第五十三話:おじゃがのその後
「ねえユウ、『ギルド』に行く前になにか食べていかない?」
その日の始まりは、本当にふとした提案だった。
『輝きの台地』における合同極圏探索のイベントに参加することにした悠達。
輝きの台地は段々に連なる台地を登っていくごとに生息する魔物が強くなる極圏だ。どこまで登ったか、を冒険者の腕の目安に出来る輝きの台地は腕試しとしてはもってこいで、駆け出しの冒険者達からは人気の極圏の一つである。
悠達もまたいくつかの理由から、この合同探索イベントへの参加を決めていた。
今、悠達はそのイベントへ参加する手続きをするため『ギルド』に向かっている最中だった。
先のクララの発言は、冒険者達の組合へ向かう途中のことである。
「別にいいけど、組合の受付って酒場も兼ねてるんだろ? そっちで済ませばいいんじゃないか?」
肯定しつつも、理由を聞くのは悠だ。
未成年故に想像することしかできず、僅かながら『酒場』という場所のの食事を期待していた悠。
疑問に答えたのは、カティアだった。
「昨日クララとは話したんだが、組合のものとはいっても酒場の食事はまあ、酒の肴用という感じでね。味付けが濃く、量が少ないものが多い。ちゃんと腹に入れたいなら、そのあたりで食べることをおすすめするよ」
「うーん……ならたしかに昼飯向きじゃないな。またの機会にしようか」
説明を聞けばなるほど、言う通り酒の肴といった具合で、昼飯に向くものでもなさそうだ。
本当はそれでも少し興味があった悠だが、時間帯を考えて引き下がる。
となると結局、酒場に行くのは夜か。夜となれば酒場で酒を頼まないのもと考える悠なので、酒場で食事をするのはやっぱり二十歳になってからという運びになるかもしれない。
「でも、するとどうしようかな。どっかオススメの店とかあるか?」
「うーむ……私はあまりこの辺に来ないからな。この機会に開拓するのも悪くはないが……」
「そろそろげんかいでおなかがないています」
「……とのことなので、そのあたりの露店で適当に済ませてしまうのがいいかもな」
「なるほどねえ」
さて、昼飯選びであるが、実は具体的な代替案は無いようで。
このあたりの露天で済ませてしまうのはどうか、というカティアの提案が受け入れられる事になりそうだった。
お腹が限界というアリシアの言を考慮するならば、店に入るよりも露店の方が良いだろう。
しかし悠は、クララを伴ってこの辺を歩いたことがある。
そのときに特に目につくものは大体食べてしまったこともあり、いささか期待にはかけるといったところであった。
「あ、ならお芋のおじさんのお店はどうかな?」
「おお、いいかもしれない」
腹具合が迷子──ぐるぐると渦巻く大海に羅針盤を示したのは、クララだった。
「お芋のおじさん、とは?」
「カティアに会いに行く前に、ちょっとな。芋煮を出してて、美味いんだそれが」
「それに、面白いものもあるんだよ~」
首をかしげるカティアとアリシアに、悠とクララは意味深に笑う。
お芋のおじさん、とはなんともじわりとくる命名だと思ったが、悠はどこか素朴で温かい男性を思い出して心中で頷いた。
「おすすめのお店があるなら早く行きましょう。おなかが空きました」
「ん、じゃあそれで行こうか」
これといった希望がないこともあり、今日の昼食は芋煮で決まったようだ。
記憶に従って人混みをかき分ける悠達。
「そうそう、確かこのあたりに──おお?」
悠の食べ物に関する記憶は正確で、目当ての店はすぐに見つけることが出来た。
昔ながらの芋煮と、この世界では最新のポテトチップスを出す店。
この世界でも唯一のハズだったその店は、しかし。
「ポテトチップスのお店がいっぱい……」
今では、唯一のものではなくなっていた。
あちらを見てもこちらをみても、という程ではなくとも、一画ごとに一つはあるポテトチップスの店。
悠も考えていないわけではなかった。
ポテトチップスの発想自体は珍しくとも、それ自体は簡単なもので、少し練習すれば同じ様なものを作ることが出来るだろう。
作れば売れる物があるのなら、作らない手はない。この世界の人々も商魂たくましいようだ。
「あちゃー……まあ、この世界には特許とかないだろうしなあ」
「うわあ、すごいねこれ。ユウが考えたのになあ」
「ポテトチップス、とやらが何かはわからないが、ユウがコレを考え出したのか?」
「いや俺が考えたわけじゃないんだけど、伝えたのはそうだな。しかしコレじゃあ……」
あたりを見回しつつも、目当ての店を探すユウ。
見ればポテトチップスも、味付けが塩でなかったり、一度マッシュしたものを揚げていたりと、この短期間で様々な工夫がなされているようだ。
その創意工夫は感心しつつも、同じ店が並ぶことに悠は意識が遠のくような感覚を覚えた。
しかし、悪いことばかりでもない。
「ん……? あれ、あそこ、おじさんのお店だよね?」
「お、ホントだ! 繁盛してる!」
「ああ君達! 見てくれよ、君達のおかげでウチは大繁盛だ!」
目当ての店、通称お芋のおじさんの店は、中でも一際長い行列を作っていたのだ。
人の良さそうな顔は相変わらずだが活力に満ちていて、下がっていた眉も心なしか上がっている。
とはいえ──悠にはまだ読めなかったが──店のノボリに『元祖』と書かれているあたりは、おじさんもまた根っからの商人である様子。
だがそれもまたこの活気の一因なのだろう。
ポテトチップスはどうせすぐに真似される。だがそれが客引きになって、芋煮を食べてもらえさえすれば。そんなふうに思っていた予想はいい方向に裏切られたようだ。
「どれ、俺達も並んでみようぜ! ここだけお客さんが多いのも、元祖ってだけじゃないだろ!」
「おなかがへった……のですが、どうせなら一ばんよいものがいいですから、ここはがまんしましょう」
早速、悠達も店に並んでみることにしたようだ。
基本的に並ぶのが好きではない悠だが、こうして知っている人の店が繁盛しているというのは嬉しいものがあった。
おじさんの手際の良さもあり、客はどんどんはけていく。
悠達の番はすぐにやってきた。
「いらっしゃい! いやあ、こうして君達に店が繁盛しているのを見せられたのは、嬉しいねえ」
繁盛の秘密、それは? 悠の中で膨らんだ期待の正体が現れる。
それは、予想よりもずっと簡単なものだった。
「……じゃがバターじゃないか! おじさんが考えたんですか?」
「なんだ、やっぱり君はもう知ってるんだな。そう、油と塩のシンプルな組み合わせを聞いた時にね。最初はポテトチップスの味付けとして考えたんだが、どうも蒸した芋のほうが美味いみたいだからね」
それはじゃがバター。
シンプルながらこの世界では彼が生み出した、れっきとした最新の姿がそこにあった。
芋自体はポピュラーな素材だが、じゃがバターの歴史はそのシンプルさに比べてそれほど古くはない。
各地に似たような料理はあれど、日本の各地を賑わすこの形にたどり着いたのは、おじさんがじゃがいもによく似たこの世界の芋の特性をよく理解していた故のものだろう。
「うおお……でもさすがっすよ! 」
「ハハ、シンプルだからすぐに真似されてしまうだろうけどね。でもそうしたら、また新しい芋料理を思いつくまでさ!」
「へへ、なんかいいっすね、そういうの」
悠の『最新』に心打たれ、自らも『最新』を生み出したおじさんの顔には明確な自信があった。
もともと、芋煮の完成度は高かった。料理を真摯に愛するおじさんならば、たとえ新しいものを生み出せなくても『古き良き』を伝えて行くことが出来るだろう。
もう、悠はおじさんを心配していなかった。一人の料理人として敬意を払い、注文を告げる。
「それじゃあ、俺は芋煮とじゃがバターを一つずつ」
「っハイヨ! 約束通り、芋煮はサービスだ!」
悠が単純だったからか、はたまた同じく料理を愛するものとしてか──おじさんにも悠の思いは伝わったようだ。
各々が注文を伝えると、おじさんは手早くそれを与していく。
他のお客さん達よりもちょっぴり多く盛られた芋は、温かい。
「へえー……お芋に直接バターをかけるんだ」
「うん、美味いぞこれ。芋が好きな人は絶対好きなヤツだ」
わたわたと運んだ料理を近くのベンチに腰掛けていただく。
バツ印に切れ込みを入れられた、ふかし芋によく絡むバター。
フォークで割れば立ち上る湯気が、芋とバターで二乗された芳醇な香りを優しく届ける。
口に含めばホロリと割れた芋に染み渡ったバターが優しく、きめ細やかな舌触りを届ける。そして完璧な塩加減が口を飽きさせず、次をせがませる。
完璧に調理されたじゃがバターは悠に故郷を思い起こさせ、そして僅かな違和感──甘みの強い異世界の芋の個性的な香りが、この地に息づく息吹を感じさせる。
「シンプルだが……なるほど、凄まじく計算された料理だな」
「もごご、もごごご!」
芋とバターの素晴らしい高相性に、カティアが舌鼓を打ち──アリシアは多分何やら気の入った食レポを試みているのだろう。
喉に芋をつまらせるアリシアに苦笑すると、ふとクララと目が合って笑いかける。
食事の美味さ以上に、とてもあたたかい気分になる悠だった。
◆
「ごちそうさま! いや、うまかったです」
「君に言われると自信がつくよ。今度は君も知らない料理が作れるといいんだけどね」
食事を終えて、悠は一段落したおじさんとしばし雑談に興じていた。
お互いの近況を軽く話し合い、おじさんは一見強そうには見えない悠とクララが冒険者であることを初めて知ったようだ。
「んん、まさか冒険者だとはね。できれば危ないことはしてもらいたくないが、私に止められることでもないんだろうねえ」
「ははは、食いしん坊なもんで、強い魔物を食ってみたいんですよね。いい土産話があったら話しに来ますよ」
「そりゃ楽しみだ……と、言うことは、君達もアレに出るのかい? ほら、どこだかの合同探索だかっていう」
料理を話題の中心としているためか、悠と会話するおじさんは楽しげだ。
単純に悠がどういう人間か興味があるのかもしれない。会話は、自然と料理から悠達の方向へと向かっていく。
「そうなんスよ。なんで、今回はよっぽどの事がなければ命がどうこうってことはないんじゃないですかね。だよなカティア」
「ああ。踏破率は極めて低いが、死亡者も殆ど出ていないみたいだからな。とはいえ、流石に自殺行為をするようなバカ共は年に何人かは命を落としているみたいだが……」
「は、はは……君達はその点賢そうだし、大丈夫なんだろう?」
「まあ無理はしないっす……ハイ」
話題の舵は合同探索へと切られ、話題を振られたカティアは神殿騎士としての立場から苦言を呈する。
悠達よりも幼く見える少女が大人びた口調で話すのに驚き、結局死者は出ているという事実から、今度は悠と一緒に二度目を驚いたおじさんが口角だけで愛想笑いを浮かべる。
「ああ、合同探索といえば、なんか今回は凄腕の冒険者が出るらしいね? 私がこんな話をしたのも、周りが盛り上がっているからでね。久々の踏破者が出るんじゃないかって話題だよ」
なんとも言えない気まずい空気を変えたかったのか、おじさんは手をぽんとたたき、あたりを賑わす『凄腕』の話を卓に上げる。
凄腕。その『っぽい』響きに、悠の心が踊る。
「へえー! そんな話題もあるんですね。どんな人なんですかね?」
「それは知らないけど、なんでも若いそうだよ。有名な冒険者の子供だかって話だ」
「そりゃ期待もされるかあ」
有名な冒険者の二世。この世界にはそんな存在もいるのかと、俄然ファンタジーっぽい人物像に悠は目を輝かせた。
だが──ふと、クララに服の裾をつままれて、正気に戻る。
そうだ。踏破者が出てしまうのは、不都合かもしれない。
『輝きの台地』の踏破者は、ゼロではないようだが、いなくはないのだ。
しかしまだまだ頂の調査は不十分であり、それゆえにマオル族の手がかりが存在するかもしれない、というのが本来の目的である。
あるいはもうそれは失われているのかもしれないが──現段階で未だ伝説で有り続ける輝き、そして頂点の調査を行うのは、自分達でなければいけないのだ。
「……俺達も気合入れなきゃな。んじゃ、俺らはそろそろ行きます。おじさんも、頑張ってくださいね!」
「ああ、任せといてくれ! お互い、天辺を目指そうじゃないか」
希望に溢れた拳をぶつけ合い、悠とおじさんは笑みを合わせる。
では、行こうか。そう告げるカティアの背で、悠はふと何かを思い出したように何かを書き記す。
「そうそう、ポテチもじゃがバターも、こんなアレンジがあるんで参考までにしてくださいな」
「ユウ、行くぞー」
「あいよー!」
急いで行ってしまった悠に声をかける事もできず、おじさんはそのメモを受け取る。
そこに書いてあったのは、この世界ではまだ生まれていないポテチにおけるフレーバーの概念──のり塩や、コンソメなどといった味付けの例。そしてじゃがバターに合わせる付け合せの説明。
「魚のほぐし身……『イカのシオカラ』? ……彼は、一体、どれだけのことを知っているやら……」
小さくなる背を目で見送るおじさんは、その発想に衝撃を受ける。
恐らくそれらは『正解』なのだろう。同じ趣味を持つ少年として親しみつつも、食の道を行く先達として畏怖をも感じる。
──ある意味、このおじさんは世界で最も悠を評価している者の一人なのかもしれない。
そんな視線には露とも気づかず、悠は仲間の背を追うのであった。




