第四十一話:鍋をつつく。
「ただいまー! おお、ちゃんと出来てるなー!」
水場の傍に帰ると、カティアとクララは二人でしっかりとテントを設営していた。
複雑な構造の組み立てテントをしっかりと組み立てられるかは心配だったのだが。
ちょっと抜けている所もある二人が無事テントを建てられるか、その答えは建てられる、だったようだ。
「おかえ……んうぅ!?」
悠の嬉しそうな声に、満足げにテントを見つめていたクララとカティアが振り返る。
だがそこに合った悪夢のような光景に、叫びが言葉を上書きした。
帰ってきた悠の両手には、血まみれの小動物が耳を引っ掴まれ、脱力した身体を揺らしていたのだから。
「お、おお……獲物が取れたのか、それはなによりだが、少し驚いた……」
「見慣れてるつもりでも血の色ってちょっと驚くね……」
「だよなあ……」
とはいえ冷静に考えれば、その光景こそが成功の証だという事に気がつく。
「獲物、取れたんだね!」
「幸いな。アリシアも協力してくれたんだ。……さっきの話、クララ達にもしていいか?」
アリシアにそう聞くと、返ってきたのは小さい頷き。
先程あったことを、悠は二人に話した。
「まどろみ、眠りの力かあ……すごい力だね。うう、私足引っ張ってない……?」
「ちゆの力も十分にすごいとおもいます」
「そうだな。だが、凄まじい力だというのは確かだ。……正直、最初はキミのサポートをすることが必要だと思っていた。すまないな」
「この見た目ですからむりもありません。……カティアさんの方こそ、ごかいされやすそうですが、おたがいなんぎしますね」
「……まったくだ」
やはりある程度腹の中を明かすというのは連帯感を生むのか、先程よりも輪に馴染んだ気がするやり取りに、悠は満足気に鼻を鳴らした。
何気ないアリシアの一言に棘を刺されたように硬直したカティアだったが、今は落ち着きながらも心なしか楽しそうに談笑している。
「さて……じゃあ陽も落ちてきたし、メシにするか!」
「待ってました!」
「ユウの作る食事は久々だな。私も楽しみだよ」
そんな楽しい気分のまま、悠は極圏に入って初の『魔物食』を宣言した。
今までクララ達と雑談をしていたアリシアは、突然の宣言に沸き立つクララ達に乗り切れず、テンションの違いにびくりと身体を震わせた。
「ずいぶんと、うれしそうですね。こんなばしょだと、しょくじがいちばんのたのしみだとはりかいできますが」
「だって、ユウの作る料理ってすっごく美味しいんだよ! アリシアちゃんも気にいると思うなー!」
「ああ。格式高いレストランでも中々食べられない様な味だ、楽しみにしているといい」
「あんまハードルあげるなって……」
食事は兵士の士気にさえ関わるほどの力を持っているのは、アリシアとてわかっている。
それでも『たかが』という思いがありついそっけなく返すも、クララ達は口々に悠の料理の美味さを語った。
ある種鬼気迫る──とさえいってもいい詰め寄り方にアリシアが後ずさると、悠は呆れた表情で妙にテンションが高い二人に釘を差した。
「さてどうすっかなー……げっ歯類……となるとアレをやってみるチャンスかも……」
獲った魔物の耳を掴んで、その姿をまじまじと観察する悠はすぐに自分の世界に入り始める。
趣味に没頭する男性──というとアリシアは自分を取り巻く環境、会話一つなく研究に没頭するザオ教の者達を思い出したが、悠は彼らとは全く違うと感じる自分自身に驚いた。
やがて答えが出たのか、悠はよし、とつぶやく。
その瞳は、心なしかアリシアの眼にも、光って見えた。
「寒いし、今日は汁物と行こうか!」
「鍋! いいねー! ……でも、改めてみるとこの魔物、ちょっと可愛いかも……?」
調理を開始した悠の横で、それを手伝うクララは本日の晩ごはん候補を見て、ふとそう漏らした。
血で汚れてはいるものの、その造形は丸っこく、いかにもマスコットに相応しい様相だ。今は死に濁っていて恐ろしさが勝つものの、やはり攻撃性を感じさせない丸々とした瞳もポイントが高い。
ウサギの様な、チンチラの様な。愛くるしさを感じさせる見た目と言っても良いだろう。
「まあちょっと思ったけど、極圏じゃそんな事言ってる暇もないからなあ。キツいならテントの中にいてもいいぞ?」
「あ、いやって訳じゃないんだけどね」
「生き物の命をいただく、だったか。糧となる自然の一部に感謝しておきたいという気持ちはあるのでな」
食肉に加工されたものならばともかく、生前の可愛らしい姿を想起させるに容易な姿は、流石に今まで食べてきた魔物達とはまた違った衝撃があった。
だがだからこそ、クララ達はそれを見ておこうと悠に付き添う。自然の命をもらうという事が、地球とは異なる世界の人々にも伝わったことで悠は嬉しくなった。
「……とはいえ、まさかこんな球状の生物がいるとはな。世界は広いものだ」
「岩場を跳ね回ってホント大変だったんだぜ。柔らかいけど重いのがスゲー勢いでぶつかってきてさ。『硬質化』が無けりゃキツかったかもしれねえ」
しかしその生態にまで話が及ぶと、悠は顔を顰めた。
そう、この魔物、血が抜けた今でもそれなりの重量があるのだ。
生きていた頃の重量は少なくとも二キロ以上はあったろう。そんなものが、視認するのもようやくの速度でぶつかってくるのだ。
物理的なダメージに強い『硬質化』があったからこそ然程の苦戦無く倒せたものの、何の対策もなければその物理エネルギーを受けた時にどうなるかは想像に難くない。
「これがここらじゃ完全に非捕食者なんだってんだから驚くよ。流石に『極圏』だな」
仮にあの峡谷の中や四方を壁に囲まれた部屋の中で戦うのならば、地球上の肉食動物の殆どを打倒しうるだろう。
象などの大型動物が相手だった場合、勝つのは難しいかもしれないが負けはない。
せいぜいがバスケットボール大の生物が持つ凄まじいスペック──そして見慣れないであろう生物と対峙した際に迷わず逃走を選ぶような『立ち位置』に、悠は興奮と戦慄を交えて身体を震わせる。
「よし、解体完了。それじゃあ、と」
そして──その味に、期待を膨らませた。
これほど小さい魔物でも、あれほど強いのだ。この世界の魔物は基本的に強ければ強いほど美味い。ならば味にもきっと期待ができるだろう。
皮をはぎ、部位を切り分けてしまうと可愛らしい姿は無くなって『肉』になる。
そうなれば後はもう食欲だけが悠を駆り立てる。
「汁物って言ってたけど、今日はどんな料理を作るの?」
「前に一回つみれを作ったろ? アレの獣肉版になるかな」
「おお! ツミレか! 大好物だ!」
それはクララ達も同じ様で、先程までの険しい表情は消えていた。
極圏で初めて食べる、極圏の魔物。その意義と期待は大きい。
作る料理が決まった所で、悠は今日の料理の説明をしていく。
感心するクララ達の反応も面白く、料理番組感覚で悠にとっても楽しい時間だ。
「じゃあ決定だな。まずは……こいつの肉をナイフで叩いていく。挽肉状にしていくわけだな。そんで、今回はこいつの骨も一緒に叩いていくぞ」
「骨?」
「ああ。岩場で跳ね回ってたからもしかしてと思ったんだけど──こいつの骨、軟骨状になってる部分が凄く多いんだ。多分、普通に硬い骨ばかりだと、岩場を跳ね回る衝撃で折れちまうんだろうな」
今回注目するのは、その生態に連なる骨の部分だ。
この魔物は、崖を跳ねる際には脚を使わず、そのまま身体を打ち付けて、その反動で跳んでいた。それは、通常の生物なら地面と激突するのとさほど変わりない、本来ならば自殺行為的な生態だ。
普通ならば衝撃を和らげ、逃がすために脚を折り曲げるなどして衝突のエネルギーを分散させるだろうが、この生物はそれをしない。
そこで、この骨だ。
一部の硬いものを除き、この生物の骨は殆どが柔らかく弾力に富む材質で出来ている。どの様に行動しているかなどは謎が付きないが、それによって衝突の際の衝撃を和らげているのは間違いないだろう。
「軟骨なら小さければ結構食べられるからな。小気味良い食感になってくれると思うぞ。そんなわけでタップ、タップだ」
木をまな板代わりに、悠は骨と肉を細かく叩いていく──骨を食べると聞いて不安そうだったクララとカティアだったが、だんだん細かくなってくると、その不安も無くなってくる。
「あなたのりょうりはどくそうてきですね……」
「よく言われるよ」
一人、アリシアはまだ心配そうにしていた。
この辺りでは軟骨とは言え骨を食べる文化はあまりないらしい。
露骨に嫌そうな顔をしている辺りは、文化の違いでご愛嬌だろう。悠はあまり気にしない。
なんだったら、地球で蛇やら蛙を食べるほうがもっと冷たい目を集めたものだ。
「いい感じ。んで、ここに塩コショウ、そしてガリカの実を混ぜていくぞ。臭い消しとか香り付けだな」
確かな手応えに、頷く悠。
……いま彼が作っているのは、アイヌの料理、所謂チタタプだ。本来ならば生で食べる料理のため、ここで完成といったところだろうか。生食と言うと少し抵抗を感じるかもしれないが、いわばタルタルステーキの様なものと考えるとよいかもしれない。
が、今回はまだ続きがある。アイヌの人々は冬季などの寒い季節にはチタタプを大量に作り、何日かかけて食べたという。その際に鮮度が落ちてくると、つみれのように鍋に入れるのだ。
チタタプとたっぷりの野菜を入れて煮込むこれは『オハウ』という。今回はたっぷりの野菜を用意するわけにはいかなかったが、それでも雰囲気だけは味わえると、悠は興奮で鼻息を荒くする。
漫画でみてからやってみたかったんだー。そんな気持ちを共有する相手はいなかったが、それでも一つ夢が叶った悠は嬉しそうだった。
「そんで後は──乾燥させた山菜と一緒に煮込めば完成! それまで随時アクを取っていくけどな」
オハウに入れるというニリンソウに見立てた乾燥した山菜(持ち込み)を入れると、大まかな工程は完了だ。
それなりに多くのアクを取りながら、火で暖を取り、仲間と談話する。その時間は、実に幸せな時間だった。
「出来たぞ! よっしゃよっしゃ、じゃあ取り分けていくからな」
そうして暫く待つと、悠は高らかに料理の完成を告げた。
両手を上げて喜ぶクララに、そこまではいかずともうずうずと腰を浮かせるカティア。
そしてアリシアは──戦々恐々と、つみれ汁がもられた器を受け取った。
「……ほんとうに、ほねをたべるのですか。これだけおにくがあるのなら、あえてほねをまぜずともよかったのでは」
「えー? 美味そうだと思ったんだけどなあ……軟骨抜きも作っとくべきだったか」
本当に骨を食べるのか。恐る恐る聞くと、悠は『抜き』を作っておくべきだったかと自らの失態であるかに振る舞う。
「……む、それはききずてなりません」
それが、アリシアの逆鱗に触れた。
悠としては本当に何気なく──地球でも料理店では珍しくもない『抜き注文』の可能性を提示しただけだ。
しかしそれはアリシアにとっては、子供っぽく見える自分が子供のように扱われた、という風に映った。
実際は何のことはない、自分が気にしているからそう思っただけなのだが──これでもアリシアは結構意地っ張りらしい。
不器用にフォークを握り、つみれに突き立てる。
湯気立つそれは湯気に抱負な香辛料の匂いと甘い脂の香りを乗せ、立ち上ってくる。
ナッツ類などの軽食しか摘まなかった空腹にはあまりにもダイレクトにクる匂いに、アリシアはくらくらするようだった。
それでも砕いた骨が入っていると思うと、抵抗があったが──
ここでひとつ自分に子供のような扱いはふさわしくないと、証明しなければならない。
意地と使命感で、アリシアはつみれにかぶりついた。
「こ……これは……っ」
瞬間──世界が、広がった。
軽く力を入れただけでほっくりと割れ、断面から熱とともにさらなる湯気と肉汁を噴出させる食感。
口の中でほろほろと崩れ、濃厚な超旨味のスープで満たしていく味の本流。
その淡白な味を彩るのはガリカの実や胡椒の暴力的なまでに食欲を刺激する香り。
それでもクドさはなく、加えられた山菜が僅かに花の香りを漂わせることで、さっぱりと纏めていた。
そして、そして何より──
「こりこりとしたみわくてきなしょっかん! かみくだくたびにほほをゆらすほどのかいおん……! こまかくなるたびにすがたをかえていくしょっかんはあ、あまりにもみわくてき……っ」
「お、おお……意外に気合の入った食レポだな……」
こんなものを食べるのかと思っていたはずの軟骨が、ただの肉団子を高次元の料理に引き上げていた。
言う通り、最初はこりこりごりごりとした食感だった軟骨は、細かくなればぷつぷつとした食感へと変わっていく。
それ自体には味は無いのだが、それは肉が余りある力強さを持っていた。
下味の段階で絶妙に調整された塩が肉を引き締めて、肉汁を閉じ込めたためパサツキもなくジューシィ。
形状によって閉じ込められた熱は身体の中から芯まで温める──
上品にしていたアリシアが貪るように食べるさまを見ていると、悠達も慌てるように食事を始める。
「お、美味い! 山菜はこんな味か。苦味があってさっぱりしてていいな」
「んー! お肉の脂が甘くって! でもお野菜のおかげかしつこくないね!」
「美味い、美味い。ほくほくのツミレが冷えた身体に染み渡るな……」
それぞれ特に気に入った場所が違うのは、それだけこの料理が様々な魅力に満ちた料理だということだろう。
こんな淋しげな土地で食べる料理とは思えないくらいの暖かさを、少しでも失われる前に取り込むように、悠達はあっという間に完食した。
ほう、と息を吐くと出る白い息は、幸せで出来ているんじゃないかとさえ思えた。
歩く疲れで押し出したそれと同じ色であるにもかかわらず、心地はまるで違う。
「しょうじき、かんぷくです。これほどまでとは思いませんでした」
「でしょー? 悠の料理は、どんなに辛い場所だって幸せにしちゃうんだから!」
「いや、それはどうかわからないって……」
何故か悠を褒めると誇らしげになるクララに、悠自身が苦笑する。
アリシアはそんな二人を見て──なんだかいいな、と思った。
そんな光景をみていると、アリシアの胸がちくりと痛んだ。
こんなに幸せなことを、さっきの自分は馬鹿にしていた。それがとても罪深いことのように思えたからだ。
「しょくじなんて、ただひつようだからとるものだと思っていました。かたいパンとひえたスープでもじゅうぶんだと。……さっきはなんでこの人たちはたかがりょうりでこんなによろこぶのかとふしぎでしたが、これならなっとくです……」
直接言わなかったにしろ、紛れもなく料理という文化を馬鹿にしていた。そんな自分が申し訳なくて、アリシアは胸の内を打ち明ける。
食事といえば質素なパンと必要な栄養だけ詰め込んだスープだけ。彼女の世界にはそれしかなかったし、それで十分だと思っていた。
しかし、悠の作る料理は紛れもなくアリシアの『世界を広げた』。
未知の味覚の発見は何よりの喜び。それを信条とする悠は、自然とつり上がる頬を留められない。
自分がその世界を切り開く一端を担った。料理をする人間として、これ以上の喜びはない。
「そっか。でも、こんなモンじゃないぜ。もっともっとこの世界には美味いものがある──どうよ、楽しみにならないか?」
「……はい」
食事に喜びを感じている自分に困惑しているアリシア。
そんな彼女に笑いかけると、少しだけ緩められた表情で、アリシアは簡素な返事を返した。
寂しげな白が広がる白の砂漠で今、アリシアの世界は急激に彩りを取り戻している。
「一回ドラゴンのステーキとか食べさせてみたいよなー! アレは美味かった!」
「やめろ! 食べたばかりだというのに、また腹が空いてくる!」
談笑する悠達を見ていると、まだ自分とは住む場所が違う──と、思う。
だがいつかはそんな輪に加われたらなと、密かにアリシアは手を握りしめるのだった。




