第五十六話:天まで続く
船に揺られて数日──悠達は、極圏『輝きの台地』に第一歩を踏み出していた。
『白の砂漠』とは違い、まず身を襲うような寒さは、ない。かといって、暑いわけでもなく、気候的にはどちらかといえば過ごしやすいほうだろう。
見ればあちこちから水が流れており、魔物もいるということは魔物食を採用している悠達にとっては食料の心配もないということ。
しかし。それでも。
悠は呟かずには居られなかった。
「おおお……デカすぎだろ……」
天まで続くような──否、天まで続く、巨人の階段。
あるいは、ハノイの塔という玩具をイメージできるならばそれが近いだろうか。但し、そのスケールは──玩具の遊び方を考えずとも──途方もないものになるが。
「話には聞いていたが、実物を見ると途方もないな……」
「これをのぼるのですか……?」
大陸一つがまるごと連なる台地で構成されている、その見た目はいっそ衝撃的で、どの様なものかを知っていたカティアでさえ驚いている。
見れば、集まった冒険者の中にも圧倒されている者が多く、知識と実物の違いがどういう物かがよく分かる状況になっていた。
落ち着いている者も多いが、そのうちの殆どは二回目以降の参加者、あるいはイベント自体は初めてでも輝きの台地に訪れた経験はあるという者で構成されている。
見れば圧倒される巨大さ。それがこの輝きの台地という極圏がまず人を拒む理由の一つだ。
しかし、それだけではまだ名前の半分に過ぎない。
「でも……本当に、てっぺんが光ってるんだね。綺麗だなあ……」
輝き。台地がその名を冠するに至った理由は、その頂上にある。
名の通り、天辺は輝きに包まれていたのだ。雲や霧に反射して見える光はまさに輝きと呼ぶに相応しく、その姿を無限に想像させる。
金銀財宝か、マナの輝きか──あるいは、マオル族の存在を考えるのならばそこにあるのは黄金都市か。その正体が何にせよ、輝きは冒険者に対して手を拱くかのように揺らめいていた。
事実、ここに集まった冒険者たちの中には輝きの正体を確かめようと頂点を目指している者も少なくない。
……それでも、その輝きの正体を伝える者は少ないのだ。それがこの輝きの台地という極圏である。
「さて、ちらほらと行動を開始する者が出てきたが、私達はどうする?」
そんな冒険者達のやる気は十分で、終わりが想像できないスタート地点──台地の麓から旅立つ者も現れ始める。
彼らには迷いがない。恐らくは二度目以降の挑戦者が多いのだろう。
「ここでこうしていても仕方がないし、目的からしても後発になるのは避けたほうがいいかもな。俺らも出発しよう」
「ううー、やっぱりこの瞬間はどきどきするなあ」
この中から頂点への到達者が現れるかはまだわからないし、悠達でさえ踏破出来るかもわからない。
だが探しものがある以上、なるべく他の者達よりも先んじて到達するのが好ましい。
そんなわけで、悠達は早速行動を開始した。
途方もない高さまで歩くことを思うと皆少しばかり気分は落ちたが、それ以上に個々人のモチベーションが、知らず口角を上げていた。
また、途方もないとはいっても白の砂漠のそれとは違うということもある。周りには他の冒険者がいることもあり、孤独な旅といった様相はない。
一言で言えば、楽しかったのだ。しかし、それはシエルが言っていたようなお遊び気分とは違うもので、悠達に油断はない。
「しかし、この靴は大したものだな。靴底に工夫を凝らすだけでこんなに歩きやすくなるとは」
「少々おもいのでぎゃくにつかれるかと思ったんですけどね。これは楽です」
「ん、そうだな。こういう険しい場所を歩くのは靴選びからってな。適した物があって助かったよ」
その一つが──『備え』だ。
岩肌が多い輝きの台地。その特徴を聞いて、悠は事前に靴を用意していた。
それは現代ではトレッキングシューズと呼ばれる靴に近く、靴底が固く作られているものだった。
靴底が曲がりづらいために平坦な道は逆に疲れやすくなるが、斜面や岩場を歩いたりするのは、とても楽になる。
現代で使うようなモノの全ては揃わなかったが、悠はこの輝きの台地の攻略にあたって登山に使う道具を用意してきていたのだ。
レインウェアなどの科学技術が駆使された様なモノは揃わなかったが、それでも靴やピッケルなどは揃えることが出来ている。
これは他の冒険者も用意してきているものではあるが、初挑戦の者や、中には頭がまわらないのか、二度目以降の経験者も魔物との戦闘のみに特化した服装を選んできてしまっているものもいる。
そういった者達と比べれば、単純に歩くだけでも悠達の疲労は少ないと言ってもいいだろう。
現に、酒場で敵意を向けてきた冒険者の中には、それだけで悠達を見直している者も居た。
水場を中心に、なだらかになっている箇所を探して上へと向かっていく。
そればかりは合同探索の参加者に共通している方針らしく、悠もまた人の流れに沿うように歩いていく。
パーティによってその行進速度はまちまちで、遠目に見れば各パーティは列のように並んでいるように見えた。悠達の位置は、その中でも最前列と中央のちょうど真ん中あたりといったところだろう。
この列のどこに位置されるかは経験もそうだが、概ねパーティの構成によって決定されると言っていい。前衛タイプが多いほど前に位置し、逆ならば後ろになるといったところだ。
冒険者の組むパーティの中には後衛が入っていないものも珍しくはない。
前衛タイプと後衛タイプでは魔力の運用が違い、それは身体能力の高さに直結する。水の流れで例えるのならば、前衛タイプはパイプに常に水を流しているのに対し、後衛タイプは貯水槽に貯めた水を必要に応じて放出する……とでもいったところだろうか。
これにより前衛タイプは常に高い身体能力を維持することが出来、後衛タイプは必要に応じて大火力を発揮できるというわけだ。
悠達の場合言うまでもなく、悠とカティアが前衛タイプにあたり、クララとアリシアが後衛タイプになる。
身体の強化に使う魔力の割合が少ない分、体力的には前衛に劣るので、悠達が最前列から遅れるのは仕方がないといったところだろう。
「……へえ、一体どんな初心者達かと思えば、結構やるみたいね」
順調に上へと登る悠達に対し、ふとそんな声がかけられる。
嫌味っぽい声の正体は、前に酒場であった冒険者、シエル=フランセルだ。
「オカゲサマで」
適当に返事をしつつも、悠はシエルの装備に目を通す。
擦過傷からの保護を意識した服装は変わっておらず、厚手の手袋や悠達と同じ様なソールの硬い靴を装備してきているのは流石といったところだろう。
酒場で会った時とは違い、背負いやすく大容量のバッグも見える。
口だけではなく、相応の実力もあるようだ──と。
見ればわかる備えは、向こうもそのまま感じていることだろう。
どことなく棘の減った言葉には、嫌味だけでない素直な感心も見て取れた。
「でも、油断しないことね。ここは、輝きの台地は『それ』だけじゃないから」
それでも、飽くまでも悠達を挑発するような言葉を残して、シエルは前方へと消えていった。
言うだけあり、そのスピードは早い。時期に最前線に追いつくだろう軽い足取りは、彼女が『前衛タイプ』であることを物語ると同時に、冒険者としての実力を示していた。
「……やはり、あまりすきにはなれませんね」
「そう言うな。実際、装備を見たからといって極圏での合否が決まるわけじゃないのは事実さ」
せっかく楽しい気分になっていた所に水を差され、アリシアは膨れる。
しかし、あるいはそれこそが彼女の目的なのかもしれない。
油断はない悠達には文字通り『余計なお世話』になりえるのは事実だが、言う通りこの極圏が備えだけで攻略できるものではないのも事実だ。
「そら、どうやらもう半分の理由がやってきたようだぞ」
「ロックゴートだ! 数が多いぞ!」
カティアが不敵に微笑むと、どこかの冒険者が叫びを上げる。
──この極圏の調査が未だ成らず、頂上の輝きの正体が『噂』にとどまる理由。それは『魔物の強さ』だ。
多くの冒険者が腕試しとする理由でもあり、気候的には比較的過ごしやすいこの極圏に人を寄せ付けなかった理由でもある。
『輝きの台地』に生息する魔物は連なる台地の上へと登っていくほど強くなる。
その特性を考慮すれば、まだ歩き始めたばかりのこの位置に生息する魔物は輝きの台地に生息するものでも最低ランクと言っていい。
「クソっ速ぇ!」
「角だけじゃない、棘の生えた脚にも気をつけろ!」
「壁を登るぞ!? 上にも注意するんだ!」
あちこちから注意を喚起する叫び声が響き始め、その中には悲鳴も交じる。
最低ランクの魔物でも、輝きの台地に生息する魔物は全体的に危険度が高めだ。
ロックゴートも単体では大したことがないものの、壁を自由に駆ける立体的な戦法は慣れがなければ危険で、群れで行動する厄介さを含めれば──群れの規模にもよるが、その危険度は白の砂漠の要注意モンスターとして名高いディープホワイトに迫るだろう。
だが、逆に。
それ自体を目的としている者が、ここに居た。
「ゴート……ヤギ……」
うわ言のように少年が呟く。
ゆらりと首を回し、鞘から剣を抜き放てば、ルビー色の刀身と同じように目が光る──ように見える者も居たかもしれない。
そう。その強い魔物自体を目的としている者が、ここにはいる。
腕試しが目的ではなく、換金目的の素材が目的でもなく──
「いいね、いいね! 想像力が働くぞォ!」
ただ、食べるために。
世界中の美味を探して渡り歩くことを目的としている少年が、ここにいた!
「き、来たっ!」
その仲間たるクララが、迫るロックゴートの一団を見据えて叫ぶ。
おっかなびっくりといった声ではあったが、その手には力強く杖が握りしめられ、地面に魔法陣を刻み始めていた。
悠達が戦闘体勢に移行するのは、周りの冒険者が驚くほどに早く──身体から放たれる魔力は、目を疑うほどに力強かった。
横長の不気味な瞳孔と目が合うと、悠は肉食獣がするように犬歯をむき出しにした。
笑う、という行為のルーツが、ここに蘇る。
即ちそれは、肉食獣と草食獣。そのあり方を決定づけていた。
ロックゴートの突進の速度は、速い。
駆け出しの冒険者では、武器を構える前に一突きにされてもおかしくないほどだ。
魔術を使う者の天敵は、小柄で素早い魔物──敵の特性を理解すると悠とカティアは後衛を守るように壁を作り、クララはマジックアローの様なタメの少ない魔術を構成し始める。アリシアはもっとも効果的なタイミングで『午睡』の眠気を叩きつけるべく、機を伺っている。
適材適所、すぐさまそれを実行した悠達は、自分達の戦い方をすでに理解しているといっていいだろう。
凶悪な角が迫るも、悠とカティアは冷静だ。
突出した一匹が最初に迫ったのは、カティアだった。
「ふっ」
真っ直ぐな殺意にも怯まず、カティアはムーンサルトでも行うように、それを軽々と躱す。
しかしこのままでは後ろのクララとアリシアが危険になる──カティアが、それに考えを巡らせていないわけもなく。
「フゴゴ……!」
躱しざまに、ロックゴートを斬りつけていた。
首を狙った剣閃は深く、鋭く。皮一枚を残したロックゴートの首は突進の勢いで振り回され、ちぎれて飛んだ。
後続のロックゴートはしかし、仲間を殺されて怒りに勢いづく。
仕掛ける相手を間違えたと考えられるほどに賢くはないのが、不幸であった。
怒りで乱れた心は『誘引』の力を発動した悠にあっさりと掌握され、悠を追うことを命じられる。
そこにクララから放たれたマジックアローが突き刺さり、痛みと驚愕で一瞬だけ『誘引』の支配から逃れられた。
……が、それは決して良いものでもない。突き刺さったマジックアローは余裕を奪い去り、虚を生んだ。
──試すなら、今か。
誘引の力を発動しながら、悠は身体の奥底に眠る力に語りかける。
激痛で思考が停止し、激痛によって正気に戻ったロックゴートが一斉に悠へと振り向く、その瞬間にそれは行われた。
「『穿行』」
意識を集中すべく、そう名付けた力の名を呼ぶ。
すると、突然悠の足元が水にでもなったかのように、悠は地面へと沈み込んだ。
ロックゴートが振り向くと同時、そこに悠の姿は消えていた。
再び生まれるのは思考──いや、本能まで白く染め上げる空白。
残り三頭のロックゴートが、一斉に膝を折る。
アリシアの『午睡』だ。意識の空白に擦り込むように挿入された強烈な眠気が、ロックゴートを深い眠りに誘う。
それでも僅かな間、意識は保てるだろう。いずれか一頭が犠牲になれば、また危機と怒りで残りのロックゴートは覚醒する。
『午睡』はより完成された眠りの力としては成れなかった不完全な力だ。
だが、悠にはそれで十分であった。
地面へ消えた悠が、ロックゴート達の背後から飛び上がる。
水面から鯱が跳ねるよう──その腕には赤い刃が握られていた。
古代種グランキオーン。大陸の主として君臨していた王の刃が、妖艶に煌めく。
「『──氷閃』」
体にまとった輝きに悠がそう命じると、紅刀の輝きが剣先へ集まり、そして。
薙ぎ払うと同時に、冷気の光線が迸った。
グランキオーンの冷凍液。悠の力となったのは、鋏のみではなく、寒空の洞窟に絶望をもたらした巨大な怪物が最大の武器とする冷凍光線そのものだった。
悲鳴を上げる間もなく、紅い光は並べられた罪人の首を落とすかのように、ロックゴートの首を走り抜ける。
暴君の刃は、一瞬にしてロックゴートを二度と動かない、命だったものに変えた。
「……凄まじいな」
魔物の力を取り込む悠の力。グランキオーンから得られる力は、カティアも恐らくこのようなものだろうと予想はつけていた。
しかし実際に眼の前で起きた『現象』は、想像以上のものだった。
魔物の能力は、言うなれば彼らの武器だ。それに人間の最大の武器たる『知能』が掛け合わされれば、いともたやすく効率的な破壊が齎される。
味方である前に、この力を持つ者が『ユウ』で良かった。そう思ったのは、カティアだけではなかった。
何故なら──
侍がそうするように、刀を振るう悠。
放たれた氷の斬撃のごとき冷たさを感じさせる佇まいだが──
「……おわあああああミスった! 血抜き! 血抜きせんと!」
その本質は暖かくてどこか抜けている、けれどお人好しな優しい青年だ。
きっとその力の使い道を誤ることはないだろうと、安心させてくれるのが悠という青年だった。
「ちょっと早いけど、メシの準備しとこうか! 早速こんな大物が取れて幸先がいいな!」
「ふふっ……そうだね」
今魔物を瞬殺した青年とは似ても似つかないような慌ただしさに、つい笑ってしまう。
けれど、それが悠の良さなのだろう。
「どんなあじなのでしょうか。たのしみですね」
「ああ」
それに、悠の料理は美味い。
なんのかんのと言っても、食いしん坊なのはみんな一緒だ。
てきぱきと食事の準備をする悠を見る目は様々だ。悠もそれに気づかないわけではない。
しかし、仲間達はみんな、そんな彼を暖かな目で見ている。
そうしている内は、きっと道を違えることもないのだろう。




