第三十七話:白の砂漠
「ふぁふ……」
不規則に揺れる船の中で、ふいにそんな欠伸をしたのは極圏探索隊の暫定リーダーである悠だった。
船の中にいては正確な時間は分かりづらいが、時間帯で言うなら朝となる。彼らもそれを認識していて、悠の眠気は時間帯ともう一つによるものだった。
「昨日の夜くらいから急に寒くなってきたなあ。布団が恋しい……」
それは寒さによる毛布類への恋しさである。
「目的地も近いからな……そろそろ、防寒具を着ておくといいかもしれないな」
そう、目的地に近づくにつれ、段々と寒くなってきているのだ。
モイラスを出た時には大体外気で二十℃ほどはある陽気だったのが、今では室内で十五度ほど。
厚手の毛布が心地よく感じるくらいには寒くなっている。
「こんな急に変わるものなんだねー……私も防寒着着ておこうっと」
この急激な気温の変化は悠以外の──この世界の人々にとっても堪えるもののようだ。
クララは荷物から白を基調としたコートのような防寒着を取り出すと、袖を通していった。
「おおー、やっぱ似合うなそれ。クララのイメージに合うというか」
「えへ、そう? 私なんかにはちょっと可愛すぎるかなと思ったけど……そう言ってくれると嬉しいな」
コートには所々に紫色が使用されていて、悠はその色が不思議とクララに合う様に感じていた。
服の枚数はともかく、クララの服装はだいぶ暖かそうに見えて──なんだか、気温に適した服装を見ていると、一気に冬でも訪れたかの様な気分になってくる。
やっぱり、俺も服着ようかな。悠は自分の荷物に視線を移す。
その時だった。
「白の砂漠が見えてきたってよ!」
慌ただしい足音と共に、乗客の興奮がドアを突き抜けてきたのは。
荷物に向けられていた視線は、一気にドア──外へと向かう。
ついに見えてきた。その事実に脚が浮きだつ。
「ユウ!」
「ああ! 起きろアリシア! 着いたぞ!」
「まだ見えてきただけでしょう。わたしはもう少しねむ……わ!」
叩き起こすような勢いでアリシアに呼びかけ、悠は返事も聞かぬままアリシアを負ぶさる。
激流のような足音の流れに自らも加えて、向かう先は甲板。
曇った空の下、海の上に浮かぶように見えるのは──ぽつりと漂う雲のように白い島。
「あれが……」
「白の砂漠か──!」
未だその姿は小さく、砂漠ということまでは伺いしれない。
しかし海の上に真っ白に見える島が浮かんでいるという光景は、悠達にとって初めて見るものにほかならず。
「わああ……!」
面倒くさがりで、一歩引いた態度を保つアリシアでさえ、感嘆の吐息を漏らすほどのものだった。
「すごいです……こんなせかいが、外にはあったのですね」
思わずその光景に見入るアリシア。
石と鉄の地下室とはまるで違う、青の濃淡の中にあってなお輝く白に眼を釘付けにされる。
「ゆめでも、見たことない……はっ」
だが、ふと周りの声が聞こえないことが気になって見渡すと。悠を始めクララにカティア、旅の仲間たちが取り囲むように自分を見ていることに気がつく。
「ほほえましい目で見ないでください。おこりますよ」
なんだかそれが無性に恥ずかしくて、アリシアは島から目をそらすように背を向けた。
自分は外見通りの年齢ではないというのに──という怒りが浮かぶが、しかしそれも外見相応の反応をしてしまった自分のせいだと、アリシアは悔しさを感じる。
確かに知識はあるが、今の彼女は実物を知らないし、人との会話の経験も少ない。初めて見るもの触れるものに対しての反応は、知性と知識に反して外見の年齢と然程差はないのだ。
「いや、スゲーいいと思うんだ。綺麗なモノは綺麗で、美味いものは美味い! って。そうやって言えることは、カッコつけて冷めてるよりずっと良いと思う」
しかし悠のそんな言葉に、アリシアはぽひゅ、と口から空気を漏らした。
頬を膨らませたいのを必死で我慢しているアリシアだったが、大真面目な肯定に、毒気を抜かれるような気分だった。
「だからさ、俺は恥ずかしいとか思わないで言うぜ。すげえモノはすげえって。美味いものは美味いってさ」
アリシアに向けていた微笑みが島へ向かうと、そこには一際力強く見える男の眼があった。
楽観的で、お人好しで、気が抜けている。
概ねそんな評価を付けていた少年が見せた男気に、惹かれているのを自覚するアリシア。
悠は、島を見据えて思う。
真っ白な島。地球にでも、あるいは存在する光景だろう。北極なんかが、こういう風に見えるのかもしれない──しかし、今生でみるその景色は、とても現実のものとは思えないくらい幻想的だった。
聞けばその白の正体は雪ではないという。それもまた、悠の心をワクワクさせる。
すげえ! と。悠は己の心をこれ以上無くシンプルに表現しようと口を開く──
……その瞬間、一際強い風が吹付け、薄着の中を駆け巡った。
「さっっっっむゥ!?」
そう。寒いのだ。
耳に音となるほどの風は、ヒトケタ台の寒気をまんべんなく叩きつけた。
せいぜい秋用くらいの装備に身を包んでいた悠は、無意識の内にそう叫んでいた。
「……まあ、そういう方があなたっぽい気はします」
「あはは……しまらないなあ」
はて自分は何を思っていたのだろうか。
自分で忘れたフリをしても、今想ったばかりの気持ちを忘れるわけはない。
しかしそれも一種の気の迷いだろう。寒さに身を抱く少年を見て、アリシアはため息を吐いた。
けれどやはり──悠を見ていると、気がつけば自分は笑っている。
そんな事実に気がついて、アリシアは初めて意識して笑みを浮かべるのだった。
◆
「おおー……すげえなあこの服。薄くて動きやすいのに全然寒くねえ……」
「だから言ったろう? 経費で落ちる事をアテにしてかなりグレードが高いのを買ったからな。耐寒能力は完璧だ」
甲板での醜態からしばらく。
悠達はとうとう白の砂漠へと降り立っていた。
そこで最初に悠が口にしたのがこの服についての感想だった。
首元には毛皮などがあしらわれていて、防寒着として最低限の構造は果たされているのだが、やはり生地としては薄く軽い。にもかかわらず、まるで登山で使うような現代で最新の防寒ジャケットに勝るとも劣らない防寒能力には感服だ。
「とはいえその分魔力も消費するらしいから、疲れはあるので注意するように。クララとアリシアも無理はしないようにな」
「はーい」
「わかりました」
カティアからの注意を耳に留めつつ。
悠は、改めて近くで──脚を降ろした『白の砂漠』を観察する。
遠巻きに見ていたのは白一色であったが、よく見ると違う。
近くで見てみると、地表には赤茶けた砂と濃い霧のような、白い靄がマーブル模様を作り出していたのだ。
その外見は、薄っすらと──何十年ぶりという触れ込みを伴って──雪が降った砂漠のそれに近い。
よく見るとマーブル模様は白い霧の動きに合わせて揺らめいている。
幻想的ではあるが、それ以上にどこか恐ろしささえ感じる光景だった。
「ん、雪──いや、違う……?」
この世のものとは思えない、揺らぐマーブル模様の様に幻惑的な光景に目を奪われていると、空から雪のような白い光が降ってくる。
ふと手を出すと、雪のような光は手に降り立ち──冷たさを感じさせた。
しかし、冷たいだけだ。
溶けて水になるのでもなく、残るのでもなく。白い光は悠の手のひらで霧散した。
「これは『氷の魔力』だ。ここでは空高くに氷の魔力が漂っていて、この様に光となって地上に降り注ぐらしい。地面を白く彩っているのも、氷の魔力だな」
カティアの言葉を聞いてかがみ込み、白い靄を掬ってみせる悠。
冷気の様な靄は、雪のような冷たさを感じさせて、消えていく。
濡れもせず、やはり悠の手には掻く様な冷たさだけを残していた。
「なるほどな……それで、揺らめくような風景ができてるのか」
「幻想的だけど……なんか不確かな絵の世界みたいで、ちょっと怖いね」
その世界に、不思議な恐ろしさを感じているのは悠だけではなかったようだ。
クララの言葉に首肯すると、悠は立ち上がる。
「話は変わるけど、結構ここ──『白の砂漠』に来る人って多いんだな。全員ここで降りるとは思わなかったから、驚いたわ」
ひとまず『白の砂漠』の概要について理解した悠が、カティアに投げかけた問いは、先程共に船を降りた人々についてだった。
船が出ている以上は需要もあるということなのだろうが、まるで観光地のような人の流れに、悠は頬を掻く。
「ん、そうだな。前にも言ったが、ここは極圏の中では比較的楽な環境にあるんだ。ホラ、あそこを見てくれ」
カティアがある方向を指差すと、悠だけでなく、クララとアリシアもつられて首を曲げる。
指さした方向にあるのは、何件かの木造建築であった。
「ここはモイラスから近いという事もあって、物資の搬入も可能なんだ。だから、ああいう簡易の宿泊施設も沿岸に限り、僅かながら存在している。極圏探索を志す冒険者たちは、あそこを拠点に試しの一歩としてここを訪れる事が多いんだ」
カティアが言うには、そこは宿泊施設だという。
冒険者のギルドが直営する、屋根付きの建築物。宿泊施設とはいうがあるのはその程度で、高価ながら貧相な食料と、ボロい寝具が置いてあるくらい、だそうだ。
「少し試してみて、ダメそうなら次の船まであそこで待てばいい。ここでダメならどこの極圏に行ってもやっていくことは出来ないだろう──そういう理由からで、自らを試しにここへ訪れる冒険者は多いそうだ。……尤も、それでもここから二度と帰らぬ者も多いそうだがな」
腕を組んで説明するカティアは、不満げだった。
それが仕事上のものであるという事を知っている悠達は、愛想笑いを浮かべる。
「しかしだ。実は、この白の砂漠はあまりしっかりとした調査がなされていない。何故だかわかるか?」
気を取り直したカティアが悠達へ振り返ると同時に、問いかけを行う。
その質問に、悠達は揃って首を横へ振るった。
「ここではイシェ鉱石という石がよく取れる。氷の魔力にさらされ続けた石で、食品の保存などに使えることから需要が高いらしく、大陸に持ち帰ればそこそこの金額になるんだそうだ。が、これは本当にどこでも取れる。例えば沿岸部のここらでもそうだ。……わかるかな? これを求めてわざわざ奥地へ行ったり、という事が少ないんだ」
つまり。
そう付け加えて、カティアは言葉を切った。
不敵に片目を瞑り、問いかけるように。
つまり、この白の砂漠にはまだまだ未知が満ちている。
「……いいね、ワクワクする」
「だが当然簡単な話ではないぞ。話に聞けばここには水も少なく、何が食べられるかもわかっていない。魔物の存在以外にも、長く滞在するにはクリアしなければならない問題が多いのだからな」
「だから、俺たちが来たんだろ。やっべー、なんか落ち着かなくなってきた!」
そう。この過酷な世界で奥地へ進み、戻ってくるには解決しなければならない問題が山積みだ。
その最たるものが食料である。
だからこそ、『食』の力を持つ悠なのだ。
「奥地……そこに、マオル族の痕跡もあるのかな?」
「ヒトが住むことが出来ない故の『極圏』だ。可能性は少ないだろうが──ゼロではないな」
未だ報告のない白の砂漠、奥地。
そこに思うところがあるのは、悠だけではない。
静かなつぶやきに返されたカティアの声に、クララは力強く頷いた。
「よし……じゃあ早速始めるぞ! 第一回、極圏探索隊の行動開始だ!」
ある者は未知の食材のために。ある者は失われた自分のルーツを探りに。ある者は、恩人の救いとなるため。ある者は──探すものを、探しに。
それぞれの目的を胸に、白の砂漠の探索が、幕を開けた。




