続けていた。

 手持ち無沙汰に足した火の勢いは、お互いが顔を見るには十分な明るさを放っている。

 少女の様子は明らかに悠を警戒していて──


「(どうすりゃいいんだ。……多分、言葉通じねーよなあ)」


 気まずかった。

 ……少女が目を覚まして、悠が最初にしたのは、少女を黙らせることだった。

 大声を出されて、山の獣を呼ばれるのを避けたかったからだ。黙らせるのは、必死な形相で唇に人差し指を充てがうことで達成した。

 だが、その所為で少女は明らかに悠を警戒していた。

 無理もない。遭難し、怪我を負い、目が覚めれば言葉の通じない男に詰め寄られる。それも、お互いにまるで共通点が見当たらない服装だ。文化の違いが、深い溝を掘っていた。

 ……しかし、ぐう、と。焚き木が爆ぜる音の中に、獣の唸り声の様な音が交じる。

 それで慌てたのは、少女だけであった。鳴ったのは、少女の腹の音だ。


「……ほら、腹減ってるだろ? 食えよ。っていっても、わからないか」


 焚き火の光を被せてなお、少女が真っ赤な顔をしているのがわかる。

 悠は温め直していた一角汁を少女へと差し出した。

 取っ手を握らせる為に、悠と少女の距離は近づいている。距離の接近に怯えつつも、少女はおずおずと弁当箱を手に取った。

 少女は湯気立つ水面に必死に息を吹きかける。思った通り、腹は減っているようだった。


「……!」


 安全を確認した少女は、急ぐ様に、しかし少しずつスープを飲み込んでいく。

 少女のただならぬ様子はずっと前から食べ物を口にしていないと悟らせる。

 涙ぐみながら少女がスープを飲み終わるのは、あっという間のことだった。


「(アレ、味は良くても結構クる匂いだと思うんだけど。腹、減ってたんだろうなあ)」


 汗ばんで息を荒げる少女のよくない様子から気を逸らすべく、悠は明後日の方向を向きつつ思案する。

 あるいはこの世界では然程嫌われる匂いではないのかもしれないと思うのも一瞬、考えるのはこれからのことだ。

 孤独だと思っていたが、人に会えた。それは嬉しいが、言葉が通じないのは問題だった。

 小説の様に言葉が通じればよかったのだが──悠が、頭を抑えたその時だった。


「アノ……ありがとう、ございマす」


 控えめに鈴を転がすような、美しい声で礼が聞こえる。

 思わず、振り返った。もちろん、そこにはあの銀髪の少女がいる。


「えっ……日本語、話せるのか!?」


 驚いた故に荒々しくなってしまった語調に息を呑んで、口をつぐむ。

 話しかけてくれた少女を怖がらせないよう、悠は咳払いをしてから気分を落ち着けた。


「と、悪い。言葉、通じないんだと思ってさ」


 肩を震わせた少女だったが、悠が自分を怖がらせまいとしていることが伝わったようだ。

 こくりと頷いた少女は、悠の問い掛けに応える。


「翻訳の魔法、つかってマす。あなたの言語、ムずかしい。聞き取りづらいかモです……」

「魔法……! いや、全然聞き取れるよ。ありがとう」


 誰かと会話する。ありふれていた筈の『久しぶり』に、悠は目頭を抑えた。

 孤独は慣れている。割り切ったつもりだった。だからこそ涙は流さなかったが、それでも二度とないと覚悟していた『会話』は、悠の心に火を灯した。


「わたし、助けてクれた、だよね。怯えちゃって、ごめんナさい」

「いや……無理もないよ。俺もこんなナリだしさ。それより、怪我は大丈夫か?」


 そうなると、お互いの距離が縮まるのはあっという間だった。


「治癒の魔法、とくい。でも、歩けるまで、三週間くらい、かかる」

「そっか……いや、でも命に別状がないならよかったよ」


 少女もまた、人と会話ができることに安堵していたからだ。

 心の距離が少しだけ縮まることで、少女の翻訳の魔法はその精度を上げてきているのだが、それに気づいた者はいない。


「わたし、クララ。あなたは?」

「俺は悠。上総悠だ」


 名前を交換し、二人は微笑み合う。

 それから、二人は焚き火を前にして様々な事を語り合った。


「薬草、さがしてた時に、遭難したの。二日も何もたべてなくて、おなかが減っていて、その時に『チャームツリー』を見ちゃった」


 その中でした話によると、クララがあそこで倒れていたのは、やはりあの黄色い果実の能力にかかっていたからとのこと。

 『チャームツリー』。獲物を能力でおびき寄せ、滑落させて養分とする『魔物』である。

 この世界では、特別な能力を持っているものは植物でも動物でも『魔物』というらしい。

 植物の魔物。その言葉を転がしながら、悠は息をつく。恐ろしい推測が当たっていた事を知って、悠は改めて異世界の油断ならない生態を実感した。


「ユウがいなかったら、死んじゃってた。ほんとうに、ありがとう」


 そんな恐ろしさを知っているからこそ、クララは深々と頭を下げた。

 彼女と会話を始めてからもう何度目かになる結びの言葉に、悠は戸惑いながら頬をかく。

 感謝をされるのは悪い気分ではないのだが、特別な事をしたとは思っていない悠にとって、それは面映さを感じる事だった。


「あー……いや、いいよ。それよりさ、これから、どうする?」


 ごまかすように、悠は話を本来進めるべき方向へと舵を切った。

 此方の世界に来てから今まで必要なことしかしてこなかった悠にとって、雑談は心地良い一種の贅沢となっていたが、そうしてばかりもいられないと思ったからだ。

 切り替えた話題の先は、『これから』だ。


「クララは村に帰りたい……と思うんだけど、その脚じゃ歩くのは無理だよな。ここから村まで、俺がおぶって行くとかは出来そうか?」


 そう、先程までは生活の環境を整えることが第一だった。

 しかし今は違う。今の悠にはクララという保護すべき存在もおり、また『村』という目指すべき場所もあるのだ。


「えと、難しい、思う。村、山の向こう。山には危険な魔物、いる」


 だがそれは、今すぐには不可能だ。

 怪我人を抱えて山を歩くというのは、山に慣れた人でも危険である。まして、知識こそ持っているものの悠は山歩きのプロというわけでもない。

 どのくらいの補助が必要かは分からないが、同じ道を歩くにも数倍の時間を要するだろう。その間の食事や寝床の問題もある。

 答えるクララの顔は沈んでいる。脚を見ればわかるが、自分で動くのはほぼ不可能だ。悠はその答えを聞くと、顎に指を添えて考える。


「……まあ、そうだよな。三週間くらいで治るって言ってたっけ? ふむ……」


 悠の言葉に、クララは更に顔を曇らせた。

 ……この状況で、自分がどうしようもない負担になることをわかっていたからだ。

 生死がかかったこの状況だからこそ、見捨てられても文句は言えないと思っていた。悠が何気なく思案する声でさえ、自戒の材料になる。


「ごめん、なさい……あの……歩けない、から、少しの間だけ、でいいです……ここに置いてもらえませんか……?」


 それは、彼女からすれば精一杯のお願いだった。

 歩けない自分がここにいても、悠には何の得もない。考えるまでもなく、クララはそれを感じていた。

 強く、強くだ。まだ彼女と出会ったばかりの悠には知るよしもないが、クララは自己の評価をとても低く付けていた。それは今までの育ちよりも生まれによってクララに刷り込まれた価値観だったが、今はおいておこう。

 ──何の役にも立たず、どころか食糧の問題などを考えれば、自分がいてもマイナスにしかならない。彼女はそれを必要以上に強く感じていたのだ。

 ここに置いてほしいという願いに少しの間だけ──暗に脚が完全に治るまででなくともいいと付け足したのは、自己へ感じる『価値の低さ』と、それでもまだ死にたくないという僅かな本能が混じった結果出力された言葉であった。


「は、はあ? 何言ってんだよ」


 クララの思いなど知る由もなく、信じられない言葉を聞いた悠は声の調子を外した。

 『予想通り』の悠の言葉に、クララの肩がびくりと震える。


「悪いことは言わないから治るまでここにいろよ。三週間より早く歩けるようになっても完治してるわけじゃないだろ? そんなんで山歩きなんて無理だぜ。べつの所に人がいる拠点でもあるってんなら話は別だけど……遭難中ってんじゃ、そんなモンないだろ?」

「え……? あ、ない、です……」


 だが、続く言葉は予想とは全く逆のものだった。

 慌てた様子で俯かせていた顔を上げるクララに、悠は仕方がない様に息をつく。


「なら、居心地悪いかもしれないけどここにいたほうがいい。早く帰りたいだろうし、知らない男と二人じゃ不安かもしれないけどさ、困ってる女の子に手を出すほど腐っちゃいないし、途中で見捨てるほど意気地なしってわけでもねえよ」


 クララは、はじめ悠の言ってる事がわからなかった。

 一瞬だけ何かを企んでいるのかもと思ったのは、やはり自分を保護するメリットを感じられなかったからだ。

 そんな疑念も、悠の『当たり前だろ』と言わんばかりの困った笑顔で吹き飛んだ。


「わたし、役立たず。……見捨てたほうがいい。足手まとい、なる」


 悠の笑顔に救われて、思わずクララは溢れてくる涙を見せないためにもう一度顔を俯かせて、最も恐れていた事を自分から進言した。

 優しい少年に自分なんかが迷惑をかけるのは耐えられないという思いが生まれたからだ。

 食事の用意もできなければ、行動の邪魔にもなる。それを伝えるのは勇気が必要だった。

 それでももし、まだ悠がここにいていいと言ってくれるのなら。


「そんなことはない。……俺、しばらく人と会ってなくてさ。クララがいてくれれば、心強いし頑張れる。それに俺、結構食いしん坊なんだ。クララがいれば色々な食材を少しずつ、沢山の種類を食べられると思うんだよな、だから……」


 頼ってもいいと言ってくれるのなら、抱きついて縋りたいような気持ちだった。

 最初の主張とは真反対の言葉に呆れるでも怒るでもなく、悠が返したのは微笑みだった。

 予想していたよりもずっと優しくて、期待していたよりも嬉しい言葉。自分のような足手まといにいてくれれば心強いと言ってくれた。否定していた価値を肯定してくれる言葉に、思わず泣き出す。


「うううー……はいぃ……」


 今のクララとは対照的な、ひだまりの様に温かくて優しくて、安心できる悠の微笑みに、クララは今度こそ涙を抑えられなかった。我慢はしようとしているが、堰を切られた涙は止まってくれない。それでも無理やり泣き止もうとするものだから、クララの顔はくしゃくしゃに歪んでいた。

 初めて見るような女の子のあんまりにもあんまりな顔に、悠は苦笑する。


「心配すんなとは言えないけどさ、多分大丈夫だよ。脚が治ったら、村に案内してくれ、な?」


 クララは、悠が知る中ではダントツと言ってもいい美少女だ。今のクララの表情は、それほどまで可愛らしい女の子がしていてもつい笑ってしまうようなものだったが──悠には、それがたまらなく愛おしく思えた。

 なんとなく、悠はクララの抱えていた葛藤がわかっていた。こんな状況で自分を見捨てた方がいいだなんて泣き出しそうに言うのだから、よほど自己評価が低いのだと、そう思っていた。

 助かりたい気持ちと迷惑をかけたくない気持ちを天秤にかけて、自分を捨ててしまう少女を守ってやりたいと、そう感じていた。

 こんな状況になるまでひとりぼっちで、また孤独に戻ろうとするクララを、傍で支えてやりたいと思ったのだ。


「うん……!」

「よし、じゃあ今日はもう寝ようぜ。何をするにも睡眠は基本だぞ」


 こうして、二人の奇妙な同居生活はスタートを切る。

 睡眠の重要性を説く悠に、クララはようやく笑顔を浮かべることが出来た。

 悠に手伝ってもらいながら、クララは寝床の中に身体を納める。

 焚き火が消えると、そこは夜の山よりなお暗い暗闇に包まれた。

 それでもそこは温かく、安心できる場所だった。久々に人の暖かさに触れた嬉しさに、クララの力が抜けていく。

 だが不安だったのは悠も同じだ。たった一人で過ごす知らない場所。そこに少女が現れ、孤独を埋めてくれたというのは、暗闇に火を灯すような気分だった。


「(明日から、また忙しくなるな……)」


 当然、生活は明日からより大変になっていくだろう。

 それでも悠は今、誰かが近くにいることが嬉しかった。

 悠は、そしてクララもまた──あっという間に眠りに落ちていく。

 それは、二人とも久しぶりのことだった。


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