第三十三話:お買い物
「おー、いい感じに晴れたなあ」
宿屋のドアを開いて、身体を抱くような暖かさに空を見上げて、悠は呟いた。
カティアと合流してから二日、一日の雨をまたいだ今日は文句のつけようがない快晴だ。
「じめっとした空気も無いし、気持ちのいい日だな」
「お買い物日和だねー!」
その後ろから現れたのはクララとカティアだ。
悠に倣って空を見ると、そこには雲ひとつ無い。
言う通り、買い物には絶好の天気である。
しかし、本日の目的は服や日用品の買い出しなどではない。
悠達がこれから出かけるのは、極圏・白の砂漠へ行くための買い物である。
「確かにな。でも楽しい気分は良いけど、買い物はしっかりと、だぞ。なんか忘れ物があったら、今度は遭難ってだけじゃすまないかもしれないしな」
「あい……もう遭難はこりごりだよ」
「準備を怠るな、というのは耳が痛くなるな……」
備えを怠れば、山の中以上に過酷な状況に彷徨うことになる。そうなれば行き着く先がどこになるかは、簡単に想像が付くというものだろう。
いきなり山の中に放り出された悠はともかく、クララやカティアの遭難は準備や認識の不足によるところが多い。買い忘れは無い様に、という悠の言葉に、クララ達は身を引き締める。
「とはいえ、俺も買い物自体は楽しみだけどな。それじゃ、出発するか!」
「おー!」
「うむうむ」
だが、どうせならば楽しんで、という気持ちは釘を差した悠自身にもあるものだ。
視線をなだらかに微笑むと、少女たちの表情もぱっと明るくなる。
ここに、極圏探索隊として最初の行動が幕を開けた。
◆
「と、言っても……何から買うか迷うねえ」
「全部が全部今日買うわけじゃないからなあ。まあ、今日は露天で揃うものに絞るとしようぜ」
買い出しを始めて少し。
悠達はモイラスに着いた時とは反対に、じっくりと露天を見て回っていた。
未知の味を至上の喜びとする悠にとって──いや、そうでなくとも露天で目を引くのは様々な食べ物だ。
だが、よく見てみると、露天には冒険者向けの装備品やツールといったものも売っている。
悠は極普通に店先に剣がならぶその光景に目を輝かせながらも、締めるところは締めていた。
「あまり絞らずとも、必要になりそうなものはとりあえず買っておけば良いんじゃないか? 備えあればなんとやら、というじゃないか。かかった金額は、後でディミトリアス様に言えば出ると思うぞ」
じっくりと店先の品物に視線を這わす悠に提言したのは、準備の大切さを身にしみさせたカティアだ。
ディミトリアスによる極圏探索のサポートは話し合いによって少しずつ具体性を得てきており、極圏探索にかかる費用の中でも物資や渡航費はザオ教が支払う、という事になっている。
だったらどうせなら、片っ端から買えばいい、というのがカティアの考えだが──
「いんや、それでも買うものは絞らなきゃなんだよ。俺達の旅は、三人……じゃなくて、ザオ教から同行する人を含めたら四人か。とにかく少数の旅になるんだから、あれこれ持っていっても荷物になるぜ。大人数の探索なら、ありったけでもいいかもしれないけど、できれば本当に必要なものだけを買うのがいいな。今は宿があるけど、出発しちまうと使わないモノを置いておく場所もないしなあ」
悠は店先のナッツを試食したまま、カティアの提言に否を返した。
腕を組んだまま、カティアはなるほどと感心する。
少し考えればわかりそうなものだけど、と悠は苦笑した。腕は立つが、それ以外のことはからきし。それがカティアという人物だった。
そこまでは思わなくとも、悠はどことなくカティアに『ぽんこつ臭』を感じつつ、顔をあげる。
「これください。量は──そうそう、そんくらいで」
店主に指示を出しつつ購入したのは、クリーム色の平たいナッツだった。
色はピーナッツに似ているが、形はナッツ類としては少し変わっているだろうか。パンプキンシードなんかが似ているかもしれない。
この試食で悠が見たのはナッツの味と匂い、そして重量だ。
ナッツ類は小さいながらに栄養価が高く、登山などでは定番の非常食・行動食として有名だ。
食料の殆どは現地調達するつもりでいる悠達だが、何も獲れない日に備え非常食の用意は必要だ。そうでなくとも、ナッツは行動中にエネルギー補給として軽くつまみたい時などには非常に優れている。
「あれ、そんなに買うの? 荷物になるんじゃ……?」
それでも、買い過ぎなのではないか。
まさか非常食として持ち込むのはこのナッツだけなのだろうか。
感じた疑問がそのまま口を出ると、悠は満足そうに口角をつり上げた。
「大丈夫大丈夫。四人分を分けたら一人頭はちょうど良くなるさ。さ、次行こうぜ」
果たして、返ってきたのは望んだ具体性を持ってはいなかった。
しかしナッツはそれなりの量がある。四人分で分けても、そこそこの容量にはなるだろう。
すると、やはり非常食として持ち込むのはこのナッツだけなのかもしれない。
これにがっくりと来たのは、カティアだった。遠征の経験はない彼女だが、同僚から遠征中の食事の『飽き』の辛さは非常に苦しいものだと聞いている。食事の大切さを知っている悠でも効率を考えればそれは避けられないのか、と同僚の語る辛さを体験する覚悟を決めるカティア。
そんな二人の下がった眉に気づいたのだろう、悠は首をかしげる。
「ん、どうした?」
気持ちを知ってか知らずか、悠は何気なくそう尋ねる。
カティアは少し迷ってから、折角聞かれたのだからと問いかけに答えた。
「いやその……ナッツだけでは飽きが来ないかと心配で。向こうで食料を調達できればいいのだが、飽きはつらいと聞いていたものでな。他にも干し肉とかを買ったほうがいいんじゃあないかな、と」
「ああー、確かにそういうの聞いたことあるな。でも心配無用、そのへんはちゃんと考えてるよ」
しかしそこは食いしん坊、何も考えていないわけではない。
ナッツ一つとっても、様々な食べ方があるものだ。悪戯心と、どうせなら何が出るか楽しみにしていた方がより美味しく食べられるだろう、という思いから悠は具体例を語らない。
それでもクララとカティアは悠に考えがあることを知ると、胸をなでおろす事ができる。
「ああ、よかった。それは楽しみだな」
「ナッツの料理? んー、なんだろなー」
反応を見るに、悠が作ろうとしている物は、二人には思いあたりがないようだ。
ナッツの携行食といえば定番があるのだが、あるいはこの世界にはまだそれは存在しない料理なのかもしれない。
「気にいるといいんだけどな、栄養とかはバッチリだからまあ、楽しみにしといてくれよ」
向こうでの反応に思いをはせて、悠は気分を高揚させる。
どうにも自分は驚かせるのが好きだなと思いつつ、深く掘り下げずそれに付き合ってくれる二人に感謝するのだった。
「さてじゃあ次に行くか!」
ナッツでずしりとした袋を掲げ、悠は号令をかける。
準備を整えるごとに膨らむ未知への期待を実感しながら、三人は歩き出した。
◆
「結構いろいろ買っちゃったね。ディミトリアスさんにサポートしてもらわなかったら、お金ギリギリだったかも」
「思ったより高いものが多かったからなー。一つ一つ手作りじゃしゃーないか」
「……? そうだな。とはいえ半端なものは買えないし、仕方がない」
もうすっかり赤く染まった夕日を背に、悠達は談笑を伴って宿へと向かっていた。
流石に命を預けるような冒険道具を一から揃えるのは金がかかったらしく、ドラゴンの爪を売って作った金もしっかり減ったと実感を伴うほどだ。
悠の言葉の後半に疑問を感じるクララ達。
この世界では、まだまだ大量生産という概念が根付いていない。それでも、いやだからこそか需要のある冒険用の道具は良質なものが揃っていたのだが、安定したものを大量に作り出す機械がこの世界にはまだ無いのだ。
冒険というものが重要視される世界。魔法が根付いた世界。確実に自分の育った世界とは違う道を歩む異なる世界に、僅かに郷愁を感じる悠。
この世界で電子機器が生まれる事はあるのだろうか。たとえあってもずっと先、自分が生きている頃ではないのだろうな、と悠は遠い場所を想う。
それらがない世界に放り出されてしまえば、別段それが絶対に必要だとは思わない。それでも日常生活の傍にずっとあったものが無いのは、少し寂しかった。
悠はこの世界を楽しんでいるが、時折猛烈な寂しさに襲われる時があった。
食事もそうだが、悠はどこで使うのかもわからないサバイバルの知識もまた好んでいる。それらは時には芋虫を食べたり蛇を食べたりしながら、砂漠やジャングルから生還する方法を、身をもって実践していたとある冒険家の影響だ。だがこの世界にその冒険家は存在しない。自分のルーツがこの世界にない、というのは、深く考えると悠の心を締め付ける。
こんな気分になるのは夕日のせいなのかな、などと思いながら悠は頭を振るう。
しかし、それでも。不意に疎外感が消え去るときもある。
「ん……? ちょ、ちょっといいか?」
「なにか気になるものでもあった?」
今回悠の疎外感の様なモノを消し去ったのは、立ち並ぶ露天の一つに並んだとある商品だった。
並んだ数と商人の顔を見るに、売れ行きはそれほど良くないようだ。
「鉄の棒、と板か? これが気になるのか?」
それもそのはず。一見すると、その道具は何に使うのかよくわからないものだったからだ。
カティアの反応が、この世界のスタンダードである。
しかし悠はこの道具をよく知っていた。
これこそまさに、日常では使う機会が無いようなサバイバル用品そのものだったからだ。
「いらっしゃい。使用方法をお聞きしますかい?」
もう何度も見たような反応に、店主の態度も投げやりである。
億劫ながら、という様子で顔をあげる店主。
……だがそこにあったのは想像とは真逆の、輝く少年の瞳だった。
「これ! ファイアスターターっすよね! うおー、この世界にもあったのか! 進んでるゥ!」
更にその口から飛び出すのは、店主が期待していたが手に入らなかった言葉だった。
店主の表情が緩み、加えていた煙管が落ちる。
「お、おう! わかるのかコレが!」
「やっぱそうだ! わかりますとも! いや、まさかこんな洗練されたメタルマッチがあるとは思わなかったっす!」
「ファイア、スターター? 火を付ける道具なのか? これが?」
興奮する悠と店主に、首をかしげるは女子達。
うんうんと頷く店主に背を向け、悠はクララ達にファイアスターターと呼ばれたそれを見せつける。
持ち手が付いた棒状と板状の金属。一見すれば、やはり用途はこれだとはならない形だ。
「その通り。こっちにも、火打ち石とかってあるよな? これはその進化系っつーかな、ずっと便利になったヤツだよ。店主さん、これ使ってみても?」
「どうぞどうぞ! いやあ、わかる人がいて嬉しいねえ」
店主に許可を得ると、悠は屈み込み、棒を板で擦って見せる。
すると勢いよく放たれる火花。
小さい棒を擦っただけで吹き出す様な炎が上がる、その勢いの強さにカティアとクララはほうと息を漏らした。
「な、簡単に火が出るだろ? コレで出た火花は温度が高いから、火種に燃え移り易いんだ」
「へえ……普通の火打ち石とはちょっと違うんだね」
カティアとクララは、悠が火を起こすのを何度か見ている。
自分たちでは何度やっても出来なかったが、悠はあっさりと火をおこしていた──その悠が、これほど興奮する代物だ。スゴイということは容易に想像が出来た。
「ちょっとコツはいるけど、これがあればクララやカティアでも簡単に火が起こせるようになると思うぜ。あ、店主さんちなみにこれ、材質とかは?」
「極圏……『紅蓮の鉱床』で取れる金属で。フォティウムって言うんだが、知らんですよね」
聞いたことのない金属の名前に、悠はへえと声を漏らした。
この世界独自のものの様だが、性質で言えばマグネシウムが近いのだろう、と悠は思う。
予想していた名前とは違うものが出たことで少し意外に思った悠だが、そんなことはどうでも良かった。
重要なのは、これがこの世界に存在するということである。
地球では、これはファイアスターターのほかメタルマッチとも呼ばれる存在だ。
火花を起こし、着火する。原理としては火打ち石と同じだが、それ専用に作られたメタルマッチの使いやすさは段違いだ。
火花の出しやすさ、温度の高さによる着火のしやすさ、そして持ち手の存在による扱いやすさ。
更にメタルマッチはよほどでなければ風雨や雪の中でさえ使用が可能だ。
少しコツを覚えれば、それこそ知識や技術を持たないクララ達でもストレス無く火を起こすことが出来るだろう。
「にしてもスゴイです、これ。使う側の事がよく考えられてる……どこでコレを?」
「お恥ずかしながら、私が考えさせてもらいまして、ハイ。いやね、私も元は冒険者だったんですが、火をつけるのが苦手でね。むかーし行った極圏にある金属を思い出して、こんなモンを考えたんですよ。加工は加工屋に任せましたがね。こんな扱いづらい金属をよくもって文句を言われたもんでさあ」
この世界の文明レベルは、中世かそこらだ。
持ち手の指に馴染む造形、金属を削って落とした粉を発火させるという発想は、生まれるまでにもう少し多くの時間を必要とするものだろう。
だが冒険という概念が息づくこの世界では地球よりもずっと早くこれが生まれた。
必要だから、生み出された。……悠の好きな探検家が使っていた、最新のサバイバルグッズと寸分たがわぬものが、だ。
結局、ヒトがヒトである以上考えつくところは同じなのだ。
何かを追い求めた結果同じカタチを持つ。それは進化の姿によく似ていた。
「これ、買います。素晴らしい道具を生み出した貴方を、尊敬します」
誰に教えられたわけでもなく、違う世界の未来を歩く人が居る。
だったら、世界が違うくらいでなんだ、という気持ちにもなるというものである。
「毎度ありっ! ……そう言ってもらえると、私も甲斐があったってもんです」
この世界の常識では少し高価といえる値段を惜しげもなく払って、悠は店主の手を強く握った。
メタルマッチ。その存在を理解できることが、誇らしくなる悠だった。
店主に別れを言って、三人で歩き出す。
古い物を継いでいく者がいれば、新しい物を編み出していく者がいる。モイラスの露天通りでの出会いに、悠は滾る。
「よーし、なんかやる気湧いてきたぞ!」
上機嫌の悠を見て、クララとカティアは顔を見合わせて静かに笑いあった。
先程まで郷愁を漂わせていた背中は、ドラゴンを倒した少年に相応しい力強さを見せていた。
やがては悠自身が何かを紡いでいくものになるのかもしれない。
ふとそう感じたのは、さて誰だっただろうか。




