第五十四話:招かれざる客
「おおおー……! ここが冒険者のギルドか……!」
昼食を終えて程なく、悠はその建物を前に、隠すことなく感動を口にした。
あたりの人達にとっては特別でもなんでもない見慣れたもので、何故か感動しているおかしな少年に振り返る者もいる。
「……そんなにめずらしいものですか?」
「ユウの住んでた所にはなかったんじゃないかなあ」
アリシアもまだユウの独特な感性には慣れていないようで、怪訝な瞳を向けているが、クララとカティアからすれば慣れたものだ。
一見して普通の酒場にしか見えない──事実、中に組合の窓口が入っているだけの酒場なのだが、なぜだか猛烈に感動している悠を気にすることなく、ドアへと進む。
「あ、ちょ、ちょい待ち! 俺がドア開けたい!」
それでも、その興奮のしようには苦笑いが漏れることもある。
しかし悠にとってこれは大事なことだ。なぜならば、そのドアはスイングドア──日本ではウェスタンドアと呼ばれることもある『西部劇のアレ』だからだ。
向こう側が見えた両開きの木製ドアは、悠にとってはあまりにもわかりやすいファンタジー要素であった。
許可を得てドアを開けると、たったそれだけだが自分がファンタジーの中にいることを実感する悠。
しかし、浮ついた気分も一瞬で冷めた。
酒場の中の瞳が、一斉に悠達を見たからだ。
中の人々は、特別ガラが悪いわけではない。
とはいえ傷だらけであったり筋骨隆々であったり、総じて無骨な外見のものが多く、日本人の感覚でいえばちょっと恐ろしいところはあったが、取り立てて品が悪いということはなかった。
だが、少し見れば違和感に気づく。
悠達は『小奇麗すぎる』のだ。若く、傷一つなく、細い。
言い換えるのならば、悠達の外見からは経験というものが欠けていたのだ。
「気にするな」
そんな視線に予め気がついていたかのように、カティアは前へと歩み出る。
神殿騎士の制服が揺れると、酒場に集まる冒険者達も目の色を変えたようだった。
尤も、普段は彼らを取り締まったり小言を言ったりといった立場の神殿騎士だ。一目置かれはしたものの、その視線はあまり好意的なものでもない。
「神殿騎士様、ですよね? 当組合に何の御用でしょうか……?」
ずんずんと、人混みを割るように前へと進んだカティアを迎え入れるのは、小動物のように伺う様な声だった。
酒場の中に設置された窓口の、受付嬢といったところだろうか。
冒険者にとっては厄介ごとを持ってくることが多い神殿騎士だけに、その扱いも腫れ物を触るかのごとくだ。
「合同探索への参加を申し込みたい」
そして──カティアが切り出した一言は、あたりをざわめかせるに十分たるものだった。
「し、しかし──」
「神殿騎士は基本的に極圏へ行くことは出来ない、だろう。安心してくれ、我々は許可を受けている。これが認可証だ」
難色を示す受付の少女に、突きつけるように示した一枚の書状。
その書面を見た瞬間、受付嬢は悲鳴を上げそうになった。
だが、カティアが口に戸を立てるように指を立てると、それもできなくなる。
それも無理はないだろう。カティアが差し出した書面に書かれた名は、この国でも三指に入る権力者──ディミトリアス=ランドールその人の名だったのだから。
無論書類の偽証を疑うも、認可証を差し出したのは高名な『聖騎士カティア』だ。
最近ではドラゴンを討伐したという話もあり、冒険者の中では知らないものはほとんどいない。
「……っは、はいい……」
つまるところ、受け入れるしかなかった。
後にギルドの者の中でも位が高いものがザオ教に確認を入れるだろう。木っ端の自分に出来ることはこれだけだ──後の者に丸投げする苦労を見て見ぬふりをし、受付嬢は手続きを始める。
「で、では各方のお名前をお聞かせ願いますか?」
簡単な手続きが始まると、悠達は受付嬢の言う通りの質問に答えていく。
名前はともかく、住所は一癖も二癖もある者達だ。不定の悠、田舎のクララ、そして『存在しないはずの場所』のアリシア。突っ込みたくても書状の詮索無用の一文がそうもさせてくれない。
「終わりました……では、こちらが組合員の証明書と、合同探索の参加証になります。今回はザオ教の方でお支払いされるようですが、参加証を無くされた場合、再発行の際にもう一度参加費がかかりますので、ご注意ください」
本当にお願いします、と受付嬢の心中で一言が足されて、説明と手続きは終了する。
悠はといえば組合員の証明書──ギルドの紋章である一角鯨が書かれたもの──に夢中になっていた。
これもまた『っぽい』である。
さて。
終わってしまえば後は帰るだけなのだが、まだまだ夜までは時間がある。
一皿二皿料理を摘むくらいの時間はあるわけだが──
「な、なあ……俺らなんかしたか……?」
周りの空気は、どうにもそうはさせてくれなさそうなほど悪化していた。
神殿騎士の極圏に関わる業務を思い出した悠はごく小さな声で、それとなくカティアに聞く。
「ああ、それは──」
勿論、理由としてはそれもある。
だが彼らの瞳はカティアだけに向けられるものではなくて──悠の疑問を、カティアが答えようとするその瞬間だった。
「あなた達が『なにもしていなさそう』だからよ」
始まる説明を、始まる前に引き継いだのはカティアの声ではなかった。
幼さはなくて、しかしクララのものとも違う、棘の含まれた──というよりは散りばめられた、強い意志を感じさせる少女の声であった。
明らかに敵意を示しての声に、目を鋭く傾けたのはカティアとアリシア。
一方で突然の剣呑な雰囲気に目を丸くしたのが、悠とクララであった。
「……どういうこった?」
それでも真正面から向き合って疑問を返せたのは、何度か死線を潜ってきたからだろう。
悠の質問に、髪を後ろで結んだ少女は鼻を鳴らす。
「この合同探索では冒険者の死亡率は低い、それは知っている?」
「そりゃ、まあ……」
質問には答えられず、逆に試すように問いかけてきた少女に、悠はとりあえずとでも言うように返答する。
合同探索の死亡率は低い──それはなぜか、冒険者同士の互助があるからだ。
自分の身を危険に晒す場合は例外であるが、この合同探索では冒険者同士の助け合いが推奨されている。
誤って自分の実力を見失った場合や、物資切れなど、命に関するトラブルが発生した場合、合同探索に参加した冒険者同士がお互いをカバーすることで安全を確保しているのだ。
勿論、助ける側が危険を被る場合や、もはや助けようがないモノだっている。自殺行為とみなされるような行いは、無視されることだってある。
だがそれ以外の失敗をカバーし合うことで、冒険者達は『輝きの台地』の探索を腕試しのイベントとして成り立たせているのだ。
かいつまんで、悠はカティアから授けられた知識を説明した。
知らないわけではない、語った知識はそんな意思表示になったのだが──
返ってきたのは、嘲笑混じりの呆れだった。
「わかっているのなら、想像はつくんじゃないかしら。極圏探索は、遊びじゃないのよ。一度合同探索が始まってしまえば、貴方達が危機に陥れば私達は助けなければならない。足を引っ張られたくないのよ、みんなね」
「俺達が迷惑をかけるって言うのか」
「そう見えるわ。貴方は世間を知らなそうだし、そっちの女の人はともかく、小さい女の子が二人も。見た感じ経験があるようにも見えないし──危険になる前に辞退するべきよ。貴方達のためにもね」
少女の言葉に苛立ちを覚えて返す悠。
無意識に威圧感が交じるも、少女はどこ吹く風だ。
……なんとなく、見ればわかった。首から下を守る飾り気のないタイツの上にハーフパンツや半袖のシャツを着込んだスタイルは、動きやすさと擦過傷などの対策を重ねてしたものだ。
髪を後ろで纏めたポニーテールも、動いた際に邪魔になることを嫌ったものだろうし、短剣の鞘の傷は使い込んだ事を察させる。
この少女は、探索に慣れている。言い換えれば極圏探索から何度も帰ってくる実力の持ち主というわけだ。
だからこそ嫌味の混じった言葉の中に、他の冒険者だけでなく、悠達を案ずるものがあることがわかった。
苛立ちが先に来た悠だが、要所ごとの情報に気がつくと、苛立ちが失せてきた。
少女の言葉の根底にあるのは、結局他人への心配だ。
あるいは、こうして啖呵を切りに来たのも、周りとの衝突を避けてのものか──というのは、考えすぎだろうか。
「……気をつけるよ。迷惑はかけないようにする。あんた、名前は」
「シエル=フランセル。……精々期待してるわ」
やっぱり考えすぎかもしれない。そう思わせる嫌味を交えつつも、律儀に聞かれた名を名乗って、少女──シエルは去っていった。
気がつけば酒場の空気はわずかながら柔らかくなっている。言いたいことはシエルが代わりに言ってくれた、といったところだろう。
「もう帰ろう」
「……うん」
「ああ」
悠の思っていることは、仲間達にも伝わっていたのかもしれない。
どちらにせよ、自分達がここにいることで酒場の空気が悪くなっていることは確かだ。
静けさの中、悠達は酒場を後にする。
帰り道の途中、不機嫌なアリシアを説得していると、自然とシエルが話に登る。
「それにしても、まだちょっとむかつきます。人を見た目ではんだんするなんて、しんじられません」
「それは確かにそうだが、無理も無いだろう。なあに、後は行動で示していけばいいさ」
子供二人と纏められたアリシアとカティアだが、その反応はそれぞれだった。
見た目をコンプレックスにしていることを知っているクララが、つい疑問を口にする。
「あれ? カティアは、怒ってたんじゃないの?」
「その時はな。だが子供っぽく見えるのは事実だし、歴戦の勇士であることを証明するモノも私達にはないからな。シエルとやらが騎士としての私を知っていたかはどうとして、いくら騎士が強かろうと極圏の環境に適応できるかは別の話、危険になる前に参加することをやめさせようという気持ちはわかる」
シエルに絡まれた際、真っ先に睨み返したカティアではあるが、落ち着いた今はいっそ好意的でさえあった。
カティアは管轄外だが、極圏での行方不明者を救助するというのも神殿騎士の仕事の一つであるため、自分以外の誰かの身を案じる心根のことを好ましく思っているのだろう。
「ああいう真面目な者は嫌いではないよ。それに遅れて思い出したが、フランセルという名は聞いたことがある。恐らく有名な冒険者の子供というのは彼女のことだろう。だとすれば、憎まれ役を買ってでも注意するというのは、誇り高く立派なことだと思う」
しかしそれだけでも無いようで、カティアは少女の身の上についても推測を立てていた。
有名な冒険者、フランセル。
その子供として何故か美青年剣士を想像していた悠は少し残念そうだったが、もう怒りは感じていないようだった。
「冒険者の中には極圏探索で生計を立てるものも居れば、未知の景色などに冒険心を求めている者もいる。中には観光気分で痛い目を見て、周りに迷惑をかけるものもいる。けれどあそこに居た者で私達に敵意を向けていたものは基本的に前者、極圏探索を行う冒険者としての自分に誇りを感じているものと見ていいだろう。だから──結果で示せば、見る目も変わるさ」
そう締めくくったカティアは、穏やかに微笑んでいた。
そんな彼女の誇りが、悠にはとても眩しく見えて──同時に、そんな彼女の言葉が、心に熱い炎を灯す。
「よーし、やる気出てきたぞ! 天辺まで行って、度肝抜いてやろうぜ!」
「その意気だ。……私は、このメンバーならばそれも可能だと思っているよ」
「私もユウとカティア、それにアリシアが居れば大丈夫だって思うな」
「いいやクララもだよ。君はもう少し自分の魔術に自信を持つべきだ」
「えふぇ!? あ、ありがとう……でいいのかなあ……」
「けんそんもすぎればごうまんになりますよ。……まああなたがそうでないのはしっていますが」
和気あいあいとした会話に、満足げに目を細めるカティア。
だが彼女は知っている。自分の実力を謙遜するクララを囃し立てる悠とアリシアだが、その実彼らさえも自分達の実力を小さく見ていることに。
「(私は、君達とならどこまでも強くなれる気がするよ)」
悠の力だけではない、きっとこのメンバーでなら、天辺を目指せると。
騎士として、仕えるに十分な対象がいるならば、多くは望まない。
だがもしも彼らが──彼がそれを望むのならば、力になろう。
静かな決意を胸に、穏やかな笑みの下で、カティアは誰よりも強い光を湛えていた。




