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第三話:高いところは

 まだ暗い中、悠は寝床の中で目を覚ました。

 テントすらない野宿は初めての経験だったが、よく眠れたため、活力は満ちている。

 座れる高さも無いため、ずりずりと尺取り虫の様な動きで、身体を寝床の中から出す。


「今何時だ、ってのは意味ないか」


 空は白んできているが、光は木々に阻まれて届かない。暗い中、空の色だけを見て朝の訪れを確認すると、悠は身体を伸ばした。


「さて……今日から頑張っていくか!」


 異世界の一日が何時間かは知らないが、空の色を見るとまだ早い時間だろう。

 だが異世界で『生きる』覚悟を決めた悠には、まだまだ沢山やることが残されている。

 山積みの問題を解決していくために、悠は早速行動を開始した。


 ◆

 日が登ってきて暫く。悠は朝から川を目印にしつつ、山の上を目指して歩いていた。

 もともと遭難している今の状況だと、遭難の危険も何もないため、その足取りは軽い。

 悠が上を目指しているのは、景色を一望できる場所を探すためだ。

 高い位置から地形を確認すれば、村が見つかるかもしれない。それでなくとも、今後この世界で生き抜いていく上で周囲の地形を知ることは生活の大きな助けとなるだろう。

 そんなわけで、悠は異世界に来た二日目の今日を、探索に当てることにした。

 道中で食べられる木の実などを探しつつ、異世界に息づく自然を観察する。


「これは……食えないのか、美味そうなのにな」


 木に巻き付いた蔦に実った紅い実に『嫌な予感』を感じた悠は一人ごちつつ、先程別に採取した小さな実を齧る。

 ナッツのようなポリポリとした食感を持ちながら、マンゴーに似た濃い香りを持つ不思議な組み合わせだった。それでいて甘みが少ないのだから、脳が混乱しそうになる。


「うん、うまい」


 が、悠の舌はそれを『美味』と感じたようだった。

 ──異世界は、悠にとっては夢のような世界であった。見たこともない果実がなり、山菜があり、キノコがあり──小動物なども、先程からチラチラと見えた。


「うわっ、黄色い……リス? ……一応、食えるみたいだな」


 その中には、漫画やアニメに出てくるマスコットの様な可愛らしいものも混じっていた。

 ……それでも、それらに悠が感じるのは例外なく『食欲』であったが。

 毒を見分ける能力を得た悠は、一つ一つ過ぎる景色に食欲を抱いていた。

 極端に言えば目に映る視界すべてが『未知の味覚』で構成されているのだ。しかも、その中で安全なものを見分けることができる。今の悠にとっては見知らぬキノコさえも安全な食物なのだ。無限のステータスもないし元いた世界との通信もできないが、悠は自分のその能力を無二のチート能力と認識していた。動植物の進化や、蓄積された文化を無視して情報を得るということは、銃を撃ち合うゲームで壁が透けて見えるようなものだろう。


 ……しかし、ここは異世界。日本の現実は通用せず、そう容易い場所でもない。

 斜面の上を目指して歩いていると、ふと、悠は歩みを止めた。

 何かに呼ばれたような甘い感覚。実際には声も匂いもしなかったと言うのに、悠は異様な存在感に惹かれるように、右を振り向いた。

 すると、そこには──切り立った崖があった。だがそんなものはどうでもいい。

 崖の斜面から生えていた一本の木。それに下がった黄色い果実が、悠の瞳を強く抱きしめるように惹きつけた。


「な、んだあの実……」


 先程から道すがらにある食材をつまみ食いしているため、腹はそれまで減っていない。

 匂いが漂ってきているわけではない、それでも、悠はその果実から目が離せない。

 アレを、食わねばならない。使命感にも似た強い衝動が身を駆け巡ると──気がつけば、悠は切り立った崖の方へと歩み始めていた。


 水風船の中に浮かぶあぶくの様に、脳に残った僅かな冷静さがやめろ、と主張する。

 それでも身体は歩みを止めない。崖の前で止まるも、悠は完全に魅了されていた。

 ごくり、と唾を飲んだのは、崖の高さに怖じけてか──果実の放つ存在感に圧されてか。

 黄色い果実は、手を伸ばせばなんとか届きそうな位置にぶら下がっている。果実のなる木に手をかければ、取ることはそう難しくないだろう。

 『美味いもののためでも命はかけない』それが、悠が野の食材を楽しむ上で自分に課したルールだった。それでも、その果実に手を伸ばす。確かに落ちれば危険だが、落ちやしない。そんな思いもいくらか有ったが、それでも少しの冷静さがルール違反を叫んでいた。

 斜面から伸びた木に、手がかかる。がっしりと根を下ろした木へ体重を預けて、果実へと手をのばすだけ──たったそれだけの行動中に、それは起きた。


「えっ?」


 悠の左手が木にかかった瞬間のことだった。

 せめて命を預ける場所は確りと掴んでいようと、万全の注意を払ったはずの悠の手は、それでも木を掴むことができずするりと空を撫でたのだ。


「……!? ……っ!」


 木にかけた手が『滑った』のだと気づいたのは──脚が、崖際を離れてからだった。

 異常なまでの摩擦力の少なさ。まるでオイルでも塗られているかのように、木の表面はつるつるとしていた。──実に手を伸ばす者を、滑落させる為に。


「(ウソだろ……! こんな、もう終わりなのか!)」


 一度死んで、異世界に来て。緩やかに死にゆくであろう命を希望で掴んで、もう一度歩き始めた筈だった。

 しかし悠の命はまさに今、体ごと落ちようとしていた。

 果実に魅せられて普段の自分なら絶対にしないような行為をし、結局死のうとしている。

 崖の高さは、それほどでもなかった。十メートル、はないだろう。万全の体勢なら無傷で落ちる事もあるいは可能かもしれない。だが悠はいま、極めて不安定な体勢にあった。

 そうなると今度は──死んでもおかしくはない。骨折は免れないだろう。こんな山の中で一人、治療器具もなく骨折したら……その末路は想像するに難くない。パニック状態にある悠でさえ、すぐさま自分の行く末を理解してしまうほどに。


 ──嫌だ。頭の中のどこかが叫ぶ。


「死にたくない……!」


 引き継ぐように、喉は未練を悲痛な声として吐き出した。

 悠の体を衝撃が襲ったのは──次の瞬間だった。

 背中から落ちた悠。受け身など取れるはずはない。その落ち方は、言うまでもなく、最悪に限りなく近いものだった。


「……あ、つつつ……ええ……」


 だからこそ、仰向けの悠は困惑の声を上げる。

 悠は、生きていた。それも──傷一つ無く。

 何が起こったかわからないまま、訝しげに掌を見ると──掌を、淡い光が包んでいた。

 いや、掌だけではない。悠の体は、余すところなく赤い光に包まれていたのだ。


「な、なんだこりゃ……」


 その現象に、さらなる困惑の声を上げるのは無理もないだろう。

 一度死んだ身体が無傷でこの世界に在ったというのも十分おかしいが、今回は『死んでいない』。だとすれば、この現象はこう説明するしかない。

 高い所から落ちたが、謎の光に包まれて無傷だった、と。

 結果と謎、無傷と光を結びつけるのは至極当然のことだろう。

 ならば何故、光を纏うことで無傷でいられたのか。


「あれ、触れない?」


 悠は僅かに捻って痛みを残す右手首を左手で掴もうとすると、何かに阻まれて触れない事に気がついた。

 その何かが、この纏われた光であることは、すぐに気がつく。

 試しに左手で脚を叩いてみると、軽く硬い音が響く。衝撃は、伝わらなかった。

 そう、この紅い光はまるで強固な殻のように、光の中の肉体を衝撃から守っているのだ。


「強固な、殻?」


 高所から落ちても無傷だった理由を整理するうちふと浮かんだ喩えを、繰り返す。

 その表現にすぐ思いあたりを見つけたのは、彼が食いしん坊だったからだろう。


 ◆

 なんとか崖を登りきった悠は元の道に戻り、再び見晴らしの良い場所を探していた。

 その手には、先程滑落する直前に掴んでいたのであろう、黄色い果実が携えられている。

 どれくらい歩いただろうか──空の色が僅かに変わり始めた頃、視界が唐突に開けた。


「うっはー……まさに大自然、ってカンジだな……」


 そこから見えたのは──山の下から伸びる僅かな陸地と、海だった。

 汚れない海は日の光を反射して、宝石よりも美しく輝いている。水平線、というのは久しぶりに見た気がした。

 その雄大な景色は、悠を魅了するが──期待しているモノは見つからなかった。

 人の……いや、文化の痕跡がなかったのだ。山の逆側はどうなっているかわからないが、少なくとも今見える光景には、遺跡さえも見つからなかった。


「……まあ、まだ落ち込むようなことでもないけどな」


 露出した岩に腰掛ける悠。だが、その顔に絶望の色はない。

 日本にはもうないようなその光景は、孤独を感じさせながらも、ただただ美しかった。

 それにもう一つ。彼は新しい『希望』を手にしていたのだから。

 悠は右手を広げ、掌を見つめた。……意識を集中すると、体中を赤い光が包んでいく。


「『硬質化』……とでも言うのかね」


 自分の意志で発動させたそれは、悠自身が扱える『力』だということを示していた。

 腰掛けた岩を殴ると、玄翁を振り下ろしたような鈍い音が響く。相当の力で殴ったことが伺えるも、悠の手には傷一つない。

 痛みがないことを確認してから意識を落ち着けると、赤い光は消えていく。その状態で今度はごく軽く岩を殴ると、たいした音もしないのに、痛みが走った。


「いちち……やっぱ間違いない。なんかすげぇ硬いオーラが出てる」


 彼の語彙力は高くない。そんな表現が精一杯だったが、シンプル故にそれは核心だった。

 紅い光を纏うことで、その光を強固な防護壁とすることができる。

 まるで、甲殻類の殻のように。


「昨日のエビ……火を通したら柔らかくなってたのは、この力のおかげだったのか?」


 殻の厚さに対して異常な程の硬さを持っていた『最初の食事』を思い出し、悠は呟いた。

 かなりの力で振り下ろした石さえもほぼ無傷で耐えたのにも関わらず、火を通してからは地球のエビと比べても柔らかかった筒エビ。昨日は考える余裕もなかったためなんとなく流していたが、それは『火を通したから』柔らかくなったのではなく『死んだから』柔らかくなったのではないか。

 そう、ちょうど──いま、悠が岩を叩いて試したように。

 筒エビは何らかの力に守られていたが、それが断たれた故に柔らかくなったのではないか、と。頭が冷えた今、悠はそう考えていた。


「だとすると、この力は──」


 少なくとも、先程悠に起きた現象はその真逆であった。

 本来ならば死んでいて当然、という体勢で落下したというのに、悠は無傷だった。

 それは言うまでもなく何らかの力が加わったからだ。

 その加わった力と言うのが──いつの間にか筒エビから消えていた『加護』だったのではないか。だとすると──


「食った生き物の能力を奪える……とか?」


 自分で口にしながら、悠は笑ってしまいそうな気分になった。

 この間まで科学文明の中に暮らしていた自分がそれを口にするのが滑稽だったからだ。

 しかし、もしもそれが本当ならば──それはこれ以上無く、悠を奮い立たせた。

 湧き上がる気持ちが、悠の体を震わせる。

 毒物を見分ける力、そして食えば食うほど強くなる力。まさに『食』の力だ。

 もう、悠はこの世界で生きることに疑問を抱いていなかった。それどころか、これ以上無く自分に合った環境だとさえ思っている。


「──っし! やる気湧いてきたな!」


 だからもう、絶望は無い。もしもこの世界に人が居なかったとしても、彼は精一杯を生き続ける事ができるだろう。この世界にどんな味覚があるか、それらを食べることでどんな力を得ることができるか。生きている限りそれが続くのだ。

 僅かに空腹を感じながらも、悠は希望で満たされていった。


「んじゃ……景気づけにコイツをやりますか!」


 しかしそれでも腹は減っている。むしろだからこそと言うべきだろうか。

 悠は景気づけ、と称して先程自分を殺しかけた果実を掲げた。

 抗うほどのできない魅力を持っていた実は、果たしてどんな味なのだろう。

 軽く爪を食い込ませると、果実の皮はぺろりと剥がれた。皮の下も、また鮮やかな黄色だ。汁気を多量に含んでいるため陽の光に輝くそれは黄金色と言い換えてもいい。食欲を掻き立てるラグビーボールの様な形状の身──その頭から、齧り付く。


「……すっぱい」


 その味は、酸っぱかった。取り立てて匂いも無く、甘みもない。レモンほど強烈に酸っぱい訳ではない、なんとも言えない味だ。

 流石異世界、一筋縄ではいかない。

 まんまとハメられた気分になった悠は、敗北の味に油断はできるだけしないことを誓うのであった。


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