第二話:蒸し焼き
「こんなのも暫くは使わない知識だと思ったんだけどな、わからないもんだ」
拠点に戻った悠は、簡易的なかまどを組み、火を起こしていた。
火種は木の棒と植物の繊維で、いわゆる『弓切り式』の発火法を用いて用意した。
火起こし体験。そんなイベントで学んだ技術である。本来ならば日本では『ムダ知識』に分類されるような知識が役に立ち、悠は苦笑する。
火の温かさに吐息を漏らすのもそこそこに、悠は罠と化したペットボトルを手に取った。
その中から一匹、甲殻類を取り出して観察する。
「けど……面白いカタチだよな」
捕獲した小型の甲殻類を見て、悠は感嘆のため息を漏らした。
──まず、甲殻類には小さなハサミがついていた。この程度の大きさならば指を断たれる事は無いだろうが、力の程はわからない。石で押さえつけながら、悠は観察をすすめる。
甲殻類の形状は、一言で言って筒状だった。束ねたコインの様に綺麗に整った円柱状だ。地球の自然ではあまり見ることのない均整の取れた形状に、悠はここが異世界たる所以を感じる。
しかし、その表現ではまだ正しいとはいえなかった。
石で押さえつけた甲殻類は圧迫から逃れようとしたのか、身体を伸ばしたのだ。
……この形状はテレスコピックという。テレスコピックというのは、筒状のモノを大きさの順に重ねた伸縮構造の事だ。引き出したり納めたりすることで全長を変える事ができる、望遠鏡や釣り竿なんかによく使われている機構である。
悠が今目の当たりにしているのはそれだった。筒状の甲殻類の殻は独立した数個が重なっていて、恐らく中の生物が動くことで伸縮しているのだ。
「すげえ……やっぱりここは、異世界なんだな」
その構造自体は、地球の文明においては珍しいものではない。これを採用した機械は多いし、趣味から武器にまで使用されているものだ。
だが悠が知る限りは、この構造を持った生物はまだ居ない。
とはいえ、感心してばかりもいられない。芸術の様な合理性を持つ生物を食べるというのは流石の悠も少しだけ憚られたが、たった一人自然の中に放り出された以上は、何かを食べなければ生きていけないのだ。
脅威は少ないだろうと判断した悠は筒エビと名付けた甲殻類の調理に入る。
「背わた……はやっぱあるかな。となると頭を引っこ抜ければ一番なんだけど……」
この構造だと、先端を摘んでしまうと、縮まった拍子に指を持っていかれるかも知れない。勿体無いが伸びた頭を潰してから調理しよう。
調理の方針を決めた悠は、筒エビを石で押さえつけながら、空いた手で少し小さめの石を持った。筒エビはまだ圧迫から逃れようと頭を伸ばしている。そこにめがけて、石を振り下ろす!
しかし──
「んん!? 硬いね!?」
石が石を撃つ、鈍い音を響かせたにも関わらず──筒エビの頭は、砕けずにいた。露出した目は潰れており、衝撃で気絶しているが、それでも(恐らく)生きている。
異常なまでに硬い殻に驚嘆しつつ、痺れた手を振るう悠。
「てて……どうすっかなこれ。……色々気になるけど、生きたまま焼くしかないか?」
触って見る限り、筒エビの殻はどこも非常に強固だった。
仕方なく悠は調理を諦め、生きたまま火に放り込むことにした。……一先ず焼けて死ねば、熱で脆くなった殻を割るくらいはできるかもしれないという考えだ。
そうと決めた悠は寝床づくりの最中、ついでに用意していた大きな葉を取り出した。
これに筒エビをくるみ、包み焼きにするのだ。
火さえ用意できれば山の中にあっても手間の掛からない調理法、それが包み焼きだ。
大きな葉の上に筒エビを並べ、包む。後はこれを巻いて火にかければ包み焼きは完成だ。
だが筒エビ達が葉の上に落ちると、悠はぴたりと動きを止めた。
「……なんだ? この感じ……」
葉の上の筒エビは最初の一匹を含めて九匹。だが、その内の二匹から、今まで体験したこともないような感覚を受けたのだ。
「……いやな予感がする」
恐怖とも嫌悪感ともつかないそれは──まさしく『予感』だ。何か嫌なモノを感じる。エビから黒い靄が溢れている。……そう幻視するほどの、視覚に訴えかける程のナニカ。
見たところ、その二匹にも変わったところはない。だが悠はその予感を振り切ることができず、念のためにと二匹だけを選って、別の葉に包むことにした。
……一度火にかけてしまえば、後は待つだけだ。包み焼きは──特に寄生虫などを考慮すると──出来上がりまでに時間がかかる。待つだけになってしまえば、悠は再び異世界の食材に対する興味を湧き立たせていた。
どれだけ時間が経ったかを、スマートフォンで時折確認する。充電手段が無いため、これもやがて使えなくなるだろう。点灯させるのは一瞬だけだ。悠がもう少し冷静ならばいちいち電源を落としたかも知れないが、浮足立つ悠はそれに気づかなかった。仮にスマートフォンの電源が生きていたとしても、救助の足がかりにはならないので問題はないが。
……本来なら、いかに異世界とは言えただ待つ時間は退屈だったろう。だが悠は退屈ではなかった。アウトドアが大好きな父親に影響され、キャンプはもはや習慣となっている。だからこうした時間を過ごすのは珍しいことではなかったし──
「星……キレイだなァ。排ガスとか、ないんだろうな」
異世界で見る空は、まさに幻想の風景だったから。大きな月……の様な天体は真っ白で、星々と併せて強くここが異界の地であることを示していた。
地球では奇跡のような天体ショーだ。待つ時間も直ぐに過ぎると言うもの。
「……そろそろいいだろ」
枝を使って器用に葉を火から降ろし、悠はゆっくりと、熱を持った葉を開いた。
その瞬間、温かな湯気と共に甘みのある匂いが立ち上る。匂いを発しているのは筒エビもそうだが、大きな葉が一役買っていた。
食欲を殴りつけるような匂いに、悠はつばを飲むが、問題はここからだ。
これを食べるには、石打ちでさえびくともしない殻をなんとかしなければならない。
ただでさえ強固な殻を、熱々の内に外すのは無理だろう。街と比べれば不便な山の中において、熱さは一つの贅沢さだ。それが失われるのは、もったいなく思えた。
「くっそー……なんとかならないかな……うん?」
悠はこうしている間にでも失われていく熱さを確かめるように、未練がましく筒エビを摘む。
生じた疑問の声は、その時に出たものだった。
「……柔らかい!」
先程まであんなにも強固だった筒エビの殻は、指で押すと沈むほど柔らかくなっていたのだ。
加熱したのが良かったのだろうか? それにしても先程の強度が想像できないような柔らかさに、悠は嬉々とした声を上げていた。
足を引っ張れば、殻はぺりぺりと小気味良い音を立てて身から離れていく。
殻に閉じ込められていた身は蒸し焼き状になっており、勢い良く湯気を立てた。この分なら、旨味の方もぎゅっと封じ込められていそうだ。
「……いただきます」
みずみずしさを残す紅白の縞々はエビやカニと同じ。しかして未だ地球上の誰もが食べたことのない未知の味。
僅かな恐れを交えた興奮に支配され、悠は筒エビの身を口に運んだ。
まず、口の中に広がったのはカニやエビに共通して感じる、強めの甘みだった。
プリップリの弾力に満ちた身に歯を強く食い込ませると、伸縮に使っていたのだろう筋肉が勢い良く弾け、断ち切れた部分から旨味のエキスを迸らせる。
見た目通りエビに近い味。しかし、伸縮する長い身が縮こまった故だろうか、その濃密さは比較にならないほどだった。
また、匂いの方もいい。甘栗のように優しい風味だ。総じて──味はかなりいいと言っていいだろう。
「美味い……! ……けど」
しかし、だ。噛み砕いていく内に、藻類のくさみが交じる。これは、背わたを取り除くことができなかったことに起因したものだった。冷静な状態であれば蒸しあがった筒エビの背をほじくるくらいはしただろうが、それでも同時に調理してしまった時点でいくらか身の方にも臭みは回ってしまうだろう。
それに、調理の前に殻を取り除けなかった害はまだある。
「食感が悪いな……ジャリジャリしてる……」
殻に入り込んだ砂利や、背わたの不純物。それらが弾力に満ちた素直な筋肉の食感を邪魔していた。
しかしそれを差し置いても、悠は満足だった。
味や香りは地球のエビと比べてもかなり上位に食い込むものだ。不満点も、おそらくはその殆どが調理法に起因している。また、小さい割に食いでがあるのもよかった。一口サイズながらも、凝縮された身はズッシリと重い。
結局、満足は不満点を大きく上回っていた。二匹目以降は雑ながらも背わたをほじくり出すなどして、貪るように食事を終えた悠は、両手を合わせる。
「ちゃんと調理する方法がわかれば、もっと美味かったろうな。ごちそうさまでした」
量で言えばそれほどでも無いのだが、悠は類を見ないほど満ち足りた気分で居た。
……だからこそ、それを見ぬふりが出来ればよかったのだが。
「それも、できないよなあ……」
ちらり、と見やるのは先程分けて調理した二匹の筒エビだ。
調理した今もなお、選り分けた二匹は異様な存在感を漂わせている。
何がそうさせているのか、それだけでも確かめなければならない。
分けた内の一匹を手に取った悠は、少し冷めたそれをじっくりと観察した。角度を変えて様々な視点から観察するも、変わった様子はない。
しかし、殻を剥くと、少なくとも先程の筒エビ達とは明確に違う点が現れる。
「このツブツブは……卵、か?」
脚の殻の下に、寄り集まった黄色い粒を見つけたのだ。
悠の予想通り、この物体は筒エビと呼んでいる生物の卵であった。
今のところの違いはそれだけだ。それでもなお強烈に──先程よりも増して『嫌な予感』は強まっていく。
「まさか、まさかな」
その予感に、悠は心当たりがあった。
……それは、野の食材に強い興味をもつ悠が一番恐れている可能性だ。
僅か一粒の卵を指につけ、舌に落とす。それを唇と舌で固定し、ぷつりと歯で挟んだ。
予感が当たっているのならば、それは──
「ぎぃ!? ぎぃががっがががあががががが! っべ! べぇぇぇぇッ!」
人体にとって有害な物質。すなわち──毒である。
「毒ッ! 毒だこれ! いががががががが、喉が、イガい!」
僅かでも吸収する量を減らそうと、悠は口の中の唾液という唾液を吐き出していく。
だが、ほんの少しだけ唾液に混ざった卵の中身が喉に達すると、想像を絶するようなイガイガ感が喉を跳ね回った。痛みよりも、喉をヤスリにかけるような感覚が不愉快だ。
慌ててペットボトルに汲んでおいた水でうがいをすると、悠はようやく一息を吐く。
「あー……けど、これでわかったな。……あのイヤな予感は、毒に反応してたのか」
『食物』に対して、異常なまでに感じる不吉な予感。
それは、毒を感知しているものだったのだ。
「異世界に来たから身についた能力……とかって感じなのか? ……他にも感じるか、試さないとダメかもな」
『毒を感知する能力』。自分の体験したものを言葉に変える悠は、その事態の異常さに反して冷静であった。それなりにサブカルチャーを好んでいた悠にとって、異世界転移には何らかの能力が付随してもおかしくないと感じていたからだ。
ある意味、超常現象に対して耐性ができていたといってもいい。荒唐無稽な超能力も、死んだと思ったら異世界に居た──なんて状況からすれば、常識的な範囲である。
「しかし──夢みたいな能力だな! これならなんとかなるかもしれんね!」
それよりも、悠は喜色に満ちた声で、満面の笑みを浮かべた。
食材の毒を感知する事ができる──様々な冒険譚の主人公達に比べれば微妙も過ぎる能力だが、悠にとってはまさに渡りに船、当人が言ったとおり夢のような能力だったからだ。
この世には幾千万の動植物が存在する。その中には、未だ人が味わった事のない未知の味覚が幾つも存在するだろう。だがその味をヒトが知るためには幾つかの障害を越えなければならない。未知の味覚を求める上で、毒はありふれた障害の一つと言えるだろう。
当たり前だ。毒を喰らえばよくないことが起きる。故に毒。危険を冒してまで毒かどうかわからないモノを食べる者は少ないだろう。
だが、悠の様に未知の味覚に魅力を感じるものは少なからず居るはずだ。そういう人達にとっては、未知の味覚を求めるが故、未知が敵となる。
食は命を育むもの。安全な食材が溢れた世で、食に命を掛けることなどあっていいはずがない。だからこそ──食べ物が毒であるかどうかを判別する力なんてものが存在した場合。それは、未知の味覚を求める者にとっては、どこまでも魅力的に映るはずだ。
……もしも、この力がなかった場合、悠はこの異世界で何の知識の蓄積もなく、食べられそうなモノを食べることになるだろう。
その度に、彼はロシアンルーレットに挑戦することになる。
今ここで異世界に来た彼がその力を手に入れたのは、これ以上ない幸運と言えた。
「なんとか、生きていけそうだ……」
その事実に、悠も気づいていた。だからこそ馬鹿騒ぎをして気づかないふりでいたのだ。
確率がゼロでない限り、試行回数が増えるほど決定的なそれに当たらないでいる事は難しくなるだろう。いずれは『そういうこと』になるはずだ。
それは生きるために食事をすればこそ、緩やかに死に向かっていくのと同じだ。
悠は今、リボルバー銃の弾倉から一つの『弾』を取り出すことができたのだ。
……気がつけば、空はもう暗くなっている。山も少し冷え込んできたようだ。火の暖かさを押し出すように息を吐き出すと、白い息が赤く輝いて夜空を彩る。
「明日から忙しくなるな、今日はもう寝ようか」
寝床と食料の問題こそ解決したが、今はまだやることが山積みだ。
こしらえた寝床にさっさと入っていき、悠は目をつむる。
山は完全な静寂ではない。虫や得体の知れない動物の声、そして彼らが踏みしめる草木の音が、無秩序な音楽を奏でる。
そうしていると、不思議と静寂よりも強い孤独を感じるのだ。
だが悠は、これから少なくとも暫くの間はその一員とならなければならない。
決意を新たにし、悠は寝息を立て始めた。
……異世界に来て最初にすることがサバイバル。それは決して優しい環境ではなかったかもしれないが──悠は期待と希望を胸に、異界の大地への一歩を踏み出した。