第三十四話:まどろみの少女
とある日。
悠達は三人揃ってザオ教の神殿を訪れていた。
本来ここで活動するカティアがその場に含まれるのは、宿の方も含めて悠達と行動することが増えたからだ。
現在の時刻は朝。彼らはある目的のためにこの時間から行動を開始していた。
「ユウ=カズサ様とクララ様、そしてカティア=フィロワ様ですね、おはようございます。お話は聞き及んでおります、どうぞお通りください」
「え、ああ……ど、どうも」
悠達の姿を発見した門番からの挨拶に、悠は萎縮しながら挨拶を返す。
その待遇は数日前にここを訪れたときとは真逆で、正しく顔パスといった具合はVIP待遇を思わせる。
だがそれもそのはず、今現在の悠達の身柄を説明するのならば『大司教ディミトリアスの個人的な友人にして、招待客』である。
そう、本日の目的はディミトリアスへの活動報告と、極圏探索に加わるメンバーとの顔合わせだ。
悠達の活動は、ザオ教の中でもあまり公にはなっていないらしく、大司教の友人の歓待というのが今回呼び出された名目である。
VIP待遇と思わせる、どころか今の悠達は本物のVIPといっても差し支えないだろう。
それがどうにも、極一般的な庶民であった悠とクララには居心地が悪く感じた。
日本人的な感覚を持つ悠には『大司教』なる存在の友人という存在は実感がしにくく、神殿騎士の庇護を受ける立場にあるクララにとってはその恐れ多さは筆舌に尽くしがたいもの。
ディミトリアス自身は接しやすくても、ザオ教として正式に歓待を受けているという事実に、悠は『硬質化』も使っていないのに体中の筋肉をこわばらせていた。
「はは、悠がこんなにしているのは珍しいな。最初の一日で意気投合していたものだから、こういう緊張はしないかと思っていたのだが」
「や、ディミトリアス……様、はいいんだけど組織としてこういう扱いをされるとビビるっての」
反対に余裕なのは、普段からこの場所に勤めている上、本人自体がそれなりにやんごとなき身分のカティアだ。
ある意味ドラゴンと対峙している時以上の緊張を見せる悠に笑いかけると、カティアは前を向き直す。
「今現在の身分を考えれば、慄く必要はないのだがね。じきに慣れるさ」
「だといいけどなあ。まあ喉元すぎれば、か」
カティアの言葉を諺に例えると、悠は頭の後ろで手を組んだ。
門を過ぎてしまえば静かなもので、いちいち騎士たちの視線を気にする必要が無くなったからかもしれない。少しずつ落ち着きが戻ってくる辺りはまさに諺の通りか。
「カティア=フィロワです。客人を連れて参りました」
「ああ、通ってくれ」
ドアを叩くと、返ってきたのは軽い調子の青年の声だった。
どうやらもうディミトリアスの気分はオフのそれのようだ。豪奢な扉の威圧感に相応しくない軽い調子に、悠も緊張している自分が馬鹿らしくなるくらいだった。
「やーやーやー! よく来てくれた、こんな朝っぱらから呼び出してすまないね。昼までいっちゃうと仕事が溜まっててサ」
部屋の中に居たのは、扉の前で聞いたよりもなお軽い、陽気なお兄さんだった。
親衛隊が居ないことを見ると、約束の時間に合わせて下がらせたのだろう。
代わりに、ディミトリアスの傍には一人の少女が控えていた。
──ひと目見て思ったのは、幼い、というその外見だった。
その点で言えばカティアと同じ。だがそれでも悠がその表情に驚きが現れるのを抑えきれなかったのは、カティアに感じたそれ以上の幼さを少女に見たからだ。
ただ幼い、というだけならば驚きはしない。だが、悠の頭には既に、今日の目的がセットされていたから。その存在が、『新しい仲間との顔合わせ』という枠には小さすぎるように映った。
隠しきれない悠の驚きの表情に、ディミトリアスは困ったように笑う。
「驚かせちゃったかな。……いやすまない、どうしても黙っている必要があったものでね」
人の良さそうな笑みは浮かべたままでいるが、その顔にはかしこまるような苦々しさ──申し訳無さがあった。大司教という立場の男が浮かべるには似つかわしくない、しかし普通の青年とも相応しくない表情だ。
ふと、悠は他の二人に視線を送る。
クララもカティアもその表情にあったのは同じ、困惑だ。
この場で最も落ち着いているのは、ディミトリアスの傍らで目をこする少女であろう。
──ふわふわとしたベージュ色のくせっ毛、左右でちょこんと纏められているのが、少女らしい可愛らしさを演出している。
眼は動作のままに眠たげに丸まっていて。中でも悠が気になったのは、淡い寒色を湛えた瞳だ。
希薄。悠が少女に感じた印象は、それだった。そこにあるのにもしかしたら実態が無いんじゃないか。まるで、夢の中の存在のような──
「紹介するよ──じゃなくて、自分でしたほうがいいかな。ほら、挨拶を」
眠たい、という気持ちを隠しもせず、少女は一つあくびをした。
普段のカティアならば、ディミトリアスの前でのその態度を咎めたかもしれない。
にもかかわらず黙って少女の言葉を待ってしまったのは、彼女自身状況についていけなかったからだ。
「あふ……アリシア。アリシア=ウェアリー、です。……よろしくおねがいします」
ディミトリアスの指示を受けて、アリシアと名乗った少女は小さく頭を下げた。
名前とひとこと、最低限の『挨拶』を行ったアリシアは、また一つあくびをした。
やはり眠そうに目をこする少女に、悠達の思考は停止しっぱなしだ。
この場で挨拶を促すということは『そういうこと』なのだろう。
だがそれでも、なんとか正気を取り戻した悠が挨拶を返そうとする──
「……ディミトリアス様、一体何をお考えで?」
しかし、それは一拍早く正気を取り戻したカティアによって遮られた。
強く咎めるような視線に、平坦な口調。明らかな怒りが感じて取れる問いかけだった。
「当然、説明はするよ。……正直に言えば僕もこの選択は心苦しかったのだがね、君たちの話を聞いた時、彼女を託すにはこのタイミングしかないと思った」
カティアの視線にも退くことなく、ディミトリアスはその理由を語る。
ふいに、アリシアが顔をあげてディミトリアスに目をやった。
「この間、僕は君たちに『スキル』の説明をしただろう。ヒトの持つ可能性の力、それらは先天的に備わったものもあれば──後天的に、生き方によって身につけられたものもある、そういったね」
逆に問いかけるように、ディミトリアスは先日の話を話題へとあげる。
悠達は、揃って頷いた。
話はしっかりと覚えているようだ。ディミトリアスは深く頷いてから、続きを語る。
「この子も、後天的に『スキル』を身につけたスキルホルダーなんだ。その力は『まどろみ』。対象に眠気を起こさせたり、興奮状態を沈めたり、といった効果が確認されている」
『まどろみ』。ディミトリアスがアリシアの持つスキルの名を告げる頃には、アリシアは目を閉じて眠たそうに揺れていた。
ディミトリアスが口にした名前は、正しく悠達がアリシアに感じた印象そのものだった。
眠たげで、希薄で、白昼夢の様におぼろげな輪郭を持つ少女。
そして『眠り』に関するスキル。『食』のスキルを持つ悠がそうであるように、まどろみという名は確かにアリシアの存在そのものを語っているかのように聞こえた。
能力自体も聞けば、確かに強力だと言えるだろう。
寝ているというのは生物が最も無防備である状態の一つだ。それを意図的に引き起こせるというのは、必殺にさえなり得る力である。
だが、それだけを聞いても悠達は素直に感心することはできなかった。
それを語るディミトリアスの表情が暗いままだったからだ。
「少し話を戻そうか。アリシアは後天的にスキルを身につけたと言ったが、厳密にはそれは少しだけ違うんだ。正しく表現するのならば、彼女の力は──身につけさせられた、と言っていい」
身につけさせられた。
ヒトの意思が介入するかのようなその表現に、悠は息を飲んだ。
『生き方』で発現することもあるというならば、『まどろみ』を得る為の生き方とは──
「彼女は五才の頃から十年間、必要最低限の時間を除いて人為的に眠り続けさせられていたんだ。ザオ教の一部の者達にね」
まどろみが睡眠に関わる事象ならば、そのスキルを得るための生き方とは『眠ること』。それに尽きた。
人為的に、五才の頃から十年間。
それが本当ならば、カティアよりもなお幼く見えるアリシアは、十五歳だと言うことになる。
どう見ても悠の目には小学校低学年くらいにしか見えないこの少女が、だ。
「馬鹿な! そんな話、私は知らない……!」
これに声を荒げたのは、カティアであった。
カティアはわかりやすく真面目で、分類するならば『正義』と呼ばれるような行動を尊ぶ騎士である。
その自分が身を寄せる存在が、一人の少女をまるで実験動物かのように扱っていることを、叫ばずにはいられなかったのだ。
出来ることならば否定して欲しい、という気持ちがあった。
「知らなくても無理はない。『スキルの習得実験』は秘密裏に行われてきた。直接関わるもの以外は、ザオ教の中でも上から数人程度しか知らないだろう」
「そんな……!」
拳を握って、震えつつもカティアは言葉を失った。
非人道的とさえ言える実験は一部の者達が勝手に行っていることではなく『上』の者達が主導してのこと。
正義の確かな支柱として存在していた軸が揺らぐような感覚に、カティアは哀しいような憤るような、身をかき回されるような嫌悪感に吐き気を覚える。
「……あまり、気にしなくてもいいです。ねることは、好きですから」
普段喋るという行為をしないことに起因しているのであろう、舌っ足らずな喋り方で、カティアを励ますアリシア。
それが一層、カティアの心を締め付ける。
「……幸か不幸か、彼女には才能があったんだ。『まどろみ』という眠りのスキルのね。他にもこの実験の被験者は居たのだけれど、成功例は彼女だけだった。薬を使わなくても眠り続けていられるのは、彼女だけだったそうだ」
「……っ」
『他』の存在は、更に皆の心をかき乱す。
それでも悠が、声を荒らげないのは、クララが声を歪ませないのは──そして、カティアが拳を振るわないのは、他でもないディミトリアスがこの場にアリシアを連れてきたことによる。
「もうわかっているんじゃあないかな。実は今、この場に彼女がいるのはあまり良いことではない。私も全てが自由になるわけじゃあなくてね、アリシアを連れ出すのはそれなりの無理をしなきゃならないんだ。そこで──後一回の機会を、君たちに託したい」
カティアにさえ秘匿される存在を、ザオ教の大司教が連れてくる、その意味を。
「カティアなら重々わかっていると思うが、基本的にザオ教の騎士は極圏へ行くことは出来ない。今回は我々ザオ教が冒険者に依頼した極圏探索のサポートとして、特例で渡航の許可を出している、ということになる」
つまり、それは──
「そう、実に困った。極圏に探しものがあっても、僕たちは人員を送ることが出来ないんだ! いや、実に困る! そうは思わないかい?」
戯けるように言うディミトリアスはしきりに困ったと連呼しながらも陽気に笑った。
その意味することを察することが出来ない三人ではなかった。
「アリシアはこんな風に見えても、魔力はそこそこ凄くてね。難しい魔法は使えないが、極圏でもそこらの冒険者よりはたくましく生きていけるだろう。……本当はそれでも危険な場所だが、危険なばかりでもない。大陸の外にある極圏は正しく『世界』だ。ずっと眠っていた彼女だからこそ、広い世界を見てもらいたいとは思わないか」
「こんな、とか、たくましく、は女の子にいうことばじゃないです」
困ったように眉を吊り下げるディミトリアスに、アリシアはかるいパンチを叩き込んでいる。
痛い痛いと声が段々と本気になってくる辺りを見ると、言う通りアリシアも見た目通りのか弱い少女ではないのだろう。
しかしそれを考えずとも、悠達の選択は決まっていた。
「……私は、カティア=フィロワだ。これからよろしく頼むぞ、アリシア」
「私はクララ! よろしくね!」
ひとしきりディミトリアスが悲鳴をあげ終わると、カティアとクララは名を名乗る。
その行動に首を傾げるアリシアの隣で、ディミトリアスが満足気に笑っていた。
「俺は、上総悠……じゃなくてユウ=カズサだ。一応は極圏探索隊のリーダーってことになる。新しいメンバーとして、これからよろしくな?」
そう、悠が手を差し伸べると、アリシアもその意図に気がついたようだ。
その答えは意外だったのか、驚きに目を丸くしてから、アリシアはどこか儚げな笑顔で微笑む。
「そうですか。よろしくおねがいしますね、リーダーさん」
……このときのアリシアの心境を飾らずに言ってしまうのならば、面倒くさいだとか、そういった感情が主なものだった。
先程言った通り彼女は寝る事が好きで、あのままあそこで眠り続けていても良かった、位にも考えている
それでも、握った悠の手は温かく、悪い気持ちではなかった。
偉い人に言われたから言われたとおりにした。……けど、やってみれば悪くはない。
そう思う自分を不思議に思いながら、アリシアは手を放す。
「いやあ! これにて一件落着かな! いやー、正直断られたらどうしようかと思ったよ! 結構行き当たりばったりだったから、安心したぁ」
無事、アリシアは極圏探索隊のメンバーに加えられたのだ。
正式に三人から許可をもらえたという事で、ディミトリアスは胸をなでおろす。
「でもなんで、あんたがこんな事を? 実験の存在を知ってたからには、立場的に良くないんじゃないか?」
しかし悠にはまだ気にかかる事があった。
それは、ディミトリアスがなぜこんな事をしたか、だ。
自他ともにそれなりの地位にいることをみとめられるカティアでさえ知らないザオ教の暗部。ディミトリアスはそれを知っている、というからには実験とも全く無関係というわけではないのだろう。
無理を通したと言っている以上、今日この場にアリシアを連れ出したことは『向こう』にも伝わっているはずだ。それは自分の立場を危ぶめないのか、というのが悠の疑問である。
「まあね。でも言うじゃないか、可愛い子には旅をさせよと。誰かを殻に閉じ込め続けるなんて間違ってると思わないか。こういう機会は窺っていたんだけど、ドラゴンをたった三人で退治できる君たちなら信頼できると思ってね。同じ『スキルホルダー』というのも彼女にとっては良い刺激になるんじゃないかなって、それだけさ」
「あ、はは……ドラゴン退治は実質二人、なんですけどね……」
ディミトリアスはその肩書にもふさわしい、柔和な微笑みでその理由を語る。
無意識に出したドラゴンの一件にクララが顔を下げると、慌てて弁明するもとの陽気な青年に戻ったが。
だが、その言葉を聞いて今更提案を突っぱねようと言う気は、もはや三人でなくともわかないだろう。
「確か行き先は白の砂漠、旅立ちは三日後、で良かったかな。この子の分の必要なものは此方で揃えておこう。君たちの旅に口出しをするつもりはない、ただ手助けだけさせてもらえれば僕はいいが、このチャンスだけは確実に使わせてくれ」
「わかった。中止も遅刻もなしだ。じゃあまた三日後、でいいのかな」
「ああ」
またあくびをしはじめたアリシアにディミトリアスが手を置くと、アリシアはそれをはらいのけた。
なんだかしまらないやり取りでは在るが、男二人の視線はまっすぐに交差している。
ならば多分、これでよいのだろう。
こうして、極圏探索隊には新たなメンバーが加わることになった。
予想とはだいぶ違う結果に皆反応は様々だったが──カティアからは、それまで抱いていた漠然とした不安のようなものが消えていた。
何やら前途は多難のようだが、旅は道連れ世は情け。
悠はふとそんな言葉を思い出す。
「じゃあまた、三日後に会おうな、アリシア」
「……はい、また」
小さく別れの挨拶を交わして、悠達は部屋を後にする。
面倒なことになったと、アリシアは息を吐いた。
「おや珍しい。笑っているね、アリシア」
「……ふだんは、ねてばかりですので」
ディミトリアスからの質問に不機嫌そうに答えながらも、アリシアは本当に自分が笑っていることに気がついた。
それが何故なのか答えは出なかったが──その答えは、もう少し後でわかるのだろう。




