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第三十五話:船出

「こんちはー……あの、ドラゴンの爪を預けた者ですけど……」


 古びた蝶番が軋む、締め付けるような音に潜むようにして、悠は恐る恐ると声を出す。

 極圏『白の砂漠』への出航を数時間後に控えたときであった。

 古めかしい、軽くでも蹴飛ばせば吹き飛びそうなドアをデリケートに押し開けた先を見れば、やはりそこには別世界。


 前に見たとは言っても、幾つもの武器が飾られたその空間は、悠の心を何度でもくすぐる。


「……! これは、見事なものだな。こんな場所にこれほどの職人がいたのか」


 こういった『ファンタジー』の光景には暴走しがちな悠だが、飾られた武器の数々に感心しているのは悠だけではなくカティアもだった。

 尤も彼女にとって、それは武器を日用品として見慣れたからこその感心だ。使い込んだからこそわかる優れた造形にため息を吐き出す。


 が、今は感心してばかりもいられない。

 出航の時間は迫っていて、今回ばかりは遅刻が許されないからだ。


 ドラゴンナイフの受け取り。

 本来ならば、それはもう済ませているはずだった。

 だが、今の悠の手元にそれはなく──端的に言えば、その完成は予定を過ぎていた。

 ここで受け取らなければ、初めての極圏探索には適当なナイフを携えて行くことになるだろう。

 命をかける以上それは避けたい所だ。


「おォ……小増かあ……」


 悠達の声に、加工屋の店主が這いずるようにして店の奥から現れる。

 無骨ながらも力強さに満ちた立ち振る舞いは見る影もなく、軟体動物のようにさえ見える。


「うおお……大丈夫っすか?」

「見りゃわかるべえ……むちゃくちゃな造形を注文しよってからに……」

「で、ナイフの方は?」


 半死半生、正しくその言葉が相応しい、息も絶え絶えと言った様子の店主にも悠の言葉は容赦がない。

 ……ナイフの完成が遅れているとは言っても、それは店主のせいだけではなく、むしろ悠の注文が一般的な加工屋にとっては無理難題といえるそれに近かったからだ。


 とはいえそれをやると言ったのも加工屋の店主であって。

 それがわかっているからこそ、店主は何も言い返さなかった。


「完成しとる……ホレ、受け取れ」


 なんとかやってきて、店のカウンターに突っ伏すと、店主は腕だけを挙げて『それ』を悠へと差し出した。

 それが何であるか、言われなくともわかるだろう。

 琥珀色に輝く、小ぶりな刃──ひと目見てわかる威圧感が、その刃からは放たれていた。


 店主の手からそれを拾い上げるように受け取り、悠は思わず光に刃を透かした。

 刃の背に備えられた鋸刃の間からはランプの光が漏れいでて、光を取り込み琥珀色の光を湛えた刃はまるで煌々と燃え盛る炎のよう。

 この世界で初の『サバイバルナイフ』が生まれた瞬間にして、ドラゴンナイフが完成した瞬間であった。


「う、おおお……! スゲー、スゲーっす……! 完璧だ!」

「使い方は、お前さんが一番わかってるだろ……俺は寝る……」


 ナイフの台座になっていた手がぱたりと倒れると、そのまま男は大きな寝息を立て始めた。

 このナイフの完成のために男が精魂を込めていた、という事がわかる。


 寝た男に一つ頭を下げて、悠は再びドラゴンナイフに目をやった。

 その手に伝わる重さは然程ではない。硬くそれでいて靭やかでいるからこそ薄く鋭くを実現した見事な刃だ。

 それだけの素材を現代の地球で研ぎ澄まされていった造形へと近づけていくのは、並大抵の努力ではなかったろう。


 使い方はお前が一番わかっている。

 そのとおりだった。


「……素晴らしいな。これほど精密な加工をドラゴンの爪に施すとは」

「私には刃のことはよくわからないけど……綺麗」


 優れた機能、優れた造形というのは時にため息を吐くような美しさを宿すこともある。

 刃は特にそうだ。斬ることに特化した造形を持つ日本刀が美しいように、このドラゴンナイフもまた美術品としての側面を持っていた。


「コレ以上無いツールだよ……これで準備万端だな!」


 しかしてその目的はあくまでも、いやだからこそ実用品なのだ。

 極圏行きの最後のピースがかっちりとハマった事に、悠は鬨の声をあげる。

 掲げられたナイフは、真上の太陽のように輝いていた。


 ◆


「ふーむ、少し早く着きすぎてしまったかな? どう思うアリシア」

「だからわたしはもう少しねてようっていいましたよね」


 もうそろそろ太陽が真上に昇る頃。

 モイラスは船着き場には、二人の男女が立っていた。

 声を聞くに、青年と少女──あるいは幼女?──と言ったところだろう、特に珍しくもない組み合わせ。

 だが、そんな彼らはやたらと人の目を集めていた。

 それもそのはず、青年の正体は国教たるザオ教の大司教、ディミトリアス=ランドール──という事ならば、あるいはまだ目を引かなかったと思うのだが。


「ん、いたいた! おーい、アリシ……!?」

「き、貴様は一体? まさか『機関』の──!」

「ええ!? おいおい、僕だよ僕。といっても名前を名乗るわけにはいかないんだがね」


 問題があるのは青年の出で立ちの方であった。

 全身黒一色のローブ付きフード。顔は深い影で表情を伺うことも出来ない──と。端的に言えば怪しさの塊だったのだ。

 カティアがディミトリアスを、実験を行っていた機関の者だと勘違いするのも無理はないだろう。


「あ、貴方様でしたか。それはご無礼をすみません。ですが、その格好は……?」

「変装だよ。流石にこんな場所にお偉いさんがいたら問題になるだろう? 一発でアシもつく」

「わたしはそのかっこうは止めようといったのですが。こんなのわすれたくてもわすれられません」


 ディミトリアスはどうやら変装のつもりでこの服装を選んだらしいが、アリシアの言う通り、忘れたくても忘れられないようなインパクトを醸し出していた。

 もしもあとでこんな少女を知らないか、と聞かれれば「あああの怪しい男と一緒に居た」となる者も多いだろう。

 それくらい、ディミトリアスの姿はこの場で浮いていた。もとより浮いた存在だと言えば、それまでではあるが、その絵面は良くて人身売買組織とその被害者の少女だろうか。


「で、でもまあ顔が割れたらそれはそれで大騒ぎだからさ!」

「そりゃそうだけど、すっげー目立ってるぞ今……」


 客観的な視点に不慣れな様子を見ると、やはり浮世離れした存在なのかもしれない。

 悠は陽気な青年の裏に『大司教』という肩書を見た。


「ローブだけならそれほど怪しくないかもしれませんが。フードは顔を隠したい理由がある、と言ってるようなものでしょう」

「でも今更取れないよねえ」


 呆れのため息を吐くカティアと、苦笑いのクララ。

 流石にこの場全員がおかしいと言っていることで、ディミトリアスも自分のほうがズレている事に気づいたようだ。

 クララの言う通り、いまさらフードをとることは出来ない。

 出航まではまだ少し時間がある。それまではそのままで居なければいけないという事で、がっくりと肩を落とした。


「格好と言えば……アリシアも、今日は暖かそうな格好をしてるな」


 フードの奥の闇のような、淀んだ空気を発し始めたディミトリアスを見て、悠は他の話題へと切り替えた。

 どうしようもないのならいっそ触れずに放っておいたほうが傷口を広げなくていいだろうという判断だ。


 話題の矢印を向けられたアリシアは、悠に視線を返す。


「そうですね。さむい所に行くというので、よういしてもらいました。けっこう気に入っています」


 数日前に見たときとは違い、アリシアはシャツとスカートの上にポンチョを纏っていた。

 膨らんだ曲線が、雰囲気に違わない柔らかな印象を後押ししている。

 言葉の通り、本人自身も気に入っているのだろう。その場でくるりと回ってみせると、年下への庇護欲をそそられたカティアが息を漏らした。


「うん、俺も似合ってると思う。……それにしても、寒い所に行く割には薄着だよなあ、俺たち」


 もちろん悠とて可愛らしい少女のする幼気な仕草には微笑みを浮かべる。

 が、気になったのは自分を含めた全員の全体的な服装の軽さだった。

 寒い場所に行くに向けて、今までの装備と同じというわけには行かない。今は纏っていないが悠達も新しく服を購入しており、それらは荷物として持ってきている。

 しかし日本でいう真冬くらいの気温から、夜は氷点下まで下がる土地へ行くには、それらは防寒としてはあまりにも心もとない装備だったのだ。


「そうか? 魔術加工はしっかりしていると思うが」

「あー、それな。いや、俺のいた所じゃそういうのなかったから、基本寒けりゃ厚着だったんだよな……」


 とはいえそれにも理由はある。

 悠達が準備した衣服は、この世界の魔術による加工が施してあるのだ。

 着用者の魔力を消費してある程度の耐寒効果を得る──この世界では、そんな衣服がポピュラーな存在として流通している。

 その効果は地球における防寒着並だ。ただ、万能というわけではなく魔力の消費による体力の消耗もまた厚手の防寒具を着込んで動く程度にはある。


 それは悠も聞かされていたのだが、やはり地球の一般的な人間としては生足半袖で真冬の空の下、という無謀にも程がある見た目には抵抗があった。


「まあ心配するな効果の方は保証するよ」

「結構温かいんだよ?」

「そういうけどさ……と、そろそろ時間だな」


 未だに半信半疑な悠を安心させようとクララ達は口々に悠を説得するが、悠はまだ心配なようだ。

 しかしそうとばかりも言っていられない。響く鐘の音に出航の時刻が訪れたことを確認すると、船の方へと視線を動かした。


 木造の帆船。悠の住む場所・時代ではもうその存在で長旅をすることはないだろう。

 だがこの世界ではまだまだそれは最新なのだ。これもまた、正しくファンタジーの存在である。

 旅の始まりに、御伽の存在に、胸の中に太陽が燃えるような熱さを感じる。


「いよいよ旅の始まりか……! うおお、なんかヘンな汗かいてきた……!」

「私も極圏は始めてだ。どれだけ力になれるかはわからないが、戦闘の方は任せて欲しい」

「うう、何が出来るかわからないけど、がんばります……」


 三者三様、旅への意気込みは違ったが、ただ頑張ろう、という思いは同じだった。


「……まあ、よろしくおねがいします」


 アリシアはそれでも特に抱負などはなかったが、その空気の明るさには、知らず口角を上げていた。


「おお……! いや、僕も一緒にいけないのが残念でならないよ。だから僕は沢山の土産話を待っているよ!」

「ああ、任せとけ!」


 旅に着いていくことが出来ないディミトリアスは、ただ悠達にエールを送る。悠は、フードの奥にあるであろう彼の人懐こそうな笑顔を思い浮かべて、快活に返答する。

 アリシアは、そんな二人のやり取りを──今度は、悠達の側に立って、見ていた。


「アリシアも頑張ってね」

「……それなりには」


 視線に気づいたディミトリアスがそう声をかけると、アリシアはそっぽを向く。

 名残惜しいがそろそろ乗らないと間に合わない。

 言葉は交わさなかったものの、時間いっぱいまで悠達は向かい合っていた悠達は、周りの乗客達の流れに乗るようにして船へと乗り込む。


「じゃ、行ってくるからな!」

「ああ! 他ならぬこの僕が、きみ達の旅を祝福しよう!」


 この場にいるはずがない『大司教』の言葉に、悠たちは──とりわけ、カティアはより色濃く笑みを造る。

 ザオ教が祀る神がどのようなものかさえ悠は知らなかったが、友のその言葉はありがたかった。


 一際大きな汽笛がなると、船は陸地を離れていく。

 見えなくなるまで船を見送ると、ディミトリアスは大きく一つ、ため息を吐いた。


 願わくは、彼らの旅に幸多からんことを。

 確かな思いを込めてそうつぶやくと、黒尽くめのディミトリアスは人目を惹いたまま何処かへ去っていくのであった。



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