第五十七話:飯テロ
「さて、今日の晩飯だけど──クララとカティアは食べたこともあるけど、焼き肉のちょっとした応用編で行こうと思う!」
怪訝な目で見る冒険者達の視線もなんのその、準備を進める悠は高らかに宣言した。
焼き肉。クララにとってもカティアにとっても、その料理は想い出深い。
「おお、ヤキニクか! それは期待が高まるな!」
「いいね! ディアルクは美味しかったなあ~」
焼き肉──その名には鮮烈な思い出のあるクララとカティアは、かつて食べたディアルクの焼き肉を思い出しているのか恍惚の表情だ。
「やき、にく? なんだかずいぶんたんじゅんそうななまえですが」
「単純なのはまあ、単純かな? でも今回作るのは名前の通りのものではないから、楽しみにしていてくれ」
ロックゴートを捌きながら、悠はアリシアの疑問に答える。
疑問に答えながら肉の筋に沿って適切に解体を勧めていくあたり、悠の調理技術も上昇してきていると言っていいだろう。
「今回作るのはロックゴートのジンギスカン風だ。捌いてみた感じ、ロックゴートの肉は独特な匂いがありそうだからな。今回はそれを打ち消す方向で料理を勧めていこうと思う」
手際よく、解説しながらの調理は、クララ達にとって極圏でのちょっとしたエンターテイメントである。
軽妙な語り口は聞いていて楽しく、料理の出来上がりに期待をさせる。
踊るようなナイフ捌きといい、周りの冒険者も休憩の体を取りつつも、その視線はまるで『誘引』のように悠へと釘付けにされている。
「まずは、魚醤の中でも臭いが少ないものにガリカの実と果実をすりおろしたものを入れて、酒やすりごま他スパイスを適当に入れて作ったタレに漬け込む。食べごろはもう少し後だけど、今回は他の準備が終わったら食べちまおう」
肉を捌き終わった悠は、黄色い脂肪が程よくのった肉を特製の焼き肉ダレにつけていく。
ニンニクによく似たガリカの実をベースとして幾つかのスパイスで構成されたその香りは、現時点でも異常と言っていいほどの食欲をそそる。
「おお……なるほど、これはどくとくのかおりがするソースですね……」
クララ達の中でも、とりわけ料理の分析を好むアリシアは特に興味を示しているようだった。
言う通り、焼き肉のタレの臭いはこの世界の人々には馴染みがなく、独特としか言いようがないものだ。
しかし興奮の混じった声が示すとおり、漂う香りは『臭い』ではなく『芳しい』とでもいい分けるべき魅力的なものだった。
図らずも、アリシアの追求は料理番組の助手のような役割を果たしていく。
興味津々の周りの冒険者は、完成された料理番組の構成に無限に想像を膨らませていくしかない。
「さて、タレに漬け込んだところで用意するのは野菜だ。ええと、ブラッカだっけ? こいつを一口大に切っていく」
次に、悠はブラッカと呼ばれる野菜を切っていく。
この野菜はバラのような形をしている黄色い野菜で、その触感はキャベツに近い。
味の方は、キャベツより少し甘みが弱いと言うべきか。しかし焼くことで濃厚な甘い香りが広がる、ポピュラーな野菜の一つだ。
「んで……コイツにつけダレをかけて焼く!」
野菜をフライパンに入れた悠は、熱されたフライパンにタレを豪快に回しかけた。
すると、湯気とともに弾ける快音が響き渡り、あたりへと匂いを広げていく。
「おお……! これはなんとも良い香りだ」
「かくしゅこうしんりょうのしげきてきなかおりの中に、かじつの甘いかおりが……! 思わずよだれがでそうなにおいですね」
すると、ついに人々の興味を釘付けにしていた香りがお披露目になる。
蒸気とかしたタレはあま~い香りをあたり一面に散らし、ついに近くの冒険者へ届く。
「う、おお……!」
「なんて香りだ……!」
それは、まさしく飯テロと言うに相応しいものだろう。
魔物食自体はこの世界では珍しくはないものとは言え、その調理法は粗雑の一言だ。
焦げるまで焼いて焦げた部分を切り落とすとか、良くても適度な焼き加減に塩をふって終わり、程度のものである。
そこへ、この香りはまさに暴力とさえ言えた。
文字通り、腹が減っている時に焼肉屋の隣を通り過ぎたかのごとく。それは調理を進める悠が悪いなと思うくらいには、破壊的である。
だが──これで終わりではない。
焼肉屋の香りと例えたが、まだ主役は登場していないのだ。
「よし、焼いた野菜は、いったん他の器に移す。そしたら、冷めないうちに肉を焼く!」
そう、焼肉屋が焼肉屋たる存在、肉が。
満を持して登場した肉がフライパンに降臨し、先ほどとは比べ物にならない快音を立てる。
「こ……これは、おにくがおどっている……!?」
肉に絡んだタレは気泡を生み出して、ふつふつと蒸気が逃げるたびに肉が跳ね、踊る。
アリシアの実況に、思わず冒険者達は休憩中という体も忘れて腰を上げそうになった。
奇しくもこのあたりにいる冒険者は酒場で悠達に敵意を向けてきた者達で、敵意を向けた手前気になるものを確認できずにいるようだ。
追い打ちのように次から次に興味を煽る実況を加えるアリシアに、この小娘……! と冒険者の心が一つになる。
しかし、完全なやつあたりであることは自分達自身がよく理解しているようだ。
結局奥歯を噛むしかない。そうしている間に、料理の工程は仕上げまでやってきていた。
「最後! 裏返した肉が丸くなってきたら残ったタレで煮るように炒めていくぞ。焼きすぎないのがコツだ!」
ここに来て、投入されたタレは今までで最高潮の盛り上がりを見せる。
しかも、今度は肉が焼ける匂いまでが、タレの蒸気に乗ってくるのだ。
肉のアミノ酸が焼ける匂い、タレの糖分が焼ける匂い──メイラード反応とカラメル反応、二つの化学反応は共に熱によって進み、交わり絡み天へと昇る。
「わああいい匂い! 美味しそう……!」
「おおお……!」
オーディエンスの興奮も最高潮である。
最後に、炒めた野菜の上に肉を乗せれば──
「ロックゴートのジンギスカン風、一丁上がりだ!」
「すばらしい……! これほどしげきてきなかおりのりょうりは、はじめてです……!」
ロックゴートのジンギスカン風、完成である。
未だ熱を残した野菜のふうわり甘い香り、タレの刺激的な香り、肉のガツンと食欲に訴えかける香り──それらがタレによって纏められた、香りの芸術だ。
料理をパフォーマンスとして捉えるのならば、香りというのはその中でも主役と言っていいだろう。
「く、くう……! すげぇ香りだ……」
「それに比べて……」
その香りに、同じく魔物食による食料の現地調達を図っていた冒険者達が悲鳴を上げる。
そのまま焼いただけのロックゴートは、旨味こそ強いものの獣臭が強め──好みが分かれる味だと言っていいだろう。
だがコレはどうだ。こと香りに関しては、これを嫌う者はそう多くないだろう。
同じ素材だと言うのに、漂ってくる香りという『格の違い』が、いっそ悲痛にさえ感じた。
「それじゃ、冷めない内に食べようか。いただきます」
「いただきます!」
とはいえ、実食の段階まで進んでしまえば、もはや悠達も周りを気にしている暇などない。
間違いなく美味い、そう確信させる圧倒的な存在を前に、全力で身構えるのだ。
視線を釘付けにしていることも気づかず、悠達は料理を口に運ぶ。
口を閉じることで、あの鮮烈な香りが、口の中で一気に膨張するような感覚さえ受けた。
「~~ッッ!」
反応は、四人それぞれだ。だが、見ているものからすれば、誰を見ても美味いということがわかってしまう。
今にも飛び跳ねそうな身体を抑えるように身を抱くクララ、辛抱たまらないと言ったように握った拳を振るうカティアに、思い切り目を瞑るアリシア。
三人にとっては、肉の味以上に悠の作った焼肉のタレが衝撃的な経験となった。
一方で、悠は芳しいタレの奥にある肉の旨味を探るべく、穏やかな顔でゆっくりと口を動かしている。
……最初に思ったのは、脂肪の甘み。黄色みがかった色の与えるイメージに相応しい穏やかな甘みが、噛むたびに現れるのは心地が良い。
ついで感じたのは、予想通りの獣臭だ。といってもそれはタレによって『クセ』といえる程度に収まっており、悠としてはミルクのような香りにも感じられ、十分好みの範疇だ。これも、タレに漬け込む時間が長ければ、姿を消すだろう。
だが、この料理の真価は野菜と一緒に肉を食べてこそ。
悠がそうしたのを見て、クララ達も同じようにすれば──調和。
甘いはうまいを語源としているという、または逆とするという説もある。柔らかな野菜の甘み、タレの糖の甘み、それらがキャラメリゼされた香ばしさと共に肉に絡む。
恍惚とする、というよりはより食欲を刺激され、次へ次へと推し進めてしまうような味だ。
「……みごとです。おにくのソースにかじつというはっそうもさることながら、やさいのやさしいあまさ。一見にくとはつながりがみえないそれらがかおりというようそによってつながり、こんぜんいったいとなっているさまはまるで手をとりあうよう……シンプルなんてとんでもない、けいさんされつくしたりょうりですよ、これは」
がつがつと食べ進めていた料理も腹を満たす頃になると、ここでようやくアリシアがその味の解説をする。
舌足らずではあるものの、それは饒舌なまでに思いを語り尽くし──さらなる悲劇(飯テロ)を生み出す。
実際、悠のタレ作りは見事であった。
地球にある料理を再現とはいっても、似たものから記憶の姿を再現するのは難しい。りんごのような、キャベツのような、とは言ってもあくまで『様な』別のものであることには変わりない。
だが悠は経験のみでその姿を探り当てたのだ。計算され尽くしているというアリシアの評価も、あながち間違いではないだろう。
「お粗末様。今回も満足いただけたようで嬉しいよ」
「毎度、初めて見る様な食材でよくやるものだ……感服しかないよ」
「それはやってりゃなんとなく慣れてくるモンだよ。なんなら教えようか? そのうち出来るようになると思うぜ」
「あー……私は教えてほしいなあ。やっぱり料理が出来るのは憧れるよ」
喋りながら、料理の後片付けをする悠達。
料理によって補充された活力は満点で、今日の探索をもっと頑張ろうという気力が満ちてくる。
……一方で、飯テロを受けた冒険者達は僅かながらテンションを落としていた。
誰が悪いわけでもない。羨ましいというのはあったが、悠達を恨むものは少ない。
冒険者達が酒場で悠達見た時、彼らはほぼ一様にお遊び気分の子供達の尻拭いをするのは嫌だ、と面倒に思った。
それが、ある意味では悠達が優秀だからこそ士気を下げられているというのは、色々と皮肉な結果であろう。




