第二十九話:ザオ教
腹ごしらえを終え、悠とクララがちょっとした出会いと出来事を終えるころには、頂点にあった太陽が少しずつ傾き始めていた。
日が暮れる前に用事を済ませて宿を探したい二人は、早速モイラスまできた用事を済ませようと、カティアを訪ねに行った。
モイラスはそれなりに広い街だ。その規模を考えると、目当ての建物──カティアが勤めているザオ教の神殿──を探すのは、骨の折れることだと思っていたのだが……
目的の建物は、案外早く見つかった。
「えー……この建物でいい、んだよな?」
というよりも、探すまでもなかったといったほうが正しいだろう。
眼前に聳える建物──文字通りの神殿を前にしつつ、悠は白昼夢でも見ているかのように呟いた。
「すごいでしょ? モイラスの神殿っていったら、結構有名なんだよ」
「いやすごすぎるというか、ここホントに近づいていいところなのか?」
途方にくれたかのような悠の反応に、クララは満足げである。
しかし途方にくれたというのもあながち間違いな表現でもないかもしれない。
聳え立つ神殿の全体的に輝かんばかりの白一色は、穢れの無さを想起させる厳かな光を湛えていて。
太く、歪み無く立ち並ぶ柱は力強く。祀る神の偉大さを称えているかのよう。
建物自体が失われさえしなければ、たとえザオ教という宗教が失われても、賞賛を受け続け保護され続けるであろう文化物。
宗教施設ということもあるが、地球なら間違いなく一般の人間が立ち入ることは出来ないだろう。
そんな建築物を目にすれば、ひるむのもさもありなんといったところだろう。
だが、クララはそんな悠を見えない糸で引っ張るかのようにずんずん前へと進んでいく。そうなれば、悠も彼女についていくしかない。
「入れはしないと思うけど、人を呼ぶくらいはしてくれると思うよ?」
悠はおぼろげにしか知らないが、ザオ教、そして神殿騎士はこの世界の人々の生活と密接に関わった機関・役職である。
騎士たちの主な仕事は治安維持であるため、この神殿はいうなれば教会と警察署の複合施設といったところだろうか。
とはいえ勿論悠はそんなことはしらない。見れば入り口には屈強な二人の男性が武器を持って立っている。彼らが門番であることは悠にもすぐわかった。
そんな場所へあっけらかんと近づいていくクララに戦々恐々としつつも、何かが起きたときには自分が何とかしなければ、と思う悠は傍に控えるようについていくしかない。
「何用か」
奇妙な衣装に身を包んだ、挙動不審な少年。
そんな悠の姿はなかなかに怪しげで。門番たちから目的を問う声がかかる。
警戒を強める門番達に「ああやっぱりクララをちゃんと止めておけば……!」と後悔する悠は、彼らの警戒の原因が自分だとは気づいていない。
哀しいかな、今の悠は地球で例えれば騎士鎧に身を包んだ挙動不審な少年だ。
それでも一応先に手を出さない限り様子を見よう、とするのは流石人を守る騎士といったところである。
「ええと、カティア=フィロワさんと会う約束をしているのですが、もしよろしければ呼んでいただけないでしょうか?」
しかし──クララが尋ね人である友人の名を出すと、門番の警戒はクララにまで及んだ。
そればかりか、その視線にはわずかな怒りさえ混じってきた。
敵意に限りなく近い剣呑な空気に、クララがたじろぐと、悠は歩み出てクララの前に陰を作る。
その姿に門番は怯えと闘志を感じ取ると、一段声を抑えて聞き返した。
「カティア様、だと? あの方に今日誰かが尋ねて来るといった話は聞いていないが」
カティア『様』。そう聞き返されれば、悠達もなんとなく門番たちの怒りの正体が見えてくる。
──この世界では、あるいは下っ端と呼ばれるような者でさえ、騎士の位は高い。
少なくともそれ以上の地位を持つ。そんな彼らが強調するように様、と付けて友人の名を呼んだことで、悠とクララには今まで考えなかった疑問が浮かんだ。
もしかして、カティアってすごくえらい?
空腹で行き倒れていた彼女との出会い、そしてフランクな態度。それらを見て経てきた悠達は想像さえしてこなかった。
だがこうして、ただでさえ地位の高い人々がわざわざ様付けで呼びなおしているのだ。
それがその存在をどう説明しているのかは、よく理解できた。
少なくとも、ごく普通の──と呼んでいいのかもわからない一般市民がアポなしで会えるような存在ではないのだろう。
敵意を向けられたことで対抗した悠だったが、自分たちが無礼だったことに気がつくと闘志を納めた。
そうすることで戦闘体勢が解かれたことを感じたのだろう、小さく息を吐いて門番たちも敵意を納める。
「カティア様への面会を望むのならば、まずは書面で申し込むとよい。尤も、あの方が会われるか、面会がいつになるかは別の問題だがな」
門番は僅かに乗り出すようにした身を元の位置に戻すと、小さく息を吐き出した。
会うまでの手順を教えてくれるところを見ると、仕事熱心なだけで悪い人間ではないのだろう。
悠はせめて取り次いでもらうだけでも──とは思わなくもなかったが仕方がない。その対応にはいつしか見た役所の仕事を思い出した。
「スイマセン、迷惑掛けました。……どうする、クララ?」
「うーん、やっぱりお手紙を出して正式な手続きをするしかないんじゃないかな? ちょっと時間はかかっちゃうかもしれないけど」
頭を下げてから踵を返し、どうカティアに会うか話し始める二人。
電話一本で約束の取り付けを、という事が出来ない不便さを思う悠。なんだかんだといって、地球の文明というのは便利だったのだと改めて認識させられる。
「ま、しゃーない。急ぎの旅でもないんだし、ゆっくり待つか」
「そうだね。じゃあひとまずは宿探しかな──」
とは言っても、ないものねだりをしても仕方がない。
それよりも今日の宿をなんとかしないと野宿だ。自然の中であればある程度は慣れた今、街の中の野宿のほうがよほど危険で環境も悪いというのは皮肉な話だった。
街の中心部へ戻ろうと脚を進める悠達。
「おおい、待ってくれ! ユウ、ユウじゃないか!?」
しかし運が良かったのか、落ちた背中に呼び止める声。
聞き慣れたその声は間違えるはずもない、命がけの共同生活を行った親友の声で──
弾かれたように振り返ると、そこにあったのは駆け寄ってくる小さな姿。
「カティア! 久しぶりだなあ!」
「ああ! クララも一緒か! となると、親御さんを説得できたんだな、嬉しいぞ!」
「おかげさまでっ! 私もカティアに会えて嬉しいよ」
神殿騎士カティア=フィロワその人だった。
走り寄ったカティアはそのままの勢いで悠に飛びつくと、力強い抱擁を交わした。
女の子に近い外見とはいっても、カティアは年上の女性だ。どぎまぎとするも、カティアは名残も感じさせないような速度でぱっと離れると、次いでクララに抱きついた。
クララもそれに抱擁を返すと、また離れたカティアが正面から悠達の眼を見つめる。
「いや本当に、会えて嬉しい。たった何週間ではあるが、君たちのいない日々は退屈だったよ」
「そう言ってくれるとこっちも嬉しいよ。今、大丈夫なのか?」
「ああ。今はこれといってやることもなくてね。すこし抜け出すくらいなら問題ない」
たまたま君たちの姿を見つけられてよかった。
そう言って、カティアは朗らかに笑う。
「さて、ここじゃ立ち話もなんだし、どこかの店に入って……と行きたいところなんだ、が」
離れていた時間は短いが、その間の話もしたいし──何より、本題はここから先、極圏に向けてのものだ。
腰を落ち着けて話をしたいのは悠とクララも一緒だったのだが、カティアの言葉は段々歯切れが悪くなる。
「抜け出してきたものの、私は今職務中という事もあってな。……すこし、面倒なことを思い出してしまった」
まだ職務中。確かに友人を見つけたから退勤します! は通るまい。悠とクララは揃って頷く。
しかし、それ以外にもなにか、カティアはばつが悪そうだ。
「どうかしたのか?」
「ああ。……本当に悪いんだが、ドラゴンの一件で少し、キミの事に触れてしまってな。私の上司、というと少し違うんだが。ともかく偉い人が、ユウに会いたがっているんだ」
「俺ェ?」
その理由は、悠も無関係ではなかった。
悠とクララの姿を見つけて、嬉しくてつい飛び出してきたカティアだったが、後々になると面倒な事を申し付けられていたことを思い出してしまったのだ。
偉い人が会いたがっている。そんな言葉に嬉しいやら恐ろしいやら、ごちゃごちゃな気持ちが糸を丸めるように膨らんでいく。
「悪いんだが、少しばかり彼と会ってはもらえないだろうか? ザオ教が大司教──ディミトリアス=ランドール様に」
大司教。地球にも在った役職だが、ファンタジー世界におけるその言葉は持つ意味合いが少し違う。
漠然とそんな違いの情報量にくらくらとしながら、悠は寝ぼけたように頷いた。




