第四十二話:おにくには気をつけて
極圏『白の砂漠』探索二日目。
悠達は、今日も今日とて白の砂漠の奥地を目指し歩いている。
二日目ともなれば、結構な距離を歩いている。一日歩き通した二日目では、疲労も中々のものだろう──
が、不思議と道なき道を行く悠達の顔にはさほどの疲れは感じない。
それは何故なのかというと。
「しかし、気持ち的には昨日よりも楽だな。歩けど歩けど目的の場所が近づかない──というのは、思ったよりも辛いとわかったよ」
「本当。こんな場所で一人だったら、気が狂っちゃいそうだね……」
昨日とは違い、歩くごとに景色の変化を実感でき、どれだけの距離を来たかを確認しやすいという点にあった。
人間はメンタルと肉体を切り離せない生物だ。
いくら歩いても変化がないというのは、想像以上の疲れを感じさせていたらしい。
「まー確かにな。俺も結構ただ歩くのってニガテでさ。景色が変わるだけでもだいぶ楽だよなあ」
「……そうですね。気がらくというのはじっかんできます」
それに加えていうのならば、僅かにあった探り合いのような空気が無くなったのも大きいだろう。
「よ……っと。しかし段差を昇るのは面倒だな。こういう時小さい我が身を呪う」
「ほんとうですね。おたがい、ないすばでぃをめざしてがんばりましょう」
「……そうだなあ。その点アリシアはまだ可能性があって羨ましいよ。私はもう十九だからなあ。っと、手を出せアリシア、引き上げよう」
「ありがとうございます。……あきらめるのがいちばんよくありませんよ。ふぁいとです」
同じ釜の飯を食うとはよく言ったものだ、と悠は思う。特にカティアとアリシアは外見よりも実年齢が高いという点で苦労を共有しているせいか、積極的に会話を交わしているようだ。
お互い、最初は警戒──までは行かなくとも、注意しあっていたフシがあったと見る悠は、二人が仲良くなったことに安堵していた。
時に跳び、時に登り、悠達が暫く歩いていると、一際高い岩壁が見えてくる。
ここらで再び地形を把握しておくのも良いかもしれない──悠は、一度後ろを振り返った。
「俺、ちょっくら上から確認してくるわ。待っててくれるか?」
「うん、いいよー」
昨日と同じシチュエーション……だが、クララ達の反応は昨日と違う。
昨日。苦労はなるべく共有したいと、全員で壁を登った悠達だったが、今回のクララ達の反応は悠だけが上に行くことを良しとしているようだった。
だがそれは一度体験したのだからもういい、だとか。思ったよりも辛かったのでやらなくて済むならその方が──といったものではない。
「それ」が悠にとって苦労たり得なくなったからだ。
脚に意識を集中し、悠は深く曲げた脚を伸ばした。
「そいっ」
すると、凄まじい瞬発力で悠は地面からかき消えた。
一瞬の後にその姿があるのは遥か上空。二・三十メートルはありそうな岩山は、今や悠の一飛で頭の位置の下になる。
──『反発』。魔物のつみれによって悠は新たな力に目覚めていた。
それは一時的に自身をスーパーボールの様にする力とでも言うべきか、跳ね回る球状の魔物の生態をコピーした新能力だ。
「おー……ここからはまた砂漠かあ。でも川を辿っていけるだけマシかな」
文明を探す。それがこの旅のもう一つの目的である以上、目印が途切れないのは良いことだった。
一通り地形を確認すると、悠は『反発』の力を使って階段に落としたボールのように跳ねながら、クララ達の元へと戻っていく。
「ご苦労さま、ユウ。山の向こうはどうだった?」
「残念ながらまた砂漠だよ。でも川が続いてるだけマシだな」
「うへー……でも、水の心配をしなくていいのはありがたいね」
カティアのねぎらいに悠が上から見た景色を伝えると、クララは肩を落とした。
だが言う通り、川が続くということはひとまず水の心配はいらないということだ。
「水の心配はいらないし、こまめに水分は摂っておけよー。んじゃ出発!」
号令をかけると、再び悠達は川を辿って歩き出した。
峡谷地帯を抜けると、そこは伝えられた通りにだだっ広い平面の広がる光景。
思わず気落ちしそうになる一行だったが、会話が賑やかな分、そして水分の枯渇というタイムリミットが無くなった分、その足取りは軽かった。
「そういえばユウ、出発前になにか食べ物を作ってたよね。あれってなんだったの?」
そんな談笑の中で、ふとクララがある存在の事を話題に上げる。
それは、出発前に悠が作っていたとある保存食のことだった。
サプライズを狙い、悠はその存在を隠してきたのだ。
「ん、あー……まあそろそろ教えても良いかも知れないな」
隠し事をし続ける、という事の居心地の悪さを実感していた悠は、リュックサックの中身を思い浮かべる。
リュックを降ろし、取り出したのは、小さな包だった。
正体不明の包に、気がつけばカティアとアリシアの目も釘付けだ。
予想していたよりも大きい期待に、悠は胃が小さくなる思いだった。驚かせるのは好きだが、がっかりさせるのは少しばかりよろしくない。
葉を揺らすようなざらざらとした音と共に包を開けると、そこには──
「おおー! チョコレートでしょ、これっ!」
「そう。チョコだ。でもただのチョコじゃない」
ブロック状に見える、チョコレートが姿を表した。
チョコレート。その存在に色めき立つ女性陣。取り分け、それを食べたことがないクララとアリシアの──見た目には分かりづらいが──興奮は凄まじいものだった。
「ね、ねえ……これ食べても良い……?」
「んー、まあいいっちゃ良いんだけどな。これでも、れっきとした保存食なんだぞ。もしもの時のためにとっておいたほうが良いとは思うんだがなー」
その正体を見てしまえば、その誘惑に抗うのは難しいものだ。
悠が包みの中身を隠していた理由の一つは、ここにあった。
ただのチョコではない。悠が言った通り、これはただの嗜好品ではなくあるものにチョコレートをまとわせた保存食なのだ。
加えて、万が一手に入る食材に飽きてしまった時のためにと持ってきたいわば切り札的な存在である。
このまま食料が順調に手に入れば問題ないが、その保証もない。となるとなるべくコレに手を付けるのは後にしたほうが良い。
「最初に幾つか念を押しておくぞ。一つ、これは保存食だ。チョコがかかってるのは外側だけ。中身は別のものが入ってる。カロリー満点で消化も悪くない、腹は満たされなくてもコレを食べれば暫く動けるエネルギーになるだろうモノってこと。二つ、これはこの大きさを一人三つまで用意してある。それを食べちゃったら極圏滞在中はたぶん甘いものは手に入らない。三つ、なるべく一日一個まで。満足に食料が手に入る状況だとたぶん太るぞ……と。まあこんな感じかな」
釘刺しも目的の一つとして、悠は注意事項を説明した。
これで我慢ができればいいが──
「じゃ、じゃあ一個だけなら大丈夫、かなあ?」
が、やはり効果は薄いようだ。
こんな場所では恐らく甘いものは手に入らない──だからこそ、より食べたいというのも在るだろう。
幸い、他にも保存食となるモノは用意している。それこそ一つだけなら構うまい、と悠は苦笑しながら頷いた。
「わあい! それじゃあ、いただきますっ」
「最初は齧るくらいにしといたほうが良いかもな。結構好みが分かれるかもしれない味だしさ」
付け加えられた注意を聞いて、クララは小さな口でチョコレートバーにかじりつく。
すると──噛んだ位置から軽くひび割れるチョコレートの中にあったのは、まさに甘露と言うべき甘さの、ねっとりとした何かだった。
「んん~……っ! あまーい! ぽりぽりしてて、ねっとりしてて……これ、ナッツ?」
「そう、ヌガーっていうんだ。砕いたナッツを砂糖と水飴で煮詰めたお菓子だな」
そう、その中身はヌガー。
大量に買い込んだのにいつの間にか常識的な量になっていたナッツの使い道は、この糧食だった。
チョコレートをまとわせたのは、べたつくヌガーを携行しやすくするためでもあり、味のためでもある。
「ちょっと甘すぎるくらい甘いけど、糖分が不足しがちなこんな場所ならそれもまた、ってな。動いている最中でも気軽に食べられるしエネルギーもたっぷりだぞ。……その脂質と糖分は暴力的さ」
栄養価に優れるナッツと、不足しがちな糖分。それを持ち運びやすく食べやすくしたのが、悠の持ち込んだヌガーであった。
地球では、濃いチョコレート色にスタイリッシュな英語を刻印されたパッケージが有名だ。
甘いものはエネルギーになりやすく、手っ取り早く体力を回復できる他、血糖値の低下による体力の減少を防げるとして、例のお菓子は登山家などから密かな人気を集めている。
その性質は一言で表すのならばまさに『脂質と糖分の暴力』だ。
それ故にこういった場面では行動食・保存食として優秀なものの、普段運動をしないような者が常食すれば即座におにくに変わってしまうような代物である。
太る。それは若さ溢れる少女たちにとってはあまりにも強烈なプレッシャーを放つ言葉だった。
クララ以外にもヌガーを頬張っていたカティアとアリシアが、びくりと動きを止める。
「ま、だからあとは必要な時にだけ食べるといいな。保存食とはいったけど、バテてる時なんかはすぐ力が湧いてくると思うから、その辺りは各自の判断に任せるよ。食べないで帰っても勿体無いしな」
「んむ……確かに、元気がでそうな味だね。あまー! って叫びたくなる感じ!」
「あまい……あまい……なるほど、たんじゅんだからこそというあじもあるのですね」
「でも太るというのは怖いな。私なんかは仕事にも響きそうだ」
「すぐ太るってわけでもないさ。今回なんかはずっと動いてるし、食べ過ぎなきゃヘーキヘーキ」
「ほう……興味深い。こういう概念は、是非他の騎士にも教えてやりたいな」
しかし、だからこそこういう旅では役立つというのも事実なのだ。
要はなんだって使いようだと語る悠に、特に感心しているのはカティアだった。
ザオ教の騎士たちは極圏へは行かずとも、遠征任務というのはまれにある。それこそ、ドラゴンなどの『はぐれ』が現れた時に討伐へ赴く時などがそうだ。
心身ともに癒せる甘いお菓子というのは、この時代の行軍を変えるに十分たる概念だった。
「ま、包みの中身についてはこんな感じだ。太らないためにもきびきび歩こうな」
「あはは……太るのはちょっと嫌だもんね」
「せっかくとり入れたえねるぎーをむだにするのも、おしいですしね」
実際にはこれ一本でどうこうということはないだろうが、その存在は大きなやる気になったようだ。
ならばとりあえずはこれでいいかと思いつつ、悠達は脚を速めた少女たちに並んで速度を上げるのだった。




